自民党が大阪都構想を批判する呆れた理由
「朝三暮四」の猿たちと「橋下徹 VS 藤井聡」騒動。
大阪都構想をめぐって、橋下徹大阪市長と、内閣官房参与の藤井聡・京大大学院教授の間にもちあがった騒動についてはみなさんすでにご存知のことと思います。
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」という藤井氏による大阪都構想批判に、橋下市長が激怒し、公開討論を藤井氏に呼びかけましたが、藤井氏はこれを拒否。
藤井氏の代わりに、大阪都構想に反対する自民市議団の柳本顕幹事長が、11日にテレビでの公開討論に応じ、橋下市長と論戦を張ったそうです。
しかし、ここで注意しなくてはならないのは、大阪維新の会と同様、過激な新自由主義路線をひた走る自民党が、なぜ橋下徹が掲げてきた大阪都構想という新自由主義政策を批判するかです。
理由は単純であり、
「大阪都構想より徹底した新自由主義政策である道州制を導入するので、大阪都構想は必要ないから」
です。
あきれたことに、道州制という、大阪都構想よりもっと過激な構造改革を全国規模で行う上で、大阪都構想のようなまわりくどいことは、いちいちやってられないと、自民党は言っているのです。
下は、自民党の大阪府支部連合会が作成した大阪都構想を批判するwebページのスクリーンショットです。

このように、自民党は、道州制を議論の余地なく日本が進むべき規定路線だと断定した上で、「道州制をやるから、都構想はいらない」と言っているだけなのですが、大阪都構想という新自由主義政策を批判しているから、自民党や、藤井聡や、三橋貴明は正しいのだと思ってしまうと、私たちは大きな誤りに陥ります。
この手の騒動が持ち上がった時には、「一方が誤っているから、それと対立するもう片方の立場は正しいのだ」と二項対立的、二元的に考えると、私たちはたいてい誤るのです。
なぜなら、それが、大衆操作の罠を仕掛ける人々が用いる常套手段だからです。
「橋下と藤井はどちらが正しいか」「橋下と三橋はどちらが正しいか」という二項対立な問いの先には、「大阪維新の会と自民党とどちらの主張が正しいか」「大阪都構想と道州制とどちらが正しいか」という問いが待ち受けています。
「大阪都構想と道州制とどちらが正しいか」と問うことは、まるで「スパナで頭を殴られるのと、金槌で頭を殴られるのと、どちらがいいか?」と問うようなナンセンスな問いです。
このような過ちに陥らないために、中国の『列子』という古典に書かれた「朝三暮四」というたとえ話を読み返してみましょう。このたとえ話は「民の目を欺こうとする権力者の策謀に陥り、目の前の相違にとらわれて、結果が同じになることに気づかないこと」を戒めるためのお話です。
橋下徹が「誤り」だから、藤井や三橋は「正しい」と単純に思ってしまえば、私たちは上のお話の猿のような過ちを犯すことになります。
藤井聡氏や三橋貴明氏は、確かに表向きは、大阪都構想のみならず、道州制も批判するかもしれません。
しかし、彼らは、あくまで自民党の側につく人々であり、民主党時代に熱心に道州制を批判することがあったとしても、安倍政権が2012年12月の政権発足時より、道州制の実現を公約に掲げていたにもかかわらず、それを批判することなくずっととぼけてきた来歴があります。
現に、藤井氏に対する大阪維新の会の公開討論の呼びかけに応じたのが、自民党の大阪市議団幹事長であったという事実は、自民党と藤井氏が、同じ陣営の側に立つものとして振舞っていることを意味します。
参考記事&動画:
三橋貴明の遅すぎる気づき
下はよしふるさんの作品です。
WJFプロジェクトは、2013年の3月に下のような公開質問状をブログ上に掲げ、読者の方が三橋ブログのコメント欄に投稿してくださったこともありましたが、三橋氏から説明は何もありませんでした。
藤井氏や三橋氏は、橋下徹の大阪都構想を批判する以上は、その何倍もの苛烈さで、現在政権の座にあり、道州制の実現を画策する自民党を批判しなければ、全くツジツマがあわないのですが、そんなツジツマのあわない態度をのらりくらりと取り続けてきたのが、このお二人です。
「橋下はだめだ、大阪都構想はとんでもない」「藤井さんや三橋さんはさすがだ、正しい」と言って、藤井や三橋の周りに群がっていると、またぞろ自民党への支持に誘導され、大阪都構想よりもっとひどい構造改革である、道州制の実現をまねくという落とし穴が待ち受けています。
「大阪都構想:知っていてほしい7つの事実」という藤井氏による大阪都構想批判に、橋下市長が激怒し、公開討論を藤井氏に呼びかけましたが、藤井氏はこれを拒否。
