日本人の「目覚め」を世界は待望する
<一>の圧政から世界を守り救う人々として。
資本主義や国家や科学といった「文明」の行き着く先であるところの「グローバリズム」は、人間を不幸にするもの、人間の心を蝕むもの、人間を非人間化するものを含んでいると、宗教学者の中沢新一氏は指摘しています。
これに関連して、春日大社の先代の宮司をつとめられ、2009年に逝去された葉室頼昭氏が、次のような文章を残されています。
「文明」の暴走であるところの「グローバリズム」に異議申し立てを行うことができるのは、「心」と「文明」の両方を知る日本人だけだと、葉室頼昭氏は述べておられるのだと思います。
中沢新一氏も、人間を不幸にする<一>に対峙するために、「対称性の論理」(新石器的な野生の思考)と「非対称性の論理」(文明の思考)のバランスの回復が必要であると、葉室宮司と同じ趣旨の考えを述べています。
「貧困や格差がひろがる」「食の安全が脅かされる」といった表層の問題のみならず、縄文の精神にまでさかのぼる、魂のもっとも深い根底から、グローバリズムに対して異議申し立てができる日本人、「本当の日本人」の出現を、世界は必要としています。
それは日本人に課せられた歴史的な使命でもあり、これから一層どん底にまで落ちいくであろう日本人の、真の「目覚め」が待望されます。

「根の国・底の国」という、歴史の「どん底」に降り立ってこそ、「真の日本人」は生まれます。
神をめぐる宗教の領域におこった「一神教の神の出現」と、経済の領域におこった貨幣経済の発展形態としての「資本主義の出現」と、政治権力の領域におこった「国家の出現」とは、深い内在的なつながりがあります。それぞれが本格的に出現したり、発達したりした時期は違っていても、そこには一貫して<一>の原理が貫かれています。
そして近代の西欧において、それまではバラバラに発達してきた三つの領域における<一>が一堂に会し、たがいに同盟を結び合ってひとつの統一体を作り出すという、かつてない事態が起こりました。そこでは、キリスト教と産業資本主義と国民国家がひとつに結んで、もはや地球上の他の誰もが太刀打ちできないような、強力な統一体を作り出したのです。グアラニ族の預言者ならこう言うでしょうね。いま地球を制覇しているグローバリズムを動かしているのは<一>の原理であり、それによって人間は必然的に不幸になっていくだろうと。
(出典: 中沢新一『カイエ・ソヴァージュ』)
<一>の原理によって生み出されたものは私たちの生存にいまや決定的な影響を及ぼしています。形而上学の形も、資本主義としての経済活動も、国家を中心とする権力のあり方も、今日ではその全てが<一>の原理の強い影響下にあります。しかし、現代世界を作り上げているこうしたシステムの多くは、とてもすぐれた面をもっている反面、かつてないような不幸の感覚を生み出していることも、また真実です。その原因は、<一>の原理が私たちの「心」の基体である無意識の働きに抑圧や歪みをつくり、その原理が生み出す非対称論理の働きが、かつてない不平等と暴力を地球上に生み出していることにあります。
神話的思考の優しさや思慮深さをみてきた私たちは、そこで次のように問うことができます。神話の思考は、流動的知性=無意識の働きを直接に反映してつくられたものであることによって、人間に深い思慮と動物や弱者に対する思いやりのある態度を生み出すことができたのです。しかし、現代人がもはや神話の思考に立ち戻ることなどは不可能なことですし、資本主義を捨て去ることもできないし、国家以前の状態にいきなり戻ることなども不可能なことです。それならば私たちは、回帰するのではなく、前に進んでいくやり方で、現代世界が陥っている袋小路から抜け出す道を探さなくてはなりません。はたして、そんなことは可能なのでしょうか
(出典: 中沢新一『カイエ・ソヴァージュ』)
これに関連して、春日大社の先代の宮司をつとめられ、2009年に逝去された葉室頼昭氏が、次のような文章を残されています。
ですから、神様はこのままほうってはおかないから、日本人はおそらく目覚めるだろう。これは希望なんですが、そう思っているんです。なんとかして一日も早く目覚めてくれなければ困る。私自身の経験では、人間というのはどん底まで落ちないと目覚めないものだから、神様はわざと日本人をどん底まで落とすのだろう。そして原点に戻らせるのだろうと思うのです。
