あなたは靖国神社の問題を的確に捉えていると思います。
靖国神社が突きつけている問題は、結局、戦争という困難な時代を生き、命を失わなければならなかった先人に対して、
「あなたがたは運悪く、『国家』のために死ななければならなかったが、実を言えば『国家』なるものは、権力者が己の私利私欲のために人為的に作り出した幻想にすぎない。あなたがたの死は結局犬死であった。『国家』なるものは幻想にすぎないのだから、私たちはあなたがたのように愚かしく犬死にをするつもりはない。私たちは、『国家』なる幻想に身を捧げたりするような愚かなまねはせず、自分個人と、家族や身内のためだけに生きていきます。」
と語りかけるのか、それとも、
「あなたがたは、帝国主義が世界を覆い尽くした困難な時代を生き、そして死んでいかなければならなかった。世界や日本がそのような時代を通らなければならなかったことは全くもって不幸なことであった。当時の世界や日本がそのような時代を通らずにすめばどれほどよかっただろう。避ける事のできた多くの過ちもあった。しかし、あなたがたは、その困難な時代を勇敢に受け止め、しっかりと生きてくださった。そのあなたがたの生がムダになるかならないかは、私たちがあなたがたから受け継いだものをどう取り扱うかにかかっている。私たちは決してあなたがたの生をムダにはしない。あなたがたから受け継いだもの、つまりはこの国を、あなたがたが示したのと同じ勇敢さをもって大切に扱い、守って行きます。」
と語りかけるのか。
どちらの言葉を、私たちは先人に対して語りかけるのかという問題であると思います。
国家は果たして幻想に過ぎないのか。それとも血と肉を備えた実体なのか。
この問いに答えを与えるのは、私たち自身です。
奇妙なのは、「国家は幻想だ」という見方に立つ左派の人たちが、なぜか安倍晋三を批判することです。安倍は構造改革やグローバル化によって、従来の国家の枠組みを消滅させようとしているのですから、左翼の人たちは熱心に安倍晋三を支持されたらよい。
逆に、「国家は血と肉を備えた実体だ」と考える右派の人たちこそ、構造改革とグローバル化を推進する安倍晋三を批判しなくてはならないと思います。
皮肉なことに、構造改革に批判的なのは国家に懐疑的な左派の人たちばかりであり、日の丸を振りまわしたり、靖国神社に参拝することが大好きな右派の人たちが、構造改革(国家破壊)を推進する政党や政治家を熱心に支持してしまっています。
>戦死することを「目的」として戦場に赴く将兵はいないとしても、戦場でひたすら「無事生還」を願っているような将兵を靖国の論理は認めない。それが求めるのは、国家による賞賛と国民による「感謝と尊敬」を約束されているために、生命を棄てても勝利を得ようとする「忠勇義烈」の将兵なのだ。
靖国は、政治利用と金儲けの存在が強い。その為、くだらん。
学者や教授などの見解などどーでもええわ。
個人の思想を聞くなどくだらん。
「金儲けしとるねー」とか「読者を洗脳させて面白いねー」と思うだけ。
ホント日本人は自分の価値観や考え、思想がないね。
何を信じてるんだ。信じても無駄だって分からんアホばっか(現実逃避の人間ばっか)。
日本は、たとえ命を懸けても、
国家による賞賛と国民による「感謝と尊敬」を約束されていない国だ。
戦後は国家も国民からも否定され、将兵たちは皆、口をつぐみ、
細々と生き抜いたのが事実だ。
私の祖父も上層部だったけど、完全に騙されたね。
そんなクズ国家と国民の為に、命を捨てたい日本人はどうぞ。
信じたい日本人はどうぞ。
教訓を忘れたアホは、犠牲になってくれ。
日本政府や日本国民は、絶対に信じるな。信じるに値しない。
信じる者は、家族だけだ。
それは祖父から学んだ教訓。
教訓を与えてくれた祖父たちには感謝であり、
その教訓を忘れず生きるのが後世の日本人がすることだ。
高橋哲哉氏は「話にならない大馬鹿者」であると私は結論づけています。
『靖国問題』は私も読みましたが、ほとんど全く同意できませんでした。
まず、高橋氏は葦津珍彦氏の『国家神道とは何だったのか』をまともに読解できてすらいません。
国語力が壊滅的に無いのです。
いちいち指摘していったら、それこそ何百行何千行にも達するので割愛しますが、新田均氏が既に『靖国問題』の問題点については散々にこき下ろしています。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4569626548
高橋氏の態度は「歴史学者」とか「神道研究家」の態度ではありません。
人の死を栄化するための物語や制度は、伝統的なほとんど全ての宗教が持ちあわせているものです。キリスト教は永遠の命について語り、仏教は極楽浄土について語ります。人の死を一切栄化してはならず、悲しみや喪失以上のものとして扱ってはならないのならば、私たちは宗教一般を否定する唯物論者にならなければならないことになってしまいます。
靖国神社問題は、多面的で複雑ですので、また機会を改めて網羅的に論じ直してみたいと思います。
葦津珍彦の『国家神道とは何だったのか』に対して、高橋哲哉が著書『靖国問題』の中で次のように述べている。
葦津はここで、靖国神社の祭り(祀り)が、あたかも戦死者を顕彰するものではないかのように論じている。だれもが「当り前の人情」として将兵の「無事生還」を望んでいたのだから、戦死を美化し褒め讃えることなどありえないかのように語っている。彼によれば、靖国の祭りは将兵がやむなく戦死したときに、「その死を悲しんで」、「その結果を悲しんで」、「その悲しみの結果として」行なわれるのであって、それはあたかも戦死を悲しむ祭りであるかのようなのだ。しかし、……靖国の論理は戦死を悲しむことを本質とするのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするものである。靖国の言説は、戦死の美化、顕彰のレトリックに満ちている。天皇であれ皇后であれ、親であれ妻子であれ、それこそ「当り前の人情」を持っていれば、戦死はまず悲しみとして経験されるだろう。だが靖国の論理は、この「当り前の人情」である悲しみを抑圧し、戦死を喜びとして感じるように仕向けるのだ。戦死の不幸は幸福に、その悲劇は栄光に転換されねばならない。そうでなければ国家は、新たな戦争に国民を動員できなくなるであろう。戦死することを「目的」として戦場に赴く将兵はいないとしても、戦場でひたすら「無事生還」を願っているような将兵を靖国の論理は認めない。それが求めるのは、国家による賞賛と国民による「感謝と尊敬」を約束されているために、生命を棄てても勝利を得ようとする「忠勇義烈」の将兵なのだ。
葦津こそ正しい、いや、高橋のほうが正しい・・・。当然いろいろな意見があって良いと思う。しかし、彼らのどちらかの意見に心酔し、自分こそ正しく、反対の意見を持つものはすべて間違っていると言うことは、やはり一種のExclusivismであることだけは確かなようだ。
なるほど、管理人様は共産党に
偏見を持っていない事はよくわかりました。
話は変わりますが、私も靖国参拝にたいし
外国からどうこう言われたくないし、
仮に言われたら、
「靖国には触れないでください。
日本人の気持ちの問題です。」と切り返そう
と思います。
いつの日か、安倍総理と志位委員長が一緒に
靖国参拝する日が来るといいですね。
横から失礼します
mk30さんのコメントについてですが
>仮に ある日本共産党員の身内に
>靖国神社に合祀されている元軍人がいるとしたら、
>その党員は、靖国神社に参拝すべきであるとの考えですか?
>それとも共産党員である以上、参拝すべきでない
>との考えですか?
これはご本人の価値観によって判断が異なると思います。
靖国神社に参拝されているご先祖様を大事に思う人は参拝するでしょうし、
共産党員という立場を何よりも大事にする人は参拝しないでしょう。
今日の夕飯をカレーライスにすべきか、オムライスにすべきかとお尋ねになるぐらいナンセンスな質問だと思います。
管理人様、はじめまして。
仮に ある日本共産党員の身内に
靖国神社に合祀されている元軍人がいるとしたら、
その党員は、靖国神社に参拝すべきであるとの考えですか?
それとも共産党員である以上、参拝すべきでない
との考えですか?
因みに私は、管理人様から見て左寄りの人間だと
おもいます。
「安倍晋三の行動に外国から懸念の声が挙がっています」
「靖国参拝で外国から批判の声が高まっています」
最近テレビでもネットでもラジオでもよく見る・聞くフレーズです。
昔から感じており、今強く思うのですが、
【外国からの不満の声があるからって、だから何なんだ】
と言う疑問があります。
これには次のような論点があります。
1、外国の批判の声は、果たして日本の伝統や文化・歴史などについて、「正しい知識」を持った上での公正な主張なのか?
2、外国から批判されたからって、日本人に直接影響が及ぶわけではない。「政治と経済は別」と言うのが小泉純一郎時代の経験だし、冷戦時代だって米ソ・米中は激しく罵り合いながらも貿易していたではないか?
3、外国の声を大事にするくせに、日本人の声は無視するのか?外国人優先なのか?
まず1についてですが、日本人にだってまともな知識を持たないで靖国神社をただの「右翼の聖地」みたいに思ってる馬鹿が居るのが現状です。
葦津珍彦が『国家神道とは何だったのか』を著して20年経っているにも関わらず、未だに国家神道どころか神道についての正しい理解すら持たないで知ったかぶりしている連中がのさばっているのが日本の現状です。
これで、「外国人の日本批判者にはまともな知識がある」などと思える事自体がおかしいし有り得ない。
日本人の「馬鹿で不勉強な自虐史観サヨク」の主張の受け売りに終始しているのが「外国からの不満の声」の実態ではないですか?
まともな知識を持った上で、「だけど国家神道はいけない」「神道は邪悪な宗教だ」と言い出すのであれば、それはそれで一定の評価をします。
「納得」はしませんが、そういう主張もあるのだと「認識」はします。
だけど、そんなまともな知識を持った外国人の批判の声など、ほとんど存在しないのが現実じゃないですか。
中国の国連代表が日本非難の声明を出したそうですが、アイツらに何の資格があって日本を「東アジアに争乱を巻き起こす」などと非難できるのか?
マレーシアの目と鼻の先にある近海で「固有の領土」とかほざいて軍事基地を建設して東南アジアの安定と平和を乱しているのは中国ではないですか。
おまけに日本に対するまともな知識なんぞ皆無なのですから、連中の主張にはまともに耳を貸す意義も意味もありません。
私が大学時代、留学生の中国人と討論の授業がありました。
あまりに滔々と日本の歴史認識について語り、靖国神社批判にまで話が及んだので発言を遮り、
『あなたの考える靖国神社の定義をまず説明してください』
と提案したところ、
『A級戦犯の遺骨や遺品を祀っている、ヒトラーの墓と同じような建造物』
などと言い出したので、
『靖国神社にはA級戦犯どころか、BC級の戦犯の遺骨も、否、誰の遺骨であっても存在していませんが?』
とツッコミを入れたら呆気に取られて絶句していました。
この経験もあるので、日本を批判している外国人連中には「まともな日本に対する知識」が無いという事は身に染みて理解できました。
2についてですが、私は政治はいくらでも対立したって良いと思っています。
むしろ、激しい論争を何度も何度も繰り返した方が、日本自身の為にも健全でしょう。
「日本人は討論ができない」「討論が下手だ」とよく言われます。
ここらでキッチリ討論の修行を積む必要があるでしょう。
日本が理路整然と日本の立場を主張できるようになれば、さすがの中国や韓国も、今の馬鹿な批判者は鳴りを潜め、もっとちゃんとした知識を持っている人を送り出してくるのじゃないですか?
こういうちゃんとした知識を持っている批判者が現れてくれれば、日本のおかしな点を鋭く追及してくれるかもしれませんので、中には傾聴すべき鋭い指摘もあるかも知れません
3についてですが、いくら外国が非難してようが、この国は日本である以上は日本人を最大限に優先すべきでしょう
日本や日本人をないがしろにして外国に国を譲ろうとするような人は、日本語では「売国奴」とか「国賊」「非国民」と言います。
その意味では、媚米派も媚中派も媚韓派も等しく「売国奴」「国賊」「非国民」ではないですか。
靖国神社を批判する中国・韓国は、神社や神道の知識がまるで無いだけではありません。
「歴史とは何か?」という根本的な定義の時点で、すでに日本人には理解できない感性を持っているのです。
古田博司、筑波大学教授(当時)が、平成17年5月26日付けの読売新聞で指摘しています。
【中国、朝鮮では新たに王朝が生まれると、前の王朝の正史を編纂した。前王朝の記録をもとに自王朝の正当性強化に役立つ部分を選び出し、都合の悪い事実は排除していく。そうして正史が完成すると、記録は燃やされてしまった。
なぜ、この伝統が生まれたのか。中華思想では、王朝は天の命を受けて生まれ、天命にそぐわなくなると、革命によって次の王朝が生まれる。だから新王朝は、天命を受けた正当性ある政権であることを示すため、都合の良い歴史を作りだしたのである】
中国や韓国にとって「歴史」とは、「現政権の正しさを証明するために書かれるもの」です。
たとえ資料に裏付けられた「事実」であっても、都合が悪ければ「歴史歪曲」として排除するのが、彼らの言う「正しい歴史認識」です。
「論より証拠」ではなく、「証拠より結論」が大事な歴史観なのです。
皇学館大学の新田均も言います。
【資料に基づいて歴史を研究するという方法を中国人留学生に納得させるのは大変なんだ。何しろ、『君の言ってることは、この資料によれば違っているだろ』と指摘すると、『それは資料のほうが間違ってるんです』なんて平気で言うんだからね。彼らには、まず”結論ありき”なんだね】
町村信孝が外務大臣だった時、平成17年4月17日の日中外相会談の席で、中国の外相が、
実 物 を 読 み も し な い で 日 本 の 歴 史 教 科 書 を 批 判 し て い た
このように暴露しています。
4月28日の参議院外交委員会の答弁でも、
『中国や韓国やあるいは外国の方と話をしておりますと、実際にその当該教科書を読んでいない方が非常に多い』
と述べています。
こんな国のほざく「歴史の真実」なんて、自分の脳内で勝手に捏造した「妄想」と同じなんですよ。
仮にも独立主権国家である日本人が、なにゆえこのような科学的思考のできない野蛮人の歴史観に合わせて妥協しないとならないのか?
「アジア共通歴史教科書」なんて時間と税金の無駄です。
1、ただ、人間が過ちを犯すように、国家も過ちを犯します。それは、米国も、中国も、韓国も、シリアも、そして日本も例外ではないでしょう。
2、しかし、その過ちの原因の多くを他国に押し付け、自身を正当化し、事象を一方向から批判する人たちが、それそれの国々にいます。とても残念なことだと思います。
1と2は論理的に一貫していませんよ?
特に「戦争」と「外交」に関しての『過ち』という話であれば、尚更『原因の多くを他国に押し付け』るのは当たり前の事です。
戦争にしろ、外交にしろ、「相手」が在ります。言い換えれば「相手」が居なければ出来ない事です。
であれば、「相手」の動向、「相手」の行った事を調べて指摘するのも当然の事なのではないですか?
