漱石と日本の近代化(15)

『草枕』の中に織り込まれた「写生文」運動への離別宣言。
私が、最近漱石について考え始めたきっかけは、『草枕』を、Audibleという朗読サービスで聞き始めたことだった。

『草枕』は、漱石の他の作品と同様、子どもの頃に一度読んでいたが、『吾輩は猫である』『三四郎』『行人』『こころ』あたりまでは、(漱石のこれらの作品はわかりやすい日本語で書かれているので)、それなりに理解できても、『草枕』はさっぱりわからなかった。

最近、『草枕』を読み直して(聞き直して)、そのおもしろさを再発見するのと同時に、疑問を抱いた。

漱石が画工に語らせている「非人情の芸術論」は、漱石の後年の作品と正反対のものだ。これは一体どういうことなのだろう。

矛盾しているのは漱石と「非人情の芸術論」だけではない。

画工自身が、物語の最後で「非人情の芸術論」とあべこべの行動を示しているように見えるが、これはどういうことなのだろう。

私は文学の専門家ではないので、研究者が『草枕』についてどのようなことを論じてきたのか、その研究史をよく知らない。

ネットで『草枕』について論じられている文章を読んでも、どうも腑に落ちない。

その後あれこれ考えて、これから私が示す解釈で『草枕』を読み解くと、これらの問題に、すっきりとした答えを与えることができることに気付いた。

『草枕』は、写生文の実践として、一見、プロットのない、とりとめのない画工の随想や風景描写のように書かれているが、よく注意して読むと、うまく書かれたミステリー小説のように、かなりに緻密な伏線が張られていることに気付く。

『草枕』を解釈する鍵は、画工が繰り返し聞かされる、この地域に伝わる女の身投げの伝承、その伝承に画工が重ね合わせる、イギリスの画家ミレーの「オフィリア」という美術作品、さらに「身投げの女の伝承」「オフィリア」に画工が、そのイメージを重ね合わせようとする那美さんという女性をどのように理解するかにある。

『草枕』は、どうやら、ダンテの『神曲』を意識して構成されている。

漱石は、『草枕』の前年に書いた『倫敦塔』という短編で、実際に、ダンテの『神曲』の地獄篇の言葉を引用している。

うれいの国に行かんとするものはこの門を潜ぐれ。
永劫の呵責に遭わんとするものはこの門をくぐれ。
迷惑の人と伍せんとするものはこの門をくぐれ。
正義は高き主を動かし、神威は、最上智は、最初愛は、われを作る。
我が前に物なしただ無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
この門を過ぎんとするものはいっさいの望みを捨てよ。

(出典: 夏目漱石『倫敦塔』)

少なくともネット上には、『草枕』と『神曲』を結びつけている解釈は見たあらないので、ひょっとするとこれは私のオリジナルな発見であるかもしれない。

画工が山中の温泉場で出会う那美さんという女性は、ダンテが煉獄山の頂上で出会うベアトリーチェである。

画工が登る山(おそらく阿蘇山)は、『神曲』の中で台形の山とされる煉獄山である。

煉獄とは、カトリックの教義で、天国と地獄の間に存在して死者の魂を清める場所である。

ダンテは、ベアトリーチェに導かれて、煉獄山から天国へと上昇していくが、これとは真逆に、画工は、那美さんに導かれて、川を下降し、住みにくい現実世界(敢えていわば地獄)へと回帰する。

(『神曲』でも地獄の移動手段は舟である。)

私がこれから述べる解釈で『草枕』を読み解くと、『草枕』は、『猫』以来実践された、「写生文」「俳句的小説」「余裕ある小説」という小説作法の完成であるのと同時に、それに対する漱石の離別宣言であり、漱石がこれから進んでいく方向を読者にはっきりと指し示した作品として読める。

(つづく)
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