政治系で上位にランクされているブログの数々を目にして気になるのが、反中・反韓に特化しながら左傾的なマスコミ叩きに始終し、今日本がおかれている危機に対して触れているものが少なすぎることです。
わざわざ指摘するまでもなく、いまや多くの日本人が中国・韓国の酷さを認識するようになりました。
今最大限に警戒しなければならない危機とは、日本を侵食し解体するグローバリズムとそれを積極的に進めている政治状況(TPP推進、移民政策、新自由主義的政策等々)なのです。
日本が壊れてしまっては、そもそも中韓に対抗することすら出来なくなってしまいます。
一刻も早く反グローバリズムと安倍政権批判が輿論とならなければ、日本破壊は取り返しのつかないフェーズにまで移行してしまいます。
中韓の反日ぶりと中国が脅威であることは当然なこと。
中韓批判と非難にばかりに多くの人の気持ちが向かい目が逸らされているうちに、安倍政権により米国の属国化が進み、あらゆる社会領域にグローバリズムが侵蝕していくという国家存亡の危機に対して、一人でも多くの日本人が気づかなければなりません。
WJFさんが提唱される多元的な思考で世を見渡すと、現下の政治状況、そしてマスコミのカウンターとなるべきネット言論がいかに歪な状況に陥っているかがよく分かるようになってきました。
韓国の人たちに問題がないと言っているのではなく、特定国家への反感を、グローバリズムを誘発する装置として発動させてはならないという趣旨の話をしているのです。
韓国であろうと中国であろうと、他のどの国であろうと、日本ではない外国に対して、無闇に心を開くことがあってはなりません。
しかし、韓国であろうと、中国であろうと、他のどの国であろうと、等距離の「敬意」をもって接することは、世界の特定陣営への日本の傾斜を防ぎ、グローバリズムによる国家解体を阻止することにつながります。
そのために、多元的なものの見方が、回復されなくてはなりません。
現在、嫌韓と反日は、日本と韓国において、「人をのろわば穴二つ」的な状況をもたらし、両国のグローバリズムを促進する装置として機能しています。
やれやれ、あの民族的異常性質を理解しなさい。
台湾、フィリピン、米国、バングラデシュ、その他の諸国で、韓国人を知る人々は嫌韓。
親日であれ反日であれ
アフリカ人や他のアジアンにとる態度は同じで彼らは最悪。
脱亜論は、反日でない彼等の異常な性質を見抜いたユッキーの名作。
グローバリズムにせよ、共産主義にせよ、特定のイデオロギーで世界を画一化して、民族や文化の多様性を破壊するのは、世界を二分化し片側陣営に傾斜させようとする二元的な思考です。
この世界の画一化の流れに呑み込まれずに、国家の独立を守るために必要なのは、世界のいかなる陣営に対しても等距離を保つ事を可能にする「多元的思考」であり、「八百万の神」をあがめてきた日本人は、多元的な考えに立つ事が可能だと述べているのです。
そのため、外国人は「八百万の神」は信仰しませんしね。
そもそも外国人が、「八百万の神」の基地外自虐精神を学ぶわけがないですしね。
外国人に「八百万の神」の信仰を押し付けようなどという話をしているのではない。
日本人が、戦後の冷戦構造の中で植え付けられた二元的思考を払拭し、伝統的な多元的な思考に立ち返るべきだと訴えているのです。
>私たちが多元的な価値観をもつべきなのは、世界の諸文化の固有性や特異性を保持したままで、それぞれに等距離を保ちながら、学ぶべきものは学び、同時に、自分たちの文化の固有性・特異性も保持していくという姿勢なのであり、なんでもかんでも外国の文物や移民を取り入れて、混淆させようとする姿勢とは異なると思います。
ブログ主は何を言いたいのか分かりませんね。
「八百万の神」とやらに、洗脳されている基地外ですかね。信者ですかね。
世界の固有性や特異性を保持したままで、それぞれに距離を保ちながら生存し合えますかね?
