一瀉千里の奔流となり得る日(1)
今こそ、古しへにかへり源にさかのぼり。
当ブログでも時々引用する宗教学者・中沢新一氏の『カイエ・ソヴァージュ』という書物は、グローバリズムの本質を理解する上で大変有益な書物です。
この書物は、2001年から2003年にかけて、中沢新一氏が中央大学で行った講義をまとめたものですが、2011年9月11日のアメリカ同時多発テロや、イラク戦争、小泉構造改革など、グローバリズムが進行していた当時の時代状況が、その問題意識の中に反映されています。
グローバリズムというと、世界の一握りの権力者が画策する陰謀論として説明されたり、資本主義の暴走として経済的側面ばかりがクローズアップされて説明されることが多いのですが、中沢氏のアプローチがユニークなのは、新石器時代の始まりから現代に至る、政治、経済、宗教など様々な領域における現生人類の精神の活動の軌跡を丁寧にたどりながら、どのようにグローバリズムという現象が、人類の精神の中から一つの必然として立ち上がってきたのかを明らかにしている点です。
『カイエ・ソヴァージュ』の中で打ち立てられている思考の枠組みはとてもシンプルなものなのですが、これを援用すると歴史の中に生じた出来事や、現在私たちが直面している問題の意味が、とてもわかりやすくなります。
その枠組みとは次のようなものです。

中沢氏は次のように説明しています。
以上の話をさらに簡単にまとめれば、
「人間の心は、意識と無意識、新しい思考と古い思考とを、現在も二つとも抱えている」
ということになるのですが、このあまりに自明で単純な命題を念頭に入れた上で、今私たちが直面している問題を見回すと、いろいろなことがくっきりと見えてきます。
例えば、詩人で彫刻家の高村光太郎が、1941年12月8日、真珠湾攻撃の日に綴った二つの詩の意味も、よりよく理解することができます。(この詩は、以前「戦後体制とは何か(2)」という記事で取り上げたことがあります。)
上の二つ目の詩の中で、
と書かれている部分は、西洋人の「文明の思考」を身につけようと努力してきた日本人が、反転して、「神話の思考」の中に深く潜り、その水底を強く蹴って、「文明の思考」を突き破って、新しく水面に力強く浮上するというような意味のことが述べられていることがわかります。
あの時と同じように、しかし、あの時とは違い武器は取らずとも、日本人がグローバリズムに対峙するために、
とは言えないでしょうか。
(つづく)
この書物は、2001年から2003年にかけて、中沢新一氏が中央大学で行った講義をまとめたものですが、2011年9月11日のアメリカ同時多発テロや、イラク戦争、小泉構造改革など、グローバリズムが進行していた当時の時代状況が、その問題意識の中に反映されています。
グローバリズムというと、世界の一握りの権力者が画策する陰謀論として説明されたり、資本主義の暴走として経済的側面ばかりがクローズアップされて説明されることが多いのですが、中沢氏のアプローチがユニークなのは、新石器時代の始まりから現代に至る、政治、経済、宗教など様々な領域における現生人類の精神の活動の軌跡を丁寧にたどりながら、どのようにグローバリズムという現象が、人類の精神の中から一つの必然として立ち上がってきたのかを明らかにしている点です。
どうして世界はグローバル化していくのか?それはホモサピエンスの「心」に形而上学化へ向かおうとする因子がもともとセットしてあるからです。その因子が孕んでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを対称性の原理(太古からの神話的な思考のこと)を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。それを最初に突破したのが、一神教の成立だったのです。その意味では、モーゼとヤーヴェの出会いほど、人類の命運に重大な帰結をもたらしたものもないでしょう。宗教をゆめあなどってはいけません。
(出典: 中沢新一『カイエ・ソヴァージュ』)
『カイエ・ソヴァージュ』の中で打ち立てられている思考の枠組みはとてもシンプルなものなのですが、これを援用すると歴史の中に生じた出来事や、現在私たちが直面している問題の意味が、とてもわかりやすくなります。
その枠組みとは次のようなものです。

中沢氏は次のように説明しています。
現生人類の大脳の構造は、新石器時代の始まりから現代に至るまでそんなに大きくは変化していない。
現生人類はまず、無意識の領域において、「野生の思考」「神話の思考」を発達させた。
この思考の特徴は「対称性」にある。
なぜ「対称性」かというと、自然と人間とを、対等で対称的な関係の中に捉えているからである。
しかし、その後、人間の意識の中に、「文明の思考」という「非対称性の論理」が生まれる。
なぜ「非対称性」かというと、ここでは、権力や支配という発想が生まれており、人間と自然とを、非対称な関係の中で捉えているからである。
この「非対称性の論理」が発達するにつれて、一神教や国家や資本主義が誕生し、世界を覆うようになっていった。
しかし、そのように「文明の思考」「非対称性の論理」が発達した現代でも、人間の心は「神話の思考」「対称性の論理」を失っているわけではない。
グローバル化が進行し「非対称性の論理」が肥大化するにつれて、「神話の思考」「対称性の論理」は抑圧を受けるようになる。
以上の話をさらに簡単にまとめれば、
「人間の心は、意識と無意識、新しい思考と古い思考とを、現在も二つとも抱えている」
ということになるのですが、このあまりに自明で単純な命題を念頭に入れた上で、今私たちが直面している問題を見回すと、いろいろなことがくっきりと見えてきます。
例えば、詩人で彫刻家の高村光太郎が、1941年12月8日、真珠湾攻撃の日に綴った二つの詩の意味も、よりよく理解することができます。(この詩は、以前「戦後体制とは何か(2)」という記事で取り上げたことがあります。)
十二月八日
記憶せよ 十二月八日 この日世界の歴史あらたまる
アングロサクソンの主権 この日東亜の陸と海に否定さる
否定するものは彼等のジャパン 眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり そを治しめたまふ明津御神なり
世界の富を壟断するもの 強豪英米一族の力 われらの国に於て否定さる
われらの否定は義による 東亜を東亜にかえせというのみ
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり われらまさにその爪牙を摧かんとす
われら自らの力を養いてひとたび起つ 老弱男女みな兵なり
大敵非にさとるに至るまでわれらは戦う
世界の歴史を両断する 十二月八日を記憶せよ
鮮明な冬
この世は一新せられた
黒船以來の總決算の時が来た
民族の育ちがそれを可能にした
長い間こづきまはされながら
舐められながらしぼられながら
假装舞踏会まで敢えてしながら
彼等に學び得るかぎりを學び
彼等の力を隅から隅までを測量し
彼等のえげつなさを滿喫したのだ
今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた。
上の二つ目の詩の中で、
假装舞踏会まで敢えてしながら
彼等に學び得るかぎりを學び
彼等の力を隅から隅までを測量し
彼等のえげつなさを滿喫したのだ
今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた。
と書かれている部分は、西洋人の「文明の思考」を身につけようと努力してきた日本人が、反転して、「神話の思考」の中に深く潜り、その水底を強く蹴って、「文明の思考」を突き破って、新しく水面に力強く浮上するというような意味のことが述べられていることがわかります。
あの時と同じように、しかし、あの時とは違い武器は取らずとも、日本人がグローバリズムに対峙するために、
今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた
とは言えないでしょうか。
(つづく)

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