自虐史観と構造改革
「戦後レジーム」の二つの構成要素。
この記事は、旧ブログの記事「自虐史観と構造改革」(2013年5月8日)を再掲したものです。
冷戦が終結した90年代以降、二つのものが日本を苦しめてきました。
一つは、中国や韓国による、「反日教育」や「反日プロパガンダ」の激化です。
もう一つは、アメリカによる「日米構造協議」や「年次改革要望書」を通しての構造改革の圧力です。間接的には、財務官僚を通しての、緊縮財政や消費税増税の圧力も含まれます。
(日本の長期デフレの背景には、日本にアメリカの財政をファイナンスさせる意図があったと、中野剛志氏は指摘しています。)
特に、クリントン政権は、日本に対する圧力やバッシングを強めるのと同時に、中国との経済的連携を深めて、中国の国力の増強に力を貸していきました。
これに対して、日本の政治はどう対応したか。
まず、中国や韓国の「反日プロパガンダ」に対しては、
1993年、慰安婦問題をめぐる騒動が激しさを増す中、自民党の宮沢内閣は、「河野談話」を出してその後日本の名誉を大きく傷つけることになりました。
また、1995年には、自社さ連立政権であった村山内閣は、「村山談話」を出し、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを「疑うべくもないこの歴史の事実」とし、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しました。
また、アメリカの圧力に対しては、
橋本内閣は、アメリカや大蔵官僚の圧力に屈する形で、さまざまな構造改革や、消費税の5%への増税、緊縮財政を行い、日本は本格的なデフレに突入しました。1996年にスタートした橋本内閣以降、日本の名目GDPがほとんど成長していないのがわかります。

また橋本内閣以降、自殺者が急増し、その後昨年迄、3万人を下ることはありませんでした。

「対中包囲網」どころか、冷戦終結以降、米中によって包囲されてきたのは、他ならぬ日本です。「愛国者」の二つの意味という記事で掲げた下の図の通りです。

日本の政治は、この二つのサイドからの圧力に対して、自立した毅然たる対応をとるどころか、その圧力に屈する形で、日本の弱体化に手を貸してきたのです。
そして、その中心にいたのが自民党です。
このように、90年代以降、反日プロパガンダと構造改革の二つの圧力が、セットとなって日本を苦しめてきましたが、その原型は、GHQによる戦後の占領統治の中に見いだすことができます。
GHQの占領統治においても、日本人に対する自虐史観(東京裁判史観)の植え付けと、日本の国家改造(構造改革)は、セットで行われました。そして、この二つを司っていたのは、アメリカです。
私たちは、「反日プロパガンダ」と「構造改革」がセットになって行われてきたという事実を留意しなくてはなりません。背後にいたのは常にアメリカであり、これに国内で応じたのが自民党です。
奇妙なのは、反日プロパガンダに対して異議申し立てを行ったり、靖国神社に参拝したりする「右派」の日本人は、アメリカからの構造改革の要求や新自由主義に対しては、容認的であったり、積極的に支持すらしていること。
また、構造改革の圧力や新自由主義に対しては否定的な「左派」の日本人は、反日プロパガンダや自虐史観に対しては容認的であったり同情的であること。
いずれも、片手落ちであり、自己矛盾に陥っています。
日本人として正しくは、反日プロパガンダに対しても、構造改革の圧力に対しても、きちんと異議申し立てを行わなくてはなりません。
TPPに対して異議申し立てを行う日本人は、自虐史観に対しても異議申し立てを行うべきです。
自虐史観に対して異議申し立てを行う日本人は、TPPに対しても異議申し立てを行うべきです。
この二つの問題の根っこは歴史的には同一だからです。

