「多元的保守」とは何か(5)
「右翼」と「左翼」の間の振り子運動が、日本を破壊するカラクリ。
第二次世界大戦の戦勝国同士が、二手に分かれて争った冷戦時代。
世界における「資本主義VS共産主義」の二項対立の構造を反映して、日本国内では、「自民党VS社会党」「右翼VS左翼」という55年体制と呼ばれた二項対立の構図が形作られました。
冷戦が終わり、戦勝国同士が和解を果たし、日本が再び敗戦国としての立場に押し戻されて、あたかもGHQによる占領統治の前半に行われていた、日本の戦争責任・戦争犯罪の糾弾と、厳しい「改革」の強要が再開されるように、
「構造改革」と「歴史問題」
という二つの圧迫を受けたとき、国内の「右翼」と「左翼」はどのように振る舞ったでしょうか。
右翼は「歴史問題」には反発し、「構造改革」には同調しました。
左翼は「構造改革」には反発し、「歴史問題」には同調しました。
「構造改革」と「歴史問題」
この二つの問題は、占領統治時代に、相関した一つの問題であったのと同じように、ポスト冷戦自体においても、相関し、連動した、一つの問題として捉えられ、対処されるべきものでした。
(参考記事: WJFプロジェクト「『歴史問題』と『構造改革』は連動している」2014年1月8日)
というのは、「構造改革」にせよ「歴史問題」にせよ、「日本は改革されるべき悪の体制である」という同じ反日思想を根底にもっていますし、また、「構造改革」と「歴史問題」が互いを誘発し合う、次のようなカラクリが構築されていたからです。
そのカラクリというのは、
右翼は「歴史問題」には反発し、「構造改革」には同調した。
左翼は「構造改革」には反発し、「歴史問題」には同調した。
ことによるものです。
つまり、「歴史問題」に対する日本人の反発は、日本人を「右翼」へと傾斜させました。そして、「右翼」への傾斜は、「構造改革」への同調をもたらしました。
このようにして、「歴史問題」は、「構造改革」を誘発しました。
同時に、「構造改革」に対する日本人の反発は、日本人を「左翼」へと傾斜させました。そして、「左翼」への傾斜は、「歴史問題」への同調をもたらしました。
このようにして、「構造改革」は、「歴史問題」を誘発しました。
すると、「歴史問題」に対する反発が日本人の間に生じ、日本人を再び「右翼」へと傾斜させ、「構造改革」を誘発するという、永久に止まることのない、悪循環を引き起こしていくことになります。
こうして、日本という国は、「右翼」と「左翼」との間を、振り子のように行ったり来たりすることによって、「構造改革」と「歴史問題」の板挟みとなり、日本ではない国へと、一歩、一歩作り変えられていく、逆戻りの許されない道筋を、ひた走りに、ひた走る事になるのです。
世界における「資本主義VS共産主義」の二項対立の構造を反映して、日本国内では、「自民党VS社会党」「右翼VS左翼」という55年体制と呼ばれた二項対立の構図が形作られました。
冷戦が終わり、戦勝国同士が和解を果たし、日本が再び敗戦国としての立場に押し戻されて、あたかもGHQによる占領統治の前半に行われていた、日本の戦争責任・戦争犯罪の糾弾と、厳しい「改革」の強要が再開されるように、
「構造改革」と「歴史問題」
という二つの圧迫を受けたとき、国内の「右翼」と「左翼」はどのように振る舞ったでしょうか。
右翼は「歴史問題」には反発し、「構造改革」には同調しました。
左翼は「構造改革」には反発し、「歴史問題」には同調しました。
「構造改革」と「歴史問題」
この二つの問題は、占領統治時代に、相関した一つの問題であったのと同じように、ポスト冷戦自体においても、相関し、連動した、一つの問題として捉えられ、対処されるべきものでした。

というのは、「構造改革」にせよ「歴史問題」にせよ、「日本は改革されるべき悪の体制である」という同じ反日思想を根底にもっていますし、また、「構造改革」と「歴史問題」が互いを誘発し合う、次のようなカラクリが構築されていたからです。
そのカラクリというのは、
右翼は「歴史問題」には反発し、「構造改革」には同調した。
左翼は「構造改革」には反発し、「歴史問題」には同調した。
ことによるものです。
つまり、「歴史問題」に対する日本人の反発は、日本人を「右翼」へと傾斜させました。そして、「右翼」への傾斜は、「構造改革」への同調をもたらしました。
このようにして、「歴史問題」は、「構造改革」を誘発しました。
同時に、「構造改革」に対する日本人の反発は、日本人を「左翼」へと傾斜させました。そして、「左翼」への傾斜は、「歴史問題」への同調をもたらしました。
このようにして、「構造改革」は、「歴史問題」を誘発しました。
すると、「歴史問題」に対する反発が日本人の間に生じ、日本人を再び「右翼」へと傾斜させ、「構造改革」を誘発するという、永久に止まることのない、悪循環を引き起こしていくことになります。
こうして、日本という国は、「右翼」と「左翼」との間を、振り子のように行ったり来たりすることによって、「構造改革」と「歴史問題」の板挟みとなり、日本ではない国へと、一歩、一歩作り変えられていく、逆戻りの許されない道筋を、ひた走りに、ひた走る事になるのです。
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