騙すことと騙されること

「現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。」
多くの国民が、安倍政権を「救国政権」と錯誤し支持するように、組織的な大衆扇動が仕掛けられました。

大衆扇動それ自体は、昨今始まった問題ではなく、明治時代に日本に民主主義や新聞や雑誌といったメディアが導入されて以来、つねに私たちの国につきまとってきた問題でした。

大衆扇動において、意図的かつ組織的に騙す側に立つ人々が存在するのは事実なのですが、騙される大衆の側に着目すると、単に「騙された」といって済む問題ではないようです。

終戦直後に、大衆が騙されることの問題を考察した興味深い文章が残されています。

映画監督の伊丹十三の父であり、同じ映画監督として活躍した伊丹万作が、病死するわずか一ヶ月前の1946年8月に発表した文章です。

(下線は私が付したもの。以前、当ブログでも紹介した、1958年の第19回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した日本映画「無法松の一生」は、伊丹万作の脚本に基づいています。)

(前略)

さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

(中略)

少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。

(中略)

もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

(中略)

我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。

(後略)

(出典: 伊丹万作「戦争責任者の問題」1946年8月)

安倍政権を批判する人たちが増えてきましたが「なぜ騙されたのか」という真摯な反省や分析を行なわないまま、一方的に「騙された」被害者のように振る舞う人たちが多く見受けられます。

さらにひどい例になると、明らかに騙した側に立った言論人を指差して、自分たちと同じ騙された被害者側に含めて、糾弾も反省もせず済まそうとする人々も見受けられます。

「保守言論人たちも自分と同じように騙されていたはずだ」
「保守言論人たちですら騙されていたんだから、自分が騙されていた事も仕方がない」

というように、「安倍に騙されていた自分を免罪したい意識」と、「保守言論人たちを免罪したい意識」は表裏一体のものであると思います。

このような人々にとっては、「安倍に騙されていた自分」を免罪するために、保守言論人は「騙していた人々」ではなく、自分と同じように「騙された人々」でなくては困るのです。

保守言論人たちが「騙していた人々」だとすると、自分が彼らに騙されていたという事実に直面しなくてはならなくなるため、保守言論人たちを「騙されていた自分」たちの陣営に引き込む事で、事実との対峙を回避しようとします。

(出典: WJFプロジェクト「「騙していた人々」を擁護する「騙されていた人々」の心理のカラクリ」2014年6月18日)

「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。


心して、受け止めたい言葉です。

それにしても、日本人騙されすぎですよ・・・。

日本人は正直で人が良いからだとか、水に流すのは美徳だとか、耳触りのいい言葉に流されて、うやむやにして”なかったこと”にしたり、忘れ去ったり、お花畑に逃げ込むのではなく、この世界には平気で人を騙すような輩が山ほど存在していて、自分は騙されるような愚か者なのだという事実を受け入れて欲しいです。そこからしか前進する道はないのですから。

厳しい言い方をすれば、騙すことも罪ならば、騙されることもまた罪なのです。騙す人の利益に加担したという罪は小さくないと思います。

(出典: WJFプロジェクト「本物を見抜く目: 三橋貴明、また嘘をつく」のしかまきさんによるコメント)

どんな狂気と愚かさが安倍政権を作ったか。そして亡国の危機をまねいてしまったか。反省が必要なのは、私も含めて、誰も彼もです。時代が時代なら、多くの人々が腹を切らなければならない局面です。しかし、何の謝罪も方向修正も総括もなされていないのが現状です。安倍政権を支持し、また支持を煽った人々の多くが、未来に対する深刻な加害者となりました。にもかかわらず、何の自省も反省も行われていません。まるで誰も何の過ちも犯さなかったかのように皆が知らんぷりを決め込み、安倍政権の危険性を認めるましな人々であっても、騙した責任を安倍晋三一人に押し付けて、自分たちは騙された犠牲者のフリをしています。」

(出典: WJFプロジェクト「どんな狂気と愚かさが安倍政権を作ったか」2013年10月23日)

参考記事:
WJFプロジェクト「自省と反省」(2014年7月25日)
WJFプロジェクト「ネトウヨ脳のまま安倍政権を叩く人々」(2014年9月18日 )
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世界遺産に因んで

伊丹万作氏の文章、すごいですね。
何だかタイムスリップして当時の日本にいるような感覚に襲われて、最後の
>まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
この部分など、ものすごく重要な課題を与えられたような気がして、『慰安婦神話の脱神話化』第三部を観た時同様、「騙した人」、「騙された人」だけでなく、自分自身にも重くのしかかってくるものを感じました。
その他にも色々なことを考えたのですが、これからじっくり消化していきたいと思います。
よい文章を紹介して頂き有難うごさいます。

