こら、水島! こら、田母神! (3)
インチキ「保守」への怒りの説教。
このシリーズは、水島総と、田母神俊雄への説教によって、インチキ「保守」のおかしさを暴き立てるシリーズです。
こら、水島。
そこに座りなさい。
「八紘一宇」は、グローバリズムや世界市民主義とは違う?
グローバリズムや世界市民主義は、「制度や法律、理念によって」、地球全体を治められると考えるのに対して、「八紘一宇」という思想は、「世界を家族としてみる、一家としてみる」という点で異なる?
でたらめばかり語ってんじゃない。
神武天皇の言葉として、日本書紀が記した「掩八紘而為宇」(八紘を掩いて宇と為さん)という言葉は、あくまで、「日本の国内を、一つの家のようにまとめよう」という話である。
それを戦前の右翼は、日本書紀の「掩八紘而為宇」という言葉の元々の意味を歪めて、日本の国の枠組みを超えた、世界規模の話に拡大してしまった。
その時に、人為的に作られたのが「八紘一宇」という特殊な言葉である。
「国内ではなく、世界全体を、一つの家のようにまとめなくてはならない」、とした段階で、それが制度によろうが、法律によろうが、理念によろうが、宗教によろうが、グローバリズムに他ならないではないか。
しかも、戦前の右翼は、制度や理念によるどころか、「最終戦争」によって、「八紘一宇」の理想を実現しなくてはならないとまで語った。
「八紘一宇」とは、「天皇が世界全体を一つの家として支配しなければならない、それを最終戦争によって実現しなければならない」という思想である。
これは、時代の狂気であり、神道を歪めたグローバル・カルトであり、統一教会の教祖、文鮮明の「人類一家族」思想と何も変わるところはない。
文鮮明は「合同結婚式」によって「人類一家族」を実現しようとし、戦前の右翼は「最終戦争」によって「八紘一宇(人類一家族)」を実現しようとした、という違いにすぎない。
だからこそ、文鮮明は「八紘一宇」という思想を好んだ。
統一教会のお抱え「保守」言論人たちも、「八紘一宇」と、文鮮明の「人類一家族」の理想は同じだと語っている。
そもそも「保守思想」とは、伝統や言語や宗教や文化的背景を異にする人々は、どんなに努力しても根本的には和合できないし、一つの国を形成できないし、それをあえてやろうとすれば、紛争や軋轢など、手に負えない問題が生じるという現実認識、「世界は、一つの家族になどなれない」という現実認識から出発していたのではなかったのか。
つまり、「保守思想」とは、「八紘一宇」などという、グローバルなユートピア思想とは、真逆の方向を目指すものではなかったのか。
だからこそ、私たちは、移民や外国人労働者の無節操な受け入れには反対しなくてはならないし、過度な平和主義や、戦後日本人の国家観の欠落に警鐘をならさなくてはならないし、安倍晋三が推し進める日本のグローバル化政策に真っ向から抵抗しなくてはならないのではなかったのか。
「世界を家族としてみる、一家としてみる」
などという言葉が、よくぞ、保守だの愛国だのを標榜する、お前の口からでてきたもんだな、水島。
このインチキの、でたらめ「保守」め。
下の記事を読んで、しっかり反省しなさい。
「八紘一宇」について(2015年03月19日 )
「八紘一宇」の自己矛盾(2015年03月20日)
「罰としてトイレ掃除」、と言いたいところだが、トイレ掃除のような楽しいことをお前のような男にやらせるわけにはいかん。
便器は、私が磨きます。
こら、水島。
そこに座りなさい。
「八紘一宇」は、グローバリズムや世界市民主義とは違う?
グローバリズムや世界市民主義は、「制度や法律、理念によって」、地球全体を治められると考えるのに対して、「八紘一宇」という思想は、「世界を家族としてみる、一家としてみる」という点で異なる?
