「サプライサイド」と「ディマンドサイド」
なぜ三橋貴明の経済理論は日本を救わないのか。
そもそも、私たちが今直面している問題は何なのか。これを正しく把握しなければ、正しい問題の対処もありえません。
三橋貴明を持ち上げる人々が、そもそも、私たちが現在直面している問題を正しく認識しているのかといえば、私にはそうは思えません。
私たちが今直面する問題は何なのか。
言うまでもなく、安倍政権が邁進する新自由主義政策が問題なのですが、この問題を、表層ではなく、根底から深くほりさげて把握する必要があります。
安倍政権の展開する新自由主義とは、「供給力を強化することで経済成長を達成できる」とする「サプライサイド経済学」の考え方に基づいています。そして、「サプライサイド」(供給側・企業側・資本家側)の側の利益ばかりを追求し、「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)の利益を毀損する経済政策を展開しています。
一方で、「左翼」(社会主義勢力)は、「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)の利益を追求します。企業の内部留保を解放し、労働者の賃金を上げれば、内需が潤い国内経済が活性化すると考えています。
左翼のこの主張は、三橋の主張とも重なる部分があるわけですが、「サプライサイド」(供給側・企業側・資本家側)に置き換えて、「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)に立つ経済政策に置き換えればよいという簡単なものではありません。
なぜならば、「サプライ(供給)」と「ディマンド(需要)」は表裏一体だからです。
「サプライサイド」(供給側・企業側・資本家側)と「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)、どちらかの側に立てばよいのかという問題ではなく、必要なのは、「サプライサイド」と「ディマンドサイド」両者の利益を調整し、媒介することです。
そして、「サプライサイド」と「ディマンドサイド」の媒介者の役割を果たすことこそが、政治の本来の役割です。
日本には伝統的にこの調整機能が存在し、「共産主義革命」など起こさなくても、庶民が、他の国に比べて比較的平等な生活を享受していた歴史があります。
参考記事:
自殺・消費税・アメリカ国債・対米従属 (2)(2013年9月30日)
右や左の彼方にある本当の日本(2013年11月10日)
しかし、現在、「サプライサイド」と「ディマンドサイド」の、「媒介」と「調整」を妨げているものがあります。
それは、「右翼」と「左翼」という、戦後冷戦時代にもたらされた、国民の二分化と、政治的・経済的イデオロギーの極端な二極化です。
その結果「右翼」の側に立つ人々は、「ディマンドサイド」(需要側)に立つ「左翼」を嫌い、ひたすら「サプライサイド」(供給側)に立つ、自由主義を暴走させます。
その一方「左翼」の側に立つ人々は、「サプライサイド」(供給側)に立つ「右翼」を嫌い、ひたすら「ディマンドサイド」(需要側)に立って、企業利益や国家全体の利益を顧みない主張を展開します。
そして両者が対立し、拮抗しあうことで、「サプライサイド」(供給側)と「ディマンドサイド」(需要側)の調整と媒介が困難になっています。
国民が、「ディマンドサイド」に立つ「左翼」を毛嫌いして、「サプライサイド」に立つ「右翼」に傾斜した結果が、現在の安倍政権が招いた経済的なカタストロフです。
私たちが今必要なのは「右翼」「左翼」という、冷戦構造に由来する二極的な考えそのものを改めることにあります。
「供給(サプライ)」と「需要(ディマンド)」が表裏一体であるように、「右翼」と「左翼」の経済政策をめぐる主張は、本来は、相互補完的なものだからです。
三橋の言論が問題なのは、その欺瞞的なミスリードもさることながら、彼があくまでも、「右翼」と「左翼」という国民の二分化を前提とした上で、「左翼」を「悪」となじり、自民党のような「右翼」側のみ「善」であるという、単純な善悪二元論の上に、新自由主義批判を展開していることです。これでは問題は永遠に解決しません。
このため、三橋貴明が、どんなに表層において新自由主義を批判したところで、彼の言論は日本を救いません。
