グローバリズムと神道(26)
日本書紀に見る日本の「基部構造」(7)
「グローバリズと神道」という本シリーズの趣旨については下の序文をお読みください。
グローバリズムと神道(序文)
現在の安倍政権下で、私たちは、「天神」的原理を振りかざす人々が、「地祇」的原理に立脚する人々を侮蔑し、蹂躙する姿を多く目の当たりにします。
たとえば、沖縄の辺野古への米軍基地移設に反対する人々は、「左翼」となじられ、基地移設を強引に推し進める安倍政権によって蹂躙されています。
しかし、故郷の自然や海を守ろうとする移設反対者たちの思いは、まさに「地祇」的な感情に他なりません。自然や海は、そのまま「地祇」たちの神籬(ひもろぎ)であり、そこに神々は確かに宿っているからです。
その「地祇」的原理に忠実であろうとする人々を「左翼」とあざ笑う下の「右翼」の青年に、日本人の信仰や、「愛国」を語る資格があるでしょうか。
また、福島の原発事故で故郷を失った人々が、原発に怒りや悲しみの感情を持つのは当然の話です。その怒りや悲しみもまた「地祇」的な感情に他ならないのですが、山本太郎が、福島の「地祇」たちの思いを届けようと、「子供と労働者を被ばくから救って下さるよう、お手をお貸し下さい」と書いた手紙を天皇陛下に手渡した時、「天神」的原理ばかりを振りかざす人々は、山本太郎を「不敬」だとなじり倒しました。
山本太郎は、天皇陛下という「天神」の前に、まさに一人の荒ぶる「地祇」となって立っていたといっても過言ではないのですが、山本太郎の「地祇」的な振る舞いを、「不敬だ」と罵倒する下の「右翼」のおじさんに、「愛国」を語る資格があるでしょうか。
このように山本太郎を擁護すると「左翼」だの「中核派の仲間」だのと短絡的に騒ぎ出す人々は、「天神」と「地祇」への等しい崇敬からなる神道の信仰を理解していると言えるのでしょうか。神道の信仰の基本すらわからずに、「愛国」や「保守」を標榜している人々は一体何者なのでしょうか。「地祇」的な原理に立つ人々を「不敬だ」となじる人々は、「地祇」たちに対して不敬を働いてはいないでしょうか。これから見るように、初代天皇の御代より、天皇は代々「地祇」たちを深く畏れ敬ってきたのですが。
国家神道や皇国史観に立脚した明治体制や、明治体制を理想化してやまない現代の「右翼」が、神道の「天神」的原理や「高天原イデオロギー」ばかりに傾斜し、「地祇」的な原理に忠実であろうとする人々を「左翼」と侮蔑するのと対照的に、日本書紀によって「ハツクニシラススメラミコト」(初めて日本を統治した天皇)と呼ばれた二人の天皇、神武天皇と崇神天皇は、アマテラスの子孫としての権威を振りかざすよりも、むしろ、「地祇」(国津神: 土着の神々)たちを厚く祀り、自らの支配の下に入った、大地に根ざして生きる人々を敬意をもって扱われました。
今上天皇もまた、「天神」的原理ばかり振りかざす「右翼」とは対照的に、社会の「根の国・底の国」に暮らす、もっとも力なき「地祇」たちに腰をかがめて耳を傾け、親しく睦み合おうとする姿勢をもっておられます。
さて、日本書紀によって「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれる二人目の天皇である崇神天皇は、「地祇」たちをどのように厚くお祀りされたのでしょうか。
崇神天皇が、天孫降臨の際に、アマテラスやタカミムスビが、皇孫のニニギに授けた「五大神勅」の一つ「同床共殿の神勅(宝鏡奉斎の神勅)」を破って、皇居に祀られていた天照大神の御神体である八咫鏡と、倭大国魂という神(オオクニヌシの別名であるとも大和の土着神であるとも言われる神)を、皇居の外で祀る決定を行ったことは、前々回の記事で取り上げました。
この「神勅」という概念が、日本書紀の天孫降臨の段の本文から抽出されて、ことさらに概念化されるようになったのは、明治後期以降に、外国から輸入された共和主義や共産主義との対峙の中で、天皇制に理論的根拠を与えることが喫緊の課題となってからのことであり、それ以前には、天孫降臨の物語の進行の中でアマテラスやタカミムスビが語った言葉に、別段深い注意が向けられることはなかったと言われています。
天皇を権威づけるための「高天原イデオロギー」の一部として明治の神道人によって確立された「神勅」という概念が、「ハツクニシラススメラミコト」(初めて日本を統治した天皇)その人によって、最初からすでに破られていたと日本書紀自体が報告している事実は、あらためて興味深いものだと思います。
