一瀉千里の奔流となり得る日(1)

今こそ、古しへにかへり源にさかのぼり。
当ブログでも時々引用する宗教学者・中沢新一氏の『カイエ・ソヴァージュ』という書物は、グローバリズムの本質を理解する上で大変有益な書物です。

この書物は、2001年から2003年にかけて、中沢新一氏が中央大学で行った講義をまとめたものですが、2011年9月11日のアメリカ同時多発テロや、イラク戦争、小泉構造改革など、グローバリズムが進行していた当時の時代状況が、その問題意識の中に反映されています。

グローバリズムというと、世界の一握りの権力者が画策する陰謀論として説明されたり、資本主義の暴走として経済的側面ばかりがクローズアップされて説明されることが多いのですが、中沢氏のアプローチがユニークなのは、新石器時代の始まりから現代に至る、政治、経済、宗教など様々な領域における現生人類の精神の活動の軌跡を丁寧にたどりながら、どのようにグローバリズムという現象が、人類の精神の中から一つの必然として立ち上がってきたのかを明らかにしている点です。

どうして世界はグローバル化していくのか?それはホモサピエンスの「心」に形而上学化へ向かおうとする因子がもともとセットしてあるからです。その因子が孕んでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを対称性の原理(太古からの神話的な思考のこと)を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。それを最初に突破したのが、一神教の成立だったのです。その意味では、モーゼとヤーヴェの出会いほど、人類の命運に重大な帰結をもたらしたものもないでしょう。宗教をゆめあなどってはいけません。

(出典: 中沢新一『カイエ・ソヴァージュ』)

『カイエ・ソヴァージュ』の中で打ち立てられている思考の枠組みはとてもシンプルなものなのですが、これを援用すると歴史の中に生じた出来事や、現在私たちが直面している問題の意味が、とてもわかりやすくなります。

その枠組みとは次のようなものです。



中沢氏は次のように説明しています。

現生人類の大脳の構造は、新石器時代の始まりから現代に至るまでそんなに大きくは変化していない。

現生人類はまず、無意識の領域において、「野生の思考」「神話の思考」を発達させた。

この思考の特徴は「対称性」にある。

なぜ「対称性」かというと、自然と人間とを、対等で対称的な関係の中に捉えているからである。

しかし、その後、人間の意識の中に、「文明の思考」という「非対称性の論理」が生まれる。

なぜ「非対称性」かというと、ここでは、権力や支配という発想が生まれており、人間と自然とを、非対称な関係の中で捉えているからである。

この「非対称性の論理」が発達するにつれて、一神教や国家や資本主義が誕生し、世界を覆うようになっていった。

しかし、そのように「文明の思考」「非対称性の論理」が発達した現代でも、人間の心は「神話の思考」「対称性の論理」を失っているわけではない。

グローバル化が進行し「非対称性の論理」が肥大化するにつれて、「神話の思考」「対称性の論理」は抑圧を受けるようになる。

以上の話をさらに簡単にまとめれば、

「人間の心は、意識と無意識、新しい思考と古い思考とを、現在も二つとも抱えている」

ということになるのですが、このあまりに自明で単純な命題を念頭に入れた上で、今私たちが直面している問題を見回すと、いろいろなことがくっきりと見えてきます。

例えば、詩人で彫刻家の高村光太郎が、1941年12月8日、真珠湾攻撃の日に綴った二つの詩の意味も、よりよく理解することができます。(この詩は、以前「戦後体制とは何か(2)」という記事で取り上げたことがあります。)

十二月八日

記憶せよ 十二月八日 この日世界の歴史あらたまる
アングロサクソンの主権 この日東亜の陸と海に否定さる
否定するものは彼等のジャパン 眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり そを治しめたまふ明津御神なり
世界の富を壟断するもの 強豪英米一族の力 われらの国に於て否定さる
われらの否定は義による 東亜を東亜にかえせというのみ
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり われらまさにその爪牙を摧かんとす
われら自らの力を養いてひとたび起つ 老弱男女みな兵なり
大敵非にさとるに至るまでわれらは戦う
世界の歴史を両断する 十二月八日を記憶せよ

鮮明な冬

この世は一新せられた
黒船以來の總決算の時が来た
民族の育ちがそれを可能にした
長い間こづきまはされながら
舐められながらしぼられながら
假装舞踏会まで敢えてしながら
彼等に學び得るかぎりを學び
彼等の力を隅から隅までを測量し
彼等のえげつなさを滿喫したのだ
今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた。

上の二つ目の詩の中で、

假装舞踏会まで敢えてしながら
彼等に學び得るかぎりを學び
彼等の力を隅から隅までを測量し
彼等のえげつなさを滿喫したのだ
今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた。

と書かれている部分は、西洋人の「文明の思考」を身につけようと努力してきた日本人が、反転して、「神話の思考」の中に深く潜り、その水底を強く蹴って、「文明の思考」を突き破って、新しく水面に力強く浮上するというような意味のことが述べられていることがわかります。

あの時と同じように、しかし、あの時とは違い武器は取らずとも、日本人がグローバリズムに対峙するために、

今こそ 古しへにかへり源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日がきた

とは言えないでしょうか。

(つづく)
*
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No title

日本では「陸軍」って映画が撮られていたみたいですよ。

ユーチューブで検索してみてけれ

「日本のあり方」を根本から問う取り組みが、いまだになされていない!!

