「八紘一宇」について
混乱している戦後日本人による神道理解。
「八紘一宇」について、述べたいことがいろいろとあるのですが、動画の制作作業もあり、長い記事は書けません。
自民党の三原じゅん子参議院議員が、参院予算委員会での質問の際に使用したという「八紘一宇」という用語をめぐって議論が沸騰しています。
「八紘一宇」をめぐる議論を拝見して受ける印象は、戦後の日本人の神道理解は本当に錯綜しているということです。
戦前の神道理解のゆがみを正せないまま、それを絶対的に肯定する右翼と、それを絶対的に否定する左翼に、日本人は分離してしまっています。
神道理解のゆがみが、おかしな右翼を生み、おかしな右翼を忌み嫌う人たちが、神道までをも忌み嫌い、日本の伝統までも否定する極端な左翼的な立場を取らざるをえなくされている。
これは本当に不幸な現象です。
「八紘一宇」という概念は、日本書紀の神武天皇の条で、初代天皇とされる神武天皇が大和を平定した後、橿原に都を造営するに当たって語った令(のりごと)の中に現れる「掩八紘而為宇」という言葉に由来します。
神武天皇は、東征から6年を経て大和を征服し、周辺地域はまだ平定できていないが、さしあたって橿原に都を作ろう。その後全国を平定してから、あらためて壮麗な都を作り、全国を一つの家にしようと述べられました。
この言葉は、あくまでも、「日本の国内」の平定を誓った言葉であり、しかも、この言葉が記された日本書紀が編纂された当時は、すでに、蝦夷が暮らす東国を除いては、日本の統一は完成していたわけですから、「これから日本を平定しよう」という純粋に未来に対する投企の言葉というよりは、すでに日本が統一された段階から振り返って神武天皇のセリフとして語らせた言葉なのであり、日本がすでに統一されている現状を追認する言葉なのです。
しかし、この言葉が一人歩きをして、昭和初期には、大東亜共栄圏というグローバル思想と結びつき、最終戦争によって、これから天皇が世界の天皇となり、世界を統一しなければならないなどとするとんでもない思想に姿を変えてしまいます。下は関東軍の参謀として満州事変を仕掛けた石原莞爾の「最終戦争論」からの引用です。
神武天皇が「国内を統一しよう」と過去に語ったと、すでに国内が統一された段階で日本書紀が記した言葉が、「これから天皇が世界を統一しなければならない」などという、時間的な文脈や地理的な範囲を無視し、地球規模にまで話を拡大した、とんでもない思想にすりかえられています。
本当の神道は、あくまでも、自然や生活に根ざした「地祇的原理」と、国家や政治にまつわる「天神的原理」のおだやかな結びつきにあるのだと思います。「地祇的原理」から切り離されて、「天神的原理」だけが暴走をはじめると、頭のおかしい、とんでもない右翼を作り出して国を傾かせてしまいます。
神道が、片方でおかしな右翼を作り出し、もう片方でそれを拒絶するおかしな左翼を作り出してしまっている。
神道という、日本の伝統や文化の重要な一要素が、日本人を二つに切り分ける装置となってしまっている。
この不幸な現象をおわりにしたい。
神道を、むしろ、右翼と左翼を媒介し止揚するものとして再生させたい。
「グローバリズムと神道」という記事は、そのような願いの下に構想されています。
自民党の三原じゅん子参議院議員が、参院予算委員会での質問の際に使用したという「八紘一宇」という用語をめぐって議論が沸騰しています。
は?それは論点ずらしにしか受け止められない。どっちでもいいのだったら、問題になった理由はなくなる。その部分の嘘と発言が問題になったことのどちらに比重を置くかってことを言いたいなら、他に書きようがある。
@aniotahosyu @huyubeer
— 西村幸祐 (@kohyu1952) 2015, 3月 18
「八紘一宇」をめぐる議論を拝見して受ける印象は、戦後の日本人の神道理解は本当に錯綜しているということです。
戦前の神道理解のゆがみを正せないまま、それを絶対的に肯定する右翼と、それを絶対的に否定する左翼に、日本人は分離してしまっています。
神道理解のゆがみが、おかしな右翼を生み、おかしな右翼を忌み嫌う人たちが、神道までをも忌み嫌い、日本の伝統までも否定する極端な左翼的な立場を取らざるをえなくされている。
これは本当に不幸な現象です。
「八紘一宇」という概念は、日本書紀の神武天皇の条で、初代天皇とされる神武天皇が大和を平定した後、橿原に都を造営するに当たって語った令(のりごと)の中に現れる「掩八紘而為宇」という言葉に由来します。
