熊野牛王符

根源的なものこそが、社会性をもつ。
熊野本宮大社では、毎年、年末に宮司が一年を振り返って、「来年の一文字」を定め、大きな筆で揮毫し、境内に飾ります。

2011年には、「根」という一文字が、



その翌年の、2013年には、「翔」という一文字が、揮毫されました。



「根」と「翔」。

神道の、というよりは、日本文明の、二つの大切な要素。

1. 「地祇的原理」(縄文的・水平的・対称的な、野生の思考)
2. 「天神的原理」(弥生的・垂直的・非対称的な、文明の思考)


この二つを象徴する文字です。

熊野という土地は、今私たちが訪れても、地祇たちの根源的なパワーのようなものが感じられる不思議な土地です。黄泉にくだったイザナミの墓とされる花の窟神社があるのも熊野であり、伊勢の「天」「顕」に対して、熊野は「地」「幽」の聖地です。

ものごとの根っこや深部を表す、「地」や「幽」という「地祇的な原理」とは、「地」の住人たる微生物が、降り積もる有機物を無機物に分解するように、いったんものごとを分解、解体してゼロに還元し、そこから新しい命を芽吹かせます。「地祇的な原理」とは蘇りの原理でもあります。

微生物によって分解され、いったんゼロ(無機物)に還元された命が、再び命(有機物)に合成される、その再生の場所が「地祇的な原理」であるとすると、「天神的原理」とは、大地に芽吹いた命が、飛び立ち、はばたき、上昇し、輝き、命を燃やして結集し、やがて下降していく「顕」「天」の世界です。

(出典: WJFプロジェクト「『地祇的原理』と『天神的原理』」2015年6月3日)

「根」と「翔」。

これを、

1. 自分自身の心の深部を掘り下げること
2. 心の深部にあるものを現実社会の中で表現し、具現化させていくこと


として捉えるならば、この二つは、神道や日本文明に限らず、私たちの人格を形成する大切な二つの要素でもあります。

根源的なものこそが、社会性をもつからです。

ちなみに、本年、2015年の一文字は「成」です。

文字通り、「根」と「翔」の二つが合わさって、物事は「成」るのです。

下のカードは、今年の四月に熊野本宮大社を訪れた際に記念にいただいたもの。

平安時代の装束に身を包んだ巫女さんと、一緒に写真をとってもらいました。



私は、仕事部屋に、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の「牛王宝印」(牛王符)という護符を飾っています。



平安時代以降、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど、全国から多くの人々が熊野参詣を行うようになりましたが、その大切な目的の一つは、熊野の「牛王宝印」を持ち帰ることにもあったようです。

「牛王宝印」とは、熊野三山に限らず、全国のさまざまな寺社で古くから頒布されていた厄よけのお札です。

熊野の牛王符は、カラスの絵柄を用いて、「熊野山寶印」「那智瀧寶印」という文字を表現していますが、他の寺社のものとしては、蛇やムカデや鳩や鷹や牛の角の意匠を用いたものも知られています。

「牛王」(ごおう)とは、牛王符に使われた朱墨に混ぜられた漢方薬の牛黄(ごおう・牛の胆石)のことだという説もあれば、日本神話のスサノオと習合した仏教の天部(インドの神様)「牛王」(ごおう・牛頭天王)のことだという説もあります。(熊野本宮大社の主祭神は、スサノオです。)

牛王符は、もともとは棒に挟んで、田畑に突き刺し害獣害虫よけに用いたそうですが、鎌倉時代以降は、起請文(きしょうもん)の用紙としても使われるようになりました。

特に熊野の牛王符が多く用いられ、戦国大名も同盟を結ぶ際には、牛王符の裏に名前と誓約事項を記して、互いに交わしたそうです。

誓約を破った際には、神罰を受けるとされました。

予は熊野牛王の外の牛王を見たことないゆえ、何とも言いえぬが、熊野の牛王は幼時たびたび見もすれば、小学校で紛失品あるごとに牛王を呑ますと威されたので、その概略の容体を覚えおる。烏を何羽点じあったか記憶せぬが、まずは『和漢三才図会』に書いた通りのものだった。盗人などを検出するには、これを焼いて灰とし水で服むと、熊野の社におる烏が焼いた数だけ死ぬ。その罰が有罪の本人に中って、即座に血を吐くとか聞いた。血を吐くのが怖くて、牛王を呑ますと言うと、呑むどころか牛王の影をも見ぬうち既く罪人が自白するを常とした。

