「自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付ける」
KUZUYAの変節と、問題のすり替え。
カツトシ君との議論の中で、KUZUYA氏という、かつてWJFプロジェクトのブログにもときどきコメントをされていた方から、下のような手厳しい批判をいただきました。彼の批判には、「まったくそうだ」と同意せざるをえない部分と同時に、問題のすり替えとしか言いようのない部分を含んでいますので、その点を切り分けて、指摘しておきたいと思います。
KUZUYA氏の批判の中で、私が同意せざるをえない部分は「WJFは無力である」という指摘です。
WJF一人が、安倍政権を打倒し、新自由主義推進勢力を駆逐し、日本を救うまともな政権を樹立することができるかといえば、そのようなことを私一人ができるなどと、はじめから考えたことはありません。
しかし、同時に、「WJFプロジェクトは今を放棄しているか」や「『正直な子供』の政治性」という記事の中で述べたことですが、私は、小さな存在にすぎない私たち国民の一人一人が「事実」を語り続けることは、無意味なことであるとは思っていません。立場に関係なく、世界や社会の中で「事実」を語ることは意味のあることだと信じるからこそ、自分ができる範囲のことを積み重ねて、「事実」を語ろうと努めてきたつもりです。
「左翼は悪だから、右翼は正しいのだ」
「民主党は悪だから、自民党は正しいのだ」
「特定アジアは悪だから、アメリカに傾斜すればよいのだ」
このような、善悪二元論を執拗に刷り込まれた結果、人々が安倍政権に盲目的に傾斜するようになってしまった現状を前にして、「冷戦脳からの脱却」という意識変革の問題を、様々な場所で、国民の一人一人が自覚的に自分の言葉に表し、互いに呼びかけ合うことが、どうして「今を放棄」したり、「自らが泥を被ることない清潔な密室に逃れ、未来に自分の自慰的な願望が達成されることを切望」することにしかならないというのでしょうか。
大衆が安倍政権を支持するように誘導された流れの中で起きた事を、十分に分析し反省することなしに、表面的に安倍政権の構造改革を批判し、仮に政権打倒に成功したところで、再びグローバリストたちによる巧みな煽動に乗せられて、いつまでも、いつまでも、私たちは同じ過ちを繰り返しつづけることでしょう。なにしろ、安倍政権という「構造改革・実行政権」を盲目的に支持するように大衆が煽動されたのは、小泉政権に続いて二回目であり、まったく同一のプロパガンダ手法が用いられていたことを忘れてはなりません。
KUZUYA氏が、問題をすり替えていると言わざるをえないのは、WJFが「自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付け」た結果、水島総や三橋貴明が「無能」だから、その「無能」さをなじって、彼らを批判してきたかのように述べている部分です。
私が、水島や三橋に「腹を切れ」「地獄に堕ちろ」と批判してきたのは、彼らが「無能」だからではなく、
「安倍さんは新自由主義者ではない」
「安倍さんは構造改革チックなことは語っていない」
「自民党はTPPをやらない」
「自民党は消費税増税をやらない」
「TPPや消費税増税に関する報道はマスコミのミスリード」
「安倍さんに新自由主義者のレッテルをはるのは反日左翼だ」
「安倍政権が新自由主義政策を推進しているように見えても、泥の中をかき分けるように安倍政権を支持し続けよ」
「安倍さんは、参院選後に突然変わった」
このような、事実とは真逆の人々を欺くような言論を、彼らが長期間にわたって展開し、「参院選が終わったらドリルのように構造改革を実行すると」宣言していた安倍政権への支持を煽ってきたからです。
私は彼らが「無能」だから批判しているのではなく、「無能」であるどころか、「インチキな仕立て屋」として、あまりにも「有能」に人々を洗脳かつ煽動し、好ましからざる影響力を行使してきたからこそ、口を酸っぱくして、彼らの危険性を警告しているのです。
KUZUYA氏が奇妙なのは、彼自身、WJFプロジェクトの三橋に対する批判の趣旨を熟知し、かつては、それに同調して、三橋信者たちを批判していたことです。
