一瀉千里の奔流となり得る日(3)

「ファシズム」の問題。
「文明の思考」を肥大化させた挙句、19世紀の末ににようやく「無意識」の存在を認めるようになった西洋人の心の中にも、もちろん「神話の思考」が働いていなかったわけではありません。

それは、時には地下水が地表に染み出すように静かに、時にはマグマが噴出するように激しく、西洋社会の表面に表出してきました。

近代において、それはまずロマン主義の潮流として現れました。キリスト教が導入される以前の人間の「自然状態」への憧憬。ギリシア・ローマへの古典や、ゲルマン神話への回帰。民族主義の勃興。心霊主義や神秘主義へ傾斜。霊的体験を強調する信仰復興運動の大衆層への広がり。印象派やキュビズムのような新しい芸術の取り組み。

「神話の思考」を抑圧する形で発達した、西洋の「文明の思考」に対する「神話の思考」勢力による反逆や異議申し立ては、さまざまな形で積み重ねられていったのですが、次第に熾烈さを増していき、ついには、「神話の思考」の政治的実体化としてのファシズムが台頭します。それに対峙したのが「文明の思考」の側に立つ、自由主義と、社会主義という二つの勢力でした。



「文明の思考」から切り離された純化された「神話の思考」は、大衆の熱狂によって支えられ、禍々しい災厄を生み出しながら、やがて、自由主義と社会主義という二つの「文明の思考」勢力によって鎮圧されました。

ファシズムが忌むべきものであったことは言うまでもないのですが、しかし、私たちがファシズムを否定することによって、その底に働いていた「神話の思考」や、「文明の思考」に対する正当な異議申し立てまでをも全否定し、自由主義や社会主義のいずれかに全面的な賛美を寄せるならば、私たちは、私たちの文化や伝統の底にもきらめく「野生の思考」を放棄して、「文明の思考」に対して無条件降伏することになってしまいます。

「文明の思考」から切り離された「神話の思考」が、人間を不幸にするのと同じように、「神話の思考」から切り離された「文明の思考」もまた、人間の全体性を損ない人間を不幸にするものであることは、歴史の中ですでに実証済みですし、現に私たちもその不幸を多かれ少なかれ日々味わっています。

中沢新一氏は、単に自由主義者となったり社会主義者となったりするのとは異なる、もっと複雑で繊細なやり方で、戦前、ファシズムの問題と対峙しようとした、そして同時に民族主義に対して深い共感をよせていた、田邉元という京都帝国大学で教鞭をとっていた哲学者の思索を次のように取り上げています。

30年代に入ってからの田邉元は、おりから台頭してきた「民族主義に立脚するいわゆる全体主義」の運動を、まっこうから受け止めて、みずからの哲学的思考を展開してきたのだ。そのさい、彼は当時の多くの知識人たちのように、近代の申し子である自由主義の立場に立つことによって、これに抵抗したり、逃避したりする道を取らず、またマルクス主義的な国際主義によって民族主義を否定する道をも取ることなく、民族主義の生まれ出る大地であるところの「種的基体」というものを、徹底的に弁証法化しつくしてしまうことによって、その民族主義からおい育ってきた全体主義を、内側から解体してしまおうとする、一般には容易に理解されにくい、複雑な思考戦略をもって、困難な事態に立ち向かおうとしたのだった。

田邉元は、全体主義が突きつけた自由主義への異議申し立てのはらむ重大な意味を正しく理解して、それにある種の共感をすら示した。しかし、それと同時に、民族主義に根ざすその全体主義の硬直した理念や、非合理的な思考法に、とりかえしのつかない災禍をもたらしかねない危険を感じ取っていた。「種の論理」はそのような哲学者によって、自由主義と全体主義とを、同時に解体していくための方法として考え抜かれたものだった。

(出典: 中沢新一「フィロソフィア・ヤポニカ」)

この記事のシリーズの(1)で取り上げた高村光太郎の詩も、「神話の思考」に基づく「文明の思考」への反抗心を表現したものです。

十二月八日

記憶せよ 十二月八日 この日世界の歴史あらたまる
アングロサクソンの主権 この日東亜の陸と海に否定さる
否定するものは彼等のジャパン 眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり そを治しめたまふ明津御神なり
世界の富を壟断するもの 強豪英米一族の力 われらの国に於て否定さる
われらの否定は義による 東亜を東亜にかえせというのみ
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり われらまさにその爪牙を摧かんとす
われら自らの力を養いてひとたび起つ 老弱男女みな兵なり
大敵非にさとるに至るまでわれらは戦う
世界の歴史を両断する 十二月八日を記憶せよ

鮮明な冬

この世は一新せられた
黒船以來の總決算の時が来た
民族の育ちがそれを可能にした
長い間こづきまはされながら
舐められながらしぼられながら
假装舞踏会まで敢えてしながら
彼等に學び得るかぎりを學び
彼等の力を隅から隅までを測量し
彼等のえげつなさを滿喫したのだ
今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた。

しかし、上の図表のファシズムの中に、私が日本を含めていないのは、日本には、ドイツや西洋との単純な同一視を許さない、特殊で複雑な事情があったからです。それについてはまた後に述べます。
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