(チャンネル桜は言うに及ばずです)
三橋貴明を持ち上げる人々が、そもそも、私たちが現在直面している問題を正しく認識しているのかといえば、私にはそうは思えません。
私たちが今直面する問題は何なのか。
言うまでもなく、安倍政権が邁進する新自由主義政策が問題なのですが、この問題を、表層ではなく、根底から深くほりさげて把握する必要があります。
安倍政権の展開する新自由主義とは、「供給力を強化することで経済成長を達成できる」とする「サプライサイド経済学」の考え方に基づいています。そして、「サプライサイド」(供給側・企業側・資本家側)の側の利益ばかりを追求し、「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)の利益を毀損する経済政策を展開しています。
一方で、「左翼」(社会主義勢力)は、「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)の利益を追求します。企業の内部留保を解放し、労働者の賃金を上げれば、内需が潤い国内経済が活性化すると考えています。
左翼のこの主張は、三橋の主張とも重なる部分があるわけですが、「サプライサイド」(供給側・企業側・資本家側)に置き換えて、「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)に立つ経済政策に置き換えればよいという簡単なものではありません。
なぜならば、「サプライ(供給)」と「ディマンド(需要)」は表裏一体だからです。
「サプライサイド」(供給側・企業側・資本家側)と「ディマンドサイド」(需要側・労働者側・庶民側)、どちらかの側に立てばよいのかという問題ではなく、必要なのは、「サプライサイド」と「ディマンドサイド」両者の利益を調整し、媒介することです。
そして、「サプライサイド」と「ディマンドサイド」の媒介者の役割を果たすことこそが、政治の本来の役割です。
日本には伝統的にこの調整機能が存在し、「共産主義革命」など起こさなくても、庶民が、他の国に比べて比較的平等な生活を享受していた歴史があります。
参考記事:
自殺・消費税・アメリカ国債・対米従属 (2)(2013年9月30日)
右や左の彼方にある本当の日本(2013年11月10日)
しかし、現在、「サプライサイド」と「ディマンドサイド」の、「媒介」と「調整」を妨げているものがあります。
それは、「右翼」と「左翼」という、戦後冷戦時代にもたらされた、国民の二分化と、政治的・経済的イデオロギーの極端な二極化です。
その結果「右翼」の側に立つ人々は、「ディマンドサイド」(需要側)に立つ「左翼」を嫌い、ひたすら「サプライサイド」(供給側)に立つ、自由主義を暴走させます。
その一方「左翼」の側に立つ人々は、「サプライサイド」(供給側)に立つ「右翼」を嫌い、ひたすら「ディマンドサイド」(需要側)に立って、企業利益や国家全体の利益を顧みない主張を展開します。
そして両者が対立し、拮抗しあうことで、「サプライサイド」(供給側)と「ディマンドサイド」(需要側)の調整と媒介が困難になっています。
国民が、「ディマンドサイド」に立つ「左翼」を毛嫌いして、「サプライサイド」に立つ「右翼」に傾斜した結果が、現在の安倍政権が招いた経済的なカタストロフです。
私たちが今必要なのは「右翼」「左翼」という、冷戦構造に由来する二極的な考えそのものを改めることにあります。
「供給(サプライ)」と「需要(ディマンド)」が表裏一体であるように、「右翼」と「左翼」の経済政策をめぐる主張は、本来は、相互補完的なものだからです。
三橋の言論が問題なのは、その欺瞞的なミスリードもさることながら、彼があくまでも、「右翼」と「左翼」という国民の二分化を前提とした上で、「左翼」を「悪」となじり、自民党のような「右翼」側のみ「善」であるという、単純な善悪二元論の上に、新自由主義批判を展開していることです。これでは問題は永遠に解決しません。
このため、三橋貴明が、どんなに表層において新自由主義を批判したところで、彼の言論は日本を救いません。
(チャンネル桜は言うに及ばずです)
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