グローバリズムと神道(骨子)
神社がグローバリズムに対峙する拠点となるために。
ツイッターで以前掲載した、「グローバリズムと神道」の骨子をこちらにも掲載します。最後の一文を除き、ツイッターで掲載していた文章とほぼ同じものです。
「グローバリズムと神道」において、天神的原理と地祇的原理の再統合を図ろうとした目的は、神道というものが、グローバリズムを推進する自民党系の保守勢力によって、愛国・保守を標榜するための道具として利用されていることに対する危機感がありました。
そのことによって神道は、日本の最も古い土着の宗教でありながら、日本の土着の文化を破壊していくことに加担するという、嘆かわしい状況が生まれています。神社本庁側のグローバリズムや新自由主義の危険性に対する無知と警戒心の欠落も、それを助けています。
神社本庁がどうして、グローバリズムや新自由主義、そしてそれを推進する勢力の危険性に鈍感であるのか。その一因に、彼らの神道理解が、あまりに天神的原理に傾斜しすぎていることがあげられます。地祇的な原理が傍におしやられるという明治以降の傾向が、戦後になってもそのまま受け継がれています。
神道のもつ天神的原理は、明治維新において、それぞれの藩や令制国を「国」とみなしていた当時の日本人に、日本全体が「国」なのであるという新しい国家意識を与え、日本が近代的な国民国家として再編されていく思想的な根拠を与えました。しかし、その時に傍に押しやられたのは、地祇的な原理です。
ここはもう少し検証が必要ですが、神仏習合がもっとも初期に始まり深く進行していったのは、天神系の神社よりも、地祇系の神社だったという印象を私は受けています。熊野のような土地の神社です。その結果、明治維新における廃仏毀釈の被害を大きく被ったのも地祇系の神社となりました。
江戸時代に本居宣長は、「天照大神」「天皇」「天」「顕」「伊勢」という天神的原理を、平田篤胤は、「素戔嗚」「大国主」「地」「幽」「出雲」という地祇的原理を重視しましたが、この二つの原理は、明治13年の神道事務局における祭神論争において激しく衝突しました。
神殿に、造化三神と天照大神の四柱を祀るとした神道事務局にたいして、出雲大社側は、地祇「大国主神」を加えることを主張しましたが、「出雲派が神代より続く積年の宿怨を晴らさんとしている」「皇室に不逞な心を持っている千家尊福を誅殺すべし」などの風説が飛び交い出雲側の主張は退けられました。
明治以降における、天神的原理への傾斜と、地祇的原理の軽視は、明治末期の神社合祀にも現れました。明治政府は、行政による財政負担の合理化のために、全国各地の神社の人為的な統廃合を命じました。
全国各地の土着の共同体や文化を支えた小さなお社が、行政の都合によって、統合されたり廃止されたりする。これは、国家という「天神的原理」によって「地祇的原理」が虐げられた大きな例であり、南方熊楠という地祇たちの聖地熊野に隠棲する碩学が、これと戦いました。
「天神的原理」が「地祇的原理」を、虐げ圧倒するという明治以降のこの傾向は、日本書紀や古事記が描く天皇による日本統一のプロセスとは逆行するものです。「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれた神武天皇と崇神天皇は、あくまで地祇たちを厚く祀る祭祀の上に、天神の末裔として君臨しました。
「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれた二人目の天皇崇神天皇がもっとも恐れ崇敬したのは、出雲の地祇、大国主でした。崇神天皇が、大国主の和魂とされる大物主を奈良の三輪山に祀ったのが大神神社であり、伊勢神宮に先立って成立した古い神社です。
大神神社の大国主の御霊は、天智天皇によって滋賀県の日吉大社に勧請され、平安遷都後は京都の鬼門に位置することから、平安京の守護神として崇敬されました。この日吉大社は平安末期に「強訴」という一種の左翼デモの根拠地となり律令制という天神的原理に基づく政治体制を崩壊させる働きをしました。
「地祇的原理」への恐れと敬いという土台の上に「天神的原理」が重なり、日本という国を成立させた。これが本来の順序だったのですが、明治以降は、この優劣関係が逆転しました。さきほども説明しましたように、「天神的原理」が「地祇的原理」を圧倒し虐げ始めた。これを「国家神道」と呼びます。
従って、「国家神道」とは神道や日本の成立プロセスに逆行するものであり、神道の本来の姿ではない。土着の生活や歴史や文化を司る「地祇的原理」こそが主として存在し、その上に、「天神的原理」が、「地祇的原理」に対する深い敬意と恐れの上に、やさしく降り立つ。これが神道と日本の本来の姿です。
明治体制は、この神道や日本という国の本来の姿に逆行したがゆえに、最終的に破綻せざるをえなかった。日本は戦争に敗れて、明治体制は終焉を迎えました。日本は戦後再出発しましたが、戦前の「天神的原理」と「地祇的原理」の関係は反省されず修正されないまま、現在の神社本庁に受け継がれています。
神社本庁による、「天神的原理」と「地祇的原理」の関係の不理解が、彼らが、自民党のような、グローバリズム推進政党を熱烈に支持させることによって、日本の土着文化や国家そのものの長期的な破壊に加担するという、非常にみっともない事態を招いています。
日本の最も古い土着宗教であるはずの神道が、日本の国家破壊に加担するとは何事かと神社本庁に対して、私は猛省を促したい。
WJFプロジェクトの「グローバリズムと神道」という記事は、縄文から現代までを俯瞰し、「天神的原理」と「地祇的原理」の関係を再検証するための試みです。
私は、それを「神祇史観」と呼びます。
