日本国憲法は、本当に「悪」か?
マッカーサー打電と、象徴天皇制。
下はコメント欄で述べたことを、少し編集して、記事にまとめたものです。
GHQを統括するマッカーサーに対して、アメリカ本国やオーストラリアなどの連合国から、天皇を戦犯として裁判にかけて処刑するように圧力が加わっていた中、1946年1月25日、マッカーサーは天皇制の維持を説得するために、アイゼンハワー陸軍参謀総長に次の打電を行いました。
さらに次のようにも述べ、マッカーサーが、多少誇張を交えた表現で、天皇を戦犯として裁かないように本国を強く説得していた様子が伺えます。
このように、
とする日本国憲法第一条の条文は、
天皇制を廃止せよという強い意向をもっていた連合国やアメリカ本国、また戦後の国際社会に対して、日本が天皇制を維持することに理解を示すように、マッカーサーが天皇制を弁護する文脈の中で生まれたものであり、天皇制を否定したり、破壊するために作られたものではありません。
天皇を戦争責任の糾弾から守り、戦後も日本が天皇制を維持していくために、日本国憲法の制定は不可欠な手続きでした。
昭和天皇御自身は、どう答えられたか。
と、当時の総理大臣であった幣原喜重郎に答えられたと記録されています。
昭和天皇が、御名を記し、御璽を押されて、天皇陛下の名によって、次の勅語と共に、1946年11月3日に公布されたのが日本国憲法です。
今上天皇も、日本国憲法を重んじるという姿勢を一貫して表明されています。
昭和天皇のご聖断を否定し、先帝陛下と今上陛下と共に、国民が70年間築いてきた戦後という時代を全否定して、ちゃぶ台返しをし、日本国憲法は無効だと言って、現行の国家体制を壊し、戦後築いてきた国際社会における信頼も捨てて、大日本帝国憲法を復活させれば、それは革命です。
日本の国内だけでなく、世界中が大混乱に陥ります。
今必要なのは、そのような極端で偏った意見を掲げて少数派を形成することではなく、右翼も左翼も日本人が一つにまとまることです。
日本国憲法を支持することは「左翼だ」という意見がありますが、共産主義者が日本国憲法を支持し続ける限り、彼らは天皇制を廃止することはできません。
と、日本国憲法第一条が宣言しているからです。これは、「国民の意思次第で天皇の地位はどうにでもなる」という意味ではなく、「天皇の地位をすべての日本人が認めてきた」という歴史を超えた事実を表明した言葉です。
日本国憲法第一条の前半が
と述べ、日本国憲法第一条の後半が
と述べているとすると、これは「君臣一体」の国体思想を、国際社会が納得しうる表現で、言い直したものにすぎないことがわかります。
「主権」の所在が、天皇の側にあるのか、国民の側にあるのかは、日本の長い歴史を振り返れば、大きな違いではありません。天皇が直接政治に携わらなかった時代の方が、日本の歴史においては、はるかに長いからです。
共産主義者が天皇制を廃止できるのは、彼らが忌み嫌う「憲法改正」を行った時です。ところが彼らは「憲法改正」を嫌っていますから、天皇の地位は安泰です。
日本国憲法はこのように、天皇制を廃止するどころか、力強く守っています。
ソ連の台頭と中国の赤化によって、GHQによる日本の占領統治時代に、対日戦略の変更を余儀なくされたアメリカ自身にとって、日本国憲法は既に邪魔なものになっていました。日本に武力の放棄をおしつけたマッカーサー自身が、朝鮮戦争では日本に再武装を求めたぐらいです。CIAの資金援助によって作られたことが、機密解除されたアメリカの公文書から明らかになっている自民党は、結党のはじめから憲法改正を党是にしています。
ということは、日本国憲法は際限のない対米隷属から日本の独立を守る最後の砦であるということです。グローバル化と構造改革によって日本を破壊しようとしている安倍政権が憲法改正をもくろむ以上は、日本国憲法を保守することこそ、日本という国家を保守することにつながります。日本国の独立を維持する、その最後の砦を、日本人自身が手放すような愚かなことをしてはなりません。
愛国保守なら日本国憲法を否定しなければならないとか、愛国保守なら原発推進を批判してはならないとか、安倍晋三に盲目的な支持を煽り立ててきた特定勢力に、知らず知らず刷り込まれたドグマを、私たちは一旦リセットする必要があります。
GHQを統括するマッカーサーに対して、アメリカ本国やオーストラリアなどの連合国から、天皇を戦犯として裁判にかけて処刑するように圧力が加わっていた中、1946年1月25日、マッカーサーは天皇制の維持を説得するために、アイゼンハワー陸軍参謀総長に次の打電を行いました。
"His indictment will unquestionably cause a tremendous convulsion among the Japanese people, the repercussions of which cannot be overestimated. He is a symbol which unites all Japanese. Destroy him and the nation will disintegrate."