(出典: 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」)

最近の例では、小泉政権が郵政民営化を推し進めていた頃に、後に国民新党を結党することになる綿貫民輔氏(神職の資格をもつ)や亀井静香氏らが、同じ反対派の議員たちと結束を約するために熊野牛王符に署名したそうですが、反対派議員として署名しながら、後に寝返って、小泉構造改革や安倍構造改革の賛成派に転じ、「攻めの農業」を謳って、第一次安倍政権の農林水産大臣を務めた松岡利勝氏は、2007年に、首をつって自殺してしまいました。

これが「神罰」であったか、どうかはわかりません。

ただ、確実に言えることは、心に深く「根」ざさないもの、口先だけのものは、遅かれ早かれ、「天」下から姿を消していくということだと思います。

一方で、心に深く「根」ざすものは、一時的には姿を消すように見えても、なにか他にものに形を変えて、遅かれ早かれ社会の表面に浮上してきます。

しかし、郵政民営化問題に関わった議員で自殺したのは、松岡利勝氏のような「裏切り者」ばかりではありません。

一貫して郵政民営化に反対し、自民党の公認を失って落選し、浪人時代を過ごし、後に国民新党の議員として復活を果たし、野田政権の内閣府特命担当大臣(金融担当)として、郵政改革の見直し政策を推し進めていた松下忠洋氏も、政権交替がなされる直前の2012年9月に、謎の自殺を遂げています。
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巡礼の旅

熊野の記事が出されてましたので、未熟ながら連投コメントさせて頂きます。
機会があったので最近、熊野から伊勢、奈良京都を廻り、最後に出雲へと旅してきました。神社仏閣を参拝し、亡くなった両親の為と恐れ多いですが、この国の行く末を案じた巡礼の旅。
熊野は本宮大社、速玉大社、那智大社、神倉神社、花窟神社。伊勢への途中では
皇大神宮別宮の瀧原宮へ。それから参拝順での外宮から内宮へ参拝。月讀宮へも行きました。観光目的ではないのですが奈良は、ご縁のある東大寺と春日神社。京都は東寺と伏見稲荷神社。最後に出雲では美保神社と出雲大社を参拝してきました。長々とすみません。
神社を参拝してきて感じる所は古来から日本人は自然と共生し敬い恐れ多いと崇拝してきた事。自然の一部である人間は、自然の前では人間が如何に無力で小さな存在であるかと言う事。如何に技術が発達しようと、今の日本人はそれを忘れ傲慢になってしまっている。悲しい事です。
日本の神々に関する古事記や日本書紀は難解で怪しい、理解し難いところはありますが、それでも大切なこの国の成り立ちを伝えていく想いと日本人への戒めを感じる事はできます。
今年、高野山開創1200年大祭で関西方面、高野山へ行きたい思ったのが切っ掛けでした。開創当時付近も日本の政治は荒廃、神仏信仰も堕落し疫病は蔓延、国内は荒廃していたと言われています。
私は特定の人間を崇拝するのには嫌悪感があります。それは天皇陛下でも同じです。
高野山開創にあたり高野山の明神様を敬い自らに厳しく人々を苦しみから救おうと修業された弘法大師は尊敬に値する人物であると思っています。
即身成仏。詳しく知らない時は怪しいなあと思ってましたが、生きている時に仏となれ、世の為、人の為、将来子供たちの為、現世を良くしようと言う事です。
神道は人の力の到底及ぶことのない絶対的自然信仰、日本の天皇の存在は自然と人間を結びつけるもの、日本で成熟した仏教は人の心を戒め、亡くなった先祖を結びつけるものと勝手に解釈しています。
京都の東寺では早朝の生身供を受け、写経も五重塔に納めて頂きました。
最後の出雲大社では心願成就、少しでも日本が守れますようにと拝殿内にて祈願させて頂きました。
ご朱印は各神社仏閣で頂いたのですが、熊野での牛王符は残念ながら購入しませんでした。また機会があれば今度はぜひと思っています。
この日本の良心とWFJさんに日本の神々のご加護をと祈っております。
長文で申し訳ございませんでした。




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