多元性への回帰と「右翼」からの脱却
「保守」と呼ぶ必要すらない、圧倒的なまでに保守的な、新しくしかも古い、開かれた「保守」のあり方。
安倍政権が次から次へと繰り出す、国民いじめの経済政策、構造改革という名の国家破壊。
今後、安倍政権に対する怒りや嫌悪感と共に、安倍政権を盲信する人々を作り出してきた「右翼」的な立場に対する忌避感情が広がり、人々は左傾化していくでしょう。
しかし、私たちはここで立ち止まって考えなくてはなりません。
「右翼」に対する本当のアンチテーゼは、「左翼」ではありません。
「左翼」に対する本当のアンチテーゼは、「右翼」ではありません。
同じ二元性に立脚する以上「右翼」も「左翼」も鏡映しのものだからです。
右傾化がその反作用として人々の左傾化を引き起こすのと同じように、左傾化はやがてその反作用として人々の右傾化を準備します。
振り子のように、「右翼」と「左翼」の間をいったりきたりしながら、私たちが何度も同じ場所に舞い戻り、何度も同じ過ちを繰り返すうちに、国家は疲弊し消耗していくことでしょう。
今こそ、「右翼」からも「左翼」からも脱却した、「第三の道」を開く必要があります。
ここで、「右翼」の本質がその二元性にあることに気づくならば、「右翼」に対する本当のアンチテーゼは「左翼」ではなく、二元性を克服した多元性の立場です。
ここで、「左翼」の本質がその二元性にあることに気づくならば、「左翼」に対する本当のアンチテーゼは、「右翼」ではなく、二元性を克服した多元性の立場です。
多元性は、八百万の神を拝む日本古来のあり方に深く合致しているため、わざわざ「保守」と呼ばなくても、多元性への回帰そのものの中に、保守性が深く内在されています。
多元性に立脚するこの立場は、次のような特徴を持ちます。
今後、安倍政権に対する怒りや嫌悪感と共に、安倍政権を盲信する人々を作り出してきた「右翼」的な立場に対する忌避感情が広がり、人々は左傾化していくでしょう。
しかし、私たちはここで立ち止まって考えなくてはなりません。
「右翼」に対する本当のアンチテーゼは、「左翼」ではありません。
「左翼」に対する本当のアンチテーゼは、「右翼」ではありません。
同じ二元性に立脚する以上「右翼」も「左翼」も鏡映しのものだからです。
右傾化がその反作用として人々の左傾化を引き起こすのと同じように、左傾化はやがてその反作用として人々の右傾化を準備します。
振り子のように、「右翼」と「左翼」の間をいったりきたりしながら、私たちが何度も同じ場所に舞い戻り、何度も同じ過ちを繰り返すうちに、国家は疲弊し消耗していくことでしょう。
今こそ、「右翼」からも「左翼」からも脱却した、「第三の道」を開く必要があります。
ここで、「右翼」の本質がその二元性にあることに気づくならば、「右翼」に対する本当のアンチテーゼは「左翼」ではなく、二元性を克服した多元性の立場です。
ここで、「左翼」の本質がその二元性にあることに気づくならば、「左翼」に対する本当のアンチテーゼは、「右翼」ではなく、二元性を克服した多元性の立場です。
多元性は、八百万の神を拝む日本古来のあり方に深く合致しているため、わざわざ「保守」と呼ばなくても、多元性への回帰そのものの中に、保守性が深く内在されています。
多元性に立脚するこの立場は、次のような特徴を持ちます。
国家主義的でありながら、国際的。
民族主義的でありながら、非差別・平和的。
国家による国民の利益配分の調整機能を重視し、
内需を中心に据え、
一見左翼的でありながら、言葉の真の意味で保守的。
民族主義的でありながら、非差別・平和的。
国家による国民の利益配分の調整機能を重視し、
内需を中心に据え、
一見左翼的でありながら、言葉の真の意味で保守的。
右翼も左翼も併せ呑む、多元性への回帰こそ、わざわざ「保守」と名乗る必要すらない、新しくて古い、圧倒的なまでに保守的な、開かれた「保守」の姿です。
多元性という古い日本人のあり方に回帰するとき、私たちは、自民党のような特定政党に固執したり、日の丸を振り回したり、特定国家に過剰な敵意をむけたりしなくても、「保守」たりうる新しい道を見つけることでしょう。
多元性という古い日本人のあり方に回帰するとき、私たちは、自民党のような特定政党に固執したり、日の丸を振り回したり、特定国家に過剰な敵意をむけたりしなくても、「保守」たりうる新しい道を見つけることでしょう。
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