WJFプロジェクトは今を放棄しているか
WJFプロジェクトの変わらぬ信念。
下に引用するのは、WJFプロジェクトが立ち上がった2011年8月に記した、WJFプロジェクトの一番最初のブログ記事です。
2011年当時、私も、フジテレビデモに共感を抱いていた一介の「ネトウヨ」だったわけですが、上の記事に明確に記されているように、当時のWJFと、現在のWJFと、その本質部分は全く同一です。
このように信じているから、私は、世界の一部の権力者が世界を支配しているという陰謀論には組しません。
世界を動かしているのは、一部の人間の意志などではなく、「自然のささやかな偶然や世界を構成するごく微小な要素」であり、それを司るのは、八百万の神々、つまりは、「多元性」です。
だからこそ、私たちは、事実や自然に背いてはならない。
嘘をついてはならない。
WJFプロジェクトの信念は、当時から、1mmたりともぶれてはおりません。
それは、「世界や世の中に対して、私たち日本人は、常に自然や事実の側に立ち、正直な姿勢で清く正しく語り続けなければならない」という信念です。
これがWJFプロジェクトの変わらぬ信念です。
WJFプロジェクトはどんな状況にあろうと、この信念を貫いてきましたし、これからも貫いていきます。
しかし、WJFプロジェクトの一貫したこの姿勢に対して、「今を放棄している」と批判する人々がいます。
私に言わせれば、嘘をつくこと、嘘つきを支持すること、偽る人々の側につくことこそが、「今を放棄する」どころか、過去も、未来も、現在も、何もかももろともに放棄し、損なうことになります。
嘘というものは、国や、社会や、共同体や、家族を破壊する力をもっているからです。
「安倍さんは新自由主義者ではない」
「自民党は構造改革党ではない」
「ウソつかない。 TPP断固反対。 ブレない。 日本を耕す! !自民党」
「自民党は消費税増税をやらない」
「私がTPPに前向きという報道はミスリードです」
「安倍さんはアメリカに脅されてTPP交渉に参加したのだ」
「泥の中をかき分けるように安倍政権を支持し続けろ」
「安倍さんは参院選後に突然豹変した」
実際に、「彼ら」がばらまいた「嘘」が日本を壊しつつある。そのただ中に、まさに今、私たちは置かれているじゃないですか。
嘘付く人間を批判するな、嘘つく人間を支持しろ、嘘つく人間を免罪しろと言われても、そんな忠告に耳を貸すわけにはいきません。
逆に、アンデルセンの「裸の王様」の物語のように、始めはどんなに少数でも、「正しいこと」を語る人間が存在しつづける限り、世の中のデタラメは必ず糾されていきます。
なぜ、その程度のことがわからないのか。
世の中には、事実を語り、間違ったことに対して、間違っていると指摘する人間が必ず必要です。
この信念と義務を放棄したら、WJFプロジェクトの存在意義はその瞬間に消滅します。
では、WJFプロジェクトに対して「今を放棄している」と偉そうに批判する人々が何をやっているのか。
興味があって調べてみれば、
カツトシ君の生放送にべたべた群がって、鈴虫が鳴く夜中の公園からおっさんがスカイプをして、おばさんたちの井戸端会議よろしく誰かのうわさ話や悪口に終始し、ソースも確認せずにデマを垂れ流し、いまだに右翼がどーの左翼がどーの、時には風俗嬢に「凸」して、猥談にふけったりしている。
何をやっているんですか。
はあ。それが、今を放棄せずに、戦うことなんですか?
べたべた群れ合って、誰かの悪口言い合ったり、誰かを持ち上げたりしていれば、世の中変わるんですか?