KUZUYA氏の態度が変わり始めたのは、彼が、WJFの「無能さ」をなじり始めた時からです。
KUZUYA氏は、「事実を語ったところで誰が支持するのだ」といって、WJFを「離れ」、カツトシに「付く」と同時に、かつては彼自身が「インチキな仕立て屋」や「クズ」と呼んでいた三橋貴明に関する理解も180度改め、現在は、カツトシに同調して、三橋を、「安倍がグローバリストである程度のことは分かった上で、自分が最も守りたい物を死守しようと、駆け引きの中、相手の提案も飲みながら、現実政治の中で戦ってきた」英雄であるかのように語っています。
彼がどんなに「事実」を語ることを「無力」だと考え、「事実」を語る人間を「無能」だとなじるとしても、「事実」をねじまげる権利はないはずですが、彼は、偽りを語ることにためらいも恥じらいも感じません。事実をゆがめ、「付く」相手によって主張を器用にコロコロ変えること。それこそが「人に付く」人間の最大の問題点です。
「事実を語ったところで『自らが泥を被ることない清潔な密室に逃れ、未来に自分の自慰的な願望が達成されることを切望』するにすぎない」と言い切り、「WJFは無能だ」となじりながら、彼が現在行っていることは、自宅の壁が薄いために、鈴虫の鳴く人気のない夜の公園のベンチからスカイプをして、カツトシのニコニコ生放送に出演し、カツトシが小汚い部屋で展開する、猥談や、筋トレ話や、人のうわさ話や、悪口や、デマの流布等に、同調することです。
結局、「自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付け」て、人の無能さをなじっていたのは、KUZUYAよ、あなた自身なのではありませんか。
そうであるならば、KUZUYAよ、お前はKUZUYA。
上記の内容から分かることは、WJFは「今を放棄している」ということです。政治という各人の利害が交錯する場に於いて、自らが泥を被ることない清潔な密室に逃れ、未来に自分の自慰的な願望が達成されることを切望している。
そもそも、政治言論は各々の利害が交錯する多元性をはらんでいること、大衆が安易な二元論に流れること、安倍がグローバリストであること等は多少頭が働く人間であれば理解・予期できることです。三橋氏、藤井氏、中野氏等はWJFが誰も理解していないと威丈高に語る内容なぞとっくに理解しているでしょう。
現実に政治に働きかけようとする人間は、そのことを理解した上で、あえて渦中に飛び込み、駆け引きの中、相手の提案も飲みながら、自分が最も守りたいものを死守するものです。
では、WJFは安倍問題に対して何をしていたのでしょうか。
(1)ブログで安倍批判を行う
(2)Twitterで安倍信者としょうもない罵り合いを行う
(3)よしふるの協力の元、動画をサイトに拡散する
よほど馬鹿か間抜けでなければ自分がこの程度しか出来ないという無力感をWJF本人自身が一番感じているはずです。いや、理解していないからこそ「○○は腹を切れ」などと外野から言えるのでしょう。
彼(等)の最大の欠点は、自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付けることです。WJFの提言する先駆者的理論(笑)を馬鹿な日本人が理解しない以上、今の日本は変わらない。この考え方の中には現状を変える力は微塵も存在しません。
現状を変える人間とは、WJFが提言する先駆者的理論( )と現実との乖離なぞとうの昔に理解した上で、それと反する現実の中で戦う人のことを指します。
Posted by WJFもBAKAZUYAもKUZUYA at 2014年09月19日 07:13
(出典: カツトシブログ 超個人的美学「WJFに対する再反論」(2014年9月18日)
KUZUYA氏の批判の中で、私が同意せざるをえない部分は「WJFは無力である」という指摘です。
WJF一人が、安倍政権を打倒し、新自由主義推進勢力を駆逐し、日本を救うまともな政権を樹立することができるかといえば、そのようなことを私一人ができるなどと、はじめから考えたことはありません。
