グローバリズムを批判しながらグローバリストに支持を煽る役割を担う煽動家は存在するか
ご自分の目と耳でご確認ください。
「構造改革」という言葉の意味をほとんどの国民が知らなかった小泉政権時代。
「改革派(善)vs抵抗勢力(悪)」という単純な善悪二元論を掲げて、小泉純一郎が「聖域なき構造改革」と連呼していれば、国民の高い支持率を簡単に得る事ができました。
しかし、その後、格差社会の広がりという痛みを通して、国民の多くが「構造改革」の意味を知るようになった時、新自由主義者たちが単に「構造改革」のすばらしさを説き聞かせるだけでは、「構造改革実行政権」に支持を誘導をすることが困難な事態が生まれていました。
そこで必要とされたのは、二種類のタイプの煽動家たちです。
一つは、従来通り、「構造改革」のすばらしさを国民に説明する役割を担う煽動家たち。
この役割は、主に「リフレ派」と呼ばれる言論人たちが担いました。
もう一つは、「構造改革」の危険性を国民に語りながら、「構造改革実行政権」に支持を誘導する役割を担う煽動家たちです。
後者の役割は、「構造改革」に忌避感情を抱く国民を囲い込み、なおかつ、安倍政権のような「構造改革実行政権」が、あたかも「構造改革」とは真逆の方向を目指す政権であるかのように偽りのイメージを刷り込んで、支持するように誘導することにありました。
上記二種類の煽動家たちを配置することにより、「構造改革」に肯定的な国民も、「構造改革」に否定的な国民も、両者とも「構造改革推進政権」を支持するように誘導することが可能になります。
また、二種類の煽動家たちを表向きは互いに対立させて、どちらが正しいかを競わせれば、どちらの煽動家の側に国民が付こうとも、煽動家たちの背後にいる共通の勢力の影響下に国民を置くことができます。
さて、上は、WJFプロジェクトがこれまで掲げてきた主張ですが、本当に「グローバリズムを批判しながらグローバリストに支持を煽る役割を担う煽動家」は実在するでしょうか。
ご自分の目と耳で確かめていただきたいと思います。
下は、10月14日に公開された、自民党の参議院議員、西田昌司の「一問一答」という動画です。
という視聴者からの質問に対して、西田昌司が下のように答えています。
西田昌司は、安倍総理は本心では新自由主義とは逆の方向を目指しながら障害があるために迂回した結果、新自由主義に向かっているように見えているだけだというのですが、これは本当でしょうか。安倍晋三本人は下のように述べています。
安倍晋三本人は、西田昌司の言葉と真逆に、「国を開くこと」すなわち新自由主義とグローバリズムが、政治家になって以来彼が目指してきた方向であり、障害がある場合には迂回するどころか、自分自身がドリルの刃となって突き破ってでも、まっすぐに構造改革を断行するのだと語っています。
グローバリズムや新自由主義に反対してきた「ハズ」の西田昌司が、「安倍さんは本心では新自由主義とは逆の方向をめざしている」と安倍本人の言葉と正反対の偽りを述べて、いまだに安倍支持を呼びかけているのはどういうことなのでしょうか。
ここで、二つの解釈が成り立ちます。
解釈A. 「西田昌司のグローバリズム批判はみせかけであり、彼が清和会に属していることから明らかなように、グローバリズムを批判するフリをしながら、グローバリストに支持を煽る役割を担った煽動家の一人である。」
解釈B.「西田昌司は本心からグローバリズムを批判しており、彼がいまだに安倍支持を呼びかけているのは、彼が全力で安倍を回心させようと努めているからである。西田昌司は『安倍さんは新自由主義者であるはずがない』とあまりに強く願った結果、自分の願望が真実であるかのように思い込んでしまったのだろう。」
上の二つの解釈の、どちらが正しいのでしょうか。
仮に、西田昌司の真意を好意的に解釈して「解釈B」が正しいと仮定しましょう。しかし、そう仮定したとしても、西田昌司の言論が世の中の人々に対して
"「構造改革」に忌避感情を抱く国民を囲い込み、なおかつ、安倍政権のような「構造改革実行政権」が、あたかも「構造改革」とは真逆の方向を目指す政権であるかのように偽りのイメージを刷り込んで、支持するように誘導する"