藤井氏の代わりに、大阪都構想に反対する自民市議団の柳本顕幹事長が、11日にテレビでの公開討論に応じ、橋下市長と論戦を張ったそうです。
しかし、ここで注意しなくてはならないのは、大阪維新の会と同様、過激な新自由主義路線をひた走る自民党が、なぜ橋下徹が掲げてきた大阪都構想という新自由主義政策を批判するかです。
理由は単純であり、
「大阪都構想より徹底した新自由主義政策である道州制を導入するので、大阪都構想は必要ないから」
です。
あきれたことに、道州制という、大阪都構想よりもっと過激な構造改革を全国規模で行う上で、大阪都構想のようなまわりくどいことは、いちいちやってられないと、自民党は言っているのです。
下は、自民党の大阪府支部連合会が作成した大阪都構想を批判するwebページのスクリーンショットです。

大阪都構想は道州制を見据えた政策ではない
道州制は、現在の都道府県を廃止し、代わりに9~11の「道州」と呼ばれる「広域自治体」を置き、また、現在の市町村の区域を基礎とした「基礎自治体」に再編する統治機構改革です。道州制が実現すれば、道州と基礎自治体の二層制により、強固な地方分権が成立します。今、国家を挙げてこの統治機構改革が検討されていくなかで、大阪府と政令市の合併を推し進める大阪都構想はまわり道でしかなく、時勢に逆行しています。
日本維新の会は道州制に反対の立場ではない
道州制の導入に向けて国が動き出そうとしているなか、日本維新の会は、この統治機構改革に矛盾する大阪都構想を推し進めようと躍起になっています。 では、日本維新の会は、道州制に反対の立場をとっているのでしょうか。 答えはNOです。日本維新の会も道州制には賛成の立場で、自民党と連携をとることに同意しています。これは、おかしいですよね。早ければ、数年後にも道州制が導入され、大阪・京都・兵庫などが広域合併して「関西州」が誕生するかもといわれているような時期に、大阪を都に再編して、特別区を設置するというのです。一体、大阪をどうしようというのでしょうか。
日本から「大阪」がなくなる可能性
大阪都が実現してしまい、その後、予定通りに道州制が導入された場合、大阪という名称がなくなってしまう可能性もあります。たとえば、都道府県の県域がなくなって京都府や兵庫県は関西州と呼ばれるようになっても、京都市、神戸市などは基礎自治体の名称として残ります。しかし大阪市が廃止されて特別区が置かれていた場合、大阪都は関西州に統一され、「大阪」という名称は使えなくなってしまいます。大阪は首都ではありませんので、特別扱いされることはないでしょう。極端な例のように思われるかもしれませんが、大阪都構想がこのまま進められると、近い将来、この日本から「大阪」という地名が消滅してしまうことにもなりかねません。
近い将来、大阪経済が衰退してしまうことになるかもしれない
道州制が実現する前に大阪都が成立してしまえば、大阪という名前が消滅してしまう可能性があります。そして大阪経済が大きく衰退してしまうことにもなりかねません。道州制は、都道府県が現在持っている権限を市町村に移すものです。しかし、都構想によってあるべき「大阪市」が解体されてしまった後では、京都市や神戸市のように経済を一括して担える都市機能がこの地から無くなってしまうのです。そうなると、大阪の経済は冷え切ってしまうかもしれません。あるいは、そのときには再び大阪市を復活させるというのでしょうか。いずれにしても、関西州の成立が前提であれば、都構想は無駄な政策です。
大阪都構想は行き当たりばったり
道州制が導入された後の「大阪」はどうなるのか。日本維新の会の大阪都構想には、これを説明できる具体的な計画がありません。橋下市長は、国・道州・大阪都・市町村の4層制の可能性も示唆していますが、道州制で関西州が誕生しても「関西州に大阪都は入らない可能性もある」とまったく反対のことも言っています。こんなわがままが許されるのなら、道州制という統治機構改革の根底が崩されてしまうことになりかねません。現在、首都を除く他の都道府県は同じ立場です。大阪だけが勝手を言っては議論も進みません。それでもなお、その主張を押し通し、大阪都構想なる政策を推し進めようとするのであれば、日本維新の会は道州制に対して「賛成」と言ってはいけないのです。大阪都構想を強硬に進めようとしながら、道州制に対しても賛成の立場をとる。まさに、政策矛盾。行き当たりばったりのパフォーマンスとしか言いようがありません。
(出典: 自民党大阪府支部連合会「道州制の実現には、大阪都構想はまわり道でしかありません。」)
