二元性の問題に関して

世界が二つに分かれる「前」と「後」。
WJFの「二元論」に関する意見を、カツトシ君が、その趣旨をまったく取り違えた上で、例の口調で嘲笑しています。



当ブログのコメント欄でも、ときどき、「二元論」の問題についてご意見をいただくので、私の考えをまとめておくことにしました。

二元性は、言葉を操る生き物である人間がすべからく抱える宿命です。

物に名前を与えて世界を分節化しはじめたとたんに、人間は二元性を抱え込む事になります。

日本人も、人間である以上、「二元性」から離れることはできません。

「二元性」は、人間に様々な便宜をもたらすのと同時に、様々な災禍や悲しみももたらします。

そのため、西洋と東洋を問わず、人間は「二元性」の問題をいかに克服するのかという努力と工夫を重ねてきました。

特に、「二元性」の問題と徹底的に対峙したのは、東洋人です。東洋人は、「二元性」を克服する工夫を重ね、その体系を発展させてきました。代表的なのは、インド哲学や、仏教、老荘思想などです。

また、二元的な特徴が強いと言われる西洋思想の伝統の中でも、二元性を克服しようとする努力はなされてきました。

キリスト教は二元的な宗教だと言われがちですが、その教義の中心を占める「三位一体」や「二性一人格」といった考え方は、単純に「二元的」と割り切れない考え方を示しています。楽園から追放された神と人間の切断と分離を、ふたたびどうつなぐのかというのがキリスト教のテーマであり、長い神秘思想の伝統を持っています。

ヨーロッパの中世は「総合」への試みの時代でしたし、ヘーゲルはカントの二元論を克服しようとし、20世紀に盛んになったポスト・モダンと呼ばれる思想の潮流も近代的二元論をどう克服するのかという問題意識に貫かれていました。

ひるがえって日本人はどうかと言えば、東洋の思惟、特に仏教の影響を、生活のさまざまな領域において、深く受けてきたという面があります。

しかし、仏教が二元性の問題を扱うとき、あくまでも、「二」に分かれた「後」の世界や人間を問題とし、それをどう超越し、克服するのかという問題を扱うのに対して、日本人は、それとは異なる精神の基層を抱えていました。

それは、古来から日本人が受け継いできた神祇信仰(神道の信仰)です。仏教が「二」に分かれた「後」の世界を問題とし、それをいかに克服するのかという問題を論じるのに対して、神道、特に古い神道は、世界が「二」に分かれる「前」の世界に遊びます。

そのため、二元性を克服しようとする仏教やキリスト教が、ひたすら教典や教学や神学を発展させたのと対照的に、日本人はひたすら「詩」(和歌)を紡ぎました。

日本人も、人間ですから、「二元性」と無縁なわけではないのですが、二元性の「前」の世界に遊ぶ古い神道の信仰と、二元性の「後」の世界に悟りを開こうとする仏教の信仰の影響により、「二元性」の問題に関しては、やはり、世界の他の人々とは、ひと味違った向き合い方をする国民であると私は考えています。

当ブログで、時々「日本の根っこ」というとき、二元性に分かれる「前」の、縄文の森に戯れた日本人のスピリットを指しています。そのスピリットは、地下水が上層の地層に少しずつ浸透して、やがて地表から湧き出すように、その後の歴史を通じて日本人の上に積み重なった新しい文化の中に浸透し、新しい外来の文化を、最後は日本らしいものに変質させていきました。
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2元性について

>日本人も、人間である以上、「二元性」から離れることはできません。
その理由は、人間は心と体の統一体であるからです。即ち心の欲望(価値追求欲望)と、体の欲望(生存のための基本欲望)、が一つにならないと幸せな私、家庭、社会ができないにも関わらず、それが出来なくて、世の中は苦しんでいます。幸せな社会を作るためには、この問題を統一的に解決することが今の文明の興亡の岐路です。

>「二元性」の問題と徹底的に対峙したのは、東洋人です。インド哲学や、仏教、老荘思想などです
東洋思想は2元を一元に吸収する道を探ってきましたが、最後の段階で大きな壁が超えられません。それは、東洋思想は。西洋思想のカウンタープロポーザル的な域から、その域を超えられ無いからす。即ち西洋思想を消化吸収しきれないのです。それはキ教のいう、唯一神=一元的存在が、何故、其の被造結果世界を2元性のにしたのかという現象が、論理的に説明できないからです。簡単にいえば、何故物質が、精神存在神から出現できたかということが説明できないのです。

>楽園から追放された神と人間の切断と分離を、ふたたびどうつなぐのかというのがキリスト教のテーマ。
そうです、神と人の分離を修復できない、これが西洋文明が混沌停滞している元凶です。神に対する何故が、解けないのです。だから解けるように力ずくでも見せるために出て来たのか、共産主義であり(所有をなくせば平等社会になる)、又力ずくの解決を目指す、キリスト教原理主義、イスラム原理主義、です。極端な神秘主義などもそうです。
西洋だけでなく、日本の古事記もそうです。男神(イザナギ)と女神
の子供は、奇形の子女であったので、それを宇宙神によって間違いを修正してもらい、いい子が生まれ日本ができた。これは2元性から来る不幸は、宇宙の主神に解決があるという掲示です。キ教はこれをイエス・キリストに求めます。しかし答えばいまだ定まらないところに、人間の理解したキリスト教の限界と未熟さがあります。これは4世紀からのキリスト教≠イエス・キリストを意味します。

後半11行

  いいですね 

突出した右と突出した左の間にいる人が殆んどですよ
専門家であれ素人であれ同じだと思います  
後半の11行に得心しました

背景の風神雷神図は最高です


縄文哲学

記紀の原書である「ヲシテ文献」による「ヲシテ国学」の樹立が、日本を守るミチとして人々に認識される日がくることを願います。
縄文時代のアマカミの哲学の素晴らしさを、たくさんの方々に知ってもらいたいと思います。
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