「慰安婦神話の脱神話化」について語りたいこと(4)

「自虐史観」を脱却することの本当の意味。
『慰安婦神話の脱神話化』全編 (英語版)を、アメリカでも視聴できるように調整したものを、明日中にアップロードできる予定です。

実は、本日二回アップロードしたのですが、その度に間違いを発見してしまい、二回削除しました。

何時間もかけて書き出した後に、調子の悪いソフトが、勝手にフォントを変えたり、素材を表示する長さの設定を変えたりしていまい、一からやり直しです。

「慰安婦神話の脱神話化」というタイトルの意味について、これまでも述べてきたことではありますが、あらためて説明させていただきたいと思います。

そもそも「慰安婦神話」とは何なのでしょうか。

それを「脱神話化」させるとは、具体的には、どうすることなのでしょうか。

「慰安婦神話」とは、いうまでもなく、「事実とは異なる慰安婦に関する説明のこと」ですが、「慰安婦神話」は、かならず「全称命題」の形をとるという特徴をもっています。

「全称命題」というのは、論理学の用語ですが、

「すべてのカラスは黒い」

というような、「すべてのAはBである」という形で語られる命題(文)のことです。

日本軍の慰安婦制度を糾弾する立場の人々がばらまいている「慰安婦神話」は、

「すべての慰安婦は自分の意思に反して強制された性奴隷である」

という「全称命題」の形をとっています。

この「全称命題」の形をとった「慰安婦神話」を否定しようとして、日本軍の慰安婦制度を擁護しようとする、日本の保守の人々は、

「すべての慰安婦は自分の意思に反して強制された性奴隷ではない」

=「すべての慰安婦は自分の意思に基づく高給取りの売春婦である」

という、もう一つの「全称命題」を掲げるという過ちをおかしています。

この命題も「全称命題」の形をとっているがゆえに、もう一つの「慰安婦神話」に他なりません。

「すべての慰安婦は強制されてはいない」というこの命題は、明らかに歴史的な事実とは異なるからです。

また、「すべての慰安婦は性奴隷である」という「全称命題」の否定を、「すべての慰安婦は性奴隷ではない」という「全称命題」であると誤解してしまうのは、論理学の初歩的な誤りです。

論理学的には「すべての慰安婦は性奴隷である」という「全称命題」の否定は、

「すべての慰安婦が、自分の意思に反して強制された性奴隷であるわけではない」

=「慰安婦の中には、自発的な慰安婦も、強制された慰安婦も両方存在した」

という「存在命題」です。

「すべてのカラスは黒い」という「全称命題」に対して「白いカラスもいれば、黒いカラスもいる」という命題を論理学では「存在命題」と呼びます。

「全称命題」よりも、「存在命題」の方が、多様性にあふれた現実の世界では、事実を正確に拾い上げることが多いようです。

カラスにしても、一羽でもアルビノの白いカラスが存在すれば「すべてのカラスは黒い」という全称命題は簡単に崩れてしまいます。

「慰安婦神話の脱神話化」は、この「存在命題」に基づいて論理を組み立てているわけですが、「存在命題」は、二つの主張を「媒介する」という役割も担っています。

「すべての慰安婦は自発的な売春婦だ」

「すべての慰安婦は強制された性奴隷だ」

という、鏡写しの対称性を描いて対立しあう二つの「全称命題」を媒介するのが、

「慰安婦の中には自発的な慰安婦も、強制された慰安婦も存在した」

という「存在命題」だからです。

このように「媒介する」という姿勢は、慰安婦問題のみならず、あらゆる歴史問題に対峙する上でとても大切な姿勢であると考えています。

というのは、「自虐史観」に対峙するときに、私たちは次のような姿勢をとりがちです。

「反日」の立場の人々が、戦前の日本を「悪だ」と否定する

それに対して、「自虐史観」を脱却しようとする人々が、戦前の日本を「善だ」と肯定する

このように自分たちの歴史を肯定する姿勢は、一見愛国的に見えますが、「自虐史観」を本当の意味で「脱却する」ことにはなりません。

これはいつも述べていることですが、日本史の中の特定の時代を切り出して、それをことさらに、否定したり肯定したりするとは、ある歴史観を脱却することにはならない。

歴史の全体の中に「包摂する」という姿勢が、言葉の本当の意味で、ある特定の歴史観を「脱却する」ことだと、WJFプロジェクトは考えています。

たとえば、芥川龍之介の作品に、『鼻』という短編小説があります。主人公の禅智内供は大きな醜い鼻をもっており、周りの人々から馬鹿にされています。この禅智内供が、自分の鼻を「否定」しようと、「肯定」しようと、自分のコンプレックスを脱却することにはつながりません。

自分という全体の一部として、「包摂する」=「受け入れる」という姿勢が、本当の意味での「自虐」的姿勢の脱却なのであり、ことさら、自分の鼻や、戦前という特定の時代を切り出して、それを美化したり、称揚したりすることは、「自虐」的見方の裏返しにすぎません。

「慰安婦神話の脱神話化」という動画も、日本軍の慰安婦制度を肯定したり、否定したりするのではなく、歴史の全体の文脈の中に、慰安婦という出来事を位置づけ、遠くから俯瞰し、「包摂する」という姿勢を取っています。
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