神社参拝の楽しさ
そして、大切さ。
神社では、毎年一回の「例祭」という大きなお祭りの他に、月に一度か二度開かれる「月次祭」(つきなみさい)、そして、毎日早朝に神様にお供えを捧げる「日供祭」(にっくさい)と呼ばれる祭祀が持たれています。
一日には、私も、とある神社の「月次祭」に参加させていただく機会がありました。
「月次祭」は次のような「小祭式」と呼ばれる式次第で行われます。
「月次祭」は、「直会」(なおらい)といい、皆で供物のおさがりとしてお神酒やお米をいただくことで締めくくられます。
私は、特定の宗教団体に属しているわけではありませんが、お寺や、教会や、モスクなど人々の信仰の場を訪れることがとても好きです。また宗教に関する思想にも昔より深い関心を寄せています。
最近は、神社を参拝することの楽しさ、大切さを実感させられる機会を多くいただいています。
実業家であり営業コンサルタントである和田裕美さんという方が、神社をお参りすることの楽しさや意義をとてもわかりやすく説明されています。
神社というと、パワースポットやご利益という面が語られがちですが、和田裕美さんは、自分の願望の実現よりも、感謝や誓いを捧げること、また周りの人々の幸せを願うことの大切さを説いていらっしゃいます。
そういう姿勢が日常生活の中に浸透していくことが、なによりも、神社参拝のご利益ではないかと思います。
おすすめの一冊です。
一日には、私も、とある神社の「月次祭」に参加させていただく機会がありました。
「月次祭」は次のような「小祭式」と呼ばれる式次第で行われます。
当日早旦社殿を装飾す
→ お祭りの準備をします。
時刻宮司以下祭員及び参列者参進 これより先に手水の儀あり
→ お祭りに関わる人全員が手と口を清め、社殿へと進みます。
次に 神楽太鼓
→ お祭りの「開始」を告げます。
次に 修祓(しゅばつ)
→ お供えもの、玉串、神職・巫女・参列者をお祓いします。
次に 宮司一拝
→ 宮司がご神前に進み出て、宮司に合わせて皆も一礼をします。
次に 神饌を供す
→ 神さまにお食事、お酒などをお供えします。
次に 祝詞奏上
→ 宮司がご神前に祝詞(のりと)を奏上します。
次に 神楽奉奏
→ 神さまの御魂を和ませ、お楽しみいただく舞を奉納します。
次に 宮司玉串奉りて拝礼
→ 宮司が玉串に感謝の祈りを込め、宮司に合わせて祭員も拝礼します。
次に 参列者玉串奉りて拝礼
→ 参列者の皆さまにも「二礼・二拍手・一礼」でご拝礼をいただきます。
次に 神饌を撤す
→ お供えものをお下げします。
次に 宮司一拝
→ ご神前に進み出てた宮司に合わせて皆も一礼をします。
次に 神楽太鼓
→ お祭りが無事に「終了」したのを告げます。
次に 直会
→ お神酒を頂戴し、神さまの〝お力〟をいただきます。
次に 各退出
→ お気をつけて、お帰りください。
(出典: 射水神社ホームページより)
「月次祭」は、「直会」(なおらい)といい、皆で供物のおさがりとしてお神酒やお米をいただくことで締めくくられます。
私は、特定の宗教団体に属しているわけではありませんが、お寺や、教会や、モスクなど人々の信仰の場を訪れることがとても好きです。また宗教に関する思想にも昔より深い関心を寄せています。
最近は、神社を参拝することの楽しさ、大切さを実感させられる機会を多くいただいています。
実業家であり営業コンサルタントである和田裕美さんという方が、神社をお参りすることの楽しさや意義をとてもわかりやすく説明されています。
おじいちゃんが教えてくれたこと
小学校に上がって、神社というものがあって、そこに神様が住んでらして困ったら助けてもらえる、という認識を持つようになりました。お願い事をしたら叶うのだとも思っていました。けれど祖父は決して「お願い事をしなさい」とは言わずに、『裕美も手を合わせて『ありがとうございます』と言いなさい」というのです。最初は何も疑問に思わずに、祖父に言われたとおりに手を合わせて、拍手を打ち、目を閉じて「ありがとうございます」と言っていました。けれど、ある日、ふと本殿の前でお賽銭をいれた後に、私はこんなことを祖父に訊いたのです。
「おじいちゃん、なんで別に何ももらってないのに、お願いしてもいないのに、『ありがとう』っていうの?」
「なんでそう思う?」
「学校では先生に、人に何かをしてもらったら、お礼を言いなさいと教えてもらったんやけど・・・。友達のところでお菓子もらったら『ありがとうございます』って言うやろ?そやけど、何ももらってないときとか、何もしてもらってない人には言わんでいいんとちゃうの?」
「そうか、そう思うか。そうやなあ」と言って祖父は優しそうに笑いました。
「あんな、おじいちゃんは、神さんにたくさんもろうてんのや。死んでもおかしくなかったのにまだ生きている、この『命』をもらったんや。食べるものもがない時代にも生きていく道をもらったんや。それから、家族も、健康も、かわいい孫までもらったんや。今日、こうやって元気にここに来られることができたことに、おじいは『ありがとう』って言うてんねんや」
「おじいちゃん、それって神様にもらったものなんか?」
「そうやで。もうたんや。・・・あんな、裕美、人生には『ああ、どうしよう』と困った時もやってくるけど、絶対になんとかなるもんや。ならんときは、自分が間違いに気づいて、その後、時間がかかっても絶対にようなっていくんや。おじいはそれが不思議でならん。そやから、ああこれは神様のおかげやと思うてる」
「ふーん、神様ってお願い聞いてくれるのと違うの?」
「お願いも聞いてくれはるけど、もうたくさんくれてはるんやで」
「なにもうたんや?」
「裕美、今日、おいしい朝ごはん食べたやろ?布団で寝れたやろ?朝起きて、元気やったやろ?世の中にはご飯もない人もご元気のない人もいるんやで。そやなのに、すごいと思わへんか?幸せなんや、これがものすごくな。それもらっているんやで」
「それは、神様がくれはったんか?」
「そうや、おじいはそう思っている。空気も水も大地も海も人間につくれへんのや。目に見えるものをもらうときも『ありがとう』って言うけどな、目に見えない、当たり前に毎日あるものにも『ありがとう』って言わんといかんのや」
「なんや、ようわからへん」
「わかるときがくる」
「いつ?」
「裕美が何かを乗り越えるときや」
「乗り越えることってなんや?」
(出典: 和田裕美『神社が教えてくれた人生の一番大切なこと』)
神社というと、パワースポットやご利益という面が語られがちですが、和田裕美さんは、自分の願望の実現よりも、感謝や誓いを捧げること、また周りの人々の幸せを願うことの大切さを説いていらっしゃいます。
そういう姿勢が日常生活の中に浸透していくことが、なによりも、神社参拝のご利益ではないかと思います。
おすすめの一冊です。
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