【WJF動画紹介】危機に瀕する日本第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦
二項対立的な問題設定の克服を試みた作品。
今日、ご紹介するのは、早いもので、今から三年前に公開した動画「『危機に瀕する日本』日韓紛争概説第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦」という長いタイトルの動画です。
慰安婦たちの悲劇を、それが生じた歴史的背景から説き起こした動画であり、作者として今から見返しても、よくまとめたなあと、当時の制作の苦心を称えたくなる作品の一つです。
この動画の白眉は、次の部分です。

慰安婦問題は、いまだに「慰安婦たちは売春婦か、性奴隷か」という単純な二項対立の問題として論じられています。
「慰安婦たちは性奴隷ではない」と主張する「保守」の人々は、「慰安婦たちはお金を得て働いていた売春婦なので、性奴隷ではない」と単純に訴えているのです。
しかし、以前から繰り返し、述べていることですが、
世界においては「売春婦」という概念と「性奴隷」という概念は、二律背反の概念として扱われてはおらず、

下のように、共通部分をもつ概念として扱われています。

猫や犬のように、共通部分をもたない、二律背反の概念であれば、

「この動物は、猫なので、犬ではない」
「この動物は、犬なので、猫ではない」
という主張は、論理的に成り立ちます。
しかし、「猫」と「ペット」のように、二つの概念が共通部分をもつ場合、

「この動物は、猫なので、ペットではない」
「この動物は、ペットなので、猫ではない」
と唱えることは、ナンセンスの極みです。
にもかかわらず、いまだに、世界の各所で、日本人と韓国人は、
「慰安婦は性奴隷だ」
「慰安婦は売春婦なので性奴隷ではない」
といった論理的につじつまの合わないやり方で、互いの主張をぶつけ合わせています。
参考記事: WJFプロジェクト「売春婦か、性奴隷か」と問うなかれ(2)(2014年7月28日)
このような、「あれか、これか」という単純な二項対立の問題設定から脱するために、「危機に瀕する日本第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦」という動画では、

「国家によって作り出される一般的状況」
「個人によって作り出される個別的事例」
という二つのフェーズにわけて、慰安婦問題を図式化しています。
朝鮮が、冊封体制という、東アジアのグローバリズムに組み込まれた歴史を長く重ねてきたがために抱えてしまった、そして未だに克服することができずにいる、格差や差別という社会の病根。それが、「個人によって作り出される個別的事例」として、様々な女性の悲劇を生み出してきたし、今も生み出していることを告発した動画です。
グローバリズムは、グローバルな秩序に属すことができる人々と、グローバルな秩序に参加できずに土着のコミュニティーにとどまらざるをえない人々の間に、大きな格差を作り出します。冊封体制に組み込まれた朝鮮では(古代の律令体制下の日本でも)、人々は冊封体制の成員である「良民」と、その外部にいる「賤民」に二分されました。

日本は、朝鮮と異なり、早くから、中華帝国を中心としたグローバリズムから離脱するという僥倖にあずかったがために、良賤制という、国民の二分化から生じる痛みを深く被ることはありませんでした。
しかし、日本も、このままグローバル化が進んでいけば、朝鮮と同じ悲劇が待ち受けています。
現に、今も、グローバルな秩序に参加する人々と、土着のコミュニティーにとどまる人々という、国民の二分化は静かに着々と進行しているのです。
それを防ぐためには、「あれか、これか」という単純な二項対立的な意識から、国民が脱することです。
「あれか、これか」と問う二元的な意識は、朝鮮のような大国の属国としての歴史を長く重ねてきた国にこそ顕著にみられる意識だからです。
たとえば、歴史の節目に直面するごとに朝鮮では次のような議論が生じました。
「明につくか、清につくか」
「清につくか、日本につくか」
彼らは決して、「我々は明にも清にもつかない。我々は自分の足で立つのだ」とは言いませんでした。
彼らは決して「我々は清にも日本にも着かない。我々は自分の足で立つのだ」とは言いませんでした。
つまり、「あれか、これか」と問う単純な二項対立を脱却する精神とは、自分の足で立つ独立精神に他ならないのですが、独立精神をすっかり失った戦後の日本人も、朝鮮の人々に似て、「あれか、これか」と問う二元的な意識に骨の髄まで染まっています。
だから、彼らはいつも二項対立に煽られます。
「慰安婦は、売春婦か、性奴隷か」
「民主党か、自民党か」
「右翼か、左翼か」
「水島か、田母神か」
彼らは、決して売春婦でも性奴隷でもない、その先にある事実に目を向けようとはしないし、民主党でも自民党でもない立場、右翼でも左翼でもない立場、水島でも田母神でもない立場を想像しようとはしません。
「あれか、これか」と問い、どちらかを選び、どちらかを捨てる先には、どちらの道を選ぼうと国の滅びが待っています。
二項対立的な意識とは、ひらたく言えば、属国根性だからです。
そういう戦後日本に巣くっている二元的な意識に、WJFプロジェクトは異を唱えているのです。
もし、私たちに活路があるとしたら、「あれでもない、これでもない」場所に、果敢に足を踏み出すこと以外にありません。
『危機に瀕する日本』日韓紛争概説・第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦

