グローバリズムと神道(22)

日本書紀に見る日本の「基部構造」(3)
今日は建国記念の日ですが、神武天皇が即位された日とされるこの日に、神武天皇と崇神天皇という、二人の「ハツクニシラススメラミコト」(日本を最初に統治した天皇)の事績から、日本の「基部構造」を探ることは、大変意義深いことであると思います。

日本書記は、神武天皇以上に、崇神天皇に関する記述を通して、日本の「基部構造」に関する、ある示唆に富んだヒントを与えてくれているのですが、その「基部構造」は、おそらく、これまで「右翼」や「左翼」の人たちがイメージしてきたものとは、若干異なっています。

日本書記の崇神天皇条を読み解く上での前提となる、日本神話の要点をあらためて概観していきたいと思います。



まず、図の中の「祭祀」の部分を考えていきたいと思います。

アマテラスの「岩戸隠れ」
オオクニヌシの「国譲り」


この二つの有名な物語は、天神と地祇、それぞれの神様のお祀りの仕方の原型を伝えています。

まずアマテラスの「岩戸隠れ」ですが、みなさんもご存知のように、この物語は、日食という自然現象をモチーフにした神話と言われており、弟のスサノオが高天原で乱暴狼藉を働き、それに怒ったアマテラスが、岩戸に隠れてしまうところから物語は始まります。アマテラスが姿を隠したことにより、様々な禍いが高天原に生じるのですが、アマテラスを岩戸から連れ出そうと神々が尽力する様子が描かれています。

オモイカネは、アマテラスを岩戸から外に連れ出すための方策を考え出します。

イシコリドメは、八咫鏡をつくります。

タマノオヤは、八尺瓊勾玉をつくります。

アメノコヤネは、祝詞を唱えます。(祝詞奏上)

フトダマは、八咫鏡と八尺瓊勾玉をぶらさげた榊の木を手に取ります。(玉串奉納)

アマノウズメは、神がかった踊りを狂い踊ります。(神楽奉斎)

アメノコヤネと、フトダマが、アマテラスが岩戸から出られたあとに鏡を差し出し、縄を引きます。(御神鏡の奉斎、紙垂と注連縄)

この物語において、スポットライトは、岩戸に隠れたアマテラス以上に、アマテラスを連れ出そうと苦慮する神々の行動に光が当てられており、神々の行動を通して、人々が祭祀においてとるべき行動の模範が示されています。

実際に、この物語の中で、神々がとった行動は、祝詞奏上、玉串奉納、神楽奉斎など、現在の神社のお祭りや祈祷の中に引き継がれています。

次にオオクニヌシの国譲り神話ですが、天神であるアマテラスと、地祇であるオオクニヌシは、次の点で対照的です。

アマテラス・・・「岩戸に隠れて姿が見えない状態から、姿を表す神」
オオクニヌシ・・・「姿が見える状態から、黄泉へと姿を消していく神」

つまり、

「天津神」(天神)=「王座に昇る神(ascending god)」「即位する神」「登場する神」
「国津神」(地祇)=「王座から降りる神(descending god)」「退位する神」「退場する神」

と要約することができます。

ちなみにキリスト教では、三位一体なる神の第二位格とされるキリストが、「王座に昇る神・上昇する神」(Ascention)と「王座から降りる神・降下する神」(Descention)の両方を演じます。下は、キリスト教の典礼で唱えられる「クレド(使徒信条)」の文言です。

"Symbolum Apostolicum"

Credo in Deum, Patrem omnipotentem, Creatorem caeli et terrae, et in Iesum Christum, Filium Eius unicum, Dominum nostrum, qui conceptus est de Spiritu Sancto, natus ex Maria Virgine, passus sub Pontio Pilato, crucifixus, mortuus, et sepultus, descendit ad inferos, tertia die resurrexit a mortuis, ascendit ad caelos, sedet ad dexteram Patris omnipotentis, inde venturus est iudicare vivos et mortuos. Credo in Spiritum Sanctum, sanctam Ecclesiam catholicam, sanctorum communionem, remissionem peccatorum, carnis resurrectionem, vitam aeternam. Amen.