それと『それぞれの国々にいます』と書いてありますが、日本史学界に限ってはむしろ、「相手」の存在を一切考慮に入れず「日本人が悪かった」「日本人の○○さえ居なければ戦争にならなかった」などと、根ほり葉ほりやっているのが現実ではないですか?
このサイトでよく批判されている倉山満が本に書いていましたが、
「私は若槻内閣が専門なので、犬養内閣についてはよく解りません」
こんな物言いが許されるのが日本史学界という世界であり、おまけに若槻内閣の知識しか無いくせに「昭和史の研究家」を名乗れるのが日本の歴史学界というわけです。
実際、高名な歴史学者の本を読んでも、日本人の愚かさについては根ほり葉ほり書いてありますが、外国人の愚かさについて触れた本はほとんど存在しないのが実状です。
以前も申し上げましたが、「日本人は愚かだった」と言うのであれば、それと同じくらい「外国人も愚かだった」と言わなければ釣り合いが取れません。不公平・不平等極まります。
結局、外国との比較研究をした上で日本史を語れる力量がある歴史家は、外国人しか存在しないと言う恐るべき事態にまで至っています。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4889913505
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336056412
この二冊を読めばアメリカ人もイギリス人も相応に「愚かだった」事が解りますし、
場合によっては日本人以上に愚かとしか言いようが無い愚劣な選択を繰り返した事が見て取れます。
あの、日本人には主に保守派が賛美するウィンストン・チャーチルでさえも、愚か極まる政策を行っていた事は後者の本で理解できます。
このような事は、普通日本人の学者が指摘すべきだと思うのですが、日本人の学者は怠慢で不勉強極まるのでこのような著作は書けないのが現実です。
残念ながら日本に於いては、『過ちの原因を自国に押し付け、自国を卑下冒涜し、事象を一方向から批判する』歴史観が主流ではないですか。
その上で言いますが、私は中国なんぞの言う「日本侵略史観」なんぞ、一切傾聴に値するものではないと断言します。
最低限の「言論の自由」も存在しない、非民主主義国の歴史観なんぞ、嘘とデタラメしか無いのは明らかでしょうに。
実際には日中戦争で何の活躍も無いで逃げ回っていたくせに、「我が軍は如何に勇敢に日本軍と戦ったか」などと主張しているのが今の中国です。
海軍どころか海の出口も無かったくせして「勇敢なる我が軍は、日本軍国主義の誇る信濃を海の藻屑にしたのだ」などと言ってるのが中国人です。
全くお話になりません。
中国が正しく「言論の自由」を認め、国定の歴史観に逆らう歴史観を表明できる国になって始めて日中の歴史対話が成立します。
厳密には対話の「入り口」に立っただけに過ぎませんが。
「歴史を一方向からだけで判断してはいけない」
これはそうです。
しかし、日本を除く多くの国々では国定教科書であったり、歴史の授業で愛国心を育成しようと「一方向のみの歴史観」を普及しているのが現状です。
これこそ昨今流行りの言葉で言う「グローバル・スタンダード」でしょう。
アメリカ人がアメリカ側の歴史観に立った教科書で勉強する。
中国人が中国側の歴史観に立った教科書で勉強する。
イギリス人がイギリス側の歴史観に立った教科書で勉強する。
全部当然の事です。
なのに、
日本人が日本の歴史観に立った教科書で勉強する
日本人が日本の立場に立った主張をする
そうすると、「歴史を一方向からだけで判断してはいけない」などとしたり顔で非難される……
これっておかしいと思うんですけどね。
安倍信者やネトウヨらも愚かなる衆愚ですが、左翼の世迷言も相変わらず愚かであると思います。
どちらも日本にとっては不必要ですが、こうやってWJFさんがシンプルに反証できるようなそれぞれの蛸壺で悦に入っているところは共通してます。
ただ現実を直視し、ただ日本人として自分の中にある連続性を鑑み、そして自分の頭で考えてみるというシンプルなことが、どちらも出来ないというところが、本当不思議でなりません。
あなたがたが「ネトウヨ」と呼んであざける人々、安倍政権の推し進める構造改革を批判もせず支持してしまっている人々は確かに愚かなのですが、あなたがた左翼も同じように救いようもなく愚かです。何度も繰り返しこのブログで述べていることですが、
「あなたがたは前近代的な悪の国家である。」(歴史問題)
「だから、我々の改革を受け入れよ。」(構造改革)
この二つは連動しています。
あなたがたが信じているように、「あなたがたは前近代的な悪の国家である」という戦勝国が日本に押し付けた歴史観が正しいものであるならば、「だから、我々の改革を受け入れよ。」という彼らの構造改革の要求も正しいことになります。
ならば、アメリカの要求通りに構造改革を推し進める安倍政権も正しいことになります
ならば、あなたがた左翼が安倍政権を批判する何の正当性も論理的な根拠もなくなってしまうではないですか。
あなたがた左翼が、「アメリカの構造改革の要求に屈するな」といって安倍政権を批判するならば、同時に、「あなたがたは前近代的な悪の国家である。」というアメリカが押し付けた歴史観もおかしいと批判しなければ、論理的な一貫性がないではないですか。
具体的に考えてみましょう。現在、シリアの人たちはかつての日本人と同じ問題に直面している。アサド政権側は、体制を維持しようと西側諸国が支援している反体制側と血を流して戦っていますが、あなたがた左翼がいうように「戦争反対」「戦争は悪だ」などと言い始めたらどうなるんですか。シリアの体制はそこで終わります。
日本が戦争に敗れたように、仮にシリアの反体制側が勝利すると仮定します。その後で、「アサド大統領は残虐な独裁者だ」「アメリカは私たちを独裁政治から解放してくれた」「アメリカに感謝しよう」「体制を維持しようと反体制側と戦ったあの戦争は悪の戦争だった」などとシリアの人たちが言い始めたらどうなりますか。まっとうなシリア人としては「我々は確かに戦争に負けたが、我々があの戦争を戦わなければならない理由があった。」そう言わなくてはならないんじゃないですか。
そんなに日本が悪の国だと思うならば、あなたがた左翼は安倍政権を熱心に支持すればよい。あなたがたの望み通り、安倍政権は、日本を根底から破壊し、外国人に喜ばれる無害な国に作り直してくれますよ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140119-00031744/
米国や中国、韓国の問題ではなく、国内問題としての靖国神社。こんな意見に対して、ネトウヨさんたちは、どんな反応をするのでしょうね? 全否定するのか、論点をすり替えて叩くのでしょうか。ネトウヨさんたちの聖地ですから、決して受け入れることはないでしょうね。
ネットの意見を見てると、安倍晋三が靖国参拝した事自体が最大の成果のような風潮に違和感を感じる。
靖国神社参拝したから愛国者だ。「ご先祖様に墓参りして何が悪い」と、管理人様が仰るような歴史的な意味合いを無視して、「不戦の誓い」を立てる安倍晋三のような男が参拝しても歓迎し、単なる慰霊施設のように言うのは、中韓の批判に対峙してるのに見せかけて迎合してるのではないのか。これこそ「場所」を陳腐化させてるのではないか?
「不戦の誓い」は削除されたようです
自民党、「不戦の誓い」削除 運動方針の最終案で
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014010801001989.html
タイトル通り、すでに終わっている話を蒸し返すようで申し訳有りません。
先に謝罪しておきます。
かつて”日本大好き”さんはこのように書きました。
【しかし『日本の神道儀礼だけが非難されている』そうは思いません。参拝したのが、かつて「国家神道」だった「靖国神社」だから非難されているのです。靖国神社は、伊勢神宮、出雲大社、明治神宮、平安神宮などの普通の神社ではないのです。米国のアーリントン墓地とも違います。戦死者を祀る神社なのです。宗教法人なのです。また、それだけならば良いのですが、靖国神社は、戦後に創建された神社ではありません。靖国神社が、戦時中、愛国の大儀とともに、政府や軍に利用されていたことが問題なのです。】
要約すれば『靖国神社だからダメなのであって、伊勢神宮とかだったら問題ない』と言いたかったようですが、左翼はすでに「伊勢神宮でもダメだ」と言い出しています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-06/2013010602_02_1.html
どうせこのような日本国内の左翼の言説は、中国や韓国に伝わり、そこからアメリカやヨーロッパにまで大宣伝されて伝わるのでしょう。
「靖国神社さえスケープゴート的に生け贄に差し出しておけば、その他の日本の神社は巻き添えを食らわないで済む」
こんな単純な物事ではありません。
それこそ、日本の「神道」全てが、廃絶されて消滅するまでこの手の運動は続くでしょう。
共産党は唯物論で無神論なので神様を信仰していないから出来る事です。
そして、そんな唯物論で無神論を国家的に大々的にやってるのが「中華人民共和国」という事は、声を大にして再確認しておきたい。
相手が真っ当な理性のある人間ではなく、そもそも宗教や神を全否定している国家の人間に、日本の神道の一体何が理解できるのか?
中国には日本の「神社」に相当する文化は無いので、中国的な「廟堂」(たとえば「孔子廟」)などとごちゃ混ぜにして理解している節があるが、日本の神社と中国の孔子廟を同一視するなど、日本人だったらバカでも共産党員でもやらない。
それを平然とやる国が中国であるという一般常識は持っておいてもらいたい。
日本大好き氏は、『排他的になるな』と述べたが、靖国神社を排斥したのちに、中国が今度は伊勢神宮について文句を付けてきたらどうするのか?
日清戦争でさえも「日本の中国に対する侵略」などと言い出しているバカな中国人が、「明治神宮」に文句を言ってきたらどうするのだろうか?
日本共産党の言動を見て、ふとここでやり取りした事を思い出したので、もう一度ここに書き込みさせていただきました。
蒸し返すようで本当にすいません。
>「日本人は、常に、永遠に、歴史の一方的な被害者である。反省しろ。」
というあなたのような被害妄想を抱く人もいる。
日本の現実を言う事が、どこが被害妄想なのか??
WJFさんの弱い精神(現実を受け入れない。現実逃避)が、まんま被害妄想ですけど。それ分かってますか?
日本人に必要な事は、現実を教える事だよ。
それが日本人の未来を変える唯一の方法だからだ。
そして聞きたいのだけど、反省する事のどこが被害妄想なのか?
反省しない人間は、何も成長もしない。
毎度、同じ事を繰り返すだけ。そして負けるだけ。それが日本人だ。
WJFさんは、そんな基本すら知らないの?
色々知ってるから、そんなわけないよねー
日本は強い国でも何でもありません。世界でも超弱小です。
それすら知らないの?そんなわけないよねー
その世界の中で日本はどうやって生きるか、どうやったら生き残れるか、、それをやっているんですよ。
強い国、素晴らしい国、、、それはどの国もそうだ。
日本だけでなく、すべての国がそうだ。
WJFさんのような綺麗ごと(日本は素晴らしい)を言う人間は、日本を滅亡させるだけ。
良いところも悪いところも、、どこの国もある。
WJFさんは、その当たり前の事すら分からない。
そもそも日本人か?
靖国参拝がファシズム崇拝の悪行であるかのように、批判されるようになった原因は、小泉―安倍政権時代の外交敗北にある。今だから言えることだが靖国神社は静かな聖地であるべきだった。あの時、ブッシュとの同時参拝などを夢見、ナショナリズム再興のシンボルとして全面に押し出していった事が、米国内親中勢力(隠れ多極主義派)の謀略に利用され、今の状況を招いたからだ。
当時、中国人の監督が「靖国」の映画を作り、それに保守勢力が反発したりで、大騒動になった。しかし、それは米国務省が仕組んだ陰謀だった。彼らはこの喧噪を「日本のファシズム復古主事」と米上層部に悪宣伝した。まさに「カルト・オブ・ヤスクニ」と。世界のメディアに影響力を持つであろうエリート層に日本及び安倍への不信が固定化したことが、今の状況の原因である。本当に世界は残酷だ。我々の伺い知れぬ所で、一瞬で、勝負は決まってしまった。結局、安倍はその為に従軍慰安婦に謝罪(踏み絵を踏む)する事になったのだろう。(この詳しい経緯は、副島隆彦「最高支配層だけが知る日本の真実」に記されているのでぜひ一読下さい)
こうした裏の世界の動きを踏まえれば、今回の安倍の参拝は周到さ、下準備が足りなかったと言わざる負えない。中国の覇権を拡大したい勢力に利用される事は、安倍にも予測できたはずだから。
「英霊を弔って何が悪い!」との原則論を振りかざして今後も参拝を続けるのは賛成できない(そもそも安倍のような人物が参拝したところで護国の霊威が高まることはないでしょう)のです。必要以上に弱気になってはいけないのでしょうが、このまま無計画に強行突破しようとすれば、今の国際情勢だと「ヤスクニ=悪」のイメージが完全に固定化してしまわないか、ぬぐい難い恐怖感があるのです。
おもしろいものですね。
「日本人は、常に、永遠に、歴史の一方的な加害者である。反省しろ。」
という加害妄想を抱く人もいれば、
「日本人は、常に、永遠に、歴史の一方的な被害者である。反省しろ。」
というあなたのような被害妄想を抱く人もいる。
人間は関係の網の目の中で生きています。誰かのおかげを被ると同時に、誰かに利益をもたらしながら生きています。また、誰かから迷惑を被ると同時に、誰かに迷惑をかけて生きています。どんな立場の人であってもそうです。
しかし、心が病んでくると、関係の中での相互性を見失い、自分のことを一方的な加害者であると思い込んでしまったり、逆に、自分のことを他人に利用されてばかりいる一方的な被害者であると思い込んでしまったりすることもあります。
健全な精神の持ち主は、そのような偏った見方に陥ってはならない。
ある特定の国民が、常に一方的な加害者であったり、常に一方的な被害者であるなどというのは、歴史の事実でもなんでもない。あなたの病的な妄想ですよ。
>日本は食う側に回り、西洋列強と対峙しする力を手にいれながら、西洋の帝国主義を叩き潰そうとした。このことは、まぎれもない歴史の事実です。
日本は喰う側に回り・・・その時点ですら、日本は負け戦を用意されていだけに過ぎませんよ。
日本は、完全に利用されただけだ。
西洋列強、中国など他国も、最初から最後まで日本によって存分に金儲けできました。
それが歴史の事実、現在までの事実ですよ。
簡単に言えば、どこの国も「最終的に勝ち組」になる事が最も重要なだけですから。
”終わりよければ、全て良し”って言葉を知ってるか?
日本は完全なる大敗ですよ。
終わりがダメだから、全てが無意味だったね。
まず、日本人はそれを反省すべきではないのかね。総括する気あんの?