しかし、天照大神と倭大国魂という天神地祇の二神を、皇居の外に祀るだけでは疫病や民の反乱が収束しなかったため、神々の祟りを疑った崇神天皇は、占いや祈りによってさらに神意を問おうとします。ある日、その夢に、オオモノヌシ(大物主)という神が現れて、「こは我が心ぞ。太田田根子をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」(国が治らないのは、自分の意思による。太田田根子という人物に、自分を祀らせれば、国は安らかにおさまるだろう」と崇神天皇に語りかけました。
崇神天皇が、託宣の通り、太田田根子なる人物を探し出し、奈良の三輪山にオオモノヌシを祀らせると、たちどころに疫病はおさまり、国は平らかに治ったと日本書紀は記しています。これが現在、奈良県桜井氏にある大神神社の始まりです。
オオモノヌシは、日本書紀によれば、国譲りを行った出雲の大王オオクニヌシの別名、古事記によれば、オオクニヌシの「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」、いずれにせよ、オオクニヌシと同体の神とされています。
「物」という言葉は、古語では「超自然的な恐ろしいもの」を意味しますから、「大物主」という名前は「大きな恐ろしい霊力をもった神」という意味でしょうか。
崇神天皇は、天照大神の御神体を皇居の外に持ち出すことに加えて、オオクニヌシという「地祇」たちの中で最も代表格とされる神と同体の神を、畏れ敬い、大和の地に厚く祀った。
そのことによって、初めて、天皇は日本の統治に成功し、天皇となったのだと日本書紀は記しています。
次回は、アマテラスと、オオクニヌシという、天神地祇が大和の地に祀られたことの意味をさらに掘り下げます。
(つづく)
グローバリズムと神道(序文)
現在の安倍政権下で、私たちは、「天神」的原理を振りかざす人々が、「地祇」的原理に立脚する人々を侮蔑し、蹂躙する姿を多く目の当たりにします。
たとえば、沖縄の辺野古への米軍基地移設に反対する人々は、「左翼」となじられ、基地移設を強引に推し進める安倍政権によって蹂躙されています。
しかし、故郷の自然や海を守ろうとする移設反対者たちの思いは、まさに「地祇」的な感情に他なりません。自然や海は、そのまま「地祇」たちの神籬(ひもろぎ)であり、そこに神々は確かに宿っているからです。
その「地祇」的原理に忠実であろうとする人々を「左翼」とあざ笑う下の「右翼」の青年に、日本人の信仰や、「愛国」を語る資格があるでしょうか。
また、福島の原発事故で故郷を失った人々が、原発に怒りや悲しみの感情を持つのは当然の話です。その怒りや悲しみもまた「地祇」的な感情に他ならないのですが、山本太郎が、福島の「地祇」たちの思いを届けようと、「子供と労働者を被ばくから救って下さるよう、お手をお貸し下さい」と書いた手紙を天皇陛下に手渡した時、「天神」的原理ばかりを振りかざす人々は、山本太郎を「不敬」だとなじり倒しました。
山本太郎は、天皇陛下という「天神」の前に、まさに一人の荒ぶる「地祇」となって立っていたといっても過言ではないのですが、山本太郎の「地祇」的な振る舞いを、「不敬だ」と罵倒する下の「右翼」のおじさんに、「愛国」を語る資格があるでしょうか。
このように山本太郎を擁護すると「左翼」だの「中核派の仲間」だのと短絡的に騒ぎ出す人々は、「天神」と「地祇」への等しい崇敬からなる神道の信仰を理解していると言えるのでしょうか。神道の信仰の基本すらわからずに、「愛国」や「保守」を標榜している人々は一体何者なのでしょうか。「地祇」的な原理に立つ人々を「不敬だ」となじる人々は、「地祇」たちに対して不敬を働いてはいないでしょうか。これから見るように、初代天皇の御代より、天皇は代々「地祇」たちを深く畏れ敬ってきたのですが。
国家神道や皇国史観に立脚した明治体制や、明治体制を理想化してやまない現代の「右翼」が、神道の「天神」的原理や「高天原イデオロギー」ばかりに傾斜し、「地祇」的な原理に忠実であろうとする人々を「左翼」と侮蔑するのと対照的に、日本書紀によって「ハツクニシラススメラミコト」(初めて日本を統治した天皇)と呼ばれた二人の天皇、神武天皇と崇神天皇は、アマテラスの子孫としての権威を振りかざすよりも、むしろ、「地祇」(国津神: 土着の神々)たちを厚く祀り、自らの支配の下に入った、大地に根ざして生きる人々を敬意をもって扱われました。