使徒信条

天地の創造主、全能の父である神を信じます。父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り(Descension、降下のプロセス)、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き(Ascension、上昇のプロセス)、生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン。

神道では、「Ascension(上昇)」と「Descension(降下)」の二つのプロセスは、天津神(天神)と国津神(地祇)という、別々の神々に振り分けられると同時に、天神と地祇は「八百万の神たち」として一体化しています。

(参考図: 日本神話における神々の上昇と下降)

神道の祭祀は、「王座に昇る神」としての天神を待望し迎え入れるための祭祀と、「王座から降りる神」としての地祇を見送りその怒りをなだめるための祭祀、という本質的に異なった二種類の意味合いを持ちます。

オオクニヌシは王座から降り、アマテラスの子孫に国を譲った見返りに、大きな社を建てて祀られましたが、「退場する神」「退位する神」としての、オオクニヌシに向けられる祭祀は、「国津神」(地祇)全般に対して寄せられる祭祀の一つの原型です。

そして、オオクニヌシの国譲りにおいて、

「王を退位させて祭祀の対象とする」

という出来事は、同時に、

「祭祀の対象とすることで王を退位させる」

という逆転した意味も孕んできます。

「祭祀」そのものの中に、「王の退場」という意味が刻印されるようになり、そのことは、元来「上昇する神への祭祀」を向けられていたはずの、天神たちにも降りかかってきます。

とすると、天神の「上昇」と、地祇の「降下」は、一回きりの出来事として終わるのではなく、神道の祭祀を通じて、上昇した神々は降下し、降下した神々は上昇するという循環の運動を引き起こすことになります。

わかりやすい例は、平安時代の末期に起きた「保元の乱」なのですが、後白河天皇に敗れた崇徳上皇は、四国に配流され、そこで「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」という怨恨と呪いをもって亡くなられるのですが、崇徳上皇は死後、オオクニヌシと同じように、その祟りを恐れて、朝廷によって神として祀られます。

しかし、その後、天神たちの子孫である朝廷が国を治める時代は終わり、武士たちが政治権力を掌握する時代に移行するのですが、その大きな政権交代の出来事は「崇徳上皇の呪いだった」と後の人々から考えられるようになります。

崇徳上皇の追放と降下は、乱に勝利して上昇したはずの、朝廷側の降下という出来事を引き起こしたわけです。

崇徳上皇を祀った「祭祀」の中に、上昇と降下という循環する力のモメントが、胚胎されていたことになります。

「皇を取って民とし民を皇となさん」という崇徳上皇の呪いの言葉は、まさに天神と地祇の上昇と降下の逆転や循環を表すものです。

さて、神武天皇が「天神」と「地祇」を、自覚的に等しく祀ることによって、初めて日本の統治に成功したことを、前々回の記事でお話しましたが、「天神」と「地祇」に対するこの二種類の「祭祀」は、二人目の「ハツクニシラススメラミコト」である第10代崇神天皇に、どのように受け継がれていくでしょうか。

次に、「祭祀」と「政治」をつなぐ媒介の物語としての、天孫降臨の物語の意味を概観します。

(つづく)
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No title

ヲシテおよびヲシテ文献は江戸時代に作られた偽書というのが定説ですよ。

つまり古事記や日本書紀の原書なのではなく、古事記や日本書紀を元にした二次創作です。

同人誌です。

まあ有害でさえなければよろしいのですが。

もりのりさん

私自身、ごく一般的な日本人と同じ程度の崇敬を神社に寄せる人間であり、神道についても勉強しはじめたばかりの未熟な人間ですが、いかなる宗教に対しても、批判的、懐疑的な視点を失ってはならないと思い、なるだけ客観的、論理的な考察を展開するよう心がけています。また、神社にそれほど熱心でない人たちにも、通じるお話でなくてはならないと思います。そのようなアプローチをどうかご理解ください。それにしても、神道はよくわからないことばかりです。

神話ではなく・・・

日本のカミサマは、実在した方々です。
日本の本当の歴史は、ヲシテ文献の中にあります。
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