効果を発揮してしまうことは避けられません。
ならば、西田昌司の本当の意図がどうであれ、「西田昌司のグローバリズム批判はみせかけであり、彼が清和会に属していることから明らかなように、グローバリズムを批判するフリをしながら、グローバリストに支持を煽る役割を担った煽動家の一人である。」と言われても仕方のない結果となってしまうのです。
さて、「安倍さんは本心では新自由主義とは真逆の方向を目指して進んでいるが、障害があって思うようにすすめずにいる」という西田昌司と全く同一のレトリックで安倍支持を呼びかけていた人物がいます。
いつも疑問に思う事なのですが、安倍支持を煽ってきた複数の言論人や政治家たちが、しばしば、同一のレトリックを使って安倍を擁護したり、支持を煽ったりしてきたのはどういう理由によるのでしょうか。各自が自分の個人的な信念に基づいて発言していれば、主張の内容も、レトリックももっと多様に分岐するはずなのですが。
解釈A. 背後に大衆心理操作の共通の立案者がいる。
解釈B. 偶然の一致である。
「改革派(善)vs抵抗勢力(悪)」という単純な善悪二元論を掲げて、小泉純一郎が「聖域なき構造改革」と連呼していれば、国民の高い支持率を簡単に得る事ができました。
しかし、その後、格差社会の広がりという痛みを通して、国民の多くが「構造改革」の意味を知るようになった時、新自由主義者たちが単に「構造改革」のすばらしさを説き聞かせるだけでは、「構造改革実行政権」に支持を誘導をすることが困難な事態が生まれていました。
そこで必要とされたのは、二種類のタイプの煽動家たちです。
一つは、従来通り、「構造改革」のすばらしさを国民に説明する役割を担う煽動家たち。
この役割は、主に「リフレ派」と呼ばれる言論人たちが担いました。
もう一つは、「構造改革」の危険性を国民に語りながら、「構造改革実行政権」に支持を誘導する役割を担う煽動家たちです。
後者の役割は、「構造改革」に忌避感情を抱く国民を囲い込み、なおかつ、安倍政権のような「構造改革実行政権」が、あたかも「構造改革」とは真逆の方向を目指す政権であるかのように偽りのイメージを刷り込んで、支持するように誘導することにありました。
上記二種類の煽動家たちを配置することにより、「構造改革」に肯定的な国民も、「構造改革」に否定的な国民も、両者とも「構造改革推進政権」を支持するように誘導することが可能になります。
また、二種類の煽動家たちを表向きは互いに対立させて、どちらが正しいかを競わせれば、どちらの煽動家の側に国民が付こうとも、煽動家たちの背後にいる共通の勢力の影響下に国民を置くことができます。
さて、上は、WJFプロジェクトがこれまで掲げてきた主張ですが、本当に「グローバリズムを批判しながらグローバリストに支持を煽る役割を担う煽動家」は実在するでしょうか。
ご自分の目と耳で確かめていただきたいと思います。
下は、10月14日に公開された、自民党の参議院議員、西田昌司の「一問一答」という動画です。
「最近の安倍首相は新自由主義路線に行ってしまったのではないか。それを批判しないでほっておくと日本はとんでもないことになる。西田昌司しっかりしろ。」
という視聴者からの質問に対して、西田昌司が下のように答えています。
「私も、実はですね、そこが一番気になっているんですね。ただですね、もう片っ方で問題は、前にも言った事があるんですけれど、安倍総理がいくら一人がんばっていても、なかなかできないものというのはたくさんあるわけですよね。」
「いろんな要素を足していくときに、まっすぐそのままの道をつききれればいんだけれどいろんな障害がある。行くべき方向はこっちだとはっきりわかった上で、しかしそこに困難なものがあれば、これを倒していくというのも一つ方法です。しかしそのことによるリスク。それよりも、行くべき方向はこっちなんだけれども、これを迂回して迂遠な方向に行っているようだけれども、その隙をついてまた向こうにいくということも現実の選択としてあるわけですね。」
西田昌司は、安倍総理は本心では新自由主義とは逆の方向を目指しながら障害があるために迂回した結果、新自由主義に向かっているように見えているだけだというのですが、これは本当でしょうか。安倍晋三本人は下のように述べています。
