「歴史問題」と「構造改革」の板挟み
ならば、活路は・・・。
下の記事は、いただいたコメントへの返答を、少し編集して再掲したものです。
あらためて"「歴史問題」と「構造改革」は連動している"のです。
「歴史問題」は、日本人を右傾化させる契機として、「構造改革」は、日本人を左傾化させる契機として、機能しています。
日本人は、「歴史問題」と「構造改革」に板挟みにされており、「右翼」に傾斜しても、「左翼」に傾斜しても、国が壊れていくカラクリが、がっちりと構築されているのです。
「歴史問題」に関する左派の主張は、確かにナンセンスなのですが、産經新聞的、「右翼」的、また、従来の「保守」的な、二元的な抗弁のやり方は、次のような結果を招きます。
「歴史問題」と「構造改革」と、どちらがより深刻かといえば、明らかに「構造改革」の方です。「歴史問題」に関して国際社会の糾弾をあびることは、確かに日本人としては精神的にきついのですが、慰安婦問題で死ぬ人はいません。一方、「構造改革」は、より直接的、実体的な被害を国民生活にもたらし、家族を失う人、家を失う人、命を絶たなければならない人たちも現れます。「構造改革」が進み、移民を受け入れれば、長期的には「民族浄化」の憂き目にも会います。
「歴史問題」が危険なのは、「日本人の名誉が汚されるから」ではなく、人々の右傾化を招く事によって「構造改革」を誘発する契機となるためです。このことを防ぐためにも、二元的な見方とは異なる、総合的、俯瞰的、多元的な見方に立って、「歴史問題」に抗弁していく必要があります。
これこそが、WJFプロジェクトに課せられた使命だと自覚しているのですが、残念な事に、このような視点から「歴史問題」に取り組む人々、また、このような取り組みを理解する人々の数は多くはありません。
「歴史問題」といえば、極端な左派の主張か、極端な右派の主張のいずれかに、人々は分岐し、傾斜し、取り込まれていくのが現状です。
「右翼」、「左翼」という二つの立場を、媒介し、止揚し、再統合する考え方、というよりも、「右翼」や「左翼」に、日本人が分岐する以前の、日本の根源に回帰しようとする姿勢が、日本人の間に広まっていかなくてはならないのですが、なかなか困難な課題です。
あらためて"「歴史問題」と「構造改革」は連動している"のです。
「歴史問題」は、日本人を右傾化させる契機として、「構造改革」は、日本人を左傾化させる契機として、機能しています。
日本人は、「歴史問題」と「構造改革」に板挟みにされており、「右翼」に傾斜しても、「左翼」に傾斜しても、国が壊れていくカラクリが、がっちりと構築されているのです。
「歴史問題」に関する左派の主張は、確かにナンセンスなのですが、産經新聞的、「右翼」的、また、従来の「保守」的な、二元的な抗弁のやり方は、次のような結果を招きます。
1. 慰安婦問題等「歴史問題」に関する「反日プロパガンダ」への抗弁を「餌」に、日本人を引きつけ、「構造改革」を推進する「右派」の政党、政治家に傾斜させる。
2. 同時に、彼らのやり方で抗弁すればするほど、慰安婦問題等「歴史問題」に関する世界の人々の共感は得られず、日本の主張は孤立し、偏見は強化され、「反日プロパガンダ」はますます勢いづく。
3. 1に戻り、悪循環に陥る。
「歴史問題」と「構造改革」と、どちらがより深刻かといえば、明らかに「構造改革」の方です。「歴史問題」に関して国際社会の糾弾をあびることは、確かに日本人としては精神的にきついのですが、慰安婦問題で死ぬ人はいません。一方、「構造改革」は、より直接的、実体的な被害を国民生活にもたらし、家族を失う人、家を失う人、命を絶たなければならない人たちも現れます。「構造改革」が進み、移民を受け入れれば、長期的には「民族浄化」の憂き目にも会います。
「歴史問題」が危険なのは、「日本人の名誉が汚されるから」ではなく、人々の右傾化を招く事によって「構造改革」を誘発する契機となるためです。このことを防ぐためにも、二元的な見方とは異なる、総合的、俯瞰的、多元的な見方に立って、「歴史問題」に抗弁していく必要があります。
これこそが、WJFプロジェクトに課せられた使命だと自覚しているのですが、残念な事に、このような視点から「歴史問題」に取り組む人々、また、このような取り組みを理解する人々の数は多くはありません。
「歴史問題」といえば、極端な左派の主張か、極端な右派の主張のいずれかに、人々は分岐し、傾斜し、取り込まれていくのが現状です。
「右翼」、「左翼」という二つの立場を、媒介し、止揚し、再統合する考え方、というよりも、「右翼」や「左翼」に、日本人が分岐する以前の、日本の根源に回帰しようとする姿勢が、日本人の間に広まっていかなくてはならないのですが、なかなか困難な課題です。
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