一瀉千里の奔流となり得る日(6)

日本にいながら、「よそもの」として日本人は疎外されていく。
西洋とは異なり、自然と人間を一体のものとみなしていた江戸時代までの日本では、「神話の思考」と「文明の思考」は一つに「習合」し、相互に影響しあうことで、生活や文化や共同体が営まれていました。



長い時間をかけて、「神話の思考」=「魂」という、日本人の心の深部に最もフィットするように形成された社会や文化や共同体の中で生きていたかつての日本人は、皆、笑顔にあふれて、幸福そうだったと、幕末や明治の始めに日本を訪れた外国人たちは記しています。

「彼らはみなよく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々を本当に幸福にするのかどうか、疑わしくなる。」

(出典: 初代アメリカ駐日総領事 タウンゼント・ハリス)

「これほど簡素な生活なのに満足している住民は初めて見た。農漁業を営む千四百人の住民中、一生のうちによその土地へ行ったことのあるものは二十人といないそうだ。村民たちは自分たち自身の風習にしたがって、どこから見ても十分に幸福な生活を営んでいる」

「平野だけでなく丘や山に至るまで肥沃でよく耕され、山にはすばらしい手入れの行き届いた森林があり、杉が驚くほどの高さにまで伸びている。住民は健康で、裕福で、働き者で元気が良く、そして温和である」

「確かにこれほど広く一般国民が贅沢さを必要としないということは、すべての人々がごくわずかなもので生活できるということである。幸福よりも惨めさの源泉になり、しばしば破滅をもたらすような、自己顕示欲に基づく競争がこの国には存在しない」

(出典: 初代イギリス駐日総領事 ラザフォード・オールコック)

このような牧歌的な日本の風景も、明治維新、文明開化、富国強兵、敗戦、高度経済成長、バブルの崩壊、構造改革など経て、この150年間に大きく変化しました。

これからの日本は、下の図のようになっていきます。



社会制度は、世界の各地から日本に移住してくる、文化的な背景や宗教(すなわち「魂」)が異なるどんな外国人でも違和感なく暮らせるように無色透明なものへと抽象化、非文脈化され、日本人の「神話の思考」=「魂」とは無関係に、地球規模で統一されたグローバル・スタンダードに合わせて画一化させられていきます。

つまり、日本に暮らしながら、日本人は自分たちの「神話の思考」=「魂」に合わせて作られた独特の社会制度の中では、暮らすことができないようになります。

日本人だけが自分たちの「神話の思考」=「魂」に合わせて国の制度を改変しようとすれば、第二次世界大戦を戦ったことを戦後70年たっても国際社会から糾弾され続けているのと同じように、「文明の思考」が司る「グローバル秩序」の撹乱者として、「ファシスト」「危険な民族主義者」「民族差別主義者」「ヘイトスピーカー」として、悪者のレッテルを貼られ、いつまでもいつまでもバッシングされるようになります。

「文明の思考」は、世界規模で普遍妥当なシステムを構築するためだけに用いられるようになります。日本の国立大学から文系学部が廃止されつつある現状は、この傾向を端的に示しています。

一方、世界規模で画一化されていくシステムの設計には一切関与を許されず、自分たちが生きて行く「場所」を形成する力を奪われて行き場を失った「神話の思考」は、ただの慰め草として、共同体からばらばらに切り離された個人の間を、商品として流通するようになります。

戦時中、日本人の「神話の思考」は、外国人に嫌悪感と恐怖を与えました。それは、日本人の「神話の思考」が、世界を変革しようとする意志と力を当時は保持していたからです。

一方、現在では、「クール・ジャパン」などと呼ばれて、日本人の「神話の思考」を描いたアニメや漫画が、世界中でひたすら無害なもの、かわいらしいものとして、人気を博しています。

このことは、日本人の「神話の思考」が、現実世界の構成のためには何の力をもたなくなったこと、無力化され去勢されてしまったことと表裏一体の出来事です。

これらのことは、簡単に言えば、日本人が日本列島に暮らしながら、そのまま「奴隷化」していくことを意味します。

アフリカから新大陸アメリカへと強制連行された黒人奴隷をイメージすればわかるように、「奴隷」の本質は、自分たちの「魂」の形に合わせた作られた故郷の共同体から引き離されて、自分たちの「魂」と無関係な社会制度の中に無理やり放り込まれることです。



とするならば、日本人の「魂」に合わせて作られていたかつての日本社会が破壊されて、日本人の「魂」と無関係な社会制度へと「構造改革」されていくことは、日本列島に暮らしながら、日本という国が日本人にとって「よそよそしい」(fremd)ものと変質し、日本人が「疎外」(Entfremdung)され、まるで、外国で生きることを強要される奴隷のような存在へと変化していくことを意味します。
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匿名様

>WJFさんはこの作品を鑑賞した事があるのですか?

私が見るテレビ番組は、「まれ」と、プラタモリと、日曜美術館です。

魔法少女まどか☆マギカ

WJFさんはこの作品を鑑賞した事があるのですか?

