グローバリズムと神道(4)

「真の」神道はどこにあるのか。


上の動画は、伊勢神宮で奉納された「蘭陵王」という雅楽の演目です。眉目秀麗な容姿で知られた、中国北斉の蘭陵王が、その美貌が戦闘の妨げになるため、敢えて獰猛な仮面を身につけて美顔を隠して戦に挑み、大勝した逸話に基づく中国の舞楽です。伊勢神宮という日本で最も由緒ある神道の聖地で奉納されていますが、日本に由来する舞楽ではありません。

そもそも、雅楽や、雅楽に使われる楽器そのものが、中国から日本に導入されたものです。

また、神職が、お祭りや祈祷で右手に持つ笏は、もともと中国の官人がメモ書きに使っていた道具です。

神職の装束や作法は、平安時代に確立された装束や作法を用いていますが、それらは、元来、唐の礼服や礼制をモデルにして作られたものです。

神社の祭神の由来を記した古事記や日本書紀は、漢文で書かれています。

古来からの日本の神々が、中国語で書かれた書物を神典として、中国的な装束をまとった人々によって、中国的な礼儀作法でお祀りされているというのは、なんとも皮肉なものですが、これほどまでに、記紀によって整備された日本の神道は、律令制の導入という、7世紀になされた日本の唐化、中国化、すなわち当時の「グローバル化」(国際標準化)の影響を被っています。

記紀の編纂と律令制の導入がもたらした神道の「唐化」の直後に、さらにやっかいな事態が生じます。

神仏習合です。

記紀の編纂が完了した頃から奇妙なことが起きました。各地の神社で祀られている神々も、仏の救済を必要とする衆生の一員として見なされ、「自分も仏に帰依したい」と託宣を出す神々までも現れ、各地の神社に神様を仏教によって救済するための神宮寺が併設されるようになりました。

その後、仏教の仏や菩薩と、神道の神々は同一視されるようになり、仏教の仏や菩薩が、人間の救済のために姿を変えて現れたのが、神社の神々であると考えられるようになりました。

この思想を「本地垂迹説」と言います。

神道は、記紀という神典の成立によって、唐の文化や作法と融合したのみならず、仏教ともやすやすと融合していきました。

こう見ていくと、一体「真の」神道はどこにあるのだろう、「真の」神道とは何なのだろうという問いが浮上しますが、記紀や仏教を廃絶すれば、「真の」神道が取り出せるほど、話は簡単ではありません。

「真の」神道とは何だろうという問いは、「真の」日本とは何だろうという問いにもつながっています。

さらに考察を深めていきます。(つづく)
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日本のカミサマは・・・

記紀の原書であるヲシテ文献により、実在していたヒトであることが、あきらかになっています。
神道以前の「縄文哲学」、ヒトのミチをあきらかに照らしているのがヲシテ文献です。
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