でたらめばかり語ってんじゃない。
神武天皇の言葉として、日本書紀が記した「掩八紘而為宇」(八紘を掩いて宇と為さん)という言葉は、あくまで、「日本の国内を、一つの家のようにまとめよう」という話である。
それを戦前の右翼は、日本書紀の「掩八紘而為宇」という言葉の元々の意味を歪めて、日本の国の枠組みを超えた、世界規模の話に拡大してしまった。
その時に、人為的に作られたのが「八紘一宇」という特殊な言葉である。
「国内ではなく、世界全体を、一つの家のようにまとめなくてはならない」、とした段階で、それが制度によろうが、法律によろうが、理念によろうが、宗教によろうが、グローバリズムに他ならないではないか。
しかも、戦前の右翼は、制度や理念によるどころか、「最終戦争」によって、「八紘一宇」の理想を実現しなくてはならないとまで語った。
「この両者(日本とアメリカ)が太平洋を挟んだ人類の最後の大決戦、極端な大戦争をやります。その戦争は長くは続きません。至短期間でバタバタと片が付く。そうして天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろうと思うのであります。即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定するのであります。」
「悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。」
「最終戦争は人類歴史の最大関節であり、それによって世界統一即ち八紘一宇実現の第一歩に入るのである。しかし真に第一歩であって、八紘一宇の完成はそれからの人類の永い精進によらねばならない。」
(出典: 石原莞爾「最終戦争論」昭和15年)
「八紘一宇」とは、「天皇が世界全体を一つの家として支配しなければならない、それを最終戦争によって実現しなければならない」という思想である。
これは、時代の狂気であり、神道を歪めたグローバル・カルトであり、統一教会の教祖、文鮮明の「人類一家族」思想と何も変わるところはない。
「合同結婚式には、今や民族、宗教、人種の壁を超えて、全世界から人々が参加しています。神の願われる理想家庭建設を目指し、全世界の人々が参加することで、やがて人種、文化、国境、宗教の壁を撤廃し、神の下の人類一家族世界が実現されると考えています。」
(出典: 統一教会公式サイト http://www.ucjp.org/?page_id=27)
文鮮明は「合同結婚式」によって「人類一家族」を実現しようとし、戦前の右翼は「最終戦争」によって「八紘一宇(人類一家族)」を実現しようとした、という違いにすぎない。
だからこそ、文鮮明は「八紘一宇」という思想を好んだ。
「八紘一宇の精神は、天宙統一の精神と同じなのです。大東亜共栄圏というのも、神様の栄光の世界と同じです。」
(文鮮明: 女の道 1994年1月21日 済洲研修院で、日本の女性に日本語で語られたもの)
統一教会のお抱え「保守」言論人たちも、「八紘一宇」と、文鮮明の「人類一家族」の理想は同じだと語っている。
神武天皇が、建国に際し、橿原(かしはら)の宮で宣べ給うた言葉の中に「八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)とせむことまたよからずや」というのがある。「あめのした」とは、地球上ということである。つまり、この言葉の意味は、「地球上の全人類が一つの家の中に住む親子兄弟のように仲よく暮らしてゆこうではないか」ということである。「八紘一宇」は、日本の建国の精神であると同時に、神道の根本理念である。(中略)それは、統一教会の創始者・文鮮明師の理想とされる世界の諸宗教の融和ないし統一とその根底において一致するものである、と私は考える。
(小森義峯、元憲法学会理事長、元国士舘大教授、法学博士、伊勢神宮評議員 http://www.chojin.com/person/jp.htm)
そもそも「保守思想」とは、伝統や言語や宗教や文化的背景を異にする人々は、どんなに努力しても根本的には和合できないし、一つの国を形成できないし、それをあえてやろうとすれば、紛争や軋轢など、手に負えない問題が生じるという現実認識、「世界は、一つの家族になどなれない」という現実認識から出発していたのではなかったのか。
つまり、「保守思想」とは、「八紘一宇」などという、グローバルなユートピア思想とは、真逆の方向を目指すものではなかったのか。
だからこそ、私たちは、移民や外国人労働者の無節操な受け入れには反対しなくてはならないし、過度な平和主義や、戦後日本人の国家観の欠落に警鐘をならさなくてはならないし、安倍晋三が推し進める日本のグローバル化政策に真っ向から抵抗しなくてはならないのではなかったのか。
「世界を家族としてみる、一家としてみる」
などという言葉が、よくぞ、保守だの愛国だのを標榜する、お前の口からでてきたもんだな、水島。
このインチキの、でたらめ「保守」め。
下の記事を読んで、しっかり反省しなさい。
「八紘一宇」について(2015年03月19日 )
「八紘一宇」の自己矛盾(2015年03月20日)
「罰としてトイレ掃除」、と言いたいところだが、トイレ掃除のような楽しいことをお前のような男にやらせるわけにはいかん。
便器は、私が磨きます。

- 関連記事
-
- あまりに教科書的な: ダブルバインドと大衆洗脳 (2015/07/16)
- 騙すことと騙されること (2015/07/05)
- こら、水島! こら、田母神! (3) (2015/04/10)
- 三橋貴明は知っていた (2015/03/07)
- 平然と偽りを述べる才能 (2015/03/05)