ところで、世界遺産のお話が出ているので私も少し書かせて頂きます。
私は世界遺産の話にはあまり興味がわかず、軍艦島や韓国の一連の反応位しか知りませんでしたが、安倍首相のお膝元、山口県萩市の「萩の産業遺産群」をよくみてみたら、松下村塾や城下町まで入っていて吃驚しました。
〈世界遺産へ〉「松下村塾」が「産業革命遺産」だなんて,すごい違和感! - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2143080350438693001
それ以外の産業に関係ありそうなものも「明治の産業革命遺産」に全く関係ないわけではないようですが(?)、「明治の産業革命遺産ではなく江戸時代の萩藩の産業遺産」と揶揄する人もいたので、私自身もよく調べてみようと思いますが、今のところ、安倍首相の地元への利益誘導の感が否めず、言葉は悪いのですが薄気味悪いものを感じてしまいました。
(これまた安倍首相と縁のある三菱重工の「三菱長崎造船所」も気になるとはいえ、あまり野暮なことは言わないでおきます。)

日本の大衆社会における病理

>「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

伊丹万作が終戦直後の混乱期に、日本を侵す大衆病理をしっかりと認識していることに驚きました。
ただ冷静に考えてみると、WJFさんの論説で常に言われている、ただの日本人となって思考し続けることを続けた人であれば至ることが出来た結論であったとも思えます。

日本の大衆社会を覆うこの病いに対する処方箋はなかなか思いつきませんが、日本人が自虐ではない深い内省をしっかり行える自己を確立しつつ、根っこは我々を支えてきた根拠と繋がるというような歴史性を保てる国民となっていけるのなら、日本の本然たる国の姿が再興できるかとは思います。

それにしても、例の軍艦島をはじめとする世界遺産認定は、今の政府を安倍政権が舵取りをする限りロクな落としどころは無いと思っておりましたが、案の定そうなりましたね。
慰安婦の時と同じ。

さらに日本が自主的に情報センターを設けて、韓国からの荒唐無稽な言いがかりである「意に反して労働を強いられたこと」の強制性を認めながら未来に向かって発信続けるなどと、正気の沙汰ではありません。。

今回の世界遺産認定が日本にとっては不名誉この上ない「負の遺産」として国際社会に永続的に認められる恰好となったことに何の痛痒を覚えないまま大喜びする安倍総理。
この安倍をはじめとする政権の取り巻きどもは、どこまで日本を貶めるつもりでしょうか?

今回のテーマである騙された人たちとして、おそらく認定地の地元の方々の多くは観光客誘客に躍起になり、そして今後多くのメディアも世界遺産関連の特集を組むことでしょう。
そして今回の認定に至った問題点と未来への懸念を述べる正鵠を射た批判は、その熱狂のなかでかき消されていくことでしょう。

そしてまたしても、政府の犯した売国ぶりと国際社会から日本がどうみられるかということを徹底的にスルーし、韓国非難だけに明け暮れる安倍応援団のネトウヨのノイジーな暴言がネットで飛び交うことでしょう。

>失敗から学べない日本人

世界遺産に登録決定

報道より引用
>世界遺産への登録が決まったあと、日本の佐藤地ユネスコ大使は「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して厳しい環境下で労働を強いられた」としたうえで、「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」と述べました。



日本政府の学習の無さには呆れられる。意に反して労働を強いられたって、韓国の言う強制労働と認めたことになる。おまけに、佐藤地ユネスコ大使は「この犠牲者のことを忘れないようにする…」って?「犠牲者」って何?「徴用」は、「強制」ではなく、「国民の義務」だったし、韓国が徴用と強制連行を混同させているのは明らかです。
「国民の義務」で「強制労働」と「犠牲者」と言うのであれば、日本国憲法の「国民の三大義務」の(1)教育の義務(2)勤労の義務(3)納税の義務。日本人全員が犠牲者ですな。消費税上げるのも強制ですな。子供に教育を受けさせたら「強制教育だ!」って言うの?学校に通わせたら「強制連行だ!」とは言わない。
そもそも「強制」と言うのであればどこの国でも同じ。嫌でも働いたり、嫌でも納税したり、嫌でも学校に行く。
広い意味では色々なことが強制です。どこまで日本政府って馬鹿なの?韓国に「配慮、配慮、譲歩、譲歩」は無意味で逆効果で韓国を助長させているだけだと、今までが証明している。
そこまでして世界遺産に登録することが、必要とは思わない。
安部信者のブログ見たら「これを理由に(安部を)批判する反日左翼が~」云々言っていましたね。
アホくさ。

グリーンモール商店街

「安倍晋三の地元では日本で唯一韓国通貨ウォンが使える」

で検索すると、今回の出来事でまたWJFプロジェクトが引用され始めているが分かります。

失敗から学べない日本人…

慰安婦は日本の左翼も騒いで事を大きくしましたが、軍艦島は完全にオウンゴールですね。
左派や韓国が負の遺産登録などと言い出したのではない。
目先の観光収入に釣られて登録を急ぎ、わざわざ韓国に「日本のアウシュビッツ」と騒げるカードを与えてしまいました。

「強制徴用」を認めて登録されたのではないとグズグズ言い訳をしているようですが、撤退、退却を「転進」と言い換えていた頃から学べていないのでしょうか。

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