グローバリズムと神道(5)
「神社」とは「もり」であった。
お正月には、現在も、多くの人々が神社に初詣に訪れます。
神社は私たち日本人にとって極めて身近な存在ですが、調べれば調べるほど、自分が神社や神道について何も知らないこと、何もわからずにいることに気付かされます。
たとえば、神社の入り口にある鳥居の起源や語源も、はっきりしたことはわかっていないのだそうです。
宗教学者の島田裕巳氏は、神道の本質について次のように記しています。
神社や神道が、日本という国が国の形をなすよりはるか以前の時代から存在し続けてきたとするならば、神社や神道について何も知らずにいる、わからずにいるということは、とりもなおさず、日本という国について何も知らずにいる、わからずにいることと同義であるといっても過言ではありません。私たち日本人は、日本という国について実は何も知らずに、わからずに生活しているのではないでしょうか。
神道学者の三橋健氏の指摘によれば、「神社」と書いて「もり」と読んでいるいくつかの歌が万葉集に残されていることからわかるように、古い時代には「神社」を「もり」と呼んだのだそうです。(出典: 三橋健著『神社の由来がわかる小辞典』)
「もり」とは、神の知ろしめす聖なる領域のことであり、森の中の禁足地や、磐座、樹木、滝、山そのものを指しました。
縄文時代にまでさかのぼることができる、このシンプルな自然崇拝に、やがて祖霊崇拝が「習合」していきました。 太陽や月や山や海や滝といった自然のものや働きが、名前や個性をもつ人格神として、歴史上に実在し神格化されていった部族の長たちと重ね合わせられながら物語られるようになりました。
また、縄文の人々の信仰は、新しく日本列島にやってきた人々の信仰とも「習合」していきました。
こうして、「天津神」と「国津神」が、「八百萬神等」へと「習合」していきました。
記紀を編纂し、律令制を導入した時代には、唐の作法や文化とも「習合」していきました。
その後には、仏教とも「習合」していきました。
こうしてみていくならば、社殿も神主も何も「ない」時代の、森や山や磐座への信仰を深い基底にもちつつ、新しくこの島にもたらされた人や文化や宗教や制度を大らかに取り込みながら、「習合」していくところにこそ、神道の本質があったのではないかとも考えられます。
もしそうであるならば、時代を経るごとに、新しく加えられていった特定の要素を、分離したり廃絶したりすることによっては、「真」の神道を取り出せないどころか、神道の本質そのものを破壊することにすらなってしまうことでしょう。
明治維新において、廃仏毀釈によって、人為的に神仏習合の絆をほどき、記紀成立直後の神道に戻そうと試みたことは、「習合」していくという神道の本質に逆らうものであったことでしょう。(つづきます)
神社は私たち日本人にとって極めて身近な存在ですが、調べれば調べるほど、自分が神社や神道について何も知らないこと、何もわからずにいることに気付かされます。
たとえば、神社の入り口にある鳥居の起源や語源も、はっきりしたことはわかっていないのだそうです。
宗教学者の島田裕巳氏は、神道の本質について次のように記しています。
日本の神々を祀る神道の本質は「ない宗教」にある。神道には、開祖もいなければ、経典も教義もない。当初は、神社の社殿さえ存在せず、神主という専門的な宗教家もいなかった。一般に宗教の役割は救いを与えることにあるとされていて、それぞれの宗教では救済のための手段が開拓されているが、神道にはそうしたものがない。その点では、神道ほどシンプルな宗教はないとも言える。そうした宗教が、長い歴史を超え、一千数百年以上も続いていることは、世界の宗教史を考えても注目される事態である。神道とともに日本人の宗教世界を構成してきた仏教の場合には、6世紀に渡来したことがわかっているが、そもそも神道がいつはじまったのか、それすら定かではない。
(出典: 島田裕巳著『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』)
神社や神道が、日本という国が国の形をなすよりはるか以前の時代から存在し続けてきたとするならば、神社や神道について何も知らずにいる、わからずにいるということは、とりもなおさず、日本という国について何も知らずにいる、わからずにいることと同義であるといっても過言ではありません。私たち日本人は、日本という国について実は何も知らずに、わからずに生活しているのではないでしょうか。
神道学者の三橋健氏の指摘によれば、「神社」と書いて「もり」と読んでいるいくつかの歌が万葉集に残されていることからわかるように、古い時代には「神社」を「もり」と呼んだのだそうです。(出典: 三橋健著『神社の由来がわかる小辞典』)
泣沢の神社(もり)に神酒(みわ)すゑ禱祈(いの)れども わが大王は高日知らしぬ (万葉集巻二・二〇二)
真鳥住む卯名手の神社(もり)の管の根を 衣にかきつけ着せむ子もがも (万葉集巻七・一三四四)
木綿懸けて斎ふこの神社(もり)超えぬべく 思ほゆるかも恋の繁きに (万葉集巻七・一三七八)
「もり」とは、神の知ろしめす聖なる領域のことであり、森の中の禁足地や、磐座、樹木、滝、山そのものを指しました。
縄文時代にまでさかのぼることができる、このシンプルな自然崇拝に、やがて祖霊崇拝が「習合」していきました。 太陽や月や山や海や滝といった自然のものや働きが、名前や個性をもつ人格神として、歴史上に実在し神格化されていった部族の長たちと重ね合わせられながら物語られるようになりました。
また、縄文の人々の信仰は、新しく日本列島にやってきた人々の信仰とも「習合」していきました。
こうして、「天津神」と「国津神」が、「八百萬神等」へと「習合」していきました。
記紀を編纂し、律令制を導入した時代には、唐の作法や文化とも「習合」していきました。
その後には、仏教とも「習合」していきました。
こうしてみていくならば、社殿も神主も何も「ない」時代の、森や山や磐座への信仰を深い基底にもちつつ、新しくこの島にもたらされた人や文化や宗教や制度を大らかに取り込みながら、「習合」していくところにこそ、神道の本質があったのではないかとも考えられます。
もしそうであるならば、時代を経るごとに、新しく加えられていった特定の要素を、分離したり廃絶したりすることによっては、「真」の神道を取り出せないどころか、神道の本質そのものを破壊することにすらなってしまうことでしょう。
明治維新において、廃仏毀釈によって、人為的に神仏習合の絆をほどき、記紀成立直後の神道に戻そうと試みたことは、「習合」していくという神道の本質に逆らうものであったことでしょう。(つづきます)
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