社会的共通資本

TPPを批判してこられた経済学の権威である宇沢弘文先生のことを、当ブログの内容を読んで思い出しました。

残念ながらご高齢のため逝去されましたが、宇沢先生が提唱されてきた概念である「社会的共通資本(Social Common Capital)」の考え方に、WJFさんの連載されているテーマ「文明の思考、魂の思考」との共通点を感じたからです。

宇沢先生が公益財団法人旭硝子財団のブループラネット賞受賞時の記念講演会の資料より転載させていただきます。

・賞の受賞者リスト
http://www.af-info.or.jp/blueplanet/list.html

・2009年受賞時の宇沢先生の講演資料
http://www.af-info.or.jp/blueplanet/doc/lect/2009lect-j-uzawa.pdf

以下講演時の資料より抜粋

(社会的共通資本の基本概念)

・ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置。

・社会全体とっての共通の財産であり、それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理、運営される。

・一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し、真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する。


注目できる点は、基調的にはリベラルな経済学説ながら、文化的かつ社会的な持続性・安定性を標榜し、さらに魂の自立を必要としているくだりです。
先の講演資料から引用すると、このあたりの論点は以下のように説明されています。

「その具体的な構成は先験的あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、そのときどきの自然的、歴史的、文化的、経済的、社会的、技術的諸要因を充分配慮して決められる。社会的共通資本は、一つの国ないしは社会が、自然環境と調和し、すぐれた文化的水準を維持しながら、持続的なかたちで経済的活動を営み、安定的な社会を具現化するための社会的安定化装置といってもよい。」

先生は専門の経済学を究めるなかで、「文明の思考」だけでは、経済の本来の意である經世濟民を実現することは出来ず、自然的・歴史的・文化的なものの根源と繋がる「魂の思考」を参照しながら新たな経済思想を構築されようとしたのではないかと考えます。
従って先生にとっては、TPPのようなものは全くもって唾棄すべきものであって、ご高齢の身ながらも前線に立って反対するのが使命であると確信されて行動されてきたことと思います。

宇沢先生は、日本人で最もノーベル経済学賞に近い人と言われてきました。
もしも受賞される日があったのなら、先生の名を知らぬ多くの日本人に広くグローバル化に組み込まれる日本社会の陥穽を気づかせるような一石を投じる機会になったかもしれません。

No title

数年前にwjfさんのブログをはじめて覗いたのと同じ時期くらいに、私は日本と言う国は本当はどんな国で、先祖はどんな価値観を大切にして暮らしていたのかと漠然と考える事がよく有りました。

時代のせいも有ると思いますが、若い時分から先祖や日本にも興味が無く”学ぶ”という事と縁遠い暮らしでした。日本に興味を持ち始めると、幕末明治の話や戦争の話しは目に付くのですが、それ以前の日本人を話す人は余り居ないような気がしていました。

開国以前の日本や日本人の姿。そういうモノを知りたいと思いました。(賢くは無いので難しい本は読みません。読んでも理解出来ません。)古い写真を見たり絵(浮世絵とか)を見たり、外国人が日本に来て当時の様子を描いた絵画などもネットの中では見られます。

ロバートフレデリックブラムという米国人画家の絵を見たときは、なにやら失われた日本の風景を感じとって何故だか残念で哀しい気持ちになりました。エメェ・アンベールという外人さんの書いた本の翻訳版には、当時の日本をスケッチした絵も載っていて、その絵を見た時にも日本を感じた気がしました。(文章は難しいので目を通す程度です)

<・・・日本列島に暮らしながら、日本という国が日本人にとって「よそよそしい」(fremd)ものと変質し、日本人が「疎外」(Entfremdung)され、まるで、外国で生きることを強要される奴隷のような存在へと変化していくことを意味します。・・・>

今、私はWJFさんがこの記事に書かれておられるような気持ちを感じています。今まで暮してた自分の生まれた国が、なんだか自分の国ではなかったかのような感覚を感じています。無意識の中でそういう感覚を感じてる人は案外少なくないような気がします。見えない焦りのようなもの。社会が段々馴染みの無い空気に染まっているような感覚。これから益々そんな空気が広がって行くのでしょうか。

政治家や教育者、公の仕事に就く者、人の上に立つ者、子を持つ親、社会で暮す者、私自身もですが、WJFさんの言ってる話を良く考え理解し、それを土台にして立つ事が出来れば、日本の流れも良い方向へ向かうような気がします。簡単な話では無いでしょうね。取り留めのない事をつらつらと書いてしまいました。 失礼します。

「土地との結びつき」を絶って行けば、必然的に「神話の思考」は衰退して消滅して行く

>日本列島に暮らしながら、日本という国が日本人にとって「よそよそしい」(fremd)ものと変質し、日本人が「疎外」(Entfremdung)され、まるで、外国で生きることを強要される奴隷のような存在へと変化していくことを意味します。

これを「米領日本化」「米領日本人化」と言う。


●「神話の思考」と「土地との結びつき」

「神話の思考」は、「土地との深い結びつき」(すなわち、「農業基盤の社会」)から生まれるものだとすれば、土地との結びつきが失われて行くに従って、「神話の思考」も消滅して行くことになります。

「工業化」がその土台となる「都市化」社会(「工業基盤の社会」=近代化)とは、「土地との結びつき」を絶って行くことですから、「神話の思考」が衰退して消滅して行くのも必然、ということになりませんか?

ならば、明治以降の西洋近代化社会が、日本の伝統社会に根ざした「神話の思考」を衰退させ、消滅させて行ったのも当然、ということになりますね。

工業化は避けられないものだとしても、「食糧生産である農業」というものは「社会基盤を成すもの」という意識を持って維持して行かなければならないし、また、「土地に根ざした農業」というものが、単に食糧生産というもの以上に、「神話の思考」の土台を成すものという明確な認識を持って、これを維持して行かなければならない「はず」なのですが、そもそも、近代以降の日本の国家指導者たちにはこうした発想自体が欠けていた(いる)、と言えるのではないのか?

であるとすれば、近代以降の国家指導者たちが、自ら日本の伝統社会の元を成す「神話の思考」を潰して行った、ということになるのですが?

ならば、今日の「米領日本」体制を作り出す土台は、すでに明治以降の西洋近代化政策によって、既に用意されていたということになる。

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