「地祇的原理」と「天神的原理」

蘇りの原理と、飛翔の原理。
ツイッターで以前掲載していた文章に少し手を加えて再掲します。昨年、神道に興味をもつようになったのは、6月に熊野を訪れたことがきっかけでした。熊野について考察したことも、少しずつ記事にまとめてみたいと思います。

熊野という土地は不思議な土地です。

平安時代、京都から熊野という辺鄙な土地に旅することは大変なことでしたが、上皇たちは吸い寄せられるように、何度も、何度も、熊野という土地を訪れました。白河上皇9回、鳥羽上皇は21回、後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回も、熊野詣を敢行しています。

上皇たちは、京都から淀川を下り大阪から紀伊半島を南下して田辺に行き、そこから中辺路という険しい山道を越えて、熊野本宮に至りました。平安末期という時代に、熊野の何が、そんなに上皇たちを惹きつけたのか。当然、上皇たちは京都にないものを求めて熊野を訪れたはずです。

京都にはない何かが、熊野には充満していたはずです。

その「何か」とは、政治の中心地である京都を支配していた「天神的原理」に対する、「地祇的原理」であったにちがいありません。

熊野の地祇たちの力が、京都から上皇たちを呼び寄せ、そのことが時代を覆す大きな変転をもたらした、と言うこともできます。

日本史における時代の変転には、必ず「天神的原理」と「地祇的原理」の力の交代が発生しています。

大和朝廷成立から平安末期までは、「天神的原理」が優勢だった時代。

鎌倉時代から江戸時代までは、「地祇的原理」が優勢だった時代。

明治以降は、再び「天神的原理」が優勢となった時代です。

熊野という土地は、今私たちが訪れても、地祇たちの根源的なパワーのようなものが感じられる不思議な土地です。黄泉にくだったイザナミの墓とされる花の窟神社があるのも熊野であり、伊勢の「天」「顕」に対して、熊野は「地」「幽」の聖地です。

ものごとの根っこや深部を表す、「地」や「幽」という「地祇的な原理」とは、「地」の住人たる微生物が、降り積もる有機物を無機物に分解するように、いったんものごとを分解、解体してゼロに還元し、そこから新しい命を芽吹かせます。「地祇的な原理」とは蘇りの原理でもあります。

微生物によって分解され、いったんゼロ(無機物)に還元された命が、再び命(有機物)に合成される、その再生の場所が「地祇的な原理」であるとすると、「天神的原理」とは、大地に芽吹いた命が、飛び立ち、はばたき、上昇し、輝き、命を燃やして結集し、やがて下降していく「顕」「天」の世界です。

こう考えると、「天神的原理」と「地祇的原理」とは、日本という国家の歴史のみならず、私たち一人ひとりの個人史を支える原理でもあることがわかります。

生命とは「天神的原理」と「地祇的原理」の間のゆっくりとした回転運動です。

蘇り→上昇→下降→死→分解→蘇り・・・

日本という国家も、鎌倉時代から江戸時代という「地祇的原理」の支配的な時代を通過したということは、あたかも微生物によって国家が分解され無機物にまで還元されるプロセスを経た。その後再び「天神的原理」の支配的な時代が訪れ、国家として再編されて近代的国際社会に飛び立ったとも言えます。
*
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

WJFプロジェクトについて
ご寄付のお願い
作品リスト
政治的立場
WJFプロジェクトは、日本の主権、伝統、国柄を守る保守的な観点から、安倍政権が推し進めるTPP参加、構造改革、規制緩和、憲法改正、安保法制、移民受入などのグローバル化政策に反対しています。
TPP交渉差止・違憲訴訟の会
YouTube
WJFプロジェクトの動画作品は以下のYouTubeのチャンネルでご覧になれます。

お知らせ
アクセス・カウンター


今日の一言
蓮舫の二重国籍問題のジレンマ

違う入り口を選んだハズなのに、ドアを開けると、同じ出口につながっている。
最新記事
コメント
<>+-
アーカイブ


RSSリンク
RSSリーダーに下のリンクを登録されると、ブログの記事やコメントの更新通知を受け取ることができます。