「慰安婦神話の脱神話化」について語りたいこと(5)
海外への情報発信がもつジレンマ。
『慰安婦神話の脱神話化』というこの動画は、人類史上最高の慰安婦動画です。
人類はこれ以上のロジックとレトリックを備えた慰安婦動画を生み出しえません。
絶対に不可能です。
なぜならば、WJFプロジェクトが、三年の歳月をかけて注意深く完成させた動画だからです。
先日、半分ふざけて、上のような挑発的な言葉を書きましたが、さっそくYouTubeに大変話題になっている動画が公開されています。
「スコッツボローガールズ」という慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画を完成させた谷山雄二朗という方が、アメリカのワシントンの大学で行ったスピーチの動画です。
「慰安婦神話の脱神話化」の再生数が伸びないのと対照的に、上の動画は「保守」の人たちに絶賛され、大々的に拡散されています。
日本人の心を動かし、その関心を引きつけているという点では、「慰安婦神話の脱神話化」は白旗を上げざるをえません。
生身の人間が直接語りかける迫力は、WJFプロジェクトの動画が持ち得ないものですし、原稿も見ずに滔々と語り続ける谷山氏の力量は感嘆せざるを得ません。
谷山氏の慰安婦問題の説明は、基本的には従来の保守の人々の慰安婦理解を踏襲しています。
・慰安婦は売春婦なので、性奴隷ではない。
・韓国人の元慰安婦は嘘をついている。
・オランダ人の捕虜が慰安婦とされた白馬事件だけが、例外的な事例である。
述べている内容は、従来の保守の人々の理解と同じなのですが、異なるのは、谷山氏は、海外経験が豊富なだけあり、海外の人たちの知識や考え方に合わせた様々なレトリックを駆使して上の諸点を説明していることです。
たとえば、韓国人の元慰安婦の証言の変化を暴き立てる時も、保守の人々がやりがちなように「強欲な嘘つきばばあ」などと貶めて語るのではなく、「北朝鮮のモンスター団体である挺対協によって嘘をつかされているかわいそうなおばあさん」という言い方をしています。
・挺対協などの活動家と、韓国人元慰安婦を別々に切り離して扱う。
・韓国人元慰安婦はあくまでかわいそうな存在として扱い、非難の矛先は活動家に向ける。
という点は、WJFプロジェクトの慰安婦動画も、谷山氏と同じ方法を採用しています。
この方法は、海外にむけてアピールする場合、どうしても必要なものだと思います。
谷山氏が巧みな英語で、韓国人の嘘をばっさばっさと斬っていく様は、韓国人の嘘によって悩まされてきた日本人にとっては、胸のすく思いがすることでしょう。
多くの日本人が谷山氏に拍手喝采を送るのも当然のことです。
しかし、慰安婦問題のように価値観が絡む問題の場合、「日本人が見て喜ぶ動画」が、必ずしも、「外国人が見てわかる動画」であるとは限りません。
「日本人が見て喜ぶ」ことと、「外国人が見てわかる」ことは全く別の話だからです。
むしろ、「日本人が喜ぶ」ことと、「外国人がわかる」ことが、反比例の関係にある場合もあります。
慰安婦問題について「日本人が喜ぶ」動画を作ることは極めて簡単です。
日本の保守の人たちが「こうだ」と信じていることをそのまま英語にすればいいんだから、これほど簡単な話はない。
しかし、その説明が外国人にそのまま通じるわけではない。
「外国人がわかる」動画を作ることほど難しいものはありません。
そこには精緻な、研ぎ澄まされたロジックが必要とされます。
「慰安婦神話の脱神話化」は、ある意味、「日本人を喜ばせまい」という決意をもって作った動画です。
従来、日本人の保守の間に流布されてきた慰安婦理解をそのまま反復するのではなく、海外の、しかも頑迷な人権家たちの見方を変えるにはどういうロジックで説明したらよいのか、という点だけを徹底的に考え抜いて、ゼロから新しい説明を組み立てています。
そのことが、「慰安婦神話の脱神話化」が、日本の保守の人々の間では全く人気のない理由の一つであるかもしれませんが、それだからこそ、むしろ外国人にわかってもらえる可能性を秘めた動画ではないかと考えています。