もしそう願っているならば、ブログ主は現実逃避の妄想族ですね。
日本人の固有性・特異性を保持していくならば、日本人は消滅しますよ。確実に。
「他者を受け入れる」やら「騙すより騙される方が良い」「恥の文化」というような日本人の特異性など、やられて終わり、自滅の論理ですので。
世界は生き残る論理・特異性を保持していますし、宗教ですので永遠に保持し続けますから。
そのため、外国人は「八百万の神」は信仰しませんしね。
そもそも外国人が、「八百万の神」の基地外自虐精神を学ぶわけがないですしね。
バカじゃないのか、で終わりですわな。
「八百万の神」とやらの自虐思考をブログ主が強固に保持する、賛同する意味が分かりませんね。
ブログ主の目的はなんでしょうかね。矛盾だらけですよ。
ブログ主こそ、海外から学んだ方が良いんじゃないですかね。
基地外妄想思想の「八百万の神」を奉り、日本人に保持していく姿勢を強調するブログ主は、一人でやっていればよい。
精神論で言えば、「八百万の神」は元凶。
日本人は、「八百万の神」を一刻も早く捨てるべきもの。
世界の異常者・非常識、日本人を抜け出る為に。自滅から抜け出る為に。同じ事を何度も繰り返さない為に。
共に日本の国づくりに貢献していってくれるなら、ナニ民族だろうと構わないというスタンスが日本の歴史です。
朝鮮人だろうが中国人だろうが、はたまた欧米人だろうがエイリアンだろうとも、日本を良くするために一緒にやろうぜってのが日本の伝統ではないですか。
それは人の往来の規模が少なかった古代なら言いうる言葉ですが、現代は異なります。
現代において移民を認めれば、民族や文化の同一化を招き、世界の多様性は失われ、「八百万の神」が息づく多元的な世界は破壊されていきます。
私たちが多元的な価値観をもつべきなのは、世界の諸文化の固有性や特異性を保持したままで、それぞれに等距離を保ちながら、学ぶべきものは学び、同時に、自分たちの文化の固有性・特異性も保持していくという姿勢なのであり、なんでもかんでも外国の文物や移民を取り入れて、混淆させようとする姿勢とは異なると思います。
そもそも言わせてもらえば、真に「下等」な人というのは、
【日本人である、という事以外に、ほかの何ら評価に値する才能が無い人】
言い換えれば、
【日本人である、という事だけでふんぞり返り、ほかの民族を蔑視する人】
これこそが、最大の「下等な人」だと思うのですが。
当然、同じ理屈で、
【韓国人である、という事だけでふんぞり返り、ほかの民族を蔑視する人】
【中国人である、という事だけでふんぞり返り、ほかの民族を蔑視する人】(かつての中華思想のような)
【西洋白人である、という事だけでふんぞり返り、ほかの民族を蔑視する人】
これらが「下等な人」であるのは、あらためて言うまでもありません。
日本人は、この手の「下等」な人々や文化と戦ってきた歴史を持つと思うのですが。
中華思想の華やかな時代、すでに日本は中華王朝と「対等」な関係を求めてますし、
ヴェルサイユ条約の席上では、日本が「民族平等」の提案を行ったのです。
肌の色や髪の色、目の色、そして民族という言葉などで、勝手に差別されてはたまったもんじゃありません。
まず「下等」さんには、日本の歴史を勉強し直してもらいたいですね。
(ただ、この「下等」さんは、政党さんと同じく、全く本を読まない、非論理的思考の持ち主のようですが)
そもそも【民族】という観念自体、近代文明の産物なんですけどね。
江戸時代以前、「支那民族や朝鮮民族は下等だ!」などという言説が有ったでしょうか?
大昔の歴史書である古事記の中にさえ、色々と渡来人の話が出てきますが、「連中は下等だ」などという話はありません。
逆に、「我が大和民族は世界で一番素晴らしい民族」という話も一切書いてありません。
共に日本の国づくりに貢献していってくれるなら、ナニ民族だろうと構わないというスタンスが日本の歴史です。
朝鮮人だろうが中国人だろうが、はたまた欧米人だろうがエイリアンだろうとも、日本を良くするために一緒にやろうぜってのが日本の伝統ではないですか。
外国人や外国文化排斥ってのは、日本の伝統でも何でもないと思うのですが。
たとえば幕末に盛んに連呼された「尊王攘夷」の四字熟語は、実は古代中国の春秋時代に叫ばれていた、まさに「からごころ」の産物だったわけで。
あれは日本古来からの伝統ではありません。
先の戦争中、「鬼畜米英」とか言ってましたが、これとて戦争という極限状態の話。
明治時代からずっと「鬼畜米英」でやってきたわけではありませんし、戦争だったら相手民族を悪く言うのも解らなくはない話です。
結局、この手の「下等」とか「上等」とか優劣をつけたがる人って、
ヒトラーのナチスか何かにシンパシーを感じているか、はたまたあれを「日本古来からの伝統」と思いこんでいるか、そのどっちかなのでしょう。
朝鮮人が「下等」と言うならば、当然日本人の中にも「下等」な人は居ます。
ウソばっかりで売国政策しかやらない安倍晋三がまず下等ですし。
そんな安倍晋三を盲目的に賛美する連中も「下等」でしょう。
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺せ」とかいうプラカードを掲げた馬鹿も「下等」と呼べるでしょう。
下等なのは他民族全てではなく、あくまでもその中の一個人一個人の話ですよ。
まことに疑問なのが、この手の「チョンは下等」とか言ってる人に限って、韓国人の中から、
「従軍慰安婦=挺身隊は捏造だ」
「日本の植民地統治は良い面も多々あった」
などと評価する学者などが現れると、嬉々として飛びつくという点です。
彼らにとっては「下等な朝鮮人」のお言葉なのですが、自分に都合が良ければ何にでも飛びつくのでしょう。
あなたが下手に出ようが、上手にでようが、「他の民族を下等だなどという日本人は下等だ」と最初から申し上げています。
「日本人は西洋文明と親和性をもっており、韓国人は下等民族」?
