「言挙げせぬ国」の憲法論

憲法改正にこだわるほど、「自然国家」日本は解体され、「人工国家」へと作りかえられていく。
ある神社のサイトに下のような文章が掲げられているのを見つけました。

「世界に躍進する日本を創造するため、憲法改正は喫緊の課題です。悠久の歴史に育まれた美しい伝統や文化、そして世界の平和と繁栄に貢献することを盛り込んだ憲法が、今こそ求められています。」

憲法改正のための記帳所も、その神社内に設けられているそうです。

ポスターには例によって、櫻井よしこの写真と名前が掲げられています。



「悠久の歴史に育まれた美しい伝統や文化、そして世界の平和と繁栄に貢献することを盛り込んだ憲法が、今こそ求められています。」

上の文章は一見もっともらしく聞こえます。

保守の人たちは、この文章を読んでもっともなことを述べていると誤解するでしょう。

しかし、神道的な観点、日本の伝統的な思想という観点から見れば、上の文章は大きな間違いを含んでいると言わざるをえない。

こんな迂闊な文章を、神道人が平気で掲げているのをみると、情けなくて涙が出てきます。

こんな耳障りのよい美辞麗句とは対照的に、万葉集には、シンプルに次のように歌われている。

「秋津島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国」
「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」

日本人の伝統的なスピリットの発出であるところの万葉集によれば、「言挙げ」しないのが日本の国柄です。

日本の国柄は、言葉や理念によって「かくかくしかじかである」などとは規定できない。

それが日本の国柄です。そう万葉集は歌っている。

日本のような「言挙げせぬ国」に対して、世界には「言挙げする国」も存在します。

この二つはどういう違いが存在するか比較してみましょう。

アメリカやフランスのような、社会契約によって成立している人工国家は、「言挙げする国」です。

憲法や宣言によって国家理念を明確にし、それに同意する人々が、国家と契約を結んで、その成員となる。

社会契約説に依拠する人工国家は、「言挙げする国」ですから、いくらでも憲法議論を盛んにし、憲法の条文を厳密にし、時代が変転して国民の同意が得られなくなった時には、積極的に憲法改正を行えばよい。

しかし、日本は、社会契約に立つ人工国家ですか。

いいえ。日本は、言葉や理念に依拠する人工国家ではない。

「憲法改正」「憲法改正」と、お題目のように唱えている人々は、一体、日本が「社会契約に依拠する人工国家ではない」ということをどれだけ深く理解しているのか。

社会契約に依拠する人工国家でなければ、日本は何なのか。

日本は、言葉や理念よりももっと深いものに依拠する自然国家です。

日本は、人工国家ではなく言葉や理念よりももっとも深いものに依拠する「自然国家」。

だからこそ日本は「言挙げせぬ国」なのです。

だから、日本の国柄を、憲法などで規定することはできないし、そういうことをしてはならない。

「悠久の歴史に育まれた美しい伝統や文化を盛り込んだ憲法」

なぜ、神社が上のようなナンセンスな文章を掲げるのか。

「憲法改正」「憲法改正」などといって、言葉や字面にとらわれ、こだわればこだわるほど、「言挙げせぬ国」という日本の本来の国柄から離れていってしまう。

憲法にこだわればこだわるほど、日本は、「自然国家」ではなく、文字に依拠する「人工国家」に近づいていってしまう。

そして、「人工国家」には、必ず「移民」という問題が付きまといます。

文字や理念に依拠する「人工国家」は、社会契約という考えに基づいていますから、新しく社会契約を結んで国家に参入してくる「移民」の受け入れに積極的なのは、当然のことです。

だから、「憲法改正」「憲法改正」といっている、安倍政権や、統一教会系の保守ほど、外国人受け入れや日本のグローバル化に前のめりです。

「憲法改正」と「グローバリズム」

この二つは無関係ではありません。

表裏一体のものであり、彼らのもくろむ「構造改革」の一形態が「憲法改正」です。

そもそも、「憲法」なんぞ、明治以降に押し付けられた、日本人の体型には本来的に合わない西洋の洋服にすぎません。

社会契約説という西洋の人工国家の理念から生まれた「憲法」なぞ、初めから徹頭徹尾西洋の洋服なんだから、これをどういじったところで、日本人の体型に合うわけがない。

「悠久の歴史に育まれた美しい伝統や文化を盛り込んだ憲法」という美辞麗句は、自己矛盾した概念であり、パラドックスであり、落とし穴です。

言葉で言い表すことのできない日本の国柄を、憲法の中に盛り込むことなどできないからです。

しかし日本には、実際に、憲法が存在します。

戦後、アメリカによって与えられた戦後憲法です。

その憲法と、私たちは、どう向き合うのか。

憲法は、あくまでも、国家の枠組みをどう規定するかというテクニカルな面においてのみ、意味を持ちます。

ここに「日本の国柄がどうだとか」そういう発想を混入させてはならない。

そして、「言挙げせぬ国」である自然国家日本の国民として必要なことは、憲法をもちながら、憲法などあってなきかのごとく生きることです。

憲法などにとらわれずに生きることです。

第9条にしても、日本は改憲せずとも、すでに自衛隊という軍隊を保持しており、わざわざ改正の必要はない。

「憲法改正」と騒いでいるのは、「自然国家」日本を解体し、「人工国家」へと「構造改革」し、移民の受け入れを推進し、グローバル化したくてたまらない、ニセモノの保守です。

彼らの掲げる、耳障りのよい美辞麗句に、騙されてはなりません。
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