「二元性を超えるとはかくかくしかじかである」、と説明したとしましょう。
そうすると、「かくかくしかじかなるもの」と「かくかくしかじかならざるもの」の間に二元性が生まれます。
しかし、「二元性を超える」と私たちが言うとき、私たちは「かくかくしかじかなるもの」と「かくかくしかじかならざるもの」の間の二元性も超えなくてはならないはずです。
一方で、「二元性を超えるとはかくかくしかじである」と言いながら、「かくかくしかじかなるもの」と「かくかくしかじかならざるもの」の間の二元性すら超えていくときに、一体私たちはどこに行き着くのか。
一つのてがかりとして「お茶とは何か」という問題を考えてみましょう。
この問いに対して、「お茶とは、飲むとさっぱりとした苦みのある緑色の液体である。」と説明したとしましょう。
しかし、お茶とは、本当に「飲むとさっぱりとした苦みのある緑色の液体」なのかといえば、実物のお茶は「飲むとさっぱりした苦みのある緑色の液体」であるわけでもなく、「飲むとさっぱりした苦みのある緑色の液体」でないわけでもなく、実物のお茶は、「かくかくしかじかなるもの」と「かくかくしかじかならざるも」の向こう側にある何かです。
一体「かくかくしかじかなるもの」と「かくかくしかじかならざるもの」の向こう側にあるものとは一体何ぞやと問えば、それはただの「お茶」なのです。
このことを、鈴木大拙という思想家は「即非の論理」という言葉で説明しましたが、「即非の論理とはかくかくしかじかである」と説明したところで、常に真実は、「かくかくしかじかなるもの」と「かくかくしかじかならざるもの」の向こう側にあるのです。
そしてそれは、かしわもちさんご自身が、誰かの言葉や説明に頼るのではなく、特定の言論人の周りに群がるのでもなく、ご自分の頭と体で、直接つかみ取らなければならないものです。
“Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma – which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of other's opinions drown out your own inner voice."(Steve Jobs)
「あなたの人生は限られている。だから、他人の人生を生きることによって自分の人生を無駄にするな。ドグマに捕われるな。それは、他人の思考の結果によって生きることにしかならない。他人の意見が立てる騒音に、あなたの内なる声をかき消されてはならない。」(スティーブ・ジョブズ)
Q.『多元的保守』って何?
A.言葉で「かくかくしかじかです」と説明されて、終わる話ではありません。
要するに、偉そうに言ってる本人も意味が分かっていないということか???
所詮は『反三橋氏』か否かを軸とした二元的思考しか持てないバカなグローバリストでしかないのかな。
ここでは、「多元的」という言葉を、「二元的」という言葉の反対語として用いています。
また、「二元的」という言葉を、戦後の冷戦構造に根ざす、世界や国民を二分化してとらえる姿勢や考え方に対して用いています。
とすると、「多元的」とは、戦後よりも、そしておそらくは戦前よりも、さらに深い、日本人のもともとの考え方という意味になるはずです。
特定の陣営や集団に傾斜しようというのではなく、周辺世界と均等な距離を保ちながら、自らであり続けようとする姿勢でもあります。
しかし、「多元的」な精神とは、先生から模範解答を教わろうとする姿勢の正逆の姿勢です。
「二元性を超える」
このことは、どなたもが、自分の人生や生活を通して、体得しなければならないものです。
言葉で「かくかくしかじかです」と説明されて、終わる話ではありません。
WJFが提唱している多元的思想を自分なりに噛み砕いて友人の子供(中学生)に伝えてみたのですがうまく伝えられませんでした。一番の障害は「多元」という概念が分からなかったことです。そこで質問したいことがあります。
多元の英訳を教えてください。
多元に代わる分かりやすい日本語を教えて下さい。
よろしくお願いします。
新聞の世論調査では不支持率は30%くらいだが、
この大きなちがいは何か。