しかし、同時に、「WJFプロジェクトは今を放棄しているか」や「『正直な子供』の政治性」という記事の中で述べたことですが、私は、小さな存在にすぎない私たち国民の一人一人が「事実」を語り続けることは、無意味なことであるとは思っていません。立場に関係なく、世界や社会の中で「事実」を語ることは意味のあることだと信じるからこそ、自分ができる範囲のことを積み重ねて、「事実」を語ろうと努めてきたつもりです。
彼と同じ勇気を日本の小さな構成要素である私たち一人一人がそれぞれの場所で奮い、正直な言葉を語って行くなら日本には大きな変化がきっと訪れると思いました。
正直はやはり最良の策です。
正直者がバカを見るのはあくまで一時的なことであり、
最終的に朽ち滅んでいくのは、常に嘘をつく側の人々です。
(出典:「WJFプロジェクトは今を放棄しているか」2014年09月21日、初出: WJFプロジェクト旧ブログ「クレオパトラの鼻」2011年8月2日)
「左翼は悪だから、右翼は正しいのだ」
「民主党は悪だから、自民党は正しいのだ」
「特定アジアは悪だから、アメリカに傾斜すればよいのだ」
このような、善悪二元論を執拗に刷り込まれた結果、人々が安倍政権に盲目的に傾斜するようになってしまった現状を前にして、「冷戦脳からの脱却」という意識変革の問題を、様々な場所で、国民の一人一人が自覚的に自分の言葉に表し、互いに呼びかけ合うことが、どうして「今を放棄」したり、「自らが泥を被ることない清潔な密室に逃れ、未来に自分の自慰的な願望が達成されることを切望」することにしかならないというのでしょうか。
大衆が安倍政権を支持するように誘導された流れの中で起きた事を、十分に分析し反省することなしに、表面的に安倍政権の構造改革を批判し、仮に政権打倒に成功したところで、再びグローバリストたちによる巧みな煽動に乗せられて、いつまでも、いつまでも、私たちは同じ過ちを繰り返しつづけることでしょう。なにしろ、安倍政権という「構造改革・実行政権」を盲目的に支持するように大衆が煽動されたのは、小泉政権に続いて二回目であり、まったく同一のプロパガンダ手法が用いられていたことを忘れてはなりません。
KUZUYA氏が、問題をすり替えていると言わざるをえないのは、WJFが「自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付け」た結果、水島総や三橋貴明が「無能」だから、その「無能」さをなじって、彼らを批判してきたかのように述べている部分です。
よほど馬鹿か間抜けでなければ自分がこの程度しか出来ないという無力感をWJF本人自身が一番感じているはずです。いや、理解していないからこそ「○○は腹を切れ」などと外野から言えるのでしょう。彼(等)の最大の欠点は、自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付けることです。
私が、水島や三橋に「腹を切れ」「地獄に堕ちろ」と批判してきたのは、彼らが「無能」だからではなく、
「安倍さんは新自由主義者ではない」
「安倍さんは構造改革チックなことは語っていない」
「自民党はTPPをやらない」
「自民党は消費税増税をやらない」
「TPPや消費税増税に関する報道はマスコミのミスリード」
「安倍さんに新自由主義者のレッテルをはるのは反日左翼だ」
「安倍政権が新自由主義政策を推進しているように見えても、泥の中をかき分けるように安倍政権を支持し続けよ」
「安倍さんは、参院選後に突然変わった」
このような、事実とは真逆の人々を欺くような言論を、彼らが長期間にわたって展開し、「参院選が終わったらドリルのように構造改革を実行すると」宣言していた安倍政権への支持を煽ってきたからです。
私は彼らが「無能」だから批判しているのではなく、「無能」であるどころか、「インチキな仕立て屋」として、あまりにも「有能」に人々を洗脳かつ煽動し、好ましからざる影響力を行使してきたからこそ、口を酸っぱくして、彼らの危険性を警告しているのです。
KUZUYA氏が奇妙なのは、彼自身、WJFプロジェクトの三橋に対する批判の趣旨を熟知し、かつては、それに同調して、三橋信者たちを批判していたことです。
騙され続ける中間オピニオンリーダーたち