世界にアピールする谷山氏の力量を賛嘆する一方で、谷山氏の活動に懸念を感じる点は、谷山氏が、やはり、TPPや道州制や解雇自由化に賛成している過激なグローバリスト、新自由主義者であることです。下の動画では、谷山氏は、竹中平蔵と同じことを言っています。
<ブログ更新しました> 道州制は、銭湯からはじまる
-抜粋-
一昨日の夜。銀座にある銭湯に行った。東京の銭湯は、ぼくがなれなかった”東京都知事”の鶴の一声によって450円に統一されている。それはどこの銭湯の「料金表」にも明記されてある。ところが、全国の銭湯料金はエリアによって異なる。後でGoogleってみると、大阪府の銭湯料金が410円であることがわかった。
ここでぼくが強調したいことは、この銭湯料金のように各地方でこうした公共料金を地方の権限で決められる本各駅なシステムこそが、今の我が国に導入すべき道州制だ。ぼくが2003年に主婦の友社から出版させて頂いたデビュー作 “F.U.C.K, I love Japan!” というノンフィクション本の中では、この道州制を”United States of Japan” (USJ)と呼んでいる。
United States of Japan では、日本を八つに分割する代わりに、それぞれの地方=States(国みたいなもの)に財源も権限もシフトする。東京D.C, 北海道STATE (札幌)、東北STATE(仙台), 関東STATE(横浜)、中部STATE(名古屋)、関西STATE(大阪)、四国中国STATE(広島)そして九州沖縄STATE(福岡)という8つのSTATEすなわち「国」に独立させる。
では、国はどうするのか。
そう、細かいところはすべて8つの”STATE”に任せる代わりに、国は安全保障、外交、憲法など「国家的視点でマネージメントすべき」ことだけに特化するのだ。つまり分業だ。効率化だ。ここ数年、永田町のグランパたちが嘆きつつも1cmも進まない「公務員の数も給料も減らす」改革など、そもそも国がやるべきことじゃない。各STATEは、それぞれの判断でムダを査定し、判断し、地方公務員のクビを切って効率化を図るのが正しい道なんだ。
全文はこちら=>谷山雄二朗のブログ。”United States of Japan”
http://yujirotaniyama.blogspot.com/2012/02/blog-post_22.html
(出典: 谷山雄二朗氏のFacebook 2012年2月23日)
みなさんこんばんは! このFBページの目的。それは、TOKYO🎌を世界をつなぐ都市にすること。それなくして、四人に一人が65才以上という世界最高の超高齢化社会日本を維持・成長できない。成長できなければ、国防費も捻出できない。つまりは憲法改正はおろか、福沢諭吉の言葉を借りるなら独立自尊の国になることもありえない。流石にそいつは頂けない。だからこそ、「おもてなしの心」。それは、次世代を担うぼくらの人生をGroovy, funky, chunky & sexy にする。未来をチェンジするには、傍観者であってはならない。いこうぜみんな
(出典: 谷山雄二朗氏のFacebook 2015年2月25日)
外国人を日本に入れて、人口を維持して、憲法改正し、国防を充実させたところで、内部から外国の侵食を許していたら全く意味がありません。
構造改革を推し進めれば、格差は広がり、人口はますます減少し、高齢化は進みます。
人口が減少すれば、それを理由に、さらに、外国人を入れると言う。
必要なのは、構造改革や新自由主義ではなく、出生率が高まるような、国民全体が豊かになる内需を豊かにする政策です。
「歴史問題」では毅然とふるまうが、「構造改革」や「新自由主義」や「グローバリズム」には積極的であるという点は、櫻井よしこ氏などと同じスタンスです。
谷山氏の慰安婦問題のスピーチに惹きつけられた人々は、谷山氏のグローバルな考え方にも、共感をもつことでしょう。
「歴史問題」が、日本人の「構造改革」「新自由主義」「グローバリズム」への危機感を麻痺させるために利用されるという、WJFプロジェクトが懸念していることが、このように実際に起きています。