①強要された不平等条約撤廃のための「欧米列強追従帝国主義路線」(脱亜入欧主義)から、

②不平等条約撤廃を達成して後、欧米式帝国主義国家として成長したことで、欧米列強帝国主義勢力に対抗すべく「日本式帝国主義路線=日本軍国主義路線」(興亜主義)へと転じ、

③結局は力足りずに帝国主義の本家にして師匠であった米英に破れ、とうとう米の植民地と化してしまた近現代日本の顛末。

この意味を正しく考察し、何が是であって何が非であったのか、冷静に検証し判断しなければならない。

単に卑屈なだけの「自虐史観」も、自画自賛で独善的な「自賛史観」も共にダメである。

しかし、そのポイントは②の「興亜」を、アジアの連帯と自立の推進という本来の道筋から、欧米列強に対抗するための「日本式帝国主義」の論拠へと「改悪」してしまったこと、にあると思われてならない。

この②への過程で、日本人自身が欧米列強式帝国主義に染まって行きながら、それを「日本化して行く」という「日本帝国主義」を自ら生み出してしまい、その結果として、「欧米列強帝国主義 VS 日本帝国主義」という帝国主義の主流派(先発組み)に対抗する帝国主義の傍流派(後発組)、という位置に心身共に陥ってしまったことこそ、「日本のあり方」を問うものとして、痛烈に反省しなければならない焦点、なのではないのか?

「欧米列強勢力への土下座」的な意味での「戦争責任」(東京裁判)など、全くピント外れで笑止千万、こんなものは「帝国主義の親分にその子分が負けて、頭を下げて詫びを入れる」という屈服であるに過ぎないのだから。

①は、よろしくはなかったがやむを得ざる選択であったとして、問題なのは、②の「不平等条約撤廃の達成」以降のあり方を徹底的に見直すことなく、①の路線を踏襲してしまって、結局は帝国主義勢力に成り下がってしまい、心身共に覇道へと進んでしまったこと、にあったのではなかったのか?

そして、この「覇道への道」は、エコノミックアニマルと化したことを問うこともできずにいる、現代日本人の精神構造の土台を成しているものでもある、ということなのだ。

この「日本のあり方」を根本から問う、という「問題解決」への取り組みがいまだになされていないこと、これこそが「戦後レジームからの脱却」などという上っ面だけのおためごかしではなく、避けては通れない根本的な問題なのである!





匿名さん

>彼らへの安易な共感や同情は、祖国の再び三たびの滅亡を意味すると思います。

「日本が悪かった」で話が済むなら、連合国万歳、戦後体制万歳、サンフランシスコ講和条約万歳、「主権回復の日」万歳、欧米の推し進めるグローバリズム万歳、構造改革万歳、グローバリズムをどんどん推し進め日本を消し去ってしまおうで、話が終わってしまいます。

欧米のあこぎなやり口を真似ていた日本が正しかったはずがありませんが、欧米のあこぎなやり口に日本人が怒りを向けていたその心意気が、100%間違っていたとは思いません。

「アングロサクソンの主権」に怒りを向けた、その心意気だけを抽出して、当時とは別のやり方で、私たちが「アングロサクソンの主権」やグローバリズムに対して異議申し立てを行うことは十分に可能であるし、そうすべきであると思います。

正しい自虐史観と、間違った自虐史観の二つがあると思います。
正しい日本擁護と、間違った日本擁護の二つがあるのと同じように。

この記事のシリーズでは、正しい自虐史観、正しい日本擁護がどのようなものかを考えていきます。

No title

当時の日本の指導者は植民地解放という大東亜戦争の大義を唱えたが、その割にはその理想は後付けのものだった。言論・表現・思想信条の自由は厳しく制限され、情報も統制され、徴兵や動員によってその「大義」は国民に強制された。勿論自発的に賛同した人も少なくないだろうが、肝心の「大義」への賛同がインフォームドで自発的で自由なものでなく強制や情報統制や洗脳に基づくものであったことは大東亜戦争の根本的欠陥だ。これではファシズムに近いとしか言いようがない。
従わないものは非国民として抹殺される。

「風と共に去りぬ」を作りながら戦っていたアメリカに負けた日本。

何世紀も殺しあった挙句勢力均衡ということに対していやでも敏感になっていた欧米に対して、矩を超える恐ろしさを理解していなかった当時の日本の指導者たち。オスマン・ムガル・清を解体したあの列強が、日本に目をつけないわけがない。のんきにも日本の軍部は、満洲までなら、熱河はどうか、華北は?どうも欧米の視線が厳しいようだ。資源も止められつつある。しかたない仏印に行ってみよう。まずは北部。さあ南部だこれで資源が確保できた。あれ、にっちもさっちもいかない。気づいたら独伊なんかと同盟を組んでしまっているし。これではまるで我々は世界のつまはじきものではないか?…一事が万事こんな調子で迷走してしまった。誇大妄想気味の軍部や世間知らずの華族様に振り回されて滅亡した大日本帝国。彼らへの安易な共感や同情は、祖国の再び三たびの滅亡を意味すると思います。

そんな日本の戦争責任を検証しようとした幣原喜重郎の戦争調査会をGHQはつぶし、逆コースでなにもかもうやむやに。植民地解放と祖国防衛に燃えた人、戦うこと自体が嫌いな繊細な人は闘技場の剣奴のように殺し殺され、上手に立ち回った人たちは生き残った。
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