いくら闘っても、金儲けに利用されるだけの日本人。
日本人は、最低限それぐらいは理解する必要があるだろうよ。
日本人は、一体カモからいつ抜け出すんだ?それを知りたいね。
あけましておめでとうございます
いつも楽しみに拝見させてもらっています。
今回のWJFさんも記事ですが、まあ世界が日本を非難してるのは、WJFさんが書かれたことも正論ですし、お金の問題でもあるでしょう。例えば、アメリカと中国は貿易パートナーとして重要ですし、
ドイツなんかは、中国で大変ドイツ車が人気があり売れてますよね?そうゆうことでしょう。日本と中国が問題になって戦争にでもなれば貿易が停滞する可能性がありますよね。そうすれば、ただでさえ、あちこち経済が世界中悪いのに、もっとひどくなる可能性があるわけですよね。だから、日本が黙ってろって事で世界中が避難してるのでしょう。正直、一般の人々は靖国なんて知らないし、参拝しようがそうでなかろうが気にしないでしょう。
とにかく、いずれにしろ「日本が悪者になっておとなしくしろ!黙ってろ!」なんて言うのが、欧米諸国だとしたらそんな奴らは我々には不要でしょう。日本虐めに、加担してるアメリカやヨーロッパはいつか痛い目見る時がくるでしょう。面白いもので、自分が悪い事をすると必ず自分に返ってきますよね?そうゆうことです。日本は、孤立して結構。日本は国内需要で経済を復活させ、日本人の優しく正直で勤勉な民族性があれば必ず最高の国になれるはずです。日本は世界最強ですよ。
ドラゴンボールのベジータで良いと思います、彼は孤独を全く気にせずに、死ぬ気で努力を続けて、スーパーサイヤ人になれました。日本は、スーパーヤマト人になれるはずです。
日本人が本気で戦う時はもう来てますね、アメリカも朝鮮も中国もクソ喰らえです。
とにかく安倍はTPPをやめろ!!!
まず、コラッジョさんと同様に、私がWJFさんの以下の主張に共鳴していることを表明します。
【安倍晋三が批判されるべきなのは、靖国神社を参拝したそのことではありません。
中国の帝国主義(華夷秩序、中華思想)と西洋の帝国主義に対する日本人の歴史的な異議申し立ての象徴である靖国神社に参拝しておきながら、西洋の帝国主義の残滓に他ならない、構造改革やら、規制緩和やら、TPPに対しては何の異議申し立ても行わず、何の抵抗もしめさないどころか、嬉々として日本のグローバル化を推進している、そのことに対してです。 】
そのうえで、なお焦点にするのは「靖国参拝の是非論」ではなく、グローバリズム・構造改革・新自由主義政策にするべきであると考えています。
なぜなら実際問題として、グローバリズム・構造改革・新自由主義政策を推進する勢力、外資誘導・多国籍企業優遇勢力が、国民を分断するために靖国問題を利用しているとみられるからです。
小泉も安倍も、手法は愛国ポーズで国民を釣り売国のパターンで同様。
靖国問題に焦点が当たっているあいだにこのようなニュースもありました。
外国人労働者、入国緩和 建設人材不足 「単純」解禁も浮上 - SankeiBiz(サンケイビズ)
http://www.sankeibiz.jp/business/news/131231/bsd1312311308003-n1.htm
竹中平蔵はNHKの新春番組で日本にメイドがいれば働く日本人女性は助かると発言。
以前の竹中もこのように言っていました。
「毎年毎年、2030年を過ぎると日本の人口って100万人強減ってくるんですよ。そうすると、たとえば私の学生、とくに女子学生なんかに『いちばん欲しいものは何か』と聞くと、ほとんどの人がメイドさんだって言いますね。だって自分が働くには必要ですから。」
こういう竹中発言もあります。
「アベノミクス特区で新しいタイプの総理主導の特区を作るというのは1つの成果になり得ると思います。もう1つは、コンセッションといいまして、インフラの運営権を民間に売るということですね。」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36315?page=4
自民党清和会が進めてきた方向、財界が望む方向、グローバリストが望む方向…
全て寸分狂いもせず一貫して物事はすすんでいます。
オリンピックをだしにして移民も構造改革もすすめる流れです。
しかし「右派」「保守」は靖国や慰安婦問題で今もわき上がっています。
私は今右派や保守で盛り上がってる
慰安婦像問題はグローバルカルトのマッチポンプが濃厚だとみています。
実際に韓国やアメリカで慰安婦問題で反日世論を喚起している勢力と
安倍を支持しているカルトが同じ、というのも奇妙な話。
焦点を「売国グローバリスト」が誘導して、世論操作をしているのではないか…
「グローバリズム・構造改革・新自由主義政策」に焦点を当てないように
ターゲット別にメッセージを使い分けて世論誘導しているのではないか…
もはや疑念は確信に変わってきました。
惨事を利用して急激な構造改革をする「ショック・ドクトリン」という言葉がありますが、
震災後の日本はTPPを典型としてまさにその状況下にあります。
この安倍内閣は海外で実施されたショック・ドクトリンの典型的政策を連発しています。
靖国問題は国民を分断させるものとして投下されたのではないか…
そのように考える材料は揃っています。
ですから「帝国主義に対する日本人の歴史的な異議申し立ての象徴である靖国神社」という
WJFさんの指摘は非常に価値があると思います。
しかし左派の多くはここに乗れずに国民は分断されてしまうのでしょうね。
日本を帝国主義ととらえるか否かでまた国民的な大論争に…
まさに戦後レジームの総括ではあるのですが
左派もここにエネルギーを費やし過ぎて
結局は構造改革派・グローバリストのペースになるのでしょうか。
このように焦点を靖国問題の是非論に費やしている間に、
様々なことが進行してしまうこと危惧しています。
ショック・ドクトリンのさなか、
構造改革のペースは猛烈に加速中です。
私たちは間に合うのか、否か。
いつも「どうすれば間に合うのか?」と考えています。
まず管理人様の素晴らしい主張をもう一度引用させていただきます。
【安倍晋三が批判されるべきなのは、靖国神社を参拝したそのことではありません。
中国の帝国主義(華夷秩序、中華思想)と西洋の帝国主義に対する日本人の歴史的な異議申し立ての象徴である靖国神社に参拝しておきながら、西洋の帝国主義の残滓に他ならない、構造改革やら、規制緩和やら、TPPに対しては何の異議申し立ても行わず、何の抵抗もしめさないどころか、嬉々として日本のグローバル化を推進している、そのことに対してです。 】
私も安倍晋三が靖国神社を参拝したこと「それ自体」は賞賛に値すると考えておりますが、
結局、安倍晋三は管理人様の指摘される、『日本人の歴史的な異議申し立て』を全く理解も評価もしていない事が解りました。
https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=journal_view_main_detail&post_id=2847&comment_flag=1&block_id=736
小林よしのり氏の話では、
二度と戦争を起こしてはならないと過去への痛切な反省に立ち、今後とも不戦を誓う意味で参拝した、というのが首相の本意だ
とアメリカに説明したそうで。
ついでに、ネット右翼とかが期待していた「中国・韓国と戦う首相」という評価は全否定して、
中国や韓国の皆さんの心を傷つけるつもりはない
などと言い逃れしたのだそうですね。
結局、安倍晋三は「内弁慶」でしかなく、アメリカが難色を示せばすぐに腰砕けになる弱虫という事が再確認されただけでした。
それに、管理人様が正しく理解する『中国の帝国主義と西洋の帝国主義に対する日本人の歴史的な異議申し立て』については、「痛切な反省」が必要な愚行であったかのように述べています。
結局、安倍晋三は「自虐史観」に後退したのです。
村山談話や河野談話を否定せずに踏襲し、世界中に向かって性奴隷を認めて謝罪した日本史上特筆大書されるべき国賊・売国奴ならば当然なのでしょうが。
WJF様、明けましておめでとうございます。
先日、靖国に初詣に行ってきました。
外国人(主に白人)観光客と思しき人を何人も見かけました。
「何か」を感じ取って帰ってほしい、と思いました。
私は、恥ずかしながら、歴史も時事も知らないこと・分からないことだらけで、
いつも歯がゆい思いをしてばかりですが、WJF様の記事を読ませて頂く度に、
大きく頷いています。また、みなさんのコメントも大変勉強になります。
今年も、WJF様のブログ、応援しています。
水島が正義か、倉山が正義か、こんな議論は何も生産しません。
今、目の前にある危機を、一緒に考えて乗り越えていきましょう。
「TPPは譲れるが、靖国神社は譲れない」と言ってる今の「バカなネット右翼」「バカな安倍信者」と、
「靖国神社は譲れるが、TPPは譲れない」と言ってる”日本大好き”さんと、
言ってる事が真逆なだけで結局は「同じ穴の狢」なんですよ。
一つ譲れるのならば、別にもう一つ譲歩したって構わないはずでしょう?
と言うか、外国では相手が一つ譲歩したら「もっと譲歩を引き出せる」と思うのが普通ですよ?
「相手が譲歩したのだから、こちらも譲歩して互譲の精神で臨もう」なんて考えは外国にはありません。
例えば、イギリスのチャーチルはこう日本人を評したそうですね。
【日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。】
日本人が、イギリスの誇る最新鋭戦艦のプリンスオブウェールズとレパルスを撃沈し、シンガポールを陥落させた時には、
「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」
と語ったそうですね。
安倍晋三にしろ、”日本大好き”氏にしろ、「外交を知らない」点では何も変わりありません。
ここで管理人様の考えをもう一度引用します。
【安倍晋三の靖国神社参拝を批判する人々は、日本が世界からの批判を受けることなく、世界中から愛される「いい子」でありながら、グローバル化の進展という世界的、普遍的な流れに、日本だけが逆行することができると、本当に考えているのでしょうか。 】
どう読んでも「靖国神社に参拝したから安倍は愛国者だ」などとは書いていません。
管理人様自身、最後にこう書いておられます。
【安倍晋三が批判されるべきなのは、靖国神社を参拝したそのことではありません。
中国の帝国主義(華夷秩序、中華思想)と西洋の帝国主義に対する日本人の歴史的な異議申し立ての象徴である靖国神社に参拝しておきながら、西洋の帝国主義の残滓に他ならない、構造改革やら、規制緩和やら、TPPに対しては何の異議申し立ても行わず、何の抵抗もしめさないどころか、嬉々として日本のグローバル化を推進している、そのことに対してです。 】
もう全くこの通りで、私などがいちいち何か付け足す必要など無い完璧な文章です。
日本の近代の歴史は、「中国の帝国主義と西洋の帝国主義に対する日本人の異議申し立て」です。
その象徴こそが「靖国神社」であり、そこに眠っておられる「英霊」の方々です。
(日本は「日出ずる国の天子」とか言っていた聖徳太子の時代から、中国の帝国主義と戦っていたとも言えますが)
これが「譲歩できる」のであるならば、TPPだって「譲歩できる」でしょう。
ついでに「歴史教科書」だって、アメリカや中国のお説ごもっともで「譲歩できる」し、そもそも日本政府を解体して「アメリカの51番目の州」になる事だって「譲歩できる」のではないですか?
少なくとも、日本国が解体して「アメリカの51番目の州」に完全に変貌すれば、中国は「反日」とか言えなくなるでしょう。
尖閣諸島海域への不法侵入も、アメリカ海軍との全面抗争を恐れて、極端に激減するでしょう。
韓国だって竹島を返すかもしれませんし、ロシアだって北方領土を返還してくれるかも知れません。
何だかんだ言っても、アメリカは世界の超大国で、軍事力は他国の追随を許さないからです。
外交だって、「外交のイロハ」も知らないド素人の日本の政治家よりも、よっぽどマトモな事ができるのではないですか?
「いざという時に、アメリカが日本を守ってくれるか?」という疑問だって、
「アメリカ人は自国民を見捨てない」という原則がある以上、下手に日本国なんて国があるよりは、アメリカの保護を期待できるのではないですか?
つまり靖国で「譲歩できる」のであるならば、もう他の至る所で「譲歩できる」のであり、その結果は「ある意味素晴らしい」世界の到来でしょう。
しかし、あらゆる「日本的なるもの」はぶち壊されるであろう事は確実ですけど。
(もしくは茶道か華道の家元のように、保護されるべき「文化遺産」扱いになるのかもしれませんが)
要するに安倍晋三や自民党は、愛国でも売国でも「中途半端」なのです。
下手に「日本人の誇り」とか言わずに、「日本国を解体してアメリカの51番目の州にしてもらおう!」とか言った方が、まだ筋が通っています。
また、「国民を保護するのが最も重要」と言う”日本大好き”さんの主張が仮に正しいのなら、
日本人は「日本国」である現状よりも、「アメリカの51番目の州」であった方が、まだ確実に保護してもらえます。
強力なアメリカ陸海空軍が守ってくれますし、それに付随した強力な外交手腕が日本人を守ってくれるでしょう。
少なくとも、北朝鮮拉致被害者の如く、
「発覚するまで20年かかりました」
「未だ帰国できない日本人も大勢居ます」
みたいな、自国民もろくに守れない情けない国家よりは、国民を守ってもらえる事でしょう。
竹島や北方領土海域でも、多くの日本人漁民が殺されたり拉致されたりしています。
つまり戦後の日本は、国民を守るという最低限の義務も果たさなかったのだから、国家失格ですし、アメリカの51番目の州だった方が日本人にとっては「幸せ」という事になります。
(念の為ここで申し上げておきますが、私は日本国の解体→アメリカ化には反対です)
>「愛国=国家神道ではない」ということが言いたかっただけです。
管理人様も自分も、
「安倍晋三が靖国神社に参拝したから安倍は愛国者だ」
などとは一言も書いていません。
その事は声を大にして申し上げさせていただきます。
それと、先述の通り「国家神道」とは、神主や神道の専門家を「排除」して、「内務省の官僚」が「できる限り宗教色を排して」成立させたものです。
決して山崎闇斎や平田篤胤が理想とした「神道のあるべき姿」ではないという事は、すでに葦津珍彦が証明しています。
(と言っても内務省の官僚たちは、「非宗教化された神道」という発想が無かった所に、無理やりねじ込んだ=「無から有を生んだ」わけではありません。「神教」ではなく昔から「神道」と呼ぶように、日本人にとって神道とは「宗教とは違うもの」という認識があった事は事実です)
神主や神道の専門家たちにとっては、「宗教的要素を排除した国家神道」などとは、『敗北の象徴』でしかなく、あなたや管理人様が仰るような、
「見直すべき伝統」
「江戸時代以前には存在せず、明治時代に新たに作られた比較的新しい伝統」
の一つにカウントされるべきなのかも知れません。
>私には「靖国神社」に拘る理由、「靖国神社」を国を上げて愛国の象徴とする理由が解りません。
まず、当時の人間たちが「靖国で会おう」と言った事を想起してください。
当人たちが一番思い入れの深い所に行くのが筋では無いのですか?