こんなことをおっしゃる方は、同じ日本人として恥ずかしいです。
日本人は日本人です。
他のどんな文明にも似ていない。
しかし、日本人は他のどんな文明にも等しい距離感をもって、等しい敬意を寄せ、謙虚に学びます。
同時に自分たちの独自性を深く自覚して、古い伝統を守る。
他文明に寛容でありながら守旧的。この一見矛盾した事を、何の困難もなくやってのけるのが、八百万の神を崇めてきた日本人の多元的な精神であり、ここにこそ比類のない日本人の独自性があります。
ちょっと下手に出れば付け上がり、下等な日本人扱いですか。
対した誠意をお持ちのようで。
ここまで言っても人の意見を咀嚼もせずにただ感情的に切り捨てようとするだけでは、どうも議論するだけ無駄なようですね。
>「敬意」は目下の者の目上への姿勢であり、「高く評価」は目上の者の目下への姿勢です。
なんでもかんでも上下関係の中に、民族や文化を配置する、あなたのこのような見方こそが、八百万の神を崇めた日本人の見方というよりは、華夷秩序に従った朝鮮人的なものの見方だと申し上げているのです。
>「日本人は全ての外国人や外国文化にも全く等しく敬意を払うべきだ」というあなたのお考えを採用しては、必然的に日本民族には西洋人及び中国・韓国人に「服従する」未来が訪れる事になります。
西洋人は、他宗教を「邪教」扱いして、彼らの「正統的」キリスト教イデオロギーを守ろうとし、中国人たちや朝鮮人たちは、中華体制の外側にある文明を「夷狄」と呼んで蔑みましたが、彼らはその偏狭な、二元的な姿勢によって彼らの文明を健全な仕方で守ったのか?事実は、逆です。
西洋人自身が、偏狭なキリスト教イデオロギーに辟易して教会から遠ざかり、中国人は、中華文明こそ先進文明であると信じて偏狭な華夷秩序に固執して外国から学ぼうとする姿勢をもたなかったがために、外国の侵略を受け、西洋の帝国主義の餌食となりました。
では、八百万の神を崇め、他の文明に敬意を寄せ心を開いて謙虚に学ぶ姿勢をもっていた日本人は、その姿勢によって日本文明を滅ぼしたのかと言えば、これも逆であり、謙虚に中華文明からも、仏教文明からも、西洋文明からも学ぼうとしてきた姿勢は、日本文明を豊かにし、国を強くしてきました。
明治時代に西洋的価値観が流入したとはいえ、それまでの日本人的価値観と西洋的価値観に少なからず親和性があったからこそ、比較的違和感なく国民に受け入れられたのではないでしょうか。
西洋人の二元的な思考と、日本人の多元的な価値観が、どう親和性を持つのですか。
「西洋文明は日本文明と親和性をもつ」などといって自分を西洋人と同一視するほど、西洋文明にはどこまでもこびながら、「韓国人は下等民族」ですか?
つくづく、あなたは、情けない下等な日本人だな。
多元的な見方を回復するということは、西洋であれ、韓国であれ、中国であれ、アメリカであれ、どの文明に対しても、等しい敬意をよせながら、特定の文明のみ傾斜するのではなく、等しい距離感を保つということです。
そうすることによってのみ、日本は独立を回復します。
「アメリカや西洋は優れている」
「韓国や中国は劣っている」
あなたが示しているような、二元的、冷戦脳的なえり好みの見方は、日本から独立を奪います。
リンク先の記事読ませて頂きました。
あなたが何を仰っているのかがよくわかりました。
あなたがとてもご立派な価値観をお持ちである事がわかりましたが、それでも一つだけ言わせて頂きたい。
「家臣が殿様に敬意を向ける」
「殿様が家臣を高く評価する」
どちらも「愛情」である事には変わりませんが、この両者の違いは何でしょうか?
