グローバリズムと神道(3)

記紀編纂とグローバリズムの深い因縁。
「僕が子等、二はしらの神の白すまにまに、僕は違はじ。この葦原中国は、命のまにまに既に献らむ。ただ、僕がすみかをば、天つ神の御子の天津日継知らしめす、とだる天の御巣なして、底津岩根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて治めたまはば、僕は百足らず八十くま手に隠りて侍ひなむ。」

(「子供二人の申しましたとおりに、私も決して背くことではございません。この葦原中国は、仰せのままに悦んでさしあげましょう。ただ私の住むところのために、天神の御子の、代々御世を嗣ぎ給うべき天津日嗣の、その御膳をおつくりする御厨である、煙立ち上る、富足りた、天之御巣の壮大な構えと同じほどに、地の底の岩根までも深く宮柱を埋め、高天原に氷木の届くほどに屋根の高い、立派な宮殿を築いて私を祭ってくださいますならば、私は百に足らぬ八十の、曲がりくねった道また道を訪ねてゆき、遠い黄泉国に身を隠すことにいたしましょう。」(福永武彦訳))

(出典:『古事記』上つ巻)

時に高皇産霊尊、乃ち二の神を還し遣して、大己貴神に勅して日はく、「(前略)それ汝が治らす顕露の事は、是吾孫治すべし。汝は以って神事を治すべし。また汝が住むべき天日隅宮は、今供造りまつらむこと、即ち千尋の栲縄を以って、結ひて百八十紐にせむ。その宮を造る制は、柱は高く太し。板は広く厚くせむ。(中略)また汝が祭祀を主らむは、天穂日命、是なり。」是に、大己貴神報へて日さく、「天神の勅教、如此慇懃なり。あへて命に従わざらむや。吾が治らす顕露の事は、皇孫当に治めたまふべし。吾は退りて幽事を治めむ」とまうす。

(高皇産霊尊は二柱の神を再び遣わして、大己貴神(オオクニヌシの別名)に勅していわれるのに、「(前略)あなたが行われる現世の政治のことは、皇孫が致しましょう。あなたは幽界の神事を受け持ってください。またあなたが住むべき宮居は、今お造りいたしますが、千尋もある栲の縄でゆわえて、しっかりと結びつくりましょう。その宮を造るきまりは、柱は高く太く、板は広く厚くいたしましょう。(中略)またあなたの祭祀を掌るのは、天穂日命がいたします。」と、そこで大己貴神が答えていわれるのに、「天神のおっしゃることは、こんなに行き届いている。どうして仰せに従わないことがありましょうか。私が治めることの世のことは、皇孫がまさに治められるべきです。私は退いて幽界の神事を担当しましょう」と。(宇治谷孟訳))

(出典:『日本書紀』神代下 第九段)

天にも届かん大社(おおやしろ)に祀られることによる、「国津神」であるオオクニヌシの幽世(かくりよ)の支配者としての地位への退避と、「天津神」であるアマテラスの孫ニニギによる葦原中国への降下と平定。

記紀に記された「国譲り」と呼ばれる、「天津神」と「国津神」の交渉と服属の神話は、大和政権が出雲の土着民族を平定する歴史的事実を反映したものだと言われています。しかし、この物語は、7世紀半ば以降の律令制の導入によって、出雲のみならず、日本の各地で繰り返されていった出来事でもありました。

660年に朝鮮半島における倭国の同盟国、百済が滅亡し、663年に白村江の戦いで、倭国と百済遺民の連合軍が、唐と新羅の連合軍に大敗北を喫すると、国内では、対外的な危機感が高まり、中央集権の強化と国家再編の必要性が叫ばれるようになりました。そのため大和朝廷は、唐の先進的な政治システムであり、当時の北東アジアのグローバル・スタンダードの一種でもあった律令制を導入して、倭国を「構造改革」し「グローバル化」させる決断を行いました。

律令制の導入という倭国の「構造改革」と「グローバル化」に本格的に着手したのは、白村江の戦いを戦った天智天皇の死後、壬申の乱において、天智天皇の子である大友皇子を破って政権を奪取した天智天皇の弟、大海人皇子(のちの天武天皇)でした。

律令制導入前までは、日本の各地方は、大和朝廷に服属を誓った土着の豪族「国主」(くにぬし)が、「国造」(くにのみやつこ)として大和朝廷に任じられて、地方の統治を任されていましたが、律令制の導入によって令制国が敷かれると、中央から派遣された官吏である「国司」(くにのつかさ)が地方の政治を司るようになり、「国造」(くにのみやつこ)たちは、政治的な権能を奪われて、各地の土着信仰の祭祀を司る宗教的な名誉職とされていきました。「国造」たちは、のちに「社家」(しゃけ)と呼ばれて、各地の主要な神社の世襲の神職として、その系譜を守っていくことになります。

現代でも存続する「国造」家には、出雲大社の社家を務めてきた「出雲国造」の千家氏や北島氏、日前神宮・国懸神宮の社家の「紀伊国造」の藤原氏などが知られています。

つまり、顕世(うつしよ)の「政治」を大和朝廷に委譲して、みずからは幽世(かくりよ)の「非政治」の神事を司る役割に退任するという、出雲の「国主」であるオオクニヌシが行った「国譲り」は、律令制の導入と並行して全国各地で反復されていったのです。

そして、律令制による倭国の中央集権化と国際標準化と並行して、古来からの伝承を整理し、「天津神」の末裔である天皇の権威と「国津神」の末裔である地方豪族との関係を明確にした古事記や日本書紀という史書の編纂を命じたのは、律令制の導入を推進した天武天皇その人でした。

記紀に描かれたオオクニヌシや、ニギハヤヒなどの「国津神」による「国譲り」の説話は、律令制導入当時の「国造」たちによる大和の中央政府への政権委譲が潤滑に行われるのに役立ったことでしょう。

古事記や日本書紀という書物は、その成立当時から、「グローバリズム」や「構造改革」と深い因縁を持っていたことになります。

それゆえに、明治維新において廃仏毀釈がなされ、記紀を神典として、神仏習合以前の神道への復興が試みられたとき、「国家神道」と呼ばれたこの古くて新しい形式の神道は、律令制導入の時と同じように、明治維新による日本の「グローバル化」と「構造改革」を促進する手助けをすることになったわけです。(つづく)
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