>また、私にはアメリカ人や中国人の友人がいます。彼らは決して「バカなアメリカ人」や「バカな中国人」ではありません。
友人が居る事が、「全てのアメリカ人がバカではない」証拠にはなり得ませんよ。
それにこちらが「バカなアメリカ人がいる」と書いたところで、全てのアメリカ人が「バカなアメリカ人である」などとは意味していません。
ジョゼフ・グルー、ジョージ・ケナン、ライシャワー駐日大使など、「日本人以上に日本の事に詳しい」アメリカ人も存在します。
しかし一方で「ろくに日本の事を知らないくせに日本について語り出す『バカなアメリカ人』」がかなりの数で存在している事も事実です。
昔流行った映画の『パールハーバー』というのがありますが、あれなどは日本について何の知識もない『バカなアメリカ人』が作った大バカ映画でしょう。
日本軍は飛行場や軍港などの軍事施設しか攻撃せず、しかもそれでも手が足りずに石油施設などは見逃したのですが、あの映画で日本軍は「病院」や「民間人の住む町」にまで爆撃したかのように描かれています。
アメリカ人自身が、後年日本やドイツで行った「無差別爆撃」を、あたかも日本軍がやったかのように「投影」しているのです。
あれに感動したなどと言って賛美していたニューヨークタイムズやどこかの映画評論家などの連中は「バカなアメリカ人」としか言いようがありません。
それに私は「アメリカ版」の『パールハーバー』を見た事があります。
日本版ではとてもじゃないけど馬鹿馬鹿しくて公開できないのでカットされた部分が、ノンカットで収録されていました。
日本の連合艦隊の艦の中で、山本五十六などが作戦会議を開くシーンなのですが、窓ガラスの外を見ると、「着物姿の女性が羽子板」をやっています。
日本海軍の軍艦には女性は乗船禁止であるという常識すら持ってない「バカなアメリカ人」が作ったのがこの映画だという事がよく解ります。
恐らくアメリカ人に「日本らしさ」を示すために、敢えてこのような演出方法を取ったのでしょう。
「フジヤマ」「ゲイシャ」「キモノ」「ハラキリ」「ニンジャ」が出てくれば「日本だ」と考える「バカなアメリカ人」は、21世紀現在まで存在しているのが実状です。
昨今封切りされた『47RONIN』は、赤穂浪士の話なのですが、赤穂城が大阪城か江戸城の規模をも上回る、天守閣が4つも5つも存在する大巨城でした。
おまけに赤穂の『北方』には吉良上野介の治める『長門国』が存在している事になっています。
作中で『タイムリミットはあと一週間』と言っておきながら、『長崎』に行ってから『羽越国』に武器を求めに行くという描写もありました。
赤穂から長崎に行って羽越国に行くなどと言えば、当時の交通事情では一週間で行って帰ってこれないでしょう。
肝心の「吉良邸討ち入り」については、浪人たちが赤穂城を攻める事になっています。
そして映画の最後では、浅野内匠頭の娘(大名家に生まれ育ったお姫様)が、主人公と『キス』するシーンがあります。
この当時の日本人に、好きな人とキスをする文化が有ったか否かすら考えていないのは明らかです。
この映画で出てこなかったのは「ニンジャ」くらいな物で、「ハラキリ」も「ゲイシャ」も「フジヤマ」も出てきました。
2013年現在、日本の地理も歴史も風習も知らない『バカなアメリカ人』が、このようなデタラメな映画を製作しているのです。
アメリカ人の大半にとって、「日本」についてのまともな知識なんぞ無いと言っても良いですね。
この映画の場合、別に「反日」要素が無いので笑って済ませられますが、同じ事を靖国神社やパールハーバーで行われるのであれば笑ってなどいられません。
>ときに為政者や権力者は国をまとめるために国民を騙すことがあります。
別にナチスドイツや北朝鮮、中国などを持ち出さずとも、当の「アメリカ」こそが、過激な「愛国教育」を行っている国ではないですか。
自分たちがインディアンやフィリピン人を虐殺した過去にはほっかむりして、アメリカの歴史は素晴らしいと自信を深めるような教育を施しています。
いちいち目くじらをたてるまでもなく、「そっちの方が正常」なのです。
言い換えれば「グローバルスタンダード」なのであって、日本みたいな「自虐史観教育」こそが世界的には「異常」です。
>管理人の方が仰っている通り、主張すべきところは主張し、歴史認識を正す努力をする。しかし、それは決して排他的ではあってはならないのではないでしょうか。
日本の国益を守る為であるならば、どうやっても「排他的」にならざるを得ない局面は出てくると思いますが?
例えばTPPの交渉に関して「排他的になるな」などと言えば、今の安倍晋三が見せつけている通り、どんどん「腰砕け」になる事の方が正しい態度ではないですか。
今や「聖域五品目」でさえも守りきれないかもしれない状態なのですが。
戦時中、日本はナチスドイツのユダヤ人迫害に反対して積極的に保護しましたが、
当時の「グローバルスタンダード」に則るならば、日本もユダヤ人の受け入れを拒絶するべきだったのですか?
アメリカもイギリスもフランスも、自称「民主主義国」は軒並みユダヤ人の受け入れを拒絶していましたが?
この態度を見たヒトラーは、
「アメリカもイギリスもフランスも偽善者ばっかりだ。ドイツに対してユダヤ人を迫害するななどと注文つけておきながら、自分たちはユダヤ人を受け入れようとしないのだ」
というような言葉を残しています。
実際にやるかどうかは別として、「戦争をする覚悟」が無いなら、日本の国益を守る事などできません。
現に日本は、北朝鮮にさえも弱腰外交を繰り返しているではないですか。
そして「戦争」とは、最も「排他的」な物です。
それと比較すれば、総理大臣の靖国神社参拝なんぞ児戯に等しい。
ついでに言うなら、批判している相手がドナルド・キーンとか、エドウィン・ライシャワー博士、ジョゼフ・グルーのような「知日派」であれば、一応の聞く意義や価値はあります。
(聞いた通りに実行するかどうかは別問題です)
先に書いたような、デタラメな日本観を持っている『バカなアメリカ人』などの言葉を、どうしてまともに聞き入れなければならないのですか?
日本がやるべき事は、「お前はデタラメな知識を持っている。まずは勉強して出直してこい」とはねつける事ではないですか。
これは「相手に喧嘩を売る」事ではありません。
アメリカみたいな討論社会ならば当たり前の行動です。
討論の最中、デタラメな先入観と誤解と偏見を持った討論者に向かって、「お前はデタラメな知識を持っているから話にならない」と答えるのは、自己主張の一つです。
「日本人は自己主張しない」というのも『外国人が問題にしています』が、デタラメな知識で日本批判を繰り返す『バカなガイジン』に対してさえも一切の反論をせず「排他的になってはいけない」などと言っていたら、
日本は一体どういう局面であれば自己主張できるのですか?
安倍晋三がやっているように、「内弁慶」的に日本人だけに強気姿勢を見せつける事ですか?
(今回の安倍晋三の靖国神社参拝が、まさしくこの「内弁慶」の態度の現れである事は私も理解しております)
>また、今では陛下は靖国に参拝しません。それは何故なのでしょうか。
三木武夫が余計な事に「首相ではなく三木個人の参拝である」などと口走ったからという説もあります。
要するに「私人」という立場がない、絶対的に「公的」な存在で在り続けなければならない天皇は、参拝できなくなったのです。
逆に言えば、三木がバカな事を言い出す前には、天皇は普通に参拝していました。
当たり前ですけど、三木以前も以降も日本の総理大臣は靖国神社を参拝し続けています。
一 度 も 外国からの非難などありませんでした。
>国家のため、できる限り宗教的要素を消し去ろうとして、国家神道という新たな宗教を作ったということが、結果、戦時中、国民の命より、国家を優先することにつながったとは言えませんか。
素朴な疑問なのですが、
「じゃあアメリカは国家よりも国民の命を優先したのですか?」
当時の蒋介石の中国などは、自分で自国民の大量虐殺を行っていましたが?
『戦時中』と言うからには、どこの国でも『国民の命よりも国家を優先する』のは当然ではないのですか?
万一敗北したら、『国民の命』どころではありません。インディアンやアボリジニのように虐殺されるかも知れないのです。
かつての戦争から今は「70年」経過した計算ですが、そこからさらに「70年」さかのぼれば(1874年)、虐殺や暴政による餓死などで多くの有色人種が苦しめられていた時代なのですよ。
日本が敗北したら同じ事が起こらないと、どうして保証できるのですか?
>国家があってこその国民か、国民がいてこその国家なのか、命あるひとりの人間として、どのように考えるのが正しいのでしょうか。
どちらか片方しか選べないのではなく、「バランス良く両方」とは行かないのですかね?
ムガール帝国が滅んでイギリスの植民地となってから、インド人はほぼ毎年のように数百万単位で餓死する時代となりました。
(と言ってもムガール帝国の統治が素晴らしかったわけではありません。イギリスの統治が酷すぎたのです)
インド人やインカ人の貴重な経験を踏まえるならば、国家が無ければ国民を保護できません。
だから「どっちも重要」としか言えません。
まして時代が「戦時中」であるのならば、「国家>国民」の不等式が成立するのも、しょうがない事でしょう。
負けたらインカ帝国かムガール帝国の国民の如く「虐殺」と「奴隷」が待っているのかも知れないのですから。
TPPには反対だそうですが、実際に「日本市場は閉鎖的だ」と非難する「外国の声」は有るんですよ?
「排他的になってはいけない」と言うのであれば、当然彼らの声にも耳を傾けねばならないのではないですか?
「日本市場は閉鎖的ではない。そんな事を言ってる奴は、日本経済について知識が無い『バカなガイジン』だけだ」
と反発したら「排他的」になってしまうのでしょう?
日本大好きさん
別に最後にすることはないですよ。
与条件
A : 靖国参拝をした、中止したことがない首相
B : 靖国参拝をしこともあるが、中止したこともある首相
上記の条件が、
C:日本の首相/閣僚が個人の意志で靖国に参拝することによって、日本に於いては
思想信条の自由の権利は不可侵であり外交上政治的に利用され得ない状況を保つこと。
この目的を充たすにあたって
A&B=愛国者
かどうか?は関係ないと思いますよ。
だって、今までに、靖国を参拝する日本の首相を中国韓国が非難したときに
『日本の首相○○は愛国者ではない』
などというトンチンカンなクレームをしていますか?
政治的に圧力をかけるクレーム製造にあたって、非日本人である彼等にとって
A&B=愛国者
は、クレームとして利用出来ないファクターなのです。
A&B=愛国者かどうかなどという『まったく評価する個人の主観によって異なる推測値』に
拘泥しても仕方ない、そのようなことは喋ることが好きな雀に囀らせておけばいいのです。
日本の首相が靖国に参拝することは、
『自由に思想信条を持つ権利を守る=国民の権利=主権』であり、
その権利を外国から侵犯されず、政治的圧力として利用されないためには
プラス要素であるのか? それともマイナス要素であるのか?
或は双方の要素がある場合、差し引きした場合はどうなるのか?
その評価方式でいいんぢゃないでしょうか?
WJF氏が述べていることに追加しますが、
外交に於いては『善悪』や『倫理道徳』を第一評価基準として対応/手法を決定することに
殊更こだわることはない、どの国でもどのような選択が一番効率良く『実利』を得ることができるか?
それを基準にお互いに欲得で遣り合っている主観と主観のぶつかり合い、それ以上でもそれ以下でもない。
そこにドメスティックな『過去の反省論/理想論』を噛ませて悩むことはナイーブ、不要です。
当方思うには
『戦争は悪である(日本は悪いことをやったと苦しむトラウマ』
という考えは『GODは存在する』という考えと同じくらい全くナンセンスである、
と考えています。戦争はひとづきあいにおける一現象であり、生活圏の拡張を計る国家同士の
権益が衝突した場合にはその利害を調整するための手段であり、この調整手段は
人類の歴史を紐解くまでもなく極めて有効的ある、くらいの認識で戦争を捉えれば
『戦争に善悪を説いても仕方がない、問題はそれが必要かどうか?だ。』
という客観的に醒めた手法論に帰結すると考えます。
戦争をしたこと、することに良心の呵責を覚え自分を苛むことがどれだけ有益か?
を考えてみれば、それは大して有益ではない、というのが当方の認識。
諄いですが、所詮は『戦争=生活圏拡大意思の衝突』、普通の人間生活行為であり、
それを善悪で糾弾しても仕方が無い噺なのですから。
『戦争は、二度としてはならないと思います』
などと賢しらに述べる人々も世の中にはいますが、
では、国際紛争や現実の国家間権益衝突処理になんらかの代案を示せるか?