「敬意」は目下の者の目上への姿勢であり、「高く評価」は目上の者の目下への姿勢です。
もちろんどんな人物に対してであろうと敬意は払うべきですが、こうした「姿勢の違い」というのは主従関係の間に成り立つものと言えます。
もし西洋人や中国・韓国人が伝統的に自民族と比較して他民族を「劣等」と考えているなら、「日本人は全ての外国人や外国文化にも全く等しく敬意を払うべきだ」というあなたのお考えを採用しては、必然的に日本民族には西洋人及び中国・韓国人に「服従する」未来が訪れる事になります。
なぜなら西洋人及び中国・韓国人が日本人や日本文化を「高く評価する」ことはあっても、真に「敬意を払う」事はしないからです。
これは「伝統的な日本人がどうだった」などという事にかかわらず起こります。
それでもいいと言うなら、どうぞお好きに。
ちなみに、伝統的な日本人が日本をお造りになった伊邪那岐命・伊邪那美命へ向ける敬意と、そうではない外国の神々に向ける敬意は、果たして全く同じなのでしょうかね。
明治時代に西洋的価値観が流入したとはいえ、それまでの日本人的価値観と西洋的価値観に少なからず親和性があったからこそ、比較的違和感なく国民に受け入れられたのではないでしょうか。
>自らが属する民族とそうでない民族に対して持つべき意識として序列、優劣があるという事です
西洋人は、伝統的に次のように考えました。
「西洋文明は先進文明、他の文明は野蛮」
中華体制に属した朝鮮人は、伝統的に次のように考えました。
「中華文明に近い国は先進国、中華文明に離れた国は、野蛮な国」
では八百万の神を崇めてきた日本人はどう考えるかと言えば、外国の神すらも八百万の神の中に包摂し、等しい尊敬を捧げます。
つまり、日本人は、世界のあらゆる民族の文化や生き様に等しい尊敬を向けるのです。
かと言って、グローバリストや共産主義者のように、一つのイデオロギーで、世界を画一化・同一化しようとするのではなく、世界のそれぞれの民族の固有性や多様性を認めた上で、それらに敬意を向けます。「八百万の神」なのですから、世界を画一化していまえば「八百万の神」は消滅してしまいます。
こうして見るならば、「韓国人は劣等民族」と書かれたあなたの感覚は、日本人の伝統的な価値観からはかけ離れており、むしろ、西洋人や、朝鮮半島の人々のそれに近い事が分かります。
あなたご自身が、日本人としての伝統的なあり方から離れて、韓国の人々と似た考え方を採用していながら、韓国の人々を「劣等」と呼んでいるのですから、あなたが「劣等」と見なす韓国の人々に近い考え方を採るあなた自身が「劣等」だということになります。
つまり、あなたのように多民族を「劣等だ」と見下す日本人は「劣等」な日本人だということです。
参考記事
多元的保守思想の復興
http://wondrousjapanforever.blog.fc2.com/blog-entry-408.html
ちょっと言い方が悪かったですかね。
民族間に「平等な」関係などあり得ないという事を言いたいのです。
自らが属する民族とそうでない民族に対して持つべき意識として序列、優劣があるという事です。
自分の属する民族を一番上位に持ってくる、そんなのは当然の話。
(偏狭なネトウヨのように全てヘイトに持っていくことではありません。あくまで意識としての民族間の序列、優劣の話)
そうでなければ誰が民族の命運を賭して戦争など起こすでしょうか。
かねてから思ってましたがあなたはこの辺りの認識がどうも花畑的、世界市民的に思えます。
自分の属する民族が一番、そういうマインドを持っていればいいのです。
そういう意識が民族の誇りというものではないのですか?
(もちろんそれを他民族にまで無理矢理押し付ける朝鮮人のようでは駄目ですが)
全ての民族はみんな平等な関係?笑
男女平等や親への子供の人権を叫ぶ共産主義者みたいですね。
しかしながら、奴隷としての幸せに安住しそれになんの疑問も感じなくなってしまっては、「下等民族」と呼ばれても致し方ない。
日本人は属国に住む奴隷である現実を強く自覚すべきです。
私が違和感を抱くのは、特定の民族を「下等だ」と呼んではばからない、あなたのような下等な日本人の感覚です。
行きすぎた国策的反日について下等民族なりに違和感は感じているようで、良いことです。
反共に変わり 義務教育で反日教を教えているのにね。