グローバリズムと神道(10)
四つの「国譲り」。
記紀(『古事記』・『日本書紀』)に描かれた、「国津神」の長ともいうべき、オオクニヌシによる「天津神」への「国譲り」の物語を雛形にしつつ、日本では、「天津神」と「国津神」、またそのいずれかの系統に属する人々との間に、下の四つの「国譲り」が起きたと考えられます。

「天津神」と「国津神」に、「政治」と「非政治」いずれかの権威が委譲されることによって、この二つの権威は、片方が他を廃することなく並置されてきたことに、日本という国の特徴と本質があります。
日本史において、たとえば織田信長のように、どんなに荒ぶる「国津神」が現れようと、天皇という「天津神」の権威を廃することはありませんでしたし、明治維新がどんなにブルジョワ革命的な性質をもっていたとしても、徳川慶喜はルイ16世のように処刑されたりはしなかったのです。
これは、日本以外の国ではなかなか見られない特徴です。たとえば、朝鮮では王朝の交代は、前王家の徹底した処罰と廃絶を意味したし、外国で起きた革命は、国王の処刑を伴いました。
「政治」と「非政治」の二つの権威や役割を互いに移譲し合うことによって、二つの権力が共存するという、オオクニヌシの「国譲り」という雛形(原型・モデル)を日本史の初期段階に得たことで、「天」と「地」の、「上」と「下」の、「中央」と「周辺」の、「外」と「内」の、「支配者」と「被支配者」の力のバランスと並置は、日本の歴史を通じて上手に維持されてきたのです。
また、「政治」と「非政治」の役割は、一定の時を経て、オオクニヌシによる「国譲り」と似たプロセスを経て、「天津神」と「国津神」の間で交代させられるのですが、この四つの「国譲り」を引き起こした、歴史の根底に働いた力を捕捉しようとするとき、熊野と伊勢という二つの土地が、その「力」が顕在化し可視化された場所として、私たちの前に立ち現れます。(つづく)

「天津神」と「国津神」に、「政治」と「非政治」いずれかの権威が委譲されることによって、この二つの権威は、片方が他を廃することなく並置されてきたことに、日本という国の特徴と本質があります。
日本史において、たとえば織田信長のように、どんなに荒ぶる「国津神」が現れようと、天皇という「天津神」の権威を廃することはありませんでしたし、明治維新がどんなにブルジョワ革命的な性質をもっていたとしても、徳川慶喜はルイ16世のように処刑されたりはしなかったのです。
これは、日本以外の国ではなかなか見られない特徴です。たとえば、朝鮮では王朝の交代は、前王家の徹底した処罰と廃絶を意味したし、外国で起きた革命は、国王の処刑を伴いました。
「政治」と「非政治」の二つの権威や役割を互いに移譲し合うことによって、二つの権力が共存するという、オオクニヌシの「国譲り」という雛形(原型・モデル)を日本史の初期段階に得たことで、「天」と「地」の、「上」と「下」の、「中央」と「周辺」の、「外」と「内」の、「支配者」と「被支配者」の力のバランスと並置は、日本の歴史を通じて上手に維持されてきたのです。
また、「政治」と「非政治」の役割は、一定の時を経て、オオクニヌシによる「国譲り」と似たプロセスを経て、「天津神」と「国津神」の間で交代させられるのですが、この四つの「国譲り」を引き起こした、歴史の根底に働いた力を捕捉しようとするとき、熊野と伊勢という二つの土地が、その「力」が顕在化し可視化された場所として、私たちの前に立ち現れます。(つづく)
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