といえば、せいぜいが『粘り強い話し合い』という納豆売り程度の噺しか出来ない無能さ。
戦争をしたことは恥ずかしいことでも何でもない、欲得づくで衝突しただけだという
メンタリティを持つことが権益衝突に勝っていくためには必要なメンタリティでしょう。
靖国は、日本が打ち立てた世界史的な金字塔です。
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
という言葉がありますが、日本は、有色人種初の近代的に「国民国家」として、多くの犠牲を払いながら、「国民国家」を樹立する資格すら与えられなかった世界中の人々に、自分たちの「国民国家」を樹立する権利と資格をもたらしました。
靖国は、その意味で、世界の人々にとっての、一つの聖地ですらあります。
たとえば、アメリカの帝国主義に対して体を張って戦っているイスラム教徒にとっては、神風特攻隊は文字通りの誇り高い英雄です。
中国の帝国主義に対して、血を流しながら戦う、ウイグル人、チベット人にとっても、靖国は、日本が中国の帝国主義に対峙した記念碑です。
「靖国は悪だ」とする価値観や歴史観は、全人類にとっての普遍的な真理なのではなく、あくまでも、ある陣営の間でしか妥当性をもたない、一つの「意見」に過ぎません。
もちろん「靖国は善だ」とする価値観や歴史観も、全人類にとっての普遍的な真理なのではなく、あくまでも、ある陣営の間でしか妥当性をもたない、一つの「意見」に過ぎないと言えるかもしれません。
価値観の多様性が寛容に認められるべきでしょう。
しかし、どうして、当の日本人が、わざわざ「靖国は悪だ」とする価値観や歴史観を掲げる陣営の側に立たなくてはならないのでしょうか。
それは、「靖国は悪だ」とする価値観価値観を掲げる陣営の側に、戦後の日本人が完全に洗脳され組み込まれてしまっているからです。そして、その「組み込み」の延長線上にあるのがTPPや構造改革です。
日本の自主性や独立性を守るために、TPPやグローバリズムに反対しておきながら、日本による「国民国家」樹立の証であり、自主独立の象徴である靖国神社を否定するというのは、自己矛盾も甚だしいではありませんか。
靖国神社に日本の総理大臣が参拝してどうしていけないことがありましょうか。
各国元首、特にアメリカ大統領は、来日するごとに、日本人に対する敬意の証として、ここに参拝すべきです。
実際に、かつて各国元首は、通常の外交儀礼として、靖国神社に参拝していたではありませんか。
http://cotodama-6000.iza.ne.jp/blog/entry/1747757/
これで最後にします。「愛国=国家神道ではない」ということが言いたかっただけです。私には「靖国神社」に拘る理由、「靖国神社」を国を上げて愛国の象徴とする理由が解りません。国家神道を信じている人もいれば、イスラム原理主義を信じている人もいます。それが、良いとか悪いとか、善だとか悪だとか言っているのでもありません。信教は自由です。しかしまた、ご承知の通り、宗教が戦争を引き起こした例も少なくはありません。排他的で過激な行動が紛争につながったこともあると思います。また、だからと言って、日本の歴史や文化、伝統を否定するつもりもありません。そしてまた、太平洋戦争も、当時、日本が置かれていた状況を考えても、すべて日本が悪かったなどとは思ってもいません。また、私にはアメリカ人や中国人の友人がいます。彼らは決して「バカなアメリカ人」や「バカな中国人」ではありません。確かに、日本については、日本人以上に知ってはいませんし、無知かも知れません。また、誤解を恐れずに言えば、彼らは、幼いころから、誤った歴史認識を持った教育を受けてきたのかも知れません。またしかし、それは日本にも当てはまらないとは言えないのです。自虐史観もそうかも知れません、過激な反米、反中韓思想もそうかも知れません。ときに為政者や権力者は国をまとめるために国民を騙すことがあります。愛国心を煽ることによって・・・。ヒトラーや金正日が該当するかも知れません。また、とても残念なことですが、多くの中国国民が、中国共産党による教育によって、日本が中国において戦争中ひどい残虐行為をおこなったと信じています。しかし、それが正しい歴史認識であるとは思えません。そして同じことが、韓国でも、米国でも、そして日本でも行われていると思います。そして誤った歴史認識を刷り込まれた二国の国民が互いに自分の主張を曲げずにいれば、どこまでいっても和解することはありません。管理人の方が仰っている通り、主張すべきところは主張し、歴史認識を正す努力をする。しかし、それは決して排他的ではあってはならないのではないでしょうか。そして、それぞれが、権力者によるマインドコントロールから脱却する努力をしなければならないのではないでしょうか。柔軟な感性を持って・・・。また、今では陛下は靖国に参拝しません。それは何故なのでしょうか。私が「靖国神社参拝」を問題にするのは、「靖国神社」をあまり好きではないという理由からだけかも知れません。拘りや執着は、ときとして争いを生みます。靖国神社を参拝したい人は参拝すれば良いと思いますが、靖国神社参拝を、国民の義務にだけはして欲しくないと思います。国家のため、できる限り宗教的要素を消し去ろうとして、国家神道という新たな宗教を作ったということが、結果、戦時中、国民の命より、国家を優先することにつながったとは言えませんか。国家があってこその国民か、国民がいてこその国家なのか、命あるひとりの人間として、どのように考えるのが正しいのでしょうか。私の祖父の兄は徴兵されてサイパンで亡くなりました。祖父の家には、額に入った陛下の写真が飾ってありました。そして私は仏教徒で、日本の伝統や文化を大切にしたいと思っています。また日本市場は閉鎖的だとは思っていませんし、TPPには反対です。しかしやはり「首相の靖国参拝」は慎重に考えるべきだと思っています。
三島由紀夫に言わせれば、「国家神道」に対する無知偏見も、「アメリカが押しつけた戦後レジーム」となります。
三島は次のように書きました。
【キリスト教文化しか知らぬ西欧人は、この唯一神教の宗教的非寛容の先入観をもってしか、他の宗教を見ることができず、英国国教のイングランド教会をもって日本の神道を類推したのである。のみならずあらゆる侵略主義の宗教的根拠を国家神道に妄想し、神道の非宗教的な特殊性、その習俗純化の機能等を無視し、甚だ非宗教的な神道を中心とした日本の諸神混淆を理解しなかった。敗戦国の宗教問題にまで、無知な大斧を揮って、その文化的伝統の根本を絶とうとした占領軍の政治的意図は、今や明らかである】
この後、日本人が無知なガイジンの一方的断定に迎合してこの問題を放置してきたという批判が続くのですが、
神道や「国家神道」に対する偏見こそ「戦後レジーム」と言う指摘は、全くこの通りであって、
「アメリカと戦う」
「特に、過激なグローバリズムに抵抗する」
これを理想とする日本人であれば、無知なガイジンの一方的断定なんぞ一蹴するだけでしょう。
『他国も靖国を問題にしているのです』などと書きますが、神道の問題に口出しする資格のあるガイジンがどこに居ますか?
日本人の中からでさえ、無知なガイジンの一方的断定に屈してあなたのような人間が現れています。
「国家神道」を作ったのは『神主や神道の専門家』ではなく、「内務省の官僚」が「できる限り宗教的要素を消し去ろうとして」作ったという、葦津珍彦が証明した事ですら未だに理解できていないのですよ。
日本人ですらそんな低レベルなら、ガイジンの理解なんてもっと乏しいろくでもない代物でしょう。
そもそも「靖国神社には遺骨も位牌もない」という常識すら持っていないガイジンが、『靖国を問題にしているのです』。
こんなバカのタワゴトに、なんで日本人が聞く耳を貸さないといけないのですか?
外国の伝統・風習・習俗等を批判するなら、ちゃんとした真っ当な相手国への知識を持った上で批判すべきです。
その最低限の礼儀すら払わず、己のキリスト教信仰を投影して日本の神道を語る「バカなアメリカ人」や、己の日本人差別を根拠に日本の神道を語る「バカな中国人」の意見など、何らの価値も意義もありません。
もしもこんな日本に対する無知で不勉強きわまるアホな意見にすら耳を貸す必要があるのならば、
「日本市場は閉鎖的だ」
「TPPで開国せよ」
という主張にも耳を貸さねばなりません。
あなたの言葉のように書けば、「他国も、日本市場が閉鎖的だと問題にしているのです」
靖国神社にさえ、他国の無知で不勉強なタワゴトに耳を貸せるのだから、TPPなんてもっと真剣に他国の言う事を真に受けなければなりません。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1469.html
ついでに言えば、日本の開戦の詔勅の次に出された『帝国政府声明』では、次のように出てきます。
【而して、今次帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こすのやむを得ざるに至る。何等その住民に対し敵意を有するものにあらず、只米英の暴政を排除して東亜を明朗本然の姿に復し、相携へて共栄の楽を分たんと祈念するに外ならず、帝国は之等住民が、我が真意を諒解し、帝国と共に、東亜の新天地に新たなる発足を期すべきを信じて疑わざるものなり。】
ここでハッキリ『米英の暴政を排除して』と出てきます。
いちいち「暴政」の具体例を挙げていないのを見ても、当時の日本人の中には、
「米英の植民地統治は暴政だ」
という一般常識があった証拠です。
この『帝国政府声明』は、全ての新聞に掲載されたのであり、当時の日本人なら(赤ん坊と知的障害者と痴呆老人を除けば)知らぬはずはないでしょう。
小学生でさえも、恐らくは校長先生が『開戦の詔勅』と一緒に教え込んだものと推測されます。
>>『欧米の植民地になったらどんな奴隷のような地獄の環境が待っていたか、当時の日本人は常識的に知っていました』
>米国の国力を正しく把握していなかった日本人が、どうしてそれを常識的に知ることができたのでしょうか。
これこそ『論点のすり替え』ではないですか。
まず日米戦争開戦後、大川周明の『米英東亜侵略史』がベストセラーになったという事実を挙げておけば充分だと思います。
この本は、大川周明がNHKラジオで講演したものを書物化したものです。
つまり米英東亜侵略史を購入していない日本人であっても、NHKラジオで同じような事を聞いた日本人が大勢居ました。
ついでに言えば、1868年が明治元年。
1885年が第三次英緬戦争。これによってビルマはイギリスの完全なる植民地になりました。
1898年に米西戦争、勝利したアメリカは独立を約束していたフィリピンを裏切って植民地化、この時「フィリピン人50万人」が虐殺されました。
虐殺を指揮したのは、ダグラス・マッカーサーの父親です。
「アフリカ分割」が始まったのは1880年から。
インドの独立運動家のビハリ・ボースが日本に亡命したのは1914年。
ビハリ・ボースは日本で何度か「イギリス統治下のインドの惨状」と題して講演しており、毎回「大盛況だった」という記録も残っています。
とすれば、当時の日本人は「常識的に知っていた」と見なして差し支えありません。
それこそ「学徒出陣」で駆り出されたエリートならば、大川周明の著作に引用された原典すら読んでいたでしょう。
「米国の国力を正しく把握する」ことができずとも、「欧米は植民地でどのような暴政を敷いたか」を理解することは充分可能です。
むしろ、「米国の国力を正しく把握する」事ができなければ、どうして「欧米諸国の植民地統治」を理解できないなどという発想が出てくるのか?
大体この書き方では、日本は「米国の国力を正しく把握できていなかった」「だから戦争した」かのようですが、日本で一番強硬な陸軍でさえ、
「日本はワシントンを占領できないが、アメリカは東京を占領できる」
と理解していました。
「米国の国力を把握できていなかったから戦争した」なんて発想も、アメリカが戦後になって垂れ流したバカな歴史観に過ぎません。
それこそ「戦後レジーム」の考え方じゃないですか。
戦争が起こるのには理由があります。
戦争当事国の片方だけが「夜郎自大で井の中の蛙で敵国の国力を理解していなかった」なんて事は100%有り得ません。
戦争当事国双方の内、
「片方(日本)だけがバカだった」
「片方(日本)だけが愚かだった」
「片方(日本)だけが盲目だった」
なんて事は有り得ないのです。
(こんな事が「有り得る」と過信しているのであれば、だったら「それと同じくらい相手国もバカであり愚かであり盲目だった」と言うのであればバランスは取れます)
そもそも、アメリカは正しく日本の国力を理解していましたか?
「圧倒的な国力を持つはずのアメリカ」が、「3年8ヶ月も弱小な日本をたたきつぶせなかった」
これが「日米戦争」の一つの見方なのですが。
ついでに、
「原爆」と「ソ連の参戦」「ドイツの降伏」が無ければ、「すでに日中戦争で4年も戦っていた日本」を倒せなかった
こういう見方も有り得ます。
アメリカが正しく日本の事を理解していたのならば、「排日移民法」なんて制定しなかったはずでしょう。
「関税法」なんて制定しなかったはずでしょう。
現に、日本の事を比較的正しく理解していたフーバー元大統領は、中国やイギリス支援一本槍のルーズベルト大統領の政策を厳しく批判し続けました。
「アメリカが日独の置かれた環境を顧みず、一方的にその侵略を非難し、対戦当事国の一方(イギリス・中国)にだけ肩入れし続けるのであれば、戦後に待っているのはヨーロッパと東アジアの赤化だけであろう」
戦後の冷戦時代を知っていれば、ルーズベルト大統領とフーバーのどっちが正しい洞察を持っていたか一目瞭然です。
日本が「アメリカの事を正しく把握していなかった」と言うのであれば、アメリカなんてそれ以上に「日本の事を正しく把握していなかった」と断言せざるを得ません。
現に、21世紀現在になったって、アメリカ人の日本理解なんぞ「誤解と勘違いと妄想のごたまぜ」でしかありません。
日米戦争の頃なんて、今以上に日本理解なんて存在しなかったのは確実です。
下の引用部分が顕著です。
>『欧米の植民地になったらどんな奴隷のような地獄の環境が待っていたか、当時の日本人は常識的に知っていました』米国の国力を正しく把握していなかった日本人が、どうしてそれを常識的に知ることができたのでしょうか。
こうなると何を言っても無駄です。直後の「神社」の部分への論理的つながりも意味不明。ほとんどの文末を「でしょうか」で終えている点から、自分の言葉に興奮、陶酔している状況がうかがえます。確定でございます。
いくつか素朴な疑問をよろしいですか?
1、「戦没者を慰霊するため」という名目で、首相や政治家が靖国神社ではなく地元の護国神社に参拝したのであれば文句はないのですか?
(「護国神社であっても許さん!」と言うのであれば、神道差別、神社差別があなたにはありませんか?)
2、今、世間では「お正月」ですが、首相や政治家がどこかの神社に「初詣」に行くのはいけませんか?
(政教分離違反ですか?)
3、首相や政治家がお盆に、先祖の「墓参り」に行くのはいけませんか?
(政教分離違反ですか?)
日本では、日本共産党員でさえ「初詣」に行くお国柄です。
初詣を「宗教的行為を行った」と思ってる日本人はほとんど居ないでしょう。
せいぜい言えば、神社仏閣への参拝をことごとく否定する創価学会員と日蓮宗くらいですか。
そんな創価学会員や公明党の政治家であっても、正月は「めでたい」と感じ、人に会ったら『あけましておめでとう』と言うはずでしょう?
この「正月はめでたい」という価値観こそ、神道の思想的影響なのですが。
仏教には「正月を祝う」という価値観は元々ありませんでしたし、キリスト教でも「クリスマスの延長」くらいの感覚しかありません。
欧米では未だに町並みは「クリスマス一色」であり、クリスマスツリーなども平然と飾られています。
日本でこんな事はまず有り得ず、クリスマスが終わった途端ツリーは片づけて「門松」や「松飾り」を表に出す準備をするでしょう?
この行動こそ、神道の影響なのです。
つまり日本人にとっては、神道儀礼のほとんどは「宗教的行為」ではありません。
水か空気と同じくらい、日本人の皮膚感覚に溶け込んでいるのです。
手水を使って手を清め、お賽銭を投げ入れて、ジャラジャラと鐘を鳴らして、柏手を二回打ち、手は前に合わせて合掌する……
多くの日本人は「二礼二拍手一礼」という細かい作法を知らなくとも、これらの行動を誰でも遅滞無く行えます。
いちいちこれによって「宗教的行為を行った」などとは誰も思わないはずです。
たとえ政治家であっても、初詣に行く権利くらいは許されているはずです(公明党除く)
また自分の祖先の墓参りだって、首相だろうが国会議員だろうが国家公務員の官僚だろうが、文句つけられる事も筋合いも無いでしょう。
じゃあ、今回の安倍晋三は関係ないですけど、将来的に
「祖父は中国で戦死しました」
「曾祖父は南方で戦死しました」
という総理大臣や政治家が現れたらどうですか?
この人にとっては、「靖国神社に参拝する」のも、「自分の先祖代々の墓参りに行く」のもほとんど同じ事、違いは無いとさえ言えます。
「初詣」や「墓参り」は非難されない(であろう)のに、「靖国神社参拝」は批判されるというのは、まことにおかしな奇妙な話ですね。
>また、バチカンは、1936年当時、義務だった靖国神社参拝を拒否したカトリック信者の学生たちが、迫害を受けることを回避するために、政府から命じられた儀式(靖国神社参拝)は宗教的なものではないとして、信徒の神社参拝を許容したのです。
バチカンを、「日本の圧力に屈するような弱々しい組織」とでも思っているのですね。
この当時のバチカンは凄まじく政治的発言を繰り返しており、ソ連などは名指しで「悪魔の国」と非難する硬骨漢の集まりのような国だったのですが。
もしも日本の態度に不満があるなら、世界中のカトリック信者に「日本という国は悪魔の国だ~!」と回状を出しているはずなのですが。
それだけの力も威厳もバチカンにはありましたし。
ついでに、もしもこんな「イヤイヤ認めた」に過ぎないのであれば、日本が戦争に負けた時、
「あの回状は無効だ」と主張したはずなんですが。
21世紀現在にまで、一度も否定も批判もされていない事実についてはどうお考えなのです?