作品概要
慰安婦問題を、朝鮮半島の歴史的背景の中に位置づけて説明した作品です。韓国の元慰安婦は36年間の「日帝」支配の被害者であるよりは、1000年以上に及ぶ朝鮮の奴隷制の被害者であるという事実を浮き彫りにしています。英語版は2012年3月に公開しましたが、2013年3月に何者かに通報されてYouTubeによって削除され、その後再掲しました。
評価・実績
●2012年11月4日、「歴史事実委員会」がアメリカ、ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」(約37万部)に掲載した慰安婦問題に関する意見広告で、動画が紹介されました。
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●2012年11月10日、ニュージーランドの女性から、「あなたは私の目を開いてくれた」という、うれしいメッセージが届きました。
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動画のリンク
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『危機に瀕する日本』日韓紛争概説・第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦 |
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A veszélyeztetett Japán II. Kötet: Szex, hazugságok és kéjhölgyek |
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この動画の白眉は、次の部分です。

慰安婦問題は、いまだに「慰安婦たちは売春婦か、性奴隷か」という単純な二項対立の問題として論じられています。
「慰安婦たちは性奴隷ではない」と主張する「保守」の人々は、「慰安婦たちはお金を得て働いていた売春婦なので、性奴隷ではない」と単純に訴えているのです。
しかし、以前から繰り返し、述べていることですが、
世界においては「売春婦」という概念と「性奴隷」という概念は、二律背反の概念として扱われてはおらず、

下のように、共通部分をもつ概念として扱われています。

猫や犬のように、共通部分をもたない、二律背反の概念であれば、

「この動物は、猫なので、犬ではない」
「この動物は、犬なので、猫ではない」
という主張は、論理的に成り立ちます。
しかし、「猫」と「ペット」のように、二つの概念が共通部分をもつ場合、

「この動物は、猫なので、ペットではない」
「この動物は、ペットなので、猫ではない」
と唱えることは、ナンセンスの極みです。
にもかかわらず、いまだに、世界の各所で、日本人と韓国人は、
「慰安婦は性奴隷だ」
「慰安婦は売春婦なので性奴隷ではない」
といった論理的につじつまの合わないやり方で、互いの主張をぶつけ合わせています。
参考記事: WJFプロジェクト「売春婦か、性奴隷か」と問うなかれ(2)(2014年7月28日)
このような、「あれか、これか」という単純な二項対立の問題設定から脱するために、「危機に瀕する日本第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦」という動画では、

「国家によって作り出される一般的状況」
「個人によって作り出される個別的事例」
という二つのフェーズにわけて、慰安婦問題を図式化しています。
朝鮮が、冊封体制という、東アジアのグローバリズムに組み込まれた歴史を長く重ねてきたがために抱えてしまった、そして未だに克服することができずにいる、格差や差別という社会の病根。それが、「個人によって作り出される個別的事例」として、様々な女性の悲劇を生み出してきたし、今も生み出していることを告発した動画です。
グローバリズムは、グローバルな秩序に属すことができる人々と、グローバルな秩序に参加できずに土着のコミュニティーにとどまらざるをえない人々の間に、大きな格差を作り出します。冊封体制に組み込まれた朝鮮では(古代の律令体制下の日本でも)、人々は冊封体制の成員である「良民」と、その外部にいる「賤民」に二分されました。

日本は、朝鮮と異なり、早くから、中華帝国を中心としたグローバリズムから離脱するという僥倖にあずかったがために、良賤制という、国民の二分化から生じる痛みを深く被ることはありませんでした。
しかし、日本も、このままグローバル化が進んでいけば、朝鮮と同じ悲劇が待ち受けています。
現に、今も、グローバルな秩序に参加する人々と、土着のコミュニティーにとどまる人々という、国民の二分化は静かに着々と進行しているのです。
それを防ぐためには、「あれか、これか」という単純な二項対立的な意識から、国民が脱することです。
「あれか、これか」と問う二元的な意識は、朝鮮のような大国の属国としての歴史を長く重ねてきた国にこそ顕著にみられる意識だからです。
たとえば、歴史の節目に直面するごとに朝鮮では次のような議論が生じました。
「明につくか、清につくか」
「清につくか、日本につくか」
彼らは決して、「我々は明にも清にもつかない。我々は自分の足で立つのだ」とは言いませんでした。
彼らは決して「我々は清にも日本にも着かない。我々は自分の足で立つのだ」とは言いませんでした。
つまり、「あれか、これか」と問う単純な二項対立を脱却する精神とは、自分の足で立つ独立精神に他ならないのですが、独立精神をすっかり失った戦後の日本人も、朝鮮の人々に似て、「あれか、これか」と問う二元的な意識に骨の髄まで染まっています。
だから、彼らはいつも二項対立に煽られます。
「慰安婦は、売春婦か、性奴隷か」
「民主党か、自民党か」
「右翼か、左翼か」
「水島か、田母神か」
彼らは、決して売春婦でも性奴隷でもない、その先にある事実に目を向けようとはしないし、民主党でも自民党でもない立場、右翼でも左翼でもない立場、水島でも田母神でもない立場を想像しようとはしません。
「あれか、これか」と問い、どちらかを選び、どちらかを捨てる先には、どちらの道を選ぼうと国の滅びが待っています。
二項対立的な意識とは、ひらたく言えば、属国根性だからです。
そういう戦後日本に巣くっている二元的な意識に、WJFプロジェクトは異を唱えているのです。
もし、私たちに活路があるとしたら、「あれでもない、これでもない」場所に、果敢に足を踏み出すこと以外にありません。

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