「天皇の告訴が、日本国民の間に、とてつもない動揺を引き起こすことに疑いの余地はなく、また、その影響は計り知れない。天皇はすべての日本人を一つにまとめる象徴である。天皇を滅ぼせば、国が統合を失う。」
(出典: 「マッカーサーからアイゼンハワー陸軍参謀総長への打電」1946年1月25日)
さらに次のようにも述べ、マッカーサーが、多少誇張を交えた表現で、天皇を戦犯として裁かないように本国を強く説得していた様子が伺えます。
「連合国が天皇を裁判にかければ、日本国民の憎悪と憤激は、間違いなく未来永劫に続くであろう。復讐の為の復讐は、天皇を裁判にかけることで誘発され、もしそのような事態になれば、その悪循環は何世紀にもわたって途切れることなく続く恐れがある。政府の諸機構は崩壊し、文化活動は停止し、混沌無秩序はさらに悪化し、山岳地域や地方でゲリラ戦が発生する。私の考えるところ、近代的な民主主義を導入するという希望は悉く消え去り、引き裂かれた国民の中から共産主義路線に沿った強固な政府が生まれるだろう。そのような事態が勃発した場合、最低百万人の軍隊が必要であり、軍隊は永久的に駐留し続けなければならない。さらに行政を遂行するためには、公務員を日本に送り込まなければならない。その人員だけでも数十万人にのぼることだろう。天皇が戦犯として裁かれるかどうかは、極めて高度の政策決定に属し、私が勧告することは適切ではないと思う」
(翻訳は、西鋭夫『國破れてマッカーサー』より引用)
このように、
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、」
とする日本国憲法第一条の条文は、
天皇制を廃止せよという強い意向をもっていた連合国やアメリカ本国、また戦後の国際社会に対して、日本が天皇制を維持することに理解を示すように、マッカーサーが天皇制を弁護する文脈の中で生まれたものであり、天皇制を否定したり、破壊するために作られたものではありません。
天皇を戦争責任の糾弾から守り、戦後も日本が天皇制を維持していくために、日本国憲法の制定は不可欠な手続きでした。
昭和天皇御自身は、どう答えられたか。
「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身から政治的機能のすべてを剥奪するほどのものであっても、全面的に支持する」
(出典: 幣原平和財団編『幣原喜重郎』)
と、当時の総理大臣であった幣原喜重郎に答えられたと記録されています。
昭和天皇が、御名を記し、御璽を押されて、天皇陛下の名によって、次の勅語と共に、1946年11月3日に公布されたのが日本国憲法です。
「本日、日本国憲法を公布せしめた。この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたものである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたものである。朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任を重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。
(出典: 「昭和天皇による日本国憲法公布の勅語」1946年11月3日)
今上天皇も、日本国憲法を重んじるという姿勢を一貫して表明されています。
昭和天皇のご聖断を否定し、先帝陛下と今上陛下と共に、国民が70年間築いてきた戦後という時代を全否定して、ちゃぶ台返しをし、日本国憲法は無効だと言って、現行の国家体制を壊し、戦後築いてきた国際社会における信頼も捨てて、大日本帝国憲法を復活させれば、それは革命です。
日本の国内だけでなく、世界中が大混乱に陥ります。
今必要なのは、そのような極端で偏った意見を掲げて少数派を形成することではなく、右翼も左翼も日本人が一つにまとまることです。
日本国憲法を支持することは「左翼だ」という意見がありますが、共産主義者が日本国憲法を支持し続ける限り、彼らは天皇制を廃止することはできません。
「その(天皇の)地位は主権の存する日本国民の総意に基く」
と、日本国憲法第一条が宣言しているからです。これは、「国民の意思次第で天皇の地位はどうにでもなる」という意味ではなく、「天皇の地位をすべての日本人が認めてきた」という歴史を超えた事実を表明した言葉です。
日本国憲法第一条の前半が
「天皇はすべての国民を一つにまとめてきた」
と述べ、日本国憲法第一条の後半が
「すべての国民が天皇の地位を認めてきた」
と述べているとすると、これは「君臣一体」の国体思想を、国際社会が納得しうる表現で、言い直したものにすぎないことがわかります。
「主権」の所在が、天皇の側にあるのか、国民の側にあるのかは、日本の長い歴史を振り返れば、大きな違いではありません。天皇が直接政治に携わらなかった時代の方が、日本の歴史においては、はるかに長いからです。
共産主義者が天皇制を廃止できるのは、彼らが忌み嫌う「憲法改正」を行った時です。ところが彼らは「憲法改正」を嫌っていますから、天皇の地位は安泰です。
日本国憲法はこのように、天皇制を廃止するどころか、力強く守っています。
ソ連の台頭と中国の赤化によって、GHQによる日本の占領統治時代に、対日戦略の変更を余儀なくされたアメリカ自身にとって、日本国憲法は既に邪魔なものになっていました。日本に武力の放棄をおしつけたマッカーサー自身が、朝鮮戦争では日本に再武装を求めたぐらいです。CIAの資金援助によって作られたことが、機密解除されたアメリカの公文書から明らかになっている自民党は、結党のはじめから憲法改正を党是にしています。
ということは、日本国憲法は際限のない対米隷属から日本の独立を守る最後の砦であるということです。グローバル化と構造改革によって日本を破壊しようとしている安倍政権が憲法改正をもくろむ以上は、日本国憲法を保守することこそ、日本という国家を保守することにつながります。日本国の独立を維持する、その最後の砦を、日本人自身が手放すような愚かなことをしてはなりません。
愛国保守なら日本国憲法を否定しなければならないとか、愛国保守なら原発推進を批判してはならないとか、安倍晋三に盲目的な支持を煽り立ててきた特定勢力に、知らず知らず刷り込まれたドグマを、私たちは一旦リセットする必要があります。
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