案の定、谷山氏の動画は、反日グローバルカルトである、統一教会系の団体によって積極的に拡散されています。
下はWJFプロジェクトの古い記事からの引用です。
あらためて"「歴史問題」と「構造改革」は連動している"のです。
「歴史問題」は、日本人を右傾化させる契機として、「構造改革」は、日本人を左傾化させる契機として、機能しています。
日本人は、「歴史問題」と「構造改革」に板挟みにされており、「右翼」に傾斜しても、「左翼」に傾斜しても、国が壊れていくカラクリが、がっちりと構築されているのです。
「歴史問題」に関する左派の主張は、確かにナンセンスなのですが、産經新聞的、「右翼」的、また、従来の「保守」的な、二元的な抗弁のやり方は、次のような結果を招きます。
1. 慰安婦問題等「歴史問題」に関する「反日プロパガンダ」への抗弁を「餌」に、日本人を引きつけ、「構造改革」を推進する「右派」の政党、政治家に傾斜させる。
2. 同時に、彼らのやり方で抗弁すればするほど、慰安婦問題等「歴史問題」に関する世界の人々の共感は得られず、日本の主張は孤立し、偏見は強化され、「反日プロパガンダ」はますます勢いづく。
3. 1に戻り、悪循環に陥る。
「歴史問題」と「構造改革」と、どちらがより深刻かといえば、明らかに「構造改革」の方です。「歴史問題」に関して国際社会の糾弾をあびることは、確かに日本人としては精神的にきついのですが、慰安婦問題で死ぬ人はいません。一方、「構造改革」は、より直接的、実体的な被害を国民生活にもたらし、家族を失う人、家を失う人、命を絶たなければならない人たちも現れます。「構造改革」が進み、移民を受け入れれば、長期的には「民族浄化」の憂き目にも会います。
「歴史問題」が危険なのは、「日本人の名誉が汚されるから」ではなく、人々の右傾化を招く事によって「構造改革」を誘発する契機となるためです。このことを防ぐためにも、二元的な見方とは異なる、総合的、俯瞰的、多元的な見方に立って、「歴史問題」に抗弁していく必要があります。
これこそが、WJFプロジェクトに課せられた使命だと自覚しているのですが、残念な事に、このような視点から「歴史問題」に取り組む人々、また、このような取り組みを理解する人々の数は多くはありません。
「歴史問題」といえば、極端な左派の主張か、極端な右派の主張のいずれかに、人々は分岐し、傾斜し、取り込まれていくのが現状です。
「右翼」、「左翼」という二つの立場を、媒介し、止揚し、再統合する考え方、というよりも、「右翼」や「左翼」に、日本人が分岐する以前の、日本の根源に回帰しようとする姿勢が、日本人の間に広まっていかなくてはならないのですが、なかなか困難な課題です。
(出典: WJFプロジェクト「「歴史問題」と「構造改革」の板挟み」2014年7月29日)
さて、この逸話から私たちが引き出せる教訓は、決して「ぬれぎぬを着せられても、自己弁明してはならない」というものではありません。
この逸話が示す最も重要なポイントは、
二元的な対立を超えたところに、事実は自ずから現れるものだ。
あるいは、
事実とは、二元的な対立を超えるものだ。
さらには、
事実は、二元的な対立を超えた場所から語られなくてはならない。
というものだと私は考えます。
この原則は、私たちが、慰安婦問題のような、日本に着せられているぬれぎぬに対して弁明するときにも、当てはめられるべき原則だと思います。
日本側からなされる自己弁明のための努力が、新しい対立や紛糾や騒動を作り出すことがあってはなりません。
対立や紛糾や騒動を作りだしているならば、おそらく「事実」は正しく語られてはいません。
もちろん河野談話のように、安易な宥和を期待して、自虐的に事実をねじまげてしまってもいけません。
WJFプロジェクトの作る慰安婦動画は、対立や紛糾を止揚した場所から、静かに「事実」を語る動画でありたいと考えています。
(出典: WJFプロジェクト「そうか、そうか」2013年9月17日)

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