現代の日本を象徴する意匠
無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の。
2020年の東京オリンピックのエンブレムが発表されました。佐野研二郎氏というデザイナーの作品だそうです。

このエンブレムが、ベルギーのリエージュ劇場のロゴと酷似していることが明らかになり、大きな騒動になっています。
東京五輪組織委員会は問題はないとし、このエンブレムを使用し続けるそうですが、リエージュ劇場のロゴのデザイナーは法的措置に踏み切る可能性を示唆しています。(出典)
剽窃の有無以前の問題として、今回決まったエンブレムのデザインに対する、人々の不満と失望の声があふれています。
下は、NTTやリクルートのロゴの亀倉雄策氏による1964年の東京オリンピックとポスターとエンブレム。

日の丸をあしらったシンプルなデザインですが、「日はまた昇る」と戦後の復興を世界に宣言するかのような、力強い意思の充溢と、気品を感じさせるデザインです。
しかし、今回の東京オリンピックのエンブレムからは、魂の躍動や、日本人らしいスピリットの発露のようなものは、何も伝わってきません。
招致用のエンブレムには、桜という、日本を象徴する意匠が盛り込まれていましたが、今回のエンブレムは、ザハ・ハティド氏による新国立競技場の設計と同様、極力、日本らしい匂いや雰囲気を排除して作られたように感じられます。

「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」
この空疎なスローガンとは裏腹に、2020年東京オリンピックのエンブレムは、まるで三島由紀夫による次の有名な文章を、皮肉にも、そのまま形にしたかのようなデザインになっています。
三島由紀夫が、戦後の25年間を振り返った上の文章をしたためたのは、1970年7月。自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げる四ヶ月前のことでした。
奇しくも、それからちょうど50年後の2020年7月。二回目の東京オリンピックは開催されます。
「それでもいい」
「それでもアメリカにすがっていればいい」
「それでもアメリカの一部になってしまえばいい」
そう思った人たちが、安倍政権を支持し、ありとあらゆる壊国政策を容認し、オリンピック誘致に浮かれ、「安保法制」の強行採決に喝采を浴びせてきました。
オリンピックの虚しいお祭り騒ぎが全て終わった後、多くの日本人が、失意にうなだれながら、こうつぶやくことでしょう。
「これだけの金とエネルギーを絶望と復興に使つてゐたら・・・」

このエンブレムが、ベルギーのリエージュ劇場のロゴと酷似していることが明らかになり、大きな騒動になっています。
東京五輪組織委員会は問題はないとし、このエンブレムを使用し続けるそうですが、リエージュ劇場のロゴのデザイナーは法的措置に踏み切る可能性を示唆しています。(出典)
剽窃の有無以前の問題として、今回決まったエンブレムのデザインに対する、人々の不満と失望の声があふれています。
下は、NTTやリクルートのロゴの亀倉雄策氏による1964年の東京オリンピックとポスターとエンブレム。

日の丸をあしらったシンプルなデザインですが、「日はまた昇る」と戦後の復興を世界に宣言するかのような、力強い意思の充溢と、気品を感じさせるデザインです。
しかし、今回の東京オリンピックのエンブレムからは、魂の躍動や、日本人らしいスピリットの発露のようなものは、何も伝わってきません。
「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の・・・」
招致用のエンブレムには、桜という、日本を象徴する意匠が盛り込まれていましたが、今回のエンブレムは、ザハ・ハティド氏による新国立競技場の設計と同様、極力、日本らしい匂いや雰囲気を排除して作られたように感じられます。

「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」
この空疎なスローガンとは裏腹に、2020年東京オリンピックのエンブレムは、まるで三島由紀夫による次の有名な文章を、皮肉にも、そのまま形にしたかのようなデザインになっています。
「二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」
(出典: 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」サンケイ新聞1970年7月7日)
三島由紀夫が、戦後の25年間を振り返った上の文章をしたためたのは、1970年7月。自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げる四ヶ月前のことでした。
奇しくも、それからちょうど50年後の2020年7月。二回目の東京オリンピックは開催されます。
「日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たち・・・」
「それでもいい」
「それでもアメリカにすがっていればいい」
「それでもアメリカの一部になってしまえばいい」
そう思った人たちが、安倍政権を支持し、ありとあらゆる壊国政策を容認し、オリンピック誘致に浮かれ、「安保法制」の強行採決に喝采を浴びせてきました。
「希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。」
オリンピックの虚しいお祭り騒ぎが全て終わった後、多くの日本人が、失意にうなだれながら、こうつぶやくことでしょう。
「これだけの金とエネルギーを絶望と復興に使つてゐたら・・・」

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