実際には、当時の枢機卿が日本を訪問、文部大臣の鳩山一郎本人から、
「神道は宗教ではなく、日本人の風習である」
という同意を得たという実績があるので、このような回状が生まれたのですよ。
「天皇機関説論争」や「統帥権干犯問題」で過激な主張を繰り返していた鳩山一郎でさえも、
「神道は宗教ではない」と主張していた事実は、決して軽く見てはならないと思うんですがね。
それに納得して、先述の回状を出したバチカンの行動も過小評価してはなりませんし。
繰り返しになりますが、「国家神道」の時代は、神道が最も「非宗教化」されていた時代であり、文部大臣もバチカンも「宗教ではなく民族風習」と見なしていたという事実は、何度でも声を大にして申し上げます。
「宗教ではなく民族風習」という意味では、現代の日本人が初詣に行くのと全く変わりません。
アメリカ合衆国権利章典修正第1条
(信教/言論/出版/集会の自由/請願権)
合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、
言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の
処理を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。
さて、
1:靖国神社は国教の施設ではない(日本国に国教はない)
2:靖国参拝は宗教行為ではない(バチカンの見解)
3:拝む対象は『祖先の霊』であり、靖国神社には遺骨はおろか墓さえない。
こうしてみると、靖国神社での参拝(死者を拝む行為)は信仰の自由というよりは
『言論の自由』が包括する『思想信条の自由』に於いてその権利が担保されるべきものだろう。
思想信条の自由が担保する権利とは、拝む対象がたとえ悪魔であろうとも、その権利は保障されねばならない、それが自由主義世界が共有する普遍的価値だ。
この『思想信条の自由』という『自由主義社会に於いて基本的且つ普遍的な』権利
(祖先の霊を拝むという行為は人間にとってすぐれて原初的な行為である)に対し容喙を行い、
その権利を放棄するように強いる行為を認めるのか?
容喙を認めるならば、それは人権への侵犯ではないのか?
権利を認めるならば、その権利は人種国籍を越え等しく保障されるべきではないのか?
靖国参拝へ批判を表す諸外国には、この反問を提示することが必要。
【祖先の霊を拝む行為に政治的圧力をかける権利を誰が持つのか?】
【祖先の霊を拝む権利は誰もが等しく持つ権利である】
【祖先の霊を拝む行為に容喙することは人権の侵害である】
諸外国にはこのようなストレートな建前で十分、戦時中に靖国神社が利用された云々等の
クレームをつけて批判するほど諸外国が靖国神社について造詣があるとは思えない、
何故ならば『慰安婦=高給戦地娼婦』が『SEX SLAVE=性奴隷』という英単語に化けたことで、
勝手な阿鼻叫喚の奴隷地獄の妄想を抱きキリスト教的道徳の見地から『慰安婦問題』を
批判している程度だから。
すべての人が自らの意思で軍人になったのではありません。『学徒出陣や徴兵で兵隊になった人はともかく』そのことを言っています。
『欧米の植民地になったらどんな奴隷のような地獄の環境が待っていたか、当時の日本人は常識的に知っていました』米国の国力を正しく把握していなかった日本人が、どうしてそれを常識的に知ることができたのでしょうか。
「日の丸」も「君が代」も「天皇」も「神社」ではありません。神社の歴史は古く、そして他に比べて最も身近にあったものです。
基本的に特攻隊は『志願』が建て前です。そうなのです。基本的に、そして建て前。例外もあり、本音もあったのではないでしょうか。
また、昭和天皇が「戦死者の霊を鎮める社であるのに、その性格が変わる」と憂えていたこと。そして今もなお、陛下が靖国を参拝しないことを、安倍首相はどう考えているのでしょうか。
しかしまた、日本が戦後レジームから脱却し、自尊自立するためには、米国との地位協定の改定や、首都である東京上空の管制権の返還を求めることのほうが、靖国参拝を問題にするより重要だと思っています。
慰霊という行為は「宗教的」です。またしかし、特定の宗教がおこなう行為に限定されるものでもないので、宗教だと言い切ることもできません。原爆死没者慰霊碑や太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔は、どこか特定の宗教に属しているものではありません。また、日本人の遺族の中には合祀に賛同していない人たちもいますし、靖国神社に対して、霊璽簿から氏名を削除して、合祀を取り消すよう求めている人たちもいます。また、バチカンは、1936年当時、義務だった靖国神社参拝を拒否したカトリック信者の学生たちが、迫害を受けることを回避するために、政府から命じられた儀式(靖国神社参拝)は宗教的なものではないとして、信徒の神社参拝を許容したのです。現在とは状況が異なって伊います。また、「戦前は軍が靖国神社を統括していた=悪だ」とは言っていません。また、靖国神社が宗教法人であろうがなかろうが、それを問題にしているわけでもありません。靖国神社が政治利用されていたことが問題だと思っています。言い換えると、「英霊に対して尊崇の念を表する」といったあたりまえの言葉と行為によって、日本人の宗教的愛国心を利用するものがいたのです。ときに為政者は、国民を欺きます。メイン号爆発事件、トンキン湾事件、真珠湾攻撃陰謀説、イラクの大量破壊兵器、中国の言う南京事件、韓国の言う従軍慰安婦。国民世論をまとめるため、支持率を保つため、そして、ときには戦争を始めるために・・・。利用できるものを捏造することもあります。そして靖国神社は明治になってから、日本が富国強兵が確立していくなかで、政府によって創建されたのです。国のために命を落とした御霊を祀るためと、国のために命を賭けて戦う兵士を育成するためという2つの目的をもって・・・。しかしまた、そんな靖国神社が、今は一宗教法人として英霊を祀っているだけなら、問題にはしません。今でも政治利用されているのが問題だと思っています。なぜ国会議員が雁首そろえて大勢で参拝しなければならないのでしょうか。また、「英霊に対して尊崇の念を表する」のはあたりまえで、どこの国でもしていることだ。どうして批判されなければならないのか・・・とは言いますが、靖国神社に参拝するのはあたりまえで・・・と言う政治家は誰ひとりいません。論点のすり替えです。他国も靖国を問題にしているのです。また「英霊に対して尊崇の念を表すのは靖国参拝でしかできない」とでも言うのでしょうか。首相の靖国参拝を擁護する人たちは、靖国神社が昔も今も政治利用されていることをどう思っているのでしょうか。政治利用されている限り、純粋な追悼と言い切れないのではないでしょうか。それとも靖国神社は、これまで一度も政治利用などされていない(いなかった)と言うのでしょうか。愛国心はそれぞれ個人の心の中にあります。決して強制されるものであってはならないと思っています。
靖国神社を取り巻く諸問題は、まさに戦後の日本人における問題であるとあらためて実感します。
なぜ自国の御英霊が眠る聖地に参拝したら他国から圧力がかかり、それに対して心情としては忸怩たる思いがあっても他国が避難するのだから避けるべきであると考える日本人が多いというのは、まさに「戦後レジーム」の構造そのものです。
滑稽なのは、その戦後レジームをますます強化している安倍晋三が、御英霊のためではなく自らの支持層の馬鹿どもから見放されないように参拝しているだけにも関わらず、御英霊の在りし日の清廉かつ勇猛果敢ぶりに脅威を感じる国々らが日本が戦後レジームから脱却を目指しているかの如く誤認識している状況です。
戦後レジームから脱却するには、他国からどんな圧力がかかろうが、日本の自尊自立そして麗しき国柄を守るために立ち上がる日本人が一人でも多くなることが必要です。
そもそも「戦前は軍が靖国神社を統括していた」と言われたからって、「だからなんなんだ」としか思いません。
ここに「軍が統括していた」=「日本軍=悪」=「靖国神社=悪」のおかしな三段論法が存在しているように、私には思えます。
国の為に戦死した将兵を、責任持って軍が慰霊するのなんてアメリカでもイギリスでもフランスでもロシアでも当たり前でしょうに。
「唯物論」を信じているソ連や中国ですら、国の為に亡くなった将兵を祀る慰霊施設は存在します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%90%8D%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E5%A2%93
「無名戦士の墓」で検索すれば、世界中至る所に戦没者を祀る施設があるのが解ります。
これらの多くは「国営」であったり「軍が統括」しており、おまけに「宗教施設」でしょう。
戦死者たちはキリスト教国ならキリスト教式の儀式が行われるのでしょうし、イスラム教国であればイスラム教式の宗教儀礼が行われるはずです。
「遺族の信仰や意思とは関係なく、合祀している御霊もあります」なんてイチャモンをふっかける者は居ません。
そもそも遺骨も位牌も無い靖国神社に合祀されているのが気にくわないなら、
昔ヒットした曲の『千の風になって』の歌詞の如く、
「そこに私はいません 眠ってなんかいません」
と個人的に思ってれば良いじゃないですか。
「俺の親戚が神になっているのが気にいらん!神様である事をやめろ!」
などと、たかが「人間」風情が一体何の資格があって「神様」に強要できるのですか?
管理人様はここで次のように書いています。
【安倍晋三の靖国神社参拝を批判する人々は、日本が世界からの批判を受けることなく、世界中から愛される「いい子」でありながら、グローバル化の進展という世界的、普遍的な流れに、日本だけが逆行することができると、本当に考えているのでしょうか。】
どこにも、『靖国参拝したから安倍は愛国者だ』なんて単純粗雑な事なんぞ書いていません。
むしろ私が書いたように、
【たかが靖国参拝すら出来ないような政治家には、TPPなどのグローバリズムと戦う事も出来ないし、中国や韓国と戦う事も出来ない】
と書いた事の方が、近い考えであると自負しております。
(すいませんが、もしも当方の勘違いであればご指摘くだされば幸いです)
・慰霊という行為は「宗教的」な物である
という一般常識も無いような人が、どうして靖国神社を批判できるのでしょうか?
(かつて「靖国神社を非宗教化して国立追悼施設にする」とか言った麻生太郎が大馬鹿者であるのはこの点でも明らかです)
それに日本の「靖国神社参拝」は「宗教的行為ではない」と意外な所がお墨付きを出している歴史的事実もあります。
バ チ カ ン です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%96%E5%9B%BD%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BF%A1%E8%80%85%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%82%81
バチカンは今でもこの見解を訂正していません。
そもそも「国家神道」だった過去を持つ事が悪いと言うのであるならば、
葦津珍彦の『国家神道とは何だったのか』を一読する事をおすすめします。
自らも神道家の一人である葦津に言わせれば「国家神道の成立は神道家にとっては敗北である」と言います。
国家神道を作った大日本帝国内務省は、「神道を非宗教化した」のが事実であり、神道儀礼は宗教儀礼ではなく、「民族風習」としました。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4915265102
つまり、どのような宗教を信じていようが関係なく、大和民族の風習として祀る事にしたのが「靖国神社」です。
この「非宗教化された国家神道」は、当然宗教としての「神道」を奉じる者たちにとっては敗北に等しい事です。
「戦後の靖国が宗教法人だから首相の参拝は悪」と言うのならば、戦前の「国家神道」こそが正しい在り方だった事になるわけですが。
靖国神社を批判する人に限って、この程度の最低限の知識も持ってないのは嘆かわしい次第です。
>『死者を弔う権利は人種/肌の色を越えて平等に与えられるべきだ』 まったくその通りです。しかし『日本の神道儀礼だけが非難されている』そうは思いません。参拝したのが、かつて「国家神道」だった「靖国神社」だから非難されているのです。
あなたは一体何を言ってるんですか?
『国家神道』だったら差別されても構わないと言ってるに等しいので、すでに論理矛盾を起こしています。
>靖国神社は、伊勢神宮、出雲大社、明治神宮、平安神宮などの普通の神社ではないのです。
こう書きますが、「国家神道」の時代、これらの神社は国家神道の影響を免れていたとでも主張するのですか?
「靖国だからダメなんだ」と言いたがる、タメにする理屈にしか見えません。
>米国のアーリントン墓地とも違います。戦死者を祀る神社なのです。
アーリントン墓地も、イギリスのホワイトホールにあるセナタフも「戦死者を祀る」墓地ですが何か?
やっぱり根本的に「神道差別」がありますね、あなたには
>宗教法人なのです。
だから何でしょう?
「慰霊」するのに宗教が存在しないなんて現象があるのですかw
「霊」の存在を認める事自体、宗教的感情の現れでしょうに
>また、それだけならば良いのですが、靖国神社は、戦後に創建された神社ではありません。
戦前=悪という思いこみがここにも現れてますね
>靖国神社が、戦時中、愛国の大儀とともに、政府や軍に利用されていたことが問題なのです。
そんな事言ったら、「日の丸」も「君が代」も「天皇」も『政府や軍に利用されていた』事になりますが?
全部「廃止せよ」と言い出しますか?
(実際サヨクはそう言ってますね)
それと、アメリカでは「星条旗」と「国歌(星条旗)」は『政府や軍に利用されていなかった』とでも言い出すのですか?
>知覧や鹿屋から飛び立ち散っていった人、桜花や回天に乗り散っていった人、すべての人が自らの意思で軍人になったのではありません。
その証拠を出してください
「父上様、母上様、お喜びください」的な遺書はいくらでも遺されていますが?
ついでに、学徒出陣や徴兵で兵隊になった人はともかく、自ら進んで士官学校に進学した人間だって特攻してますよ?
それすらも「自らの意思で軍人になったのではない」などと言うのですか?
欧米の植民地になったらどんな奴隷のような地獄の環境が待っていたか、当時の日本人は常識的に知っていました
タスマニアのアボリジニは絶滅され、インドでもインドネシアでもどこでも、餓死者が数百万とか当たり前の環境だったのが欧米の植民地統治でした
このまま本土に欧米の侵略を許せば、自分の母親や姉妹までもが鬼畜米英に蹂躙されてしまうと理解していた日本人は、「自ら進んで軍人になった」のです
そういう風土・空気があった事をなんで理解できませんかね?
日本の政府と軍部だけが一方的に愚かで悪の存在であって、欧米は一切間違いが無かったとでも思ってるんですか?