「然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」
然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。」
(その後、国中を一つにして都を開き、天の下を掩って一つの家にすることは、また良いことではないか)
(出典: 『日本書紀』巻第三 神武天皇)
神武天皇は、東征から6年を経て大和を征服し、周辺地域はまだ平定できていないが、さしあたって橿原に都を作ろう。その後全国を平定してから、あらためて壮麗な都を作り、全国を一つの家にしようと述べられました。
この言葉は、あくまでも、「日本の国内」の平定を誓った言葉であり、しかも、この言葉が記された日本書紀が編纂された当時は、すでに、蝦夷が暮らす東国を除いては、日本の統一は完成していたわけですから、「これから日本を平定しよう」という純粋に未来に対する投企の言葉というよりは、すでに日本が統一された段階から振り返って神武天皇のセリフとして語らせた言葉なのであり、日本がすでに統一されている現状を追認する言葉なのです。
しかし、この言葉が一人歩きをして、昭和初期には、大東亜共栄圏というグローバル思想と結びつき、最終戦争によって、これから天皇が世界の天皇となり、世界を統一しなければならないなどとするとんでもない思想に姿を変えてしまいます。下は関東軍の参謀として満州事変を仕掛けた石原莞爾の「最終戦争論」からの引用です。
そうなって来ると、どうも、ぐうたらのような東亜のわれわれの組と、それから成金のようでキザだけれども若々しい米州、この二つが大体、決勝に残るのではないか。この両者が太平洋を挟んだ人類の最後の大決戦、極端な大戦争をやります。その戦争は長くは続きません。至短期間でバタバタと片が付く。そうして天皇が世界の天皇で在らせらるべきものか、アメリカの大統領が世界を統制すべきものかという人類の最も重大な運命が決定するであろうと思うのであります。即ち東洋の王道と西洋の覇道の、いずれが世界統一の指導原理たるべきかが決定するのであります。
(中略)
悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。今日、特に日本人に注意して頂きたいのは、日本の国力が増進するにつれ、国民は特に謙譲の徳を守り、最大の犠牲を甘受して、東亜諸民族が心から天皇の御位置を信仰するに至ることを妨げぬよう心掛けねばならぬことであります。天皇が東亜諸民族から盟主と仰がれる日こそ、即ち東亜連盟が真に完成した日であります。しかし八紘一宇の御精神を拝すれば、天皇が東亜連盟の盟主、世界の天皇と仰がれるに至っても日本国は盟主ではありません。
(中略)
最終戦争は人類歴史の最大関節であり、それによって世界統一即ち八紘一宇実現の第一歩に入るのである。しかし真に第一歩であって、八紘一宇の完成はそれからの人類の永い精進によらねばならない。
(出典: 石原莞爾「最終戦争論」昭和15年)
神武天皇が「国内を統一しよう」と過去に語ったと、すでに国内が統一された段階で日本書紀が記した言葉が、「これから天皇が世界を統一しなければならない」などという、時間的な文脈や地理的な範囲を無視し、地球規模にまで話を拡大した、とんでもない思想にすりかえられています。
本当の神道は、あくまでも、自然や生活に根ざした「地祇的原理」と、国家や政治にまつわる「天神的原理」のおだやかな結びつきにあるのだと思います。「地祇的原理」から切り離されて、「天神的原理」だけが暴走をはじめると、頭のおかしい、とんでもない右翼を作り出して国を傾かせてしまいます。
神道が、片方でおかしな右翼を作り出し、もう片方でそれを拒絶するおかしな左翼を作り出してしまっている。
神道という、日本の伝統や文化の重要な一要素が、日本人を二つに切り分ける装置となってしまっている。
この不幸な現象をおわりにしたい。
神道を、むしろ、右翼と左翼を媒介し止揚するものとして再生させたい。
「グローバリズムと神道」という記事は、そのような願いの下に構想されています。

- 関連記事
-
- こら、水島! こら、田母神! (2) (2015/03/21)
- 「八紘一宇」の自己矛盾 (2015/03/20)
- 「八紘一宇」について (2015/03/19)
- こら、水島! こら、田母神! (1) (2015/03/17)
- 誰も彼もがおかしい (2015/03/14)