グローバリズムと神道(11)

「国譲り」と二つの聖地。
日本の歴史を通じて、「天津神」と「国津神」、またその系統に属する人々との間に繰り返された、四つの「国譲り」。



「政治」と「非政治」という、二つの権威を委譲し合うことで、「天津神」と「国津神」が、互いに緊張関係を抱えながらも、相手の存在を否定したり根絶しにしようとしたりするのではなく、共存を図っていく。二つの勢力が相互補完的に異なる役割を担いながら、重層的に並置されていく構図が、古代から現代に至るまで連綿と守られてきた。

ここに日本という国の、他の国ではなかなか見ることのできない特徴があります。

しかし、何十年、ときには何百年もの長いスパンをかけて、この「国譲り」という現象が私たちの国の歴史上に生じた時、ある二つの土地に着目するならば、そこには、人の意思や思惑を超えた「力」が胎動していたことに、私たちは気付かされます。

その場所とは、「熊野」と「伊勢」という、二つの土地です。

まず前提として、念頭に入れておいていただきたいのは、和歌山県・三重県・奈良県をまたがり、滔々たる碧色の流れと鬱蒼とした森を抱える「熊野」という土地は、縄文時代の盤座信仰の名残を多く留める土地であり、黄泉に降ったイザナミが埋葬された土地であり、また「神武東征」において、イワレヒコ(神武天皇)が八咫烏に導かれ、霊剣「布都御魂」によって荒ぶる神々を帰順させながら、ヤマトを征服していく重要なルートになった土地であり、かつオオクニヌシが祀られる出雲の地と深い因縁をもった「国津神」たちの聖地であるということです。

一方、「伊勢」という土地は、いうまでもなく、皇室の祖であり、日本国民全体の氏神と言われる「アマテラス」大神を祀る「皇大神宮」をもつ、「天津神」の最も重要な聖地です。

この二つの聖地は、「天津神」から「国津神」へと、また「国津神」から「天津神」へと、「政治」と「非政治」の役割交代、つまりは、幾たびかの「国譲り」が生じた日本史の大きな転換点において、まるで、「国津神」や「天津神」の目に見えない力が、それらの「国譲り」を引き起こしたかのような、非常に大きな役割を果たしました。

まずは、古代において、オオクニヌシ(「国津神」)からニニギ(天津神)への国譲りの結果として確立された、「天津神」による日本の統一体制や「律令制」がくずれ、「天津神」たちが力を失い、封印されていた「国津神」たちの力が呼び覚まされるかのように、勃興する地方勢力を司る武士たちへと「政治」の役割が委譲され、中央集権制から封建制へと、古代から中世へと移行した際、「熊野」という土地が、具体的にどのような役割を果たしたかを見ていきます。

そのために、まずは、古代に確立された律令制が、日本神話との関係でどのような構造をもっていたかをおおざっぱに見ていただきましょう。



(つづく)
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ちなみに

ちなみに、出雲地方にも熊野大社があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/熊野大社
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