ふーん。
笑わせるんじゃない。
ばかもん。
「クレオパトラの鼻がもう少し短かったら 世界の顔は変わったであろう」
パスカルは、死後に「パンセ」としてまとめられることになった思索の断片ノートにこう書き残していました。
歴史を動かしているのは、一部の権力者の意志ではなく、自然のささやかな偶然や世界を構成するごく微小な要素であると言い当てた言葉でしょうか。
クレオパトラの鼻どころか、現代は俳優の小さなつぶやきですら、日本の歴史をぬりかえてしまう時代です。
ひとつの小さな動画だって、長く見続けられることによって、きっと日本や世界を根底から作り替える力をもつ。
そんな意気込みと目論見で動画を作成しています。
高岡蒼甫さんについて。
正直な言葉、正直な人間のもつ力ってものすごいと思いました。
彼の言葉には、いまや評論家やテレビコメンテーターの言葉の何千倍もの力があります。
彼と同じ勇気を日本の小さな構成要素である私たち一人一人がそれぞれの場所で奮い、正直な言葉を語って行くなら日本には大きな変化がきっと訪れると思いました。
正直はやはり最良の策です。
正直者がバカを見るのはあくまで一時的なことであり、
最終的に朽ち滅んでいくのは、常に嘘をつく側の人々です。
クレオパトラの鼻であれ、俳優のつぶやきであれ、YouTubeの短い動画であれ、あるがままの事実とその表明は、一部の人々の恣意や権力意志に打ち克って、新しい歴史を作っていきます。
(出典: WJFプロジェクト旧ブログ「クレオパトラの鼻」2011年8月2日)
2011年当時、私も、フジテレビデモに共感を抱いていた一介の「ネトウヨ」だったわけですが、上の記事に明確に記されているように、当時のWJFと、現在のWJFと、その本質部分は全く同一です。
歴史を動かしているのは、一部の権力者の意志ではなく、自然のささやかな偶然や世界を構成するごく微小な要素であると言い当てた言葉でしょうか。
このように信じているから、私は、世界の一部の権力者が世界を支配しているという陰謀論には組しません。
世界を動かしているのは、一部の人間の意志などではなく、「自然のささやかな偶然や世界を構成するごく微小な要素」であり、それを司るのは、八百万の神々、つまりは、「多元性」です。
だからこそ、私たちは、事実や自然に背いてはならない。
嘘をついてはならない。
WJFプロジェクトの信念は、当時から、1mmたりともぶれてはおりません。
それは、「世界や世の中に対して、私たち日本人は、常に自然や事実の側に立ち、正直な姿勢で清く正しく語り続けなければならない」という信念です。
彼と同じ勇気を日本の小さな構成要素である私たち一人一人がそれぞれの場所で奮い、正直な言葉を語って行くなら日本には大きな変化がきっと訪れると思いました。
正直はやはり最良の策です。
正直者がバカを見るのはあくまで一時的なことであり、
最終的に朽ち滅んでいくのは、常に嘘をつく側の人々です。
クレオパトラの鼻であれ、俳優のつぶやきであれ、YouTubeの短い動画であれ、あるがままの事実とその表明は、一部の人々の恣意や権力意志に打ち克って、新しい歴史を作っていきます。
これがWJFプロジェクトの変わらぬ信念です。
WJFプロジェクトはどんな状況にあろうと、この信念を貫いてきましたし、これからも貫いていきます。
しかし、WJFプロジェクトの一貫したこの姿勢に対して、「今を放棄している」と批判する人々がいます。
私に言わせれば、嘘をつくこと、嘘つきを支持すること、偽る人々の側につくことこそが、「今を放棄する」どころか、過去も、未来も、現在も、何もかももろともに放棄し、損なうことになります。
嘘というものは、国や、社会や、共同体や、家族を破壊する力をもっているからです。
「安倍さんは新自由主義者ではない」
「自民党は構造改革党ではない」
「ウソつかない。 TPP断固反対。 ブレない。 日本を耕す! !自民党」
「自民党は消費税増税をやらない」
「私がTPPに前向きという報道はミスリードです」
「安倍さんはアメリカに脅されてTPP交渉に参加したのだ」
「泥の中をかき分けるように安倍政権を支持し続けろ」
「安倍さんは参院選後に突然豹変した」
実際に、「彼ら」がばらまいた「嘘」が日本を壊しつつある。そのただ中に、まさに今、私たちは置かれているじゃないですか。
嘘付く人間を批判するな、嘘つく人間を支持しろ、嘘つく人間を免罪しろと言われても、そんな忠告に耳を貸すわけにはいきません。
逆に、アンデルセンの「裸の王様」の物語のように、始めはどんなに少数でも、「正しいこと」を語る人間が存在しつづける限り、世の中のデタラメは必ず糾されていきます。
なぜ、その程度のことがわからないのか。
世の中には、事実を語り、間違ったことに対して、間違っていると指摘する人間が必ず必要です。
この信念と義務を放棄したら、WJFプロジェクトの存在意義はその瞬間に消滅します。
では、WJFプロジェクトに対して「今を放棄している」と偉そうに批判する人々が何をやっているのか。
興味があって調べてみれば、
カツトシ君の生放送にべたべた群がって、鈴虫が鳴く夜中の公園からおっさんがスカイプをして、おばさんたちの井戸端会議よろしく誰かのうわさ話や悪口に終始し、ソースも確認せずにデマを垂れ流し、いまだに右翼がどーの左翼がどーの、時には風俗嬢に「凸」して、猥談にふけったりしている。
何をやっているんですか。
はあ。それが、今を放棄せずに、戦うことなんですか?
べたべた群れ合って、誰かの悪口言い合ったり、誰かを持ち上げたりしていれば、世の中変わるんですか?
ふーん。
笑わせるんじゃない。
ばかもん。
« Quand tout se remue également, rien ne se remue en apparence, comme en un vaisseau. Quand tous vont vers le débordement, nul n’y semble aller : celui qui s’arrête fait remarquer l’emportement des autres, comme un point fixe. »
「すべてのものが一様に揺れ動くなら、ちょうど船中にいるようなもので外見上は何一つ動かない。すべての人が放埒に向かってゆくならば誰もそこへ向かってゆくようには見えない。足を止めている人は、ちょうど一定点のようにして、他の人々の激動を示してくれる。」
(パスカル『パンセ』プロンシュヴィック版断章382、津田穣訳)
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