>そして自ら進んで命を捨てたのではありません。
冗談じゃない
特攻隊を組織した大西滝次郎にしろ、軍令部総長の及川古志郎にしろ、
「あくまでも本人の自由意思によってやらせるように。決して命令するな」
と厳命していました
基本的に特攻隊は『志願』が建て前です
そして、当時は「欧米の植民地になったら日本はどうなるか」を知っていたから、自ら進んで命を捨てる若者が大勢居た時代です
>米国の正義が、決して正義ではないように、靖国参拝が、決して愛国ではないのです。
「靖国参拝すれば愛国だ」なんて、管理人様は書いていないのですが。
私個人の考えだって、別の箇所で「安倍晋三のウラ」についても書いてますし、
「靖国参拝したから安倍晋三は愛国者だ」
なんて一度も書いていません
むしろ、「たかが靖国参拝もできないような政治家なら、アメリカからの自立も中国・韓国への強硬姿勢も実行不可能」と言ってるだけです
靖国参拝は愛国者の基本中の基本、基礎の話であり、これを行ったから安倍晋三の売国活動のすべての罪が帳消しになるとかいう類の話ではありません
(安倍晋三はそれを期待して参拝したようであり、バカな安倍信者もそれにコロッと騙されているのが事実ですが)
>戦前、靖国神社の祭事を、大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍が統括していたことを忘れてしまったのでしょうか。
アーリントン墓地は
ア メ リ カ 陸 軍 省
の管轄ですけど?www
やっぱり「日本人差別」「敗戦国差別」が根底にあるじゃないですか
『死者を弔う権利は人種/肌の色を越えて平等に与えられるべきだ』 まったくその通りです。しかし『日本の神道儀礼だけが非難されている』そうは思いません。参拝したのが、かつて「国家神道」だった「靖国神社」だから非難されているのです。靖国神社は、伊勢神宮、出雲大社、明治神宮、平安神宮などの普通の神社ではないのです。米国のアーリントン墓地とも違います。戦死者を祀る神社なのです。宗教法人なのです。また、それだけならば良いのですが、靖国神社は、戦後に創建された神社ではありません。靖国神社が、戦時中、愛国の大儀とともに、政府や軍に利用されていたことが問題なのです。知覧や鹿屋から飛び立ち散っていった人、桜花や回天に乗り散っていった人、すべての人が自らの意思で軍人になったのではありません。そして自ら進んで命を捨てたのではありません。そんな時代に靖国神社が大きな役割を果たしていたのです。米国の正義が、決して正義ではないように、靖国参拝が、決して愛国ではないのです。もちろん「英霊に尊崇の念を捧げる」ことは、あたりまえのことかも知れません。しかし、それが靖国参拝でなければならない理由はありません。そして現在でも、ことあるごとに国会議員が大勢そろって参拝しています。もちろん信教の自由があるのですから、参拝するのは自由です。しかし、参拝したければ、ひとりで参拝すれば良いのです。愛国心も信仰も心の中にあります。誰もそれを妨げることはできません。また靖国神社は、遺族の信仰や意思とは関係なく、合祀している御霊もあります。言い換えると、これは信教の自由を認めていないと言えるかも知れません。そのようなことから考えると、政府は、なんとしても靖国神社を『愛国の象徴』として維持しておく必要があるのかも知れません。戦前、靖国神社の祭事を、大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍が統括していたことを忘れてしまったのでしょうか。靖国神社は、その当時の為政者たちによって、利用されていたのです。またそれゆえに、安倍首相の靖国参拝が、純粋な信仰行為であるとは、どうしても思えないのです。
管理人様は本当に素晴らしいです。
その論理の一貫性を心底尊敬します。
「中国韓国何するものぞ!」と言いながら、「TPPなんかくれてやれ」「安倍晋三を支持する」と言うホシュ・ウヨク……
「TPP反対」「原発反対」と言いながら、「日本はアジアを侵略したのだから過去から未来永劫ずっと謝罪し続けなければならない」などと言うサヨク……
どちらも「日本なんてどうでも良い」と考えている時点で五十歩百歩です。
(自分の事を「愛国者」と考えている時点でホシュの方が悪質かも知れませんが、自虐史観サヨクも充分悪質なので五十歩百歩です)
評論家や知識人も含めて、今の日本には、
「どのような局面・どのような問題であっても、日本の立場を支持する」
と主張する人がほとんど居ません。
そんな中で、ここの管理人様のような人は「稀少」と言えます。
>食うか、食われるかという、生き馬の目を抜く当時の帝国主義の時代にあって、帝国主義を採用し、食う側に立たないということは、そのまま、食われる側に回ること、つまり他国の植民地になることを意味しました。
管理人様の仰る通りで、なぜこの「常識」が世間に広まらないのか疑問に思います。
これに加えて、当時の白人諸国には「人種差別」があり、有色人種を「ニンゲン」と見なしていなかった事実をも付け加えなければなりません。
イギリスの歴史家のトインビーが言うように、有色人種は「しゃべる樹木」でしかなかったのです。
石原莞爾は敗戦後、次のように主張しました。
「我々日本人は元々鎖国していた。満州も朝鮮も何もかも不要だった。そんな日本に開国を強要し、世界の荒波に押し出したのはアメリカのペリーではないか。こうなったら日本人も何とかして独立を守るために、外国の流儀を勉強し真似するしかない。日本はペリーのやり方を目の当たりにし、ペリーによって外国との交際の仕方を学んだのであるから、日本史上最高の戦犯はペリーである。今すぐペリーを戦犯として起訴するが良い」
白人諸国は、有色人種の国が「鎖国」して引きこもっている事も許さなかったのです。
スイスのような白人国家であれば許されるであろう事も、有色人種の国では許されませんでした。
日本人は、当時の米英仏露という先進国のやり方を真似ただけです。
それを「悪」などと考える価値観なんぞ有りませんでした。
21世紀現在のバカな日本人だけが、己の21世紀の「常識」を金科玉条にして19世紀~20世紀までの歴史を語っているに過ぎないのです。
『当時には当時の常識がある』という最低限の知恵も無いのです。
>WJFプロジェクトの主張は、あくまでも「歴史問題」と「構造改革」は連動している。その両方に関して日本人は異議申し立てをしなくてはならない、というものです。
これまた同感です。
「日本の明治以来の歴史は全て悪」とする歴史観は、アメリカが敗戦後GHQによって広めた、くだらない歴史観に過ぎません。
このような歴史観を持っている政治家では、無意識的にも意識的にもアメリカに劣等感を抱いてしまい、TPPでも児童ポルノ法でも何でも、アメリカに逆らう気概なんぞ生まれ得ないでしょう。
「アメリカに逆らった=愚か」としか思っていない連中なので。
特に戦後の日本人は、アメリカに「無条件の劣等感」を持っています。
バブル経済崩壊後には、それがますます加速しました。
このサイトで何度も批判されたTPPだって、これの本質は、
「日本経済はアメリカに比べて劣っているので、アメリカの経済や経営を見習わねばならない」
という発想から来る政策でしょう。
児童ポルノ法の改正問題でも、「日本人の児童ポルノ認定は、諸外国と比べて異常に甘い」という発想が無ければ、改正しようと思う事すら無いはずです。
「だからどうした?日本には日本流の経済や経営がある」と胸を張って反論できるようになる為には、アメリカに劣等感を感じる事を少しでも減らして無くす必要があります。
児童ポルノ法でも、「セーラームーン」ですら「児童ポルノ」扱いのアメリカに、日本人の事をとやかく言う権利なんぞ無いでしょう。
大体、この世に実在しないマンガやアニメのキャラクターを「非実在青少年」などと言って「保護すべし」なんて論調は、欧米人のバカな発想が日本人に伝来してきたのです。
アメリカの作った歴史観によって日本人は無条件にアメリカへの劣等感を感じるようになり、
それが悪用されて「日米地位協定」や「TPP」「児童ポルノ法」「新自由主義経済学の導入」などの政策に結びついたのだという事は、
日本人はもっと意識・理解すべきですね
>日本は帝国主義と戦ったのでしょうか? 当時の日本は西洋のそれを真似た帝国主義国家であり、その中で日本国民の愛国心は利用され、その象徴が靖国神社だったのでは?
食うか、食われるかという、生き馬の目を抜く当時の帝国主義の時代にあって、帝国主義を採用し、食う側に立たないということは、そのまま、食われる側に回ること、つまり他国の植民地になることを意味しました。
帝国主義を側にたつ西洋諸国同士も、己の利益を最大化するために、情け容赦なく、互いに戦争を起こし、しのぎを削っていた時代です。
そのような国際社会に放り出された日本は、食われまいとするならば、食う側に回らざるを得なかった。
そういう時代背景を無視して、「帝国主義に陥った戦前の日本は悪だ、反省すべきだ」というのでは、あまりにも短絡的な歴史観にすぎます。
日本は食う側に回り、西洋列強と対峙しする力を手にいれながら、西洋の帝国主義を叩き潰そうとした。このことは、まぎれもない歴史の事実です。
WJFプロジェクトの主張は、あくまでも「歴史問題」と「構造改革」は連動している。その両方に関して日本人は異議申し立てをしなくてはならない、というものです。
「歴史問題」に関してのみ、WJFプロジェクの主張に賛同し、「構造改革」やそれを推進する安倍政権に対する批判に関しては「エキセントリックだ」と否定的な感想をおっしゃる方は多いのですが、それでは、WJFプロジェクトの取り組みに対して半知半解であると申し上げずにはおれません。
「歴史問題」と「構造改革」、この二つに正しく対応してこそ、「すばらしき日本」は守られていくのです。
「歴史問題」しか頭にない「ウヨク」、「構造改革」の問題しか頭にない「サヨク」に、日本人の立場は分岐してしまっていますが、この両者を橋渡しすることが重要であり、WJFプロジェクトは、理論的にも、また実践的にも、その役割を果たしたいと願っています。
WJFプロジェクトの安倍批判、安倍支持者批判に関しては、安倍政権支持者たち、自民党支持者たちのエキセントリックなまでの盲信がまず先にあり、WJFプロジェクトの安倍政権批判が次第にエキセントリックな形を取らざるを得なかったという経緯をご理解いただきたいと思います。
日本は帝国主義と戦ったのでしょうか? 当時の日本は西洋のそれを真似た帝国主義国家であり、その中で日本国民の愛国心は利用され、その象徴が靖国神社だったのでは?
そして今また、脅威の前に愛国心は利用されようとしているのでは?
今回の洞察は素晴らしいと思います
いつの頃からかエキセントリックになって近寄り難い感じでしたが
ホッとしました
小泉は靖国神社を奉っていたが愛国者か?
日本大好きさん
3、慰霊や宗教儀礼には各国の歴史や伝統に根ざした各国なりのやり方があるのに、
日本の神道儀礼だけが非難されている事
仰るとおりです。それは『人種差別』なのです。
支那朝鮮は、人種差別を用いて政治的に圧力をかけ優位に立とうとしている。
すなわち『人種差別を道具としている』これをアピールするべきですね。
中国と韓国が『 A級戦犯合祀』を糾弾するのはお門違い、
極東軍事裁判に於いて彼等は当事者ではありませんからね。
アメリカと英語世界/白人世界に、ひたすら
『これは信仰の自由という権利対する人種差別である』
『死者を弔う権利は人種/肌の色を越えて平等に与えられるべきだ』
とストレートにクレームすること、これは効く筈です。
安倍首相を聖人のように言う人、靖国神社を奉らなければ愛国者ではないと言わんばかりの人、そして自虐史観の人、もう少しだけ、歴史の表と裏、真実と嘘を勉強してもらいたいと思います。
1、日本人の代表中の代表である総理大臣が、日本の領土内であるにも関わらず、堂々と赴く事ができない場所がある
http://livedoor.blogimg.jp/akito3ta/imgs/2/a/2ab1e540.jpg
2、外国でも、自国のために戦死した将兵を大統領や首相が慰霊するのは当たり前
http://www.boen.or.jp/
3、慰霊や宗教儀礼には各国の歴史や伝統に根ざした各国なりのやり方があるのに、日本の神道儀礼だけが非難されている事
https://sites.google.com/site/yasukunijinjamondai/qanda/yasukunijinjatofutuunojinjanotigaiha
http://d.hatena.ne.jp/dslender/20130425/p1
安倍首相の靖国参拝については、決して好ましいとは思っていません。それは靖国神社が、現在もなお戦前の国家神道の名残を残しているからです。
しかし「安倍首相の靖国参拝」と「TPP条約批准」とで、どちらかといえば、明らかに「TPP条約批准」が問題です。「TPP条約批准」と比べれば「靖国参拝」など、目を瞑っても良いと言えます。しかし、安倍首相がなぜ、日本人の歴史的な異議申し立ての象徴である靖国神社に参拝しておきながら、米国の帝国主義の残滓に他ならないグローバルゼーション(アメリカナイズ)を推進しているかです。これには2つの答えが考えられます。ひとつは「靖国参拝」が単なるパフォーマンスだという答えです。靖国神社を擁護する人たちに対してはもちろんのこと、最初から当然予想される中国・韓国の反応を逆手ににとって、「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことだ」と主張する。このようにして「英霊に尊崇の念を表することができるのは靖国神社だけ」という刷り込みを、多くの日本人に施し、靖国神社の存在価値を高め、そしてそれを政治利用するのです。おそらく最初は、国のために戦って死んでいった御霊を祀るために、靖国神社が創建されたのかも知れません。しかしその後、特に大戦中、陛下のため神国日本のために命を落とせば、靖国で神になれるといって、日本人の精神的な内面に訴え、命を捧げることを強要するために利用された、不幸な宿命を背負った神社でもあるのです。靖国神社は常に政治利用される。常に政治利用される不幸な宿命を背負っていると考えれば、安倍首相の靖国参拝は単なるパフォーマンス。「美しい国、日本」というキャッチフレーズも、政治家であり続けるために、多くの国民の共感を得るために、単に愛国者を演じているに過ぎないのでないでしょうか。また、もうひとつの答えとしては、安倍首相の強いものに弱く、弱いものに強いという、一見、「長いものには巻かれろ」的な内面性と、自分を客観視できない自己愛人間で、ナルシストだということです。そう考えれば、「靖国参拝」と「TPP協議参加」は、彼の心の中では、まったく矛盾しないことなのです。
世界一の軍事大国・経済大国の米国、靖国神社崇敬奉賛会、日本経済団体連合会、世界基督教統一神霊協会。彼は権威というものに、とても弱いと同時に、迷彩服で戦車に乗るなど、強いものに憧れる、少年のような心を持った政治家なのです。正義のヒーローに憧れる少年の純粋な心は、大人に理解し難い行動をとることが、時にあるのです。また、過去を振り返り、世に言う独裁者をみれば理解できるのではないでしょうか。演説で多くの大衆を惹きつけたヒトラーも、たぶん少年のような心をもっていたのです。そして安倍首相はそのようなタイプの政治家です。安倍首相の政治的な先見性とリーダーシップではなく、彼の個人的な魅力と美辞麗句に日本の将来を託すことは、とても危険なことだと思っています。
米国公使のブログに投稿してみました。(原文は英文)
http://japan2.usembassy.gov/deputy/j/deputy-jmain.html
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カート・トン主席公使殿
12月26日安倍首相靖国参拝に対する米国大使館声明につき
以下の見解を 記しておきます。
最初に、ユダヤ人はナチスによるホロコーストは人道に対する
残虐な犯罪であると主張しており、
この主張は世界的に広く受け入れられているようです。
次に、米国は日本に2発の原爆を投下しましたが、この行為が同様に認識されているかどうかは
私にはわかりませんが、 米国が主権国家として核攻撃を含む如何なる軍事的な行為をも
選択する権利があることを私は断固認めるものです。
それは国家の政治的選択事項でありますから。
日本はこれまで原爆投下は人道に対する残虐非道な犯罪であると
米国に対して公式に 抗議したことはありませんし、
米国大統領はアーリントン墓地を訪れるべきではないと
抗議したこともないことを全てのアメリカ国民のみなさんには思い起こして頂きたい、
何故ならば、アーリントン墓地を訪れることは明らかに全くの信仰の問題であると
日本国民は考えており、 信仰の自由は個々の人権として絶対に庇護されねばならないものです。
安倍氏の靖国参拝は純粋に信仰行為であり、
第三者が安倍は靖国に参拝することはならぬなどと 抗議することは理不尽であることを
全てのアメリカ国民の皆さんに理解して頂きたい、
何故ならばそのような抗議は明らかに信仰の自由という人権への冒涜であるからです。
云うまでもなく、アメリカ国民のためにこの権利と自由は完全な庇護のもとにありますが、
同じ権利が日本国民にも与えられて然るべきだと確信します。
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この問題の本質は人権問題であり、権利要求問題。つまり、
『米側に日本が何かを要求する交渉』
なわけだから、その要求が何か?を先ずは明確に提示し、
その要求がリーズナブルである根拠を提示しないと
相手にメッセージを渡す意味がない/交渉にならない。
1:アメリカでは全ての国民に認められ保障されている『信教の自由』を
日本人には認めない理由はどのようなものですか?