この二つの問題にきちんと対峙することこそが、「日本を取り戻す」、また「戦後レジームの脱却」という言葉の意味だと思います。
では、安倍政権は、この二つの圧力に対してどう対応しているのか。
反日プロパガンダに対しては従来の談話の踏襲を発表しました。また安倍晋三は第一次安倍内閣の時に、慰安婦問題に関して総理大臣の資格で謝罪しています。
(談話見直しに対するWJFの考えは政治家の仕事と歴史家の仕事という記事で述べています。)
構造改革や規制緩和の圧力に対してはそのまま同調。TPP参加に積極的であり、道州制によって日本を切り刻み、移民を受け入れ、水道の自由化まで口にしています。
果ては、GHQによる自虐史観の植え付けと、日本の国家改造が一通り完了したというお墨付きにすぎないサンフランシスコ講和条約の発効をお祝いする始末。
戦後レジームの脱却どころか、戦後レジームを行き着く先まで徹底させて、日本をまさに消滅させようとしています。
冷戦が終結した90年代以降、二つのものが日本を苦しめてきました。
一つは、中国や韓国による、「反日教育」や「反日プロパガンダ」の激化です。
もう一つは、アメリカによる「日米構造協議」や「年次改革要望書」を通しての構造改革の圧力です。間接的には、財務官僚を通しての、緊縮財政や消費税増税の圧力も含まれます。
(日本の長期デフレの背景には、日本にアメリカの財政をファイナンスさせる意図があったと、中野剛志氏は指摘しています。)
特に、クリントン政権は、日本に対する圧力やバッシングを強めるのと同時に、中国との経済的連携を深めて、中国の国力の増強に力を貸していきました。
これに対して、日本の政治はどう対応したか。
まず、中国や韓国の「反日プロパガンダ」に対しては、
1993年、慰安婦問題をめぐる騒動が激しさを増す中、自民党の宮沢内閣は、「河野談話」を出してその後日本の名誉を大きく傷つけることになりました。
また、1995年には、自社さ連立政権であった村山内閣は、「村山談話」を出し、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを「疑うべくもないこの歴史の事実」とし、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しました。
また、アメリカの圧力に対しては、
橋本内閣は、アメリカや大蔵官僚の圧力に屈する形で、さまざまな構造改革や、消費税の5%への増税、緊縮財政を行い、日本は本格的なデフレに突入しました。1996年にスタートした橋本内閣以降、日本の名目GDPがほとんど成長していないのがわかります。

また橋本内閣以降、自殺者が急増し、その後昨年迄、3万人を下ることはありませんでした。

「対中包囲網」どころか、冷戦終結以降、米中によって包囲されてきたのは、他ならぬ日本です。「愛国者」の二つの意味という記事で掲げた下の図の通りです。

日本の政治は、この二つのサイドからの圧力に対して、自立した毅然たる対応をとるどころか、その圧力に屈する形で、日本の弱体化に手を貸してきたのです。
そして、その中心にいたのが自民党です。
このように、90年代以降、反日プロパガンダと構造改革の二つの圧力が、セットとなって日本を苦しめてきましたが、その原型は、GHQによる戦後の占領統治の中に見いだすことができます。
GHQの占領統治においても、日本人に対する自虐史観(東京裁判史観)の植え付けと、日本の国家改造(構造改革)は、セットで行われました。そして、この二つを司っていたのは、アメリカです。
私たちは、「反日プロパガンダ」と「構造改革」がセットになって行われてきたという事実を留意しなくてはなりません。背後にいたのは常にアメリカであり、これに国内で応じたのが自民党です。
奇妙なのは、反日プロパガンダに対して異議申し立てを行ったり、靖国神社に参拝したりする「右派」の日本人は、アメリカからの構造改革の要求や新自由主義に対しては、容認的であったり、積極的に支持すらしていること。
また、構造改革の圧力や新自由主義に対しては否定的な「左派」の日本人は、反日プロパガンダや自虐史観に対しては容認的であったり同情的であること。
いずれも、片手落ちであり、自己矛盾に陥っています。
日本人として正しくは、反日プロパガンダに対しても、構造改革の圧力に対しても、きちんと異議申し立てを行わなくてはなりません。
TPPに対して異議申し立てを行う日本人は、自虐史観に対しても異議申し立てを行うべきです。
自虐史観に対して異議申し立てを行う日本人は、TPPに対しても異議申し立てを行うべきです。
この二つの問題の根っこは歴史的には同一だからです。

(図表は、「『歴史問題』と『構造改革』は連動している」より)
この二つの問題にきちんと対峙することこそが、「日本を取り戻す」、また「戦後レジームの脱却」という言葉の意味だと思います。
では、安倍政権は、この二つの圧力に対してどう対応しているのか。
反日プロパガンダに対しては従来の談話の踏襲を発表しました。また安倍晋三は第一次安倍内閣の時に、慰安婦問題に関して総理大臣の資格で謝罪しています。
(談話見直しに対するWJFの考えは政治家の仕事と歴史家の仕事という記事で述べています。)
構造改革や規制緩和の圧力に対してはそのまま同調。TPP参加に積極的であり、道州制によって日本を切り刻み、移民を受け入れ、水道の自由化まで口にしています。
果ては、GHQによる自虐史観の植え付けと、日本の国家改造が一通り完了したというお墨付きにすぎないサンフランシスコ講和条約の発効をお祝いする始末。
戦後レジームの脱却どころか、戦後レジームを行き着く先まで徹底させて、日本をまさに消滅させようとしています。

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