今上天皇もまた、「天神」的原理ばかり振りかざす「右翼」とは対照的に、社会の「根の国・底の国」に暮らす、もっとも力なき「地祇」たちに腰をかがめて耳を傾け、親しく睦み合おうとする姿勢をもっておられます。
さて、日本書紀によって「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれる二人目の天皇である崇神天皇は、「地祇」たちをどのように厚くお祀りされたのでしょうか。
崇神天皇が、天孫降臨の際に、アマテラスやタカミムスビが、皇孫のニニギに授けた「五大神勅」の一つ「同床共殿の神勅(宝鏡奉斎の神勅)」を破って、皇居に祀られていた天照大神の御神体である八咫鏡と、倭大国魂という神(オオクニヌシの別名であるとも大和の土着神であるとも言われる神)を、皇居の外で祀る決定を行ったことは、前々回の記事で取り上げました。
この「神勅」という概念が、日本書紀の天孫降臨の段の本文から抽出されて、ことさらに概念化されるようになったのは、明治後期以降に、外国から輸入された共和主義や共産主義との対峙の中で、天皇制に理論的根拠を与えることが喫緊の課題となってからのことであり、それ以前には、天孫降臨の物語の進行の中でアマテラスやタカミムスビが語った言葉に、別段深い注意が向けられることはなかったと言われています。
天皇を権威づけるための「高天原イデオロギー」の一部として明治の神道人によって確立された「神勅」という概念が、「ハツクニシラススメラミコト」(初めて日本を統治した天皇)その人によって、最初からすでに破られていたと日本書紀自体が報告している事実は、あらためて興味深いものだと思います。
しかし、天照大神と倭大国魂という天神地祇の二神を、皇居の外に祀るだけでは疫病や民の反乱が収束しなかったため、神々の祟りを疑った崇神天皇は、占いや祈りによってさらに神意を問おうとします。ある日、その夢に、オオモノヌシ(大物主)という神が現れて、「こは我が心ぞ。太田田根子をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」(国が治らないのは、自分の意思による。太田田根子という人物に、自分を祀らせれば、国は安らかにおさまるだろう」と崇神天皇に語りかけました。
崇神天皇が、託宣の通り、太田田根子なる人物を探し出し、奈良の三輪山にオオモノヌシを祀らせると、たちどころに疫病はおさまり、国は平らかに治ったと日本書紀は記しています。これが現在、奈良県桜井氏にある大神神社の始まりです。
是を以て、天神地祇共に和享(にこ)みて、風雨時に順ひ、百穀用て成りぬ。家給ぎ人足りて、天下大きに平らかなり。故、称して御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)と謂す。
(これによって、天神と地祇が共ににこやかになり、風雨も時を得て百穀もよく実り、家々には人や物が充足され、天下は平穏になった。そこで崇神天皇を褒め称えて「御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)」と言う。)
(出典: 『日本書紀』巻第五崇神天皇十二年)
オオモノヌシは、日本書紀によれば、国譲りを行った出雲の大王オオクニヌシの別名、古事記によれば、オオクニヌシの「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」、いずれにせよ、オオクニヌシと同体の神とされています。
「物」という言葉は、古語では「超自然的な恐ろしいもの」を意味しますから、「大物主」という名前は「大きな恐ろしい霊力をもった神」という意味でしょうか。
崇神天皇は、天照大神の御神体を皇居の外に持ち出すことに加えて、オオクニヌシという「地祇」たちの中で最も代表格とされる神と同体の神を、畏れ敬い、大和の地に厚く祀った。
そのことによって、初めて、天皇は日本の統治に成功し、天皇となったのだと日本書紀は記しています。
次回は、アマテラスと、オオクニヌシという、天神地祇が大和の地に祀られたことの意味をさらに掘り下げます。
(つづく)
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