ハムスターと日本人(3)
絶望と希望。
人間が作った回し車の中を嬉々として走り続けようとするハムスターの習性が、自然の野原を自由に駆け回っていた野生の生活に由来するのと同じように、
自らは政治的なシステムやルールの設計者になろうとはせず、誰かが決めたシステムやルールを素直に受け入れてしまう日本人の性向も、自然の中で、自然と共に生きてきた日本人の太古からの生き方と無関係ではないのだと思います。
それは日本人の弱みであると同時に、強みとしても働くことでしょう。
日本の歴史において、何度か人為的に、国家制度が新しく策定され、刷新された時期がありました。
たとえば、律令制が導入され確立された8世紀初頭の日本。
たとえば、明治維新や、GHQによる戦後改革。
これらの国家制度の改革や策定は、かならず、外国の影響下や模倣によってなされたものでした。
それほどまでに、国家制度の人為的で理念的な設計や策定は、日本人の元来の性格に向いていない仕事なのです。
だから、たいていの日本人はTPPなどと言われても、その意味を理解しません。
大規模な反対運動も起きません。
でも、話は、ここでは終わりません。
回し車に飛びつくハムスターのように、日本人が新しい制度にうれしそうに飛びつき、せっせとそのシステムの中を生きることによって、そのシステムを内側から変質させていってしまう、人為的に導入された制度をやがて自然なやり方で無効化させていく、そういう特質を日本人は備えています。
それは、縄文の時代より、日本人の無意識の根底に息づくスピリットのようなものが、自ずから、そうさせてしまうのだと思います。
縄文文明は、1万年以上も続いたそうです。
同一文明が、これほど長い時間維持された例は、世界のどこにも存在しないのだそうです。
参考資料: NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第4集「縄文 奇跡の大集落」
弥生以降のわずか二千数余年の歴史が、縄文文明という日本文明の根底の上にどう堆積しようとも、消し去ることのできない深みを日本人の魂(無意識)は抱えているのです。
私は、そこに、日本の希望があると思います。
下の動画は、自由民主党の立党60周年記念式典における安倍晋三のスピーチです。
「この三年間、みんなでがんばって、マイナスからプラスへ、諦めから希望へと、日本を大きく変えることができました。やればできる。」
これが、安倍晋三本人による、この三年間の総括の言葉なのだそうです。
いまさら、このようなあべこべの言葉を耳にしたところで、もはや腹も立ちません。
安倍晋三や、彼をとりまく勢力は、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する「ニュースピーク」(Newspeak)や、それに由来する「ダブルスピーク」(Doublespeak)の駆使に長けています。
参照記事: WJFプロジェクト「彼らの洗脳手法: ダブルバインド」(2013年3月1日)
しかし、彼らが、どんなに、日本人の諦めや絶望を「希望」と呼び変え、日本人にとってのマイナスを「プラス」と呼び変えたところで、たかが安倍晋三のごとき小童(こわっぱ)が、日本人の魂(spiritus)の根底に太古より息づく(spirare)希望(spere)を破壊できるものではありません。
Dum spiro, spero.
息をする限り、希望はある。
自らは政治的なシステムやルールの設計者になろうとはせず、誰かが決めたシステムやルールを素直に受け入れてしまう日本人の性向も、自然の中で、自然と共に生きてきた日本人の太古からの生き方と無関係ではないのだと思います。
それは日本人の弱みであると同時に、強みとしても働くことでしょう。
日本の歴史において、何度か人為的に、国家制度が新しく策定され、刷新された時期がありました。
たとえば、律令制が導入され確立された8世紀初頭の日本。
たとえば、明治維新や、GHQによる戦後改革。
これらの国家制度の改革や策定は、かならず、外国の影響下や模倣によってなされたものでした。
それほどまでに、国家制度の人為的で理念的な設計や策定は、日本人の元来の性格に向いていない仕事なのです。
だから、たいていの日本人はTPPなどと言われても、その意味を理解しません。
大規模な反対運動も起きません。
でも、話は、ここでは終わりません。
回し車に飛びつくハムスターのように、日本人が新しい制度にうれしそうに飛びつき、せっせとそのシステムの中を生きることによって、そのシステムを内側から変質させていってしまう、人為的に導入された制度をやがて自然なやり方で無効化させていく、そういう特質を日本人は備えています。
それは、縄文の時代より、日本人の無意識の根底に息づくスピリットのようなものが、自ずから、そうさせてしまうのだと思います。
縄文文明は、1万年以上も続いたそうです。
同一文明が、これほど長い時間維持された例は、世界のどこにも存在しないのだそうです。
参考資料: NHKスペシャル アジア巨大遺跡 第4集「縄文 奇跡の大集落」
弥生以降のわずか二千数余年の歴史が、縄文文明という日本文明の根底の上にどう堆積しようとも、消し去ることのできない深みを日本人の魂(無意識)は抱えているのです。
私は、そこに、日本の希望があると思います。
下の動画は、自由民主党の立党60周年記念式典における安倍晋三のスピーチです。
三年前、日本は黄昏を迎えている、そうまで言われていました。この三年間、みんなでがんばって、マイナスからプラスへ、諦めから希望へと、日本を大きく変えることができました。やればできる。みなさん、新しい目標に向かってやろうではありませんか。そのために、来年の参議院選挙、勝ち抜かなければなりません。来年の参議院選挙、輝ける勝利を得て、次なる六十年に向かって、大きな一歩を共に踏み出して参りましょう。
(18:40〜)
「この三年間、みんなでがんばって、マイナスからプラスへ、諦めから希望へと、日本を大きく変えることができました。やればできる。」
これが、安倍晋三本人による、この三年間の総括の言葉なのだそうです。
いまさら、このようなあべこべの言葉を耳にしたところで、もはや腹も立ちません。
安倍晋三や、彼をとりまく勢力は、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』に登場する「ニュースピーク」(Newspeak)や、それに由来する「ダブルスピーク」(Doublespeak)の駆使に長けています。
参照記事: WJFプロジェクト「彼らの洗脳手法: ダブルバインド」(2013年3月1日)
しかし、彼らが、どんなに、日本人の諦めや絶望を「希望」と呼び変え、日本人にとってのマイナスを「プラス」と呼び変えたところで、たかが安倍晋三のごとき小童(こわっぱ)が、日本人の魂(spiritus)の根底に太古より息づく(spirare)希望(spere)を破壊できるものではありません。
Dum spiro, spero.
息をする限り、希望はある。
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