「グローバリズムと神道」において、天神的原理と地祇的原理の再統合を図ろうとした目的は、神道というものが、グローバリズムを推進する自民党系の保守勢力によって、愛国・保守を標榜するための道具として利用されていることに対する危機感がありました。
そのことによって神道は、日本の最も古い土着の宗教でありながら、日本の土着の文化を破壊していくことに加担するという、嘆かわしい状況が生まれています。神社本庁側のグローバリズムや新自由主義の危険性に対する無知と警戒心の欠落も、それを助けています。
神社本庁がどうして、グローバリズムや新自由主義、そしてそれを推進する勢力の危険性に鈍感であるのか。その一因に、彼らの神道理解が、あまりに天神的原理に傾斜しすぎていることがあげられます。地祇的な原理が傍におしやられるという明治以降の傾向が、戦後になってもそのまま受け継がれています。
神道のもつ天神的原理は、明治維新において、それぞれの藩や令制国を「国」とみなしていた当時の日本人に、日本全体が「国」なのであるという新しい国家意識を与え、日本が近代的な国民国家として再編されていく思想的な根拠を与えました。しかし、その時に傍に押しやられたのは、地祇的な原理です。
ここはもう少し検証が必要ですが、神仏習合がもっとも初期に始まり深く進行していったのは、天神系の神社よりも、地祇系の神社だったという印象を私は受けています。熊野のような土地の神社です。その結果、明治維新における廃仏毀釈の被害を大きく被ったのも地祇系の神社となりました。
江戸時代に本居宣長は、「天照大神」「天皇」「天」「顕」「伊勢」という天神的原理を、平田篤胤は、「素戔嗚」「大国主」「地」「幽」「出雲」という地祇的原理を重視しましたが、この二つの原理は、明治13年の神道事務局における祭神論争において激しく衝突しました。
神殿に、造化三神と天照大神の四柱を祀るとした神道事務局にたいして、出雲大社側は、地祇「大国主神」を加えることを主張しましたが、「出雲派が神代より続く積年の宿怨を晴らさんとしている」「皇室に不逞な心を持っている千家尊福を誅殺すべし」などの風説が飛び交い出雲側の主張は退けられました。
明治以降における、天神的原理への傾斜と、地祇的原理の軽視は、明治末期の神社合祀にも現れました。明治政府は、行政による財政負担の合理化のために、全国各地の神社の人為的な統廃合を命じました。
全国各地の土着の共同体や文化を支えた小さなお社が、行政の都合によって、統合されたり廃止されたりする。これは、国家という「天神的原理」によって「地祇的原理」が虐げられた大きな例であり、南方熊楠という地祇たちの聖地熊野に隠棲する碩学が、これと戦いました。
「天神的原理」が「地祇的原理」を、虐げ圧倒するという明治以降のこの傾向は、日本書紀や古事記が描く天皇による日本統一のプロセスとは逆行するものです。「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれた神武天皇と崇神天皇は、あくまで地祇たちを厚く祀る祭祀の上に、天神の末裔として君臨しました。
「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれた二人目の天皇崇神天皇がもっとも恐れ崇敬したのは、出雲の地祇、大国主でした。崇神天皇が、大国主の和魂とされる大物主を奈良の三輪山に祀ったのが大神神社であり、伊勢神宮に先立って成立した古い神社です。
大神神社の大国主の御霊は、天智天皇によって滋賀県の日吉大社に勧請され、平安遷都後は京都の鬼門に位置することから、平安京の守護神として崇敬されました。この日吉大社は平安末期に「強訴」という一種の左翼デモの根拠地となり律令制という天神的原理に基づく政治体制を崩壊させる働きをしました。
「地祇的原理」への恐れと敬いという土台の上に「天神的原理」が重なり、日本という国を成立させた。これが本来の順序だったのですが、明治以降は、この優劣関係が逆転しました。さきほども説明しましたように、「天神的原理」が「地祇的原理」を圧倒し虐げ始めた。これを「国家神道」と呼びます。
従って、「国家神道」とは神道や日本の成立プロセスに逆行するものであり、神道の本来の姿ではない。土着の生活や歴史や文化を司る「地祇的原理」こそが主として存在し、その上に、「天神的原理」が、「地祇的原理」に対する深い敬意と恐れの上に、やさしく降り立つ。これが神道と日本の本来の姿です。
明治体制は、この神道や日本という国の本来の姿に逆行したがゆえに、最終的に破綻せざるをえなかった。日本は戦争に敗れて、明治体制は終焉を迎えました。日本は戦後再出発しましたが、戦前の「天神的原理」と「地祇的原理」の関係は反省されず修正されないまま、現在の神社本庁に受け継がれています。
神社本庁による、「天神的原理」と「地祇的原理」の関係の不理解が、彼らが、自民党のような、グローバリズム推進政党を熱烈に支持させることによって、日本の土着文化や国家そのものの長期的な破壊に加担するという、非常にみっともない事態を招いています。
日本の最も古い土着宗教であるはずの神道が、日本の国家破壊に加担するとは何事かと神社本庁に対して、私は猛省を促したい。
WJFプロジェクトの「グローバリズムと神道」という記事は、縄文から現代までを俯瞰し、「天神的原理」と「地祇的原理」の関係を再検証するための試みです。
私は、それを「神祇史観」と呼びます。

- 関連記事
-
- 「グローバリズムと神道」のための研究メモ (2015/06/28)
- 「地祇的原理」と「天神的原理」 (2015/06/03)
- グローバリズムと神道(骨子) (2015/06/03)
- グローバリズムと神道(28) (2015/02/28)
- グローバリズムと神道(目次) (2015/02/26)