一瀉千里の奔流となり得る日(9)

二つのグローバリズム。
二つの無限。中間。

(出典: パスカル『パンセ』B69-2/ 前田陽一・由木康訳)

このように考えてくる者は、自分自身について恐怖に襲われるであろう。そして自分が、自然が与えてくれた塊のなかに支えられて 無限と虚無とのこの二つの深淵の中間にあるのを眺め、その不可思議を前にして恐れおののくであろう。 そして彼の好奇心は今や驚嘆に変わり、これらのものを僭越な心でもって探求するよりは、沈黙のうちにそれを打ち眺める気持ちになるだろうと信ずる。

なぜなら、そもそも自然のなかにおける人間というものは、いったい何なのだろう。無限に対しては虚無であり、虚無に対してはすべてであり、無とすべてとの中間である。両極端を理解することから 無限に遠く離れており、事物の究極もその原理も彼に対して立ち入りがたい秘密のなかに固く隠されており、 彼は自分がそこから引き出されてきた虚無をも、彼がそのなかへ呑み込まれている無限をも等しく見ることができないのである。

それなら人間は、事物の原理をも究極をも知ることができないという永遠の絶望のなかにあって、 ただ事物の外観を見る以外に、いったい何ができるのであろう。すべてのものは、虚無から出て無限にまで 運ばれていく。だれがこの驚くべき歩みについていくというのだろう。

(出典: パスカル『パンセ』B72/ 前田陽一・由木康訳)

野生の思考・・・対称性の思考・・・国家成立以前の世界を司った
文明の思考・・・非対称性の思考・・・国家成立以降の世界を司った


日本においては、

野生の思考とは、「地祇的原理」と当ブログが呼んだものに相当する。

(「地祇的原理」とは、「左翼的原理」である。)

文明の思考とは、「天神的原理」と当ブログが呼んだものに相当する。

(「天神的原理」とは、「右翼的原理」である。)

「野生の思考」=「地祇的原理」は、仏教と習合した。

「文明の思考」=「天神的原理」は、儒教や中国の皇帝祭祀と習合した。

神仏習合とは、神道における「地祇的原理」(野生の思考)の復興と強化であった。

だから、廃仏毀釈とは、神道における「天神的原理」(文明の思考)の純化と徹底であった。

「野生の思考」も「文明の思考」も、それ自身は、グローバリズムを志向する。

「野生の思考」は、国家の前にある「はじまりのグローバリズム」に溯ろうとするだろう。

「文明の思考」は、国家の行き着く先にある「終わりのグローバリズム」に傾斜しようとするだろう。

だから、右翼も、左翼も、それぞれの対立集団が掲げる理念を排除し、自分たちの理念ばかりを純化し、徹底した場合には、グローバリズムを目指すことになる。

国家は、「はじまりのグローバリズム」と、「終わりのグローバリズム」の間に存在する中間者である。

二種類の異なるグローバリズムの間に、国家は生まれる。

人間が、二つの無限の間の中間者であるように。
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