勝海舟の言葉
なるほどとうなずかされる、反主流派の言葉。
日本の海軍の礎を築き、江戸城無血開城を行い、新しい体制への移行を幕府内から手助けした最後の幕臣、勝海舟の言葉は、薩長土肥の藩閥に支配された明治時代における反主流派の言葉として、異彩を放っています。
いくら戦争に勝つても、軍艦が出来ても、国が貧乏で、人民が喰へなくては仕方がない。やれ朝鮮は弱いの、支那人の頭を叩いたのと言つて喜んで居ても、国家の生命に関する大問題がそつちのけにせられるやうでは、まだ鎖国の根性が抜けないといふものだ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2015, 3月 22
国是とか何とか世間の人はやかましくいふが、口にいふばかりが国是ではない。十年も百年も、確然として動かないところのもので、何人からも認識せられてこそ、初めて国是といふことができるのだ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2015, 3月 21
日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2015, 3月 21
おれなどは維新前から日清韓三国合縦の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものサ。今日になつて兄弟喧嘩をして、支那の内輪をサラケ出して、欧米の乗ずるところとなるくらゐのものサ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2015, 3月 21
日清戦争はおれは大反対だつたよ。なぜかつて、兄弟喧嘩だもの犬も喰はないヂやないか。たとへ日本が勝つてもドーなる。支那の実力が分つたら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る。ツマリ欧米人が分らないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2015, 3月 21

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