「ではいかにして、成長を図るのか。国を開くこと、日本の市場を、オープンにすることです。これは、政治家となって以来、私の中に流れる一貫した哲学でした。」
「そして選挙が終わったらどうするか。私はこれからの3年を、集中的な改革の期間と位置付け、持てる政治力を、投入します。固い、岩盤のような日本の規制を、私自身をドリルの刃(やいば)として、突き破ろうと思っています。」
(出典: 平成25年6月19日: 安倍晋三によるロンドンでの講演)
安倍晋三本人は、西田昌司の言葉と真逆に、「国を開くこと」すなわち新自由主義とグローバリズムが、政治家になって以来彼が目指してきた方向であり、障害がある場合には迂回するどころか、自分自身がドリルの刃となって突き破ってでも、まっすぐに構造改革を断行するのだと語っています。
グローバリズムや新自由主義に反対してきた「ハズ」の西田昌司が、「安倍さんは本心では新自由主義とは逆の方向をめざしている」と安倍本人の言葉と正反対の偽りを述べて、いまだに安倍支持を呼びかけているのはどういうことなのでしょうか。
ここで、二つの解釈が成り立ちます。
解釈A. 「西田昌司のグローバリズム批判はみせかけであり、彼が清和会に属していることから明らかなように、グローバリズムを批判するフリをしながら、グローバリストに支持を煽る役割を担った煽動家の一人である。」
解釈B.「西田昌司は本心からグローバリズムを批判しており、彼がいまだに安倍支持を呼びかけているのは、彼が全力で安倍を回心させようと努めているからである。西田昌司は『安倍さんは新自由主義者であるはずがない』とあまりに強く願った結果、自分の願望が真実であるかのように思い込んでしまったのだろう。」
上の二つの解釈の、どちらが正しいのでしょうか。
仮に、西田昌司の真意を好意的に解釈して「解釈B」が正しいと仮定しましょう。しかし、そう仮定したとしても、西田昌司の言論が世の中の人々に対して
"「構造改革」に忌避感情を抱く国民を囲い込み、なおかつ、安倍政権のような「構造改革実行政権」が、あたかも「構造改革」とは真逆の方向を目指す政権であるかのように偽りのイメージを刷り込んで、支持するように誘導する"
効果を発揮してしまうことは避けられません。
ならば、西田昌司の本当の意図がどうであれ、「西田昌司のグローバリズム批判はみせかけであり、彼が清和会に属していることから明らかなように、グローバリズムを批判するフリをしながら、グローバリストに支持を煽る役割を担った煽動家の一人である。」と言われても仕方のない結果となってしまうのです。
さて、「安倍さんは本心では新自由主義とは真逆の方向を目指して進んでいるが、障害があって思うようにすすめずにいる」という西田昌司と全く同一のレトリックで安倍支持を呼びかけていた人物がいます。
泥の沼をかき分けている最中は、自分が進んでいるのか止まっているのか、あるいは後退しているのかさっぱり分かりません。進んでいるかどうかは、あくまで後で振り返ってみて、はじめて理解できるのです。
泥の沼をかき分けるのが面倒になった人たちは、例えば安倍政権の経済政策に構造改革的、新自由主義的な政策の匂いを感じた途端に、「安倍は売国奴だ!もう日本はダメだ!」と、全てを投げ出します。あるいは、「安倍ではダメだ! 日本を抜本的に改革するためには独裁者が必要だ!」などと、分けの分からないことを言い出すわけです。
(出典: 三橋貴明ブログ「泥の沼をかき分けて進め(前編)」2013年6月9日)
いつも疑問に思う事なのですが、安倍支持を煽ってきた複数の言論人や政治家たちが、しばしば、同一のレトリックを使って安倍を擁護したり、支持を煽ったりしてきたのはどういう理由によるのでしょうか。各自が自分の個人的な信念に基づいて発言していれば、主張の内容も、レトリックももっと多様に分岐するはずなのですが。
解釈A. 背後に大衆心理操作の共通の立案者がいる。
解釈B. 偶然の一致である。
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