このように、自民党は、道州制を議論の余地なく日本が進むべき規定路線だと断定した上で、「道州制をやるから、都構想はいらない」と言っているだけなのですが、大阪都構想という新自由主義政策を批判しているから、自民党や、藤井聡や、三橋貴明は正しいのだと思ってしまうと、私たちは大きな誤りに陥ります。
この手の騒動が持ち上がった時には、「一方が誤っているから、それと対立するもう片方の立場は正しいのだ」と二項対立的、二元的に考えると、私たちはたいてい誤るのです。
なぜなら、それが、大衆操作の罠を仕掛ける人々が用いる常套手段だからです。
「橋下と藤井はどちらが正しいか」「橋下と三橋はどちらが正しいか」という二項対立な問いの先には、「大阪維新の会と自民党とどちらの主張が正しいか」「大阪都構想と道州制とどちらが正しいか」という問いが待ち受けています。
「大阪都構想と道州制とどちらが正しいか」と問うことは、まるで「スパナで頭を殴られるのと、金槌で頭を殴られるのと、どちらがいいか?」と問うようなナンセンスな問いです。
このような過ちに陥らないために、中国の『列子』という古典に書かれた「朝三暮四」というたとえ話を読み返してみましょう。このたとえ話は「民の目を欺こうとする権力者の策謀に陥り、目の前の相違にとらわれて、結果が同じになることに気づかないこと」を戒めるためのお話です。
宋の国に狙公という人がいた。猿を可愛がって群れをなすほど養っていた。サルの気持ちを理解することができ、猿も同様に主人の心をつかんでいた。自分の家族の食べ物を減らしてまで、猿の食欲を充たしていた。ところが急に貧しくなったので、猿に与える餌の茅(どんぐり)を減らすことにした。猿たちが自分になつかなくなってしまうのではないかと心配したので、まず猿たちを誑かして言った。
「お前たちにどんぐりをやるのに、朝は三つで暮は四つにする。足りるか」
すると猿たちは皆起ち上がって怒りだした。そこで狙公は急に言い変えて、
「それじゃ、朝は四つで暮は三つにしよう。足りるか」
と言うと、猿たちは皆平伏して喜んだ。
(出典: 『列子』)
橋下徹が「誤り」だから、藤井や三橋は「正しい」と単純に思ってしまえば、私たちは上のお話の猿のような過ちを犯すことになります。
藤井聡氏や三橋貴明氏は、確かに表向きは、大阪都構想のみならず、道州制も批判するかもしれません。
しかし、彼らは、あくまで自民党の側につく人々であり、民主党時代に熱心に道州制を批判することがあったとしても、安倍政権が2012年12月の政権発足時より、道州制の実現を公約に掲げていたにもかかわらず、それを批判することなくずっととぼけてきた来歴があります。
現に、藤井氏に対する大阪維新の会の公開討論の呼びかけに応じたのが、自民党の大阪市議団幹事長であったという事実は、自民党と藤井氏が、同じ陣営の側に立つものとして振舞っていることを意味します。
参考記事&動画:
三橋貴明の遅すぎる気づき
下はよしふるさんの作品です。
WJFプロジェクトは、2013年の3月に下のような公開質問状をブログ上に掲げ、読者の方が三橋ブログのコメント欄に投稿してくださったこともありましたが、三橋氏から説明は何もありませんでした。
三橋貴明氏への公開質問状
1. どうしてあなたは、安倍晋三の新自由主義的な本質について決して語らず、いつも隠蔽しようとなさるのですか?
2. どうしてあなたは、安倍政権が「道州制」を導入しようとしている事実を語ろうとしないのですか。
3. どうしてあなたは、グローバリズムを批判する一方で、地域経済のグローバル化に他ならない道州制を推進しようとしていることに関し、安倍政権を批判しないのですか?
4. 時には1日に10万人もの人があなたのブログを訪れると聞きます。そのような世論に対する大きな影響力をもった言論人が、事実を語らず、世論をミスリードすることは許されることですか?
(出典: WJFプロジェクト「三橋貴明氏への公開質問状」2013年3月4日)
藤井氏や三橋氏は、橋下徹の大阪都構想を批判する以上は、その何倍もの苛烈さで、現在政権の座にあり、道州制の実現を画策する自民党を批判しなければ、全くツジツマがあわないのですが、そんなツジツマのあわない態度をのらりくらりと取り続けてきたのが、このお二人です。
「橋下はだめだ、大阪都構想はとんでもない」「藤井さんや三橋さんはさすがだ、正しい」と言って、藤井や三橋の周りに群がっていると、またぞろ自民党への支持に誘導され、大阪都構想よりもっとひどい構造改革である、道州制の実現をまねくという落とし穴が待ち受けています。
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