「事実」からの逃走

人間は嘘を好む。
「自然」や「事実」は、人間の恣意や願望や嗜好が立ち現れる以前の場所に、あるがままの姿で、横たわっています。

人間の恣意や願望や嗜好を離れているからこそ、「自然」や「事実」は、けがれなきものとして、それ自身の輝きを放っています。

「自然」や「事実」が、人間の恣意や願望や嗜好から離れた場所に存在するのは、人間の恣意や願望や嗜好の手に触れた時、「自然」は既に「自然」ではなくなり、「事実」は既に「事実」ではなくなってしまうためです。

「自然」や「事実」は、それが「自然」であり「事実」であるという、それだけの理由のために、尊ばれなくてはなりません。

本来、人間の社会や国家は、「自然」や「事実」という堅牢な土台の上に建てられなくてはならないのですが、人間が、あるがままの「自然」や「事実」に向き合うことは、決してたやすいことではありません。

「自然」や「事実」の放つ輝きは、太陽のように、人間の目を焦がすものだからです。

そのため、人間は、「自然」や「事実」と、自分自身の間に、フィルターを設けて、「自然」や「事実」の直視を避けようとします。

人間の文化的な営みの意味は、まさに、「自然」や「事実」の放つ光と、人間との間に、フィルターを設けることにあります。

人間の文化の営みは、大気が、太陽光線から、ガンマ線や、X線や、紫外線などの有害な光線を取り除いて、地表にいる人間のもとに届けるのと同じ、フィルターの役割を果たしています。

人間が設けるフィルターは、「自然」や「事実」が放つ輝きを和らげてくれる一方で、時には、汚れたり、暗く濁って、光を完全に遮ってしまうこともあります。

また、人間が設けるフィルターは、人間の恣意や願望や嗜好によって加工されているため、「自然」や「事実」が放つ光そのものよりも、麻薬のような中毒性をもって、人の心を強く惹き付けることもあります。

そのため、時には、フィルターの汚れや濁りを取り除いて、透明度を回復する必要が生じます。

しかし、特定のフィルターに対する依存症が進んだ人々が、透明度の回復したフィルターを通して、「自然」や「事実」が放つ光の、より多くの照射を受けるとどうなるか。

彼らは、取り乱したように、怒り出します。
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