この原点というのは、戦前とか明治維新とか、そういうことではなくて、日本人の原点というのはずっと遡って縄文時代にあると私は思っています。縄文時代というのは文明はそんなに発達していなかったでしょうが、日本人としての心は本当に最高の時代だったのではなかったろうかと思います。そして弥生時代になって大陸からいろいろな文明が入ってきて、ものの文明は発達したんだけれども、日本人の心がだんだん失われていったのだと思うんですね。
そして、最後まで失われたのが今回の敗戦です。だから、日本人の心が失われたというのは、この戦争に負けたからではなくて、もう弥生時代から始まっていたと思うんです。それも神様のお導きで、そのときはまだ文明はどれぐらい発達していたか知らないけれども、結局、日本に文明というものを発達させたわけでしょう。そのかわり心というのはだんだん失われて、いまはほとんどゼロになっていますね。わざとそうさせたのではないかと思うんです。そして、とうとう、というか、やっと目覚める。そして最後に、精神文化と文明、その両方をもった本当の日本人がよみがえってくる。そして世界を救うのだと思います。そのために、わざわざ神様は弥生時代から文明を与えて、文明と心の両方を日本人に経験させておいて、そして最後にどん底まで落としておいて、この両方を備えた世界唯一の日本人に生まれ変わらせるのだろうと私は信じております。
ですから、縄文時代の日本人そのままではだめなんですよ。それに文明が加わらないと本当にできないでしょう。私はそれが共生だというんです。心だけだったら、アマゾンの未開民族の方がすぐれているんですが、そこに文明がないわけですね。その両方を備えたのが日本人だと思うんです。
そのために二千年ぐらいかかって、神様は日本人の心を落としていかれたわけでしょう。こう考えていくと、神様のやることはすごいんです。そうした神様のお導きを知らないで右往左往しているのがいまの日本人でしょう。しかし、もうじき本当の日本人が生まれるときが来る。おそらく21世紀には生まれるだろうと思うのです。
(出典: 葉室頼昭『神道みえないものの力』)
「文明」の暴走であるところの「グローバリズム」に異議申し立てを行うことができるのは、「心」と「文明」の両方を知る日本人だけだと、葉室頼昭氏は述べておられるのだと思います。
中沢新一氏も、人間を不幸にする<一>に対峙するために、「対称性の論理」(新石器的な野生の思考)と「非対称性の論理」(文明の思考)のバランスの回復が必要であると、葉室宮司と同じ趣旨の考えを述べています。
「貧困や格差がひろがる」「食の安全が脅かされる」といった表層の問題のみならず、縄文の精神にまでさかのぼる、魂のもっとも深い根底から、グローバリズムに対して異議申し立てができる日本人、「本当の日本人」の出現を、世界は必要としています。
それは日本人に課せられた歴史的な使命でもあり、これから一層どん底にまで落ちいくであろう日本人の、真の「目覚め」が待望されます。

(画像出典: 「垂直方向上方から降りかかる問題」2015年2月24日)
グローバリストたちがもつ、垂直方向の三次元的な思考力、その卓越した強靭な未来の構想力に日本人が太刀打ちできるとしたら、それは、彼らに対抗して未来に先回りする思考力を獲得する以上に、日本の長い歴史の堆積を深く掘り下げ、その最も深い穴の根底から、(まさに「根の国・底の国」から)、現在という地表面を見上げることによって、垂直方向の視点を獲得することに一つのヒントがあるのではないかと考えています。
長い歴史の積み重なりこそが、彼らにはなく、私たち日本人がもつ最大の武器だからです。
「グローバリズムと神道」というシリーズは、日本人がグローバリズムに対抗するために、そのような立体的なパースペクティブを構築するための試みです。
(出典: WJFプロジェクト「世界を俯瞰する視点」2015年2月23日)
「根の国・底の国」という、歴史の「どん底」に降り立ってこそ、「真の日本人」は生まれます。
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