「国家」と「クニ」(2)
なぜ「国家」は自死に向かうのか(研究メモ)
天神的原理・・・「国家」(制度や理念やイデオロギーとしての国)
地祇的原理・・・「クニ」(身体や心や記憶を通して感受するものとしての国)
なぜ天神的原理が、地祇的原理から切り離される時、「国家」は自死に向かうのか。
これには、ある宗教学的な理由が考えられます。
太古のアニミズム的世界では、人間は、自然の中に多くのスピリットの存在を認めていました。
原初の段階では、スピリットたちの間には、階層や優劣は存在しませんでした。
しかし、時を経て、スピリットたちは、やがて二つの神々のグループに分岐していきます。
高神・・・「いと高きところ」に住まい、垂直方向から人間に臨む神
来訪神・・・水平方向を移動して人間のもとに訪れ、生と死の世界をつなぐ神
神道における天神は「高神」、神道の地祇は「来訪神」に相当します。
(オオクニヌシは、日本の各地をさかんに移動したことで知られ、葦原中国(現実世界)と根の国・底の国との往還を果たします。スサノオも同様に、葦原中国と根の国・底の国を結ぶ神であり、「蘇民将来」の物語に登場する神として典型的な「来訪神」の様相を示しています。)
多神教的世界観では「高神」「来訪神」の二群の神々は、有機的なつながりをもっています。
ところが、人間の精神史にある革命がおきます。
ユダヤ教やキリスト教のような一神教の誕生です。
一神教は、多神教における「高神」が、一元的な力をもち、あらゆる「来訪神」を否定し、排除したときに生まれました。
一神教の神は、地理的・時間的な境界を越えたグローバリズムと強い親和性を持ちます。
明治維新において、神道が再編され、「地祇的原理」を傍におしやって「天神的原理」が一元的な力を持ち、「国家神道」が生まれたとき、それは、一神教が誕生したのと近似したプロセスをたどることになりました。
日本史における「国家神道」の誕生という革命的出来事と、人類史における「一神教」の誕生という革命的出来事は、類似した構造をもっています。
これが、「天神的原理」ばかりを強調することによって生じる国家主義が、グローバリズムと親和性をもち、それゆえに「国家」の自死に向かわざるを得ない理由の一つです。
このような「国家」の自死に抗うためには、「国家」と「クニ」との結びつき、「天神的原理」(右翼的原理)と「地祇的原理」(左翼的原理)の融合を、日本人は、自覚的にはからなくてはなりません。
地祇的原理・・・「クニ」(身体や心や記憶を通して感受するものとしての国)
なぜ天神的原理が、地祇的原理から切り離される時、「国家」は自死に向かうのか。
これには、ある宗教学的な理由が考えられます。
太古のアニミズム的世界では、人間は、自然の中に多くのスピリットの存在を認めていました。
原初の段階では、スピリットたちの間には、階層や優劣は存在しませんでした。
しかし、時を経て、スピリットたちは、やがて二つの神々のグループに分岐していきます。
高神・・・「いと高きところ」に住まい、垂直方向から人間に臨む神
来訪神・・・水平方向を移動して人間のもとに訪れ、生と死の世界をつなぐ神
神道における天神は「高神」、神道の地祇は「来訪神」に相当します。
(オオクニヌシは、日本の各地をさかんに移動したことで知られ、葦原中国(現実世界)と根の国・底の国との往還を果たします。スサノオも同様に、葦原中国と根の国・底の国を結ぶ神であり、「蘇民将来」の物語に登場する神として典型的な「来訪神」の様相を示しています。)
多神教的世界観では「高神」「来訪神」の二群の神々は、有機的なつながりをもっています。
ところが、人間の精神史にある革命がおきます。
ユダヤ教やキリスト教のような一神教の誕生です。
一神教は、多神教における「高神」が、一元的な力をもち、あらゆる「来訪神」を否定し、排除したときに生まれました。
一神教の神は、地理的・時間的な境界を越えたグローバリズムと強い親和性を持ちます。
ホモサピエンス・サピエンスの脳に初めて出現したスピリット世界は、何回にもわたる構造の組み替えを経ても、「対称性の維持」ということを通して、いまだに原初の全体性を保ち続けてきました。そのスピリット世界の構造の組み替えから生まれた「高神」という存在の中から、ヤーヴェなる神(ゴッド)が出現したわけですが、このヤーヴェを「唯一神」とすることによって、その全体性を突き崩そうとする人々が、ここに出現しようとしていたのです。それはいずれ、世界の姿を変えてしまう力をもつにいたるでしょう。その意味で、たしかにこの出来事は一種の「革命」だったのだと思います。
(出典: 中沢新一『カイエ・ソバージュ』第4部: 神の発明)
唯一神を生み出すにいたった一神教の思考の冒険は、人間に膨大な知識と富の集積とをもたらしました。現代の自然科学も資本主義にもとづく市場経済のシステムも、もとはといえばキリスト教という一神教が地ならしをしておいた土地の上に、築き上げられたものとして、細かい部分にいたるまで、一神教のくっきりとした刻印が押してあるのがわかります。なぜそんなことが可能になったのでしょう。心の内部を徹底した「非対称性の原理」にもとづいて組織しなおすことを、一神教が精力的におこなってきたからです。そして、その原理は、いまや「グローバリズム」という名前のもとに、地球の全員機で大きな影響力を行使するに至っています。
現生人類が「非対称性」に方向付けられて発達させてきた心と、巨大爬虫類の選び取った進化の方向は、たしかによく似てしまっているようです。そのことがどのような恐ろしい未来をもたらすことになるか、だいたいの結末は私たちにもわかっています。それなのに、大きな方向転換の流れを作り出すことが、誰もできないでいるのです。
現代文明は、巨大爬虫類たちの生命活動が残していった莫大な石油を消費しながら、なおも前に進もうとしています。それと同じように、心の巨大爬虫類としての一神教の大きな遺骸を食べ尽くしながら、今日のグローバリズムも生きているのでしょう。
(出典: 中沢新一『カイエ・ソバージュ』第4部: 神の発明)
明治維新において、神道が再編され、「地祇的原理」を傍におしやって「天神的原理」が一元的な力を持ち、「国家神道」が生まれたとき、それは、一神教が誕生したのと近似したプロセスをたどることになりました。
日本史における「国家神道」の誕生という革命的出来事と、人類史における「一神教」の誕生という革命的出来事は、類似した構造をもっています。
これが、「天神的原理」ばかりを強調することによって生じる国家主義が、グローバリズムと親和性をもち、それゆえに「国家」の自死に向かわざるを得ない理由の一つです。
このような「国家」の自死に抗うためには、「国家」と「クニ」との結びつき、「天神的原理」(右翼的原理)と「地祇的原理」(左翼的原理)の融合を、日本人は、自覚的にはからなくてはなりません。

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