マスメディアの言説を掻い摘んでフォロワーに拡散するブロガーやネット放送配信者、動画作成者などの中間オピニオンリーダーは、 安倍首相や赤池議員や倉山上念などの詐欺は痛烈に批判しつつも、三橋貴明のダブルバインド手法には何故か騙され続けている人が多いように感じます。
これは彼らの意識の根底に、
自分も騙されたが三橋も騙されていたのだ。
安倍支持で共闘し、安倍に共に騙された。
という嘘の共通体験からくるシンパシーがあるのではと思います。
彼ら中間オピニオンリーダーが三橋のダブルバインド手法から解放されるには、 時系列を辿り、三橋はどの段階から安倍の欺瞞を察知していたのかを纏める必要があるとは思っていましたが、 今回のブログ記事は簡潔で分かりやすいまとめなように感じます。
このブログの内容を三橋に公開質問としてぶつけても、どうせ件の如く無視でしょうし、 粛々と拡散するのが一番だなと感じました。
2014年06月18日 (15時05分) : 三橋貴明もKUZUYA
(出典: WJFプロジェクト「三橋貴明はなぜ歓喜の涙を流したのか」2014年6月16日 コメント欄)
チャンネル桜の再生数は日に日に落ちていますし、動画に書かれているコメントも大概が水嶋批判です。
チャンネル桜はもはや死に体で、むしろいま危惧すべきは桜コメンテータあがりの保守芸人の影響力でしょう。
2014年07月16日 (14時53分) : KUZUYA
(出典: WJFプロジェクト「尖閣動画英語版のコメント数が7000を超える」2014年7月13日コメント欄)
三橋劇場の終焉
日曜討論で三橋が提言した、
「安倍政権のレームダック化」
について、水嶋がまた欠席裁判を行った。
www.youtube.com/watch?v=rT2v2vPCuY4
水嶋はこの中で、
「三橋の経済政策は99%信用しているが、結論としてレームダックを出すことに反対である」
と述べている。
チャンネル桜の視聴率は低迷しているが、CGS、チャンネルアジャ、倉山の私的放送など、いわゆる「保守」映像ビジネスは桜以外失敗しているのも事実である。
この中で三橋は独自の映像媒体を立ち上げるのか、チャンネル桜内でプロレスを演じ続けるのか… 安倍批判とともにインチキな仕立て屋への批判も高まる中で、彼らの今後の動向は監視し続けなければならない。
2014年07月19日 (16時20分) : KUZUYA
(出典: WJFプロジェクト「国民の前におかれた一つの陥穽」2014年7月18日)
KUZUYA氏の態度が変わり始めたのは、彼が、WJFの「無能さ」をなじり始めた時からです。
敵はマジョリティ?
結局、WJFブログの主張を支持する人間ってどれくらいいるのでしょうか。
慰安婦問題の動画については何千もの肯定的なコメントが集まっているのは分かりますが、こと三橋批判に及んでは実態がよく分かりません。
私は基本的にWJFブログ上で行われている三橋批判は支持しますが、 先の在日認定の話同様、三橋徹底批判という手法がどの程度の支持を得られるのかについては技術的な意味で懐疑的です。
「安倍内閣発足前からWJFの予言はことごとく的中してきた」 といった好意的な意見も多々あるのは事実ですが、 私達のすべきことは悲観的な未来予測を的中させることではなく、そうならないようにどうすべきかだとは思います。
三橋本人に「言論を辞めろ」だとか「腹を切れ」と言ったところで、持ち前の厚顔で突っぱねられることは分かり切った話で、 結局は何が一番政治に関心がある層に響くのかを考えるのが一番の課題だと思います。
慰安婦動画第二部のテーマである「脱神話化」は、韓国や半日思想家たちの主張や、既存の「保守」言論とは全く違った切り口からの鋭い批判と、真っ当な人間の支持を得やすい素晴らしい動画だったと思います。
歴史的問題ではなく、現在進行形で工作しているインチキな仕立て屋が相手なだけに怒りがこみ上げるのは分かりますが、 慰安婦問題の脱神話化同様、どうすれば多くの人間が三橋たちの手法に気付くのかについて着目しなければ次の選挙も同じ結果に終わる気はします。
