「非政治」に「政治」を圧倒せしめよ

「非政治」のみが「政治」を根治しうる。
「政治」が「政治」を糾し得る時代は過ぎ去りました。

一つの「政治」が、他の「政治」に置き換わる、「政権交代」と呼ばれる小手先の療法によっては、現代の日本の政治の病根は根治できません。

「あれがだめだからこれ、これがだめだからあれ」という既成のカタログからの取捨選択によっては、もはや日本はどうにも救われません。

必要なのは、どの陣営であれ「政治」そのものが、「非政治」の広さと深みと「根底」から、圧倒的な力で、批判され、否定され、粛正され、解体され、新しく塗り替えられていくことです。

そのために求められるのは、「非政治」のエネルギーの結集です。

ここで「非政治」とは、時には無邪気に遊ぶ子どもの笑顔であり、時には魂の内奥からわきあがる感情のざわめきであり、時には大地に這いつくばって暮らしを営む人々の怒りであり、時には国家の安寧と五穀豊穣を願ってやまない天皇陛下の祈りであり、時には安倍晋三の体内に潜むがん細胞であり、時には事実をあるがままに語る人々の群れであり、時には火山からの水蒸気の噴出であり、時には大地にふりそそぐ雨であり、時には太古から語り継がれる神話であり、時には連綿と受け継がれる伝統であり、時には人々の心を打つ音楽であったりします。

つまり、「非政治」とは、「自然」からわき起こり立ち上がるすべてのものの総称ですが、そうしたものの連携と結集が、今や「政治」を圧倒し、浄化しなくてはならない。

この、日本を浄化しうる「非政治」の広さと深みと「根底」を、私は「多元性」と呼びます。

此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す速開都比賣と言ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根底國に気吹き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比賣と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す

このように宣読するならば、天上の神々は住まっておられる天の岩屋の戸を押し開いて、空に幾重にもたなびく雲を神々しい威力で掻き別け掻き別けして、お聞きになるであろう。又地上の神々は、高い山の頂や低い山の頂にお登りになって、高い山の上のいゑり(語義未詳。ただし、仮屋、雲霧といった説がある。)や低い山のいゑりを掻き別けて、お聞きになるであろう。このように神々が確かにお聞きになったならば、罪という罪は一切なくなってしまうであろう。その罪がなくなってしまう様子は、ちょうど風の吹き起こる大もとの戸口から吹いてくる風が、空に幾重にもたなびく雲を吹き放ってしまうことのように、又朝方立つ霧・夕方に立つ霧を朝風・夕風が吹き払ってしまうことのように、又大きい港のほとりに停泊している大きい船を船首の縄を解き放ち船尾の縄を解き放って、大海原に向かって押し放つことのように、又遠い向こうの方の繁茂した木の根もとを、よく焼き入れをした鋭利な鎌でもってばっさばっさと切り払うことのように、あらゆる罪は消え去って、後に残る罪は全くなくなってしまうであろう。このようにすべての罪をなくしてしまおうとして、祓い清めて下さる罪を、高い山や低い山の頂から勢いよく落下してさか巻き流れる速い川の瀬においでになる瀬織津比咩という神様が、川から大海原へ持ち出してしまうであろう。このように持ち出して行ってしまえば、激しい潮流の沢山の水路が一所に集合して渦をなしているところにおいでになる速開津比咩という神様が、それをかっかっと音を立てて呑み込んでしまうであろう。このようにかっかっと呑み込んでしまえば、息を吹きだす戸口の所においでになる気吹戸主という神様が、それを地底の闇黒の世界(根の国・底の国)へ息で吹いて放ちやってしまうであろう。このように息で吹いて放ちやってしまえば、地底の闇黒の世界においでになる速佐須良比咩という神様が、それを持ってどこともしれずうろつき廻って、ついにすっかりなくしてしまうであろう。このようにうろつき廻って罪をなくしてしまえば、罪という罪は一切なくなってしまうであろうというわけで、罪を払い給い、清め給うことを、天上の神々、地上の神々、八百万の神々ともども、お聞き届けくださるよう謹んで申し上げる。

(「大祓詞」、現代語訳は「國學院大學伝統文化リサーチセンター資料館」を参考にしました。)

上に引用したのは、神職の方たちが毎日神前で唱える「大祓詞」の後半部分です。八百万の神々という「多元性」に支えられる「自然」の有機的なつながりや、ダイナミックな連携作用が、人間の罪を浄化する様が記されています。

キリスト教が「神のひとり子」の刑死によって人間の罪を贖おうとしたのと対照的に、日本の伝統思想においては、「自然」そのものが、人間の罪を清める無辺際の浄化装置として捉えられています。

「大祓詞」の言葉のごとく、多元的な「自然」の上に成り立つ「非政治」のダイナミックな連携が、醜く汚れたこの国を根本から浄化し、リフォーム(再形成)しなくてはなりません。

「政治」や「イデオロギー」や「特定政党」や「立場」ではなく、「自然」が「事実」が「多元性」が「非政治」が、国を糾し、浄め、救い、守る。

これが、私が「多元的保守」という言葉で言い表そうとしていることの意味です。
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