2:もし、日本人だけに信教の自由を認めないのであれば、それは
端的に人種差別ではありませんか?
と、率直に問うてみればいい。
アメリカにおいて、人種差別というものは、一番クルーシャル(重大な)かつセンシティブな問題、
それも信仰の自由というマターにおいて『人種による権利付与の不平等』は
ものすごくシリアスな問題になる、そこを理解したうえで、
『靖国参拝に対するアメリカの理解』=『日本人は米国人と同等の信仰の自由を要求する』
であることを米国にアピールすれば道も開けるだろう。米国に対し
『どうしてアタシの気持ちがわからないのッ!同盟国なのに!キィ~~~ッ!』
↑ これではダメ。
『同じ権利を寄越せ、同じ人間ではないか、それを認めないのは何故だ?』
という取引ならば、彼等も理解する。
信教の自由という人権を人種によって差別するのであれば米国という国家を成立させている
建前に取り返しのつかない毀損を与えることになる、それを予見するだけの分別は
アメリカもあるでしょう?と、相手の自尊心に訴えてみればいい。
それでゴネるようであれば、南北戦争の南軍の将軍の墓にも米国大統領は訪れる、
それは『死者に対しては生前の罪を問わないという合意がアメリカ国民にあるから』ではないのか?
ならば、なぜそれが『靖国に祀られる日本の英霊』にも適用されないのか?と問えばいい。
『信仰の自由』
『自由に信仰する権利』
『基本的人権』
これを繰り返しアメリカに対して述べること。
支那朝鮮にはこれらの自由は存在しないし、そのような概念が歴史上/文化的に存在しない空間だから
相手にしなくてもよい。アメリカ人という白人が認めれば、白人コンプレックスのかたまりである
支那人は大きな声で云わなくなる。
忘れてる人も多いのですが、安倍晋三は『戦後レジームの脱却』と言っていました。
「戦前日本は全て悪だった」式の東京裁判史観は、まさしく「戦後レジーム」ですし、
その為に日本の総理が靖国神社に参拝できないというのも「戦後レジーム」そのものではないですか。
この日本国の国土の上に、日本国民の代表(政治家)の中の代表(総理)が行けない所が存在する事自体異常です。
アメリカのどこに、アメリカ大統領が行けないアメリカ国土が存在するのですか?
アメリカにもアーリントン墓地という靖国神社みたいな所が在りますが、アメリカ大統領が戦死者に感謝を捧げて誰が非難しますか?
あの中には「日米戦争中に日本人を殺しまくって戦死した米兵」も居れば、「朝鮮戦争中に中国軍義勇兵を殺しまくって戦死した米兵」も居ます。
そのような人が祀られている墓地に大統領が参拝するのは非難されないのに、日本では一方的に外国から非難される……
それこそがこの問題の「異常」な点であり、「特異」な点なのです。
要点をまとめます
1、日本人の代表中の代表である総理大臣が、日本の領土内であるにも関わらず、堂々と赴く事ができない場所がある
2、外国でも、自国のために戦死した将兵を大統領や首相が慰霊するのは当たり前
3、慰霊や宗教儀礼には各国の歴史や伝統に根ざした各国なりのやり方があるのに、日本の神道儀礼だけが非難されている事
特に「1」は感化できない問題ですし、日本人なら全員この問題を深く考えるべきです。
なぜ、日本で一番偉い=政治権力を持っていると見なされている総理大臣が、日本国土の中で堂々と行けない場所があるのか?
これは何度でも指摘しなければなりません。
こちらの書き込みをみてあきれ果てました。
何故こんなに楽観的な人達が多いのか?
皆さん「岩手靖国起訴」の一連の顛末を見たことがないようですね。
この起訴では、原告が負け、被告(当時の県知事)が全面勝訴しました。
ですがこの後、全面勝訴したはずの被告側が上告、そして抗告しましたが却下されてます。
被告側が上告した理由は、「違憲判断は不利益」とゆう理由です。
ですがこの後上告も抗告も却下され、却下判決を出されています。
この時点で「首相が公式参拝するのは違憲」とゆう判断が確定されています。
「判断」程度に法的拘束力はありませが、なぜ「不利益」として上告したのか?
その後の裁判に影響とまではいきませんが、裁判の中で参照されてしまい、その裁判が不利に進んでしまう可能性があるからです。
今でも違憲判断は変わっていないのです。
違憲判断そのものをされないためには憲法20条を改正し、靖国神社に対する特則を設けることが一番の近道です。
「内政干渉だ」「過去の英霊に対して失礼だ」では、なにも変わりません。
首相が「英霊に尊崇の念を捧げる」のは大賛成です。しかし参拝したのが『靖国神社』であったことが問題です。靖国神社は普通の神社ではないのです。歴史的にみて「靖国神社が戦争に利用されてきた」こと。また日本の為政者の参拝が、単純に「戦没者に敬意を表す」ための意味だけを持つものではないこと。そして、憲法第20条の違反。それらのようなことが問題なのです。もちろん、同じ20条に定められている通り、信教の自由も保障されているので、もしどうしても参拝したいなら、個人的に、できればこっそりと参拝するべきだと思います。やはり公式な参拝や出席は千鳥ケ淵戦没者墓苑や全国戦没者追悼式だと思います。(なぜ靖国参拝が問題なのか:
http://www.linelabo.com/yasukuni.htm)(靖国合祀イヤです訴訟:
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Movements/yasukuni-iya0804.htm)
靖国参拝を言い換えるなら、私は日本を死守しますと英霊に宣誓するという事。
日本を切り裂く決断をした者が、参拝するという事は、原理的に矛盾している。
靖国参拝の是非を問う前に、そもそも自己矛盾に陥っているという事を理解するべきかもしれない。
孤立を恐れていては真実に辿り着きません。
不肖めは競馬を嗜みますが、万馬券とはすなわち「投票票数が少ない=支持者が少ない」事が真実である事に他ならず、常に多数派が正しいとは限らない分かり易い事例だと思ってます。
実際、消費税増税宣言後に好景気に沸く世間の風に陰りが感じられ「もう一年は待てなかったのか」と今でも思ってます。真に日本の国益を主張してくれる政治家の登場を心待ちにしてます。
靖国参拝で「安倍全肯定」になる人がいるだろうなと思うと、それはそれでがっかりしますね。もちろん参拝は支持ですが。
しかも「不参拝こそ賢い」と参拝を否定していた人たちがしれっと「参拝めでたい」になったのもちょっと気がかりです。
なぜ12月26日だったかについても、まさかとは思いますが安倍総理の自著(百田氏との対談など)の発売日(Amazonの出版日による)だったのが引っかかります。
参拝は当たり前のこと。しかしまさかとは思いますが支持率(自著もそのためではあるでしょう)のための参拝ではないのか…。そうでないことを祈ります。
この記事を見てもやもやとしたものが晴れた気がします。
どうもありがとうございました。
阿部首相は今日テレビに出ますし、さらに支持率が回復しますね。
高名な学者等がまさかの秘密保護法反対の活動をし出した時、現政権顔なしといった状況でしたが、それは過去の話になりましたね。愛国パフォーマンスというか、話題のそらしかたがうまいです。テレビなんかみても国民の関心は専ら下世話なニュースに終始していますね。
ここまで首相の筋書き通りといっていいのでしょうか。また、首相の手元のカードには目的を果たすジョーカーがまだ潜んでいるのでしょうか。
非難していない国の方が東南アジアでは多数ですよ。
台湾の李登輝元総統は、「慰霊には各国の風習があるのだから自由にやるべし」と主張していますし。
マレーシアでもフィリピンでも、「過去の謝罪はもう良い。未来志向で生きるべきだ」と国家指導者が発言しています。
マレーシアなどは、
「日本人はなんで謝るのですか?日本人はイギリス人を追い払って我々に独立するための勇気と実力を与えてくださったではないですか」
と上院議員が発言した事すらもあります。
中国を心の祖国と思っている華僑は反日の人が多いですけど、マレー人や生粋のインドネシア人などは親日的な人が多いですよ。
かつてイギリスやオランダが植民地としていた時、現地人を仲違いさせるために華僑やインド人を大量移入させたという歴史があるので、両者はあまり仲良くないのですよ。
ふんぞり返って、
『オレ様のお陰で独立できたんだから、オレ様を褒め讃えろ』
と主張するのはためらわれますが、向こうがそう思っている事については素直に感謝して受け入れるべきです。
そして、戦後の日本は全く自己主張せず、中国韓国の言いなりになっておりました。
靖国神社についても、世界の人々にどういう物であるのか広く広報した事は一度もありません。
中国の言う、「日本軍国主義の魔窟」みたいな一方的な大宣伝をしか、外国は聞いていないのです。
まずは、靖国神社の意義と中身について、外国人に正確な知識を与える必要があります。
また、かつての日本人は必ずしも全て間違っていたわけではなく、
靖国神社に眠る人々についても、「単なる犯罪者が眠っているのではない」という事を世界中に主張する必要があります。
今まで、戦後の日本=自民党政権が怠慢に怠慢を重ねてきたツケが回ってきたのです。
この戦いは、ある意味大東亜戦争や日露戦争よりも、長く険しく、おまけに金のかかる大事業となるでしょう。
しかし、いつかはやらねばならない事なのです。
アメリカが一方的に決めつけた、「日本=悪」の歴史観とは決別しなくてはなりません。
決別できないのであれば、「アメリカからの独立」なんぞ夢のまた夢でしょう。
日本の首相が、堂々と靖国神社参拝できるようにならなければ、アメリカとも中国とも戦えるわけがありません。
世界から非難、というのはガッカリですね。
靖国参拝に対して非難しない国はないんですか?
こちらの管理人様の論文に100%同感です。
私は近代以降の日本の歩みは、「日本の運命(さだめ)」であったと考えています。
言い換えれば「避けられるものではなかった」というものです。
日米戦争が「1941年12月8日」にあのような形で始まるような事態を避けられたとしても、遅かれ早かれ日米は戦争をしていた事でしょう。
【日本は、近代において二つのものと対峙しなくてはなりませんでした。
一つは、古代以来の中国の帝国主義(華夷秩序、中華思想)です。
もう一つは、西洋の帝国主義です。】
もうこの通りで、日清戦争も日露戦争も満州事変もシナ事変も、「あの時」「あのタイミングで」始まる事は避けられたかも知れませんが、遅かれ早かれ日本は戦争していたと思います。
それは「日本が侵略欲に満ち溢れた悪の野蛮人だから」ではありません。
【そうしなければ国を護れなかった】からです。
もしも日本がこれらの戦争を全て避けていたら、今頃日本はどこかの国の「植民地」になっていただろう事は全く疑う余地がありません。
(多分ロシアの植民地、「シベリアの延長線」扱いだったでしょう)
日清・日露の行われた時代背景は、戦争が「スポーツ感覚で」行われていた時代です。
「戦争=悪」という概念なんぞありませんでしたし、「帝国主義=悪」「植民地=悪」などという価値観もありませんでした。
それを、21世紀現在の「戦争=悪」の価値観に照らして断罪する事自体間違っている。
第一次大戦以降、ようやく「国際連盟」が設けられ、「パリ不戦条約」が締結されたものの、
アメリカとソ連は国際連盟不参加、おまけに白人種の有色人種差別意識が凄まじく、日本は事あるごとに欧米列強に非難され、不平等条約を押し付けられました。
ヴェルサイユ講和会議で、日本は「人種平等提案」を行いました。
しかし多数決では日本が勝利したのに、米英は強引に否決して葬り去りました。
また第一次大戦後のワシントン会議で、日本は山東半島を中国に返還させられました。
一兵も世界大戦に送っていないし戦死者も出していない中国が戦勝国面して、日本の権益を奪ったのです。
(日本は地中海でドイツの潜水艦と交戦、戦死者も出しています)
英仏もドイツやオスマントルコから植民地をぶん取ったはずですが、日本のように返還した事なんぞありませんでした。
海軍軍縮条約では、日本の主張は何一つ聞き入れられず、米英に比べて「6割」という低水準に押し込められました。
広大な領土を持っているアメリカにしろ、植民地を持っているイギリスにしろ、日本人の移民を受け入れる事は無く、1924年に「排日移民法」を制定して移民を締め出しました。
人口過剰で耕地面積の乏しい日本では、これでは輸出を振興するしか生存する術が無かったにも関わらず、アメリカは1930年に関税法を制定、日本製品の輸入をシャットアウトしました。
イギリスは1932年にオタワ会議を開催、イギリス領土内との輸出入以外を禁止しました。
1930年と言えば、日本は「満州事変」も「国際連盟脱退」も行っておりません。
なのに、アメリカは日本に対して敵意あふれる「排日移民法」と「関税法」という二つの法律を突きつけたのです。
第二の植民地大国のフランスはイギリスに倣ってブロック経済化し、ソビエトは最初から自由な貿易体制なんぞ拒絶している・・・・・・
世界の「4分の3」が、日本に対して門戸を閉ざしていたのです。
加えて、この米・英・仏・ソと言えば当事の工業大国ですから、自国勢力圏ではない地域にまで輸出しようとする・・・
資本力・工業力の弱い当事の日本では、とてもじゃないが太刀打ちできません。
日本は誇張でもなんでもなく、「生死の境」に立たされたのです。
これで「日本の侵略」だとか「15年侵略戦争」とかよく言えるものです。
「新自由主義経済学の開祖」とも言えるシカゴ大学教授のフリードマンは、
「第二次世界大戦の原因は、アメリカの移民制限と輸入制限にある」
と述べた事があります。
アメリカに輸出して食べていた日本にしろドイツにしろ、アメリカ市場から締め出されたことによって、自国の生存のための行動を取ったとフリードマンは言っているのです。
「新自由主義」で1929年の世界大恐慌は救済できたか私には疑問ですが、
少なくともフリードマンの言う通り「排日移民法と関税法さえ無かったら」、日本はアメリカと戦争する必要性など無かったことでしょう。
いつかは日米戦争に発展したかもしれませんが、それは「1941年12月8日」ではなかった事だけは確実でしょう。
「泥棒にも三分の理」という日本のことわざがあります。
「泥棒」にすら「三分」程度の理を認めるくせに、日本の戦前・戦時中の行動は「すべて悪だった」と総括するような日本人には、本当に怒りが抑えられません。
まさにアメリカやマッカーサー、GHQが理想とした日本人ではないですか。
自分がアメリカに洗脳されているくせに「反米」と言ってるのは、「お釈迦様の掌の上で踊る孫悟空」と同じだと、理解できないのでしょうかね?