よしふるさん辺りがブログ内で指摘されている三橋の発言を時系列に繋いだ動画を作ってくれれば分かりやすい気もしますが、チャンネル桜の切り抜き動画が著作権BANの対象になるならそれもできませんし、ともあれ、安倍、上念、倉山、水嶋などを批判する層さえも三橋となると支持をはじめるという厄介な現象は、猪突猛進的な正面からの批判だけで切り崩すには技術的限界があるように感じます。
2014年07月20日 (04時46分) : KUZUYA
(出典: WJFプロジェクト「国民の前におかれた一つの陥穽」2014年7月18日)
短期的に変わるもの
私には単にWJFプロジェクトブログでの「やり方」がまずいとも、正しいとも断言できません。
ただ、安倍信者のような真性馬鹿に真正面から馬鹿だと言ってしまったからその馬鹿連中に恨みを買い、 今度は三橋避難所に逃げている連中にまで詐欺師にまた騙されている認定をダイレクトに伝えて恨みを買いにいっている。
はたから見ていると、言ってることやその目的は至極真当でも、一部の優等生にしか理解されない先生に姿が被ります。
私が見てきたそういったベテランの先生方は口を揃えて、
「いずれ社会に出れば苦労してあいつらも分かるだろう」
「言うべきことは全て伝えたつもりだ」
という諦めの言葉を述べていました。
WJFに対して私が過度に期待して他力本願になっている訳ではなく、活動自体がつまらなくなっているけど使命感から継続されている先生方に何となく被って見えたからかもしれません。
短期的に大きな政治的活動を起こすのは無理ですが、目線の高さ次第で印象はがらりと変わりますし、元安倍信者への影響も違っていたのではと思います。
以前、ここで紹介されていたカツトシ君は彼独自の情報配信媒体での支持層を着実に広めています。
彼の主張と自分の考えは食い違う面は多々ありますが、彼が人々の目にとまる理由はなんとなく分かる気はします。
2014年07月20日 (09時46分) : KUZUYA
(出典: WJFプロジェクト「国民の前におかれた一つの陥穽」2014年7月18日)
KUZUYA氏は、「事実を語ったところで誰が支持するのだ」といって、WJFを「離れ」、カツトシに「付く」と同時に、かつては彼自身が「インチキな仕立て屋」や「クズ」と呼んでいた三橋貴明に関する理解も180度改め、現在は、カツトシに同調して、三橋を、「安倍がグローバリストである程度のことは分かった上で、自分が最も守りたい物を死守しようと、駆け引きの中、相手の提案も飲みながら、現実政治の中で戦ってきた」英雄であるかのように語っています。
彼がどんなに「事実」を語ることを「無力」だと考え、「事実」を語る人間を「無能」だとなじるとしても、「事実」をねじまげる権利はないはずですが、彼は、偽りを語ることにためらいも恥じらいも感じません。事実をゆがめ、「付く」相手によって主張を器用にコロコロ変えること。それこそが「人に付く」人間の最大の問題点です。
そもそも、政治言論は各々の利害が交錯する多元性をはらんでいること、大衆が安易な二元論に流れること、安倍がグローバリストであること等は多少頭が働く人間であれば理解・予期できることです。三橋氏、藤井氏、中野氏等はWJFが誰も理解していないと威丈高に語る内容なぞとっくに理解しているでしょう。
現実に政治に働きかけようとする人間は、そのことを理解した上で、あえて渦中に飛び込み、駆け引きの中、相手の提案も飲みながら、自分が最も守りたいものを死守するものです。
「事実を語ったところで『自らが泥を被ることない清潔な密室に逃れ、未来に自分の自慰的な願望が達成されることを切望』するにすぎない」と言い切り、「WJFは無能だ」となじりながら、彼が現在行っていることは、自宅の壁が薄いために、鈴虫の鳴く人気のない夜の公園のベンチからスカイプをして、カツトシのニコニコ生放送に出演し、カツトシが小汚い部屋で展開する、猥談や、筋トレ話や、人のうわさ話や、悪口や、デマの流布等に、同調することです。
結局、「自分の無能の責任を自分以外の人間になすり付け」て、人の無能さをなじっていたのは、KUZUYAよ、あなた自身なのではありませんか。
そうであるならば、KUZUYAよ、お前はKUZUYA。
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