漱石と日本の近代化(14)

上昇する男と、下降する女。
(ここから文体を変えます。)

『草枕』は、一人の青年画工が、東京という文明世界から遠く隔たった九州の山に登り、「非人情」的な視点で世の中を俯瞰することを決心し、近代化以前の日本にタイムスリップしたかのような前時代の名残を多く残す山中の温泉場に滞在し、温泉宿の娘である那美さんという不可思議な女性と出会い、山を下りてふたたび文明世界に戻ってくるまでの物語である。

物語というより、画工によって記された随筆のような小説である。

『吾輩は猫である』もまた、猫の視点から人間社会を俯瞰した随筆のような小説であったが、「暗いじめじめしたところ」(=文明の外側)で生まれた猫ならいざしらず、人間ならば、「文明の外側」に脱出して、「非人情」の境地に立つためには、苦労して山にも登らなくてはならない。

なおかつ、登った山は、いつかは下りなくてはならない。

『草枕』は、一人の青年画工が山に登り、そして下りるまでの物語である。

繰り返しになるが、『草枕』は、単に画工が山に登る物語なのではなく、画工が登った山を再び下りるまでの物語なのである。

つまり、山に登る途上で画工が握りしめていた「非人情」の芸術論は、この小説の最後において否定され、手放される。

『それから』において、漱石によって決定的に否定されることになる「写生文」的な初期の小説作法は、『草枕』において理論化されつつ、なおかつ同時に否定されているのである。

(『草枕』が「非人情」の芸術論を掲げつつ、同時に、克服しようとしている点に気付く読者はどのぐらいいるだろうか。)

『草枕』は、この後、漱石の執筆スタイルが大きく変化していく、その萌芽と、矛盾をはらんだ小説である。

どういうことなのか、作品を少しずつ分析していこう。

『草枕』が発表された1906年は、日露戦争の勝利の翌年である。

また、『草枕』の発表に先立つこと約半年、同じ1906年の3月に、日本の自然主義文学の嚆矢となった島崎藤村の『破戒』が出版されている。

人の世の醜さを赤裸々に暴こうとする自然主義文学は、坪内逍遙や二葉亭四迷の写実主義から派生したものだが、坪内逍遙は、『小説神髄』(1885年)の中で次の様に述べていた。

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」

写実主義や自然主義に対するアンチテーゼとして、漱石の『草枕』が掲げた「非人情」の芸術論は、「小説の主脳は人情なり」という坪内逍遙のこの言葉をどこかで意識しているようにも読める。

しかし、『草枕』という謎めいた小説の偉大さは、この小説が、単に「写生説」や「非人情」という文学イデオロギーの一面的な宣伝小説に終わらず、それらを称揚すると同時に克服しようとする、複眼的で、アンビバレントな特質を備えている点にある。

漱石という作家の特質は、この豊かな複眼性を備えている点にある。

たとえば、『それから』という作品において、読者は、漱石が主人公の高等遊民代助に語らせる言葉にうんうんとうなずかずにはいられないのと同じように、代助の無為徒食を批判する父親や兄の言葉にも、強い説得力を感じずにはおれない。

『こころ』という作品において、自殺した先生の遺書に、作り物ではない圧倒的な迫真性を感じるのと同様に、先生を観察し描写する、どこか未熟さを残す青年である「わたし」の先生を思慕する感情に、読者は自然に同化させられる。

複眼性を備えた作家だからこそ、漱石は、自己を観察する猫と、猫に観察される自己という二つの自己に自分を分裂させて、『吾輩は猫である』という写生文的な作品を生み出すことができたのである。

複眼性という漱石の特質は、『草枕』においても十分に発揮されていると、私たちは考えるべきである。

只きれいにうつくしく暮らす即ち詩人的にくらすといふ事は生活の意義の何分一か知らぬが矢張り極めて僅少な部分かと思ふ。で草枕の樣な主人公ではいけない。あれもいゝが矢張り今の世界に生存して自分のよい所を通さうとするにはどうしてもイブセン流に出なくてはいけない。

此點からいふと單に美的な文字は昔の學者が冷評した如く閑文字に歸着する。俳句趣味は此閑文字の中に逍遙して喜んで居る。然し大なる世の中はかゝる小天地に寐ころんで居る樣では到底動かせない。然も大に動かさゞるべからざる敵が前後左右にある。苟も文學を以て生命とするものならば單に美といふ丈では滿足が出來ない。丁度維新の當士〔時〕勤王家が困苦をなめた樣な了見にならなくては駄目だらうと思ふ。間違つたら神經衰弱でも氣違いでも入牢でも何でもする了見でなくては文學者になれまいと思ふ。文學者はノンキに、超然と、ウツクシがつて世間と相遠かる樣な小天地ばかりに居ればそれぎりだが大きな世界に出れば只愉快を得る爲めだ抔とは云ふて居られぬ進んで苦痛を求める爲めでなくてはなるまいと思ふ。

(出典: 夏目漱石「明治三十九年十月二十六日鈴木三重吉宛書簡」)

『草枕』脱稿のわずか二、三ヶ月後に鈴木三重吉に宛てた私信の中で上のように語っていた通り、漱石は『草枕』執筆の段階から、既に、「写生説」「余裕ある文学」「俳句的小説」「非人情」の限界を十分に知悉していたと考えられる。

漱石は、決して、一つのイデオロギーに偏する人ではない。正岡子規の写生説に則った、ホトトギス派の写生文の意義を解説した文章の末尾でも、漱石は次のように述べていた。

しかしこの態度(写生文)が述作の上において唯一の態度と云うのではない。またこれが最上等と云うのではない。ただこんな態度もあると云う事を紹介したいと思うのである。近頃写生文の存在がようやく認められるにつけて、写生文家の態度はこうであると、云い纏めるのは一般の人の参考になる事と思うからこの篇を草したまでである。

俳句は俳句、写生文は写生文で面白い。その態度もまた東洋的ですこぶる面白い。面白いには違ないが、二十世紀の今日こんな立場のみに籠城して得意になって他を軽蔑するのは誤っている。かかる立場から出来上った作物にはそれ相当の長所があると同時に短所もまた多く含まれている。作家は身辺の状況と天下の形勢に応じて時々その立場を変えねばならん。

(出典: 夏目漱石『写生文』)

「非人情」(=写生文、俳句的小説)という山から下りるためにこそ、漱石は、画工を、この山を登らせてみせたとも考えられるのである。

『草枕』は次のような文章から始まる。

山路を登りながら、こう考えた。

智ちに働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容ろげて、束の間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降だる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊っとい。

(出典: 夏目漱石『草枕』)

このように、『草枕』の語り手である画工は、住みにくい現実世界の離脱こそが、芸術の役割だと述べる。

現実世界からの離脱の行為として、みずから山に登りながら、この言葉を語っている。

画工にとって、現実離脱の手段としての芸術は、山登りという行為と同じく、一つの上昇運動である。

しかし、『草枕』という小説では、画工という一人の男による、下方から上方へのアセンションの運動と並行して、反復されるもう一つの運動のモチーフがある。

それは、女の池への身投げという、上方から下方へのディセンションの運動である。

身投げは物理的には下降運動でありながら、現実の矛盾からの逃避という点で、芸術への耽溺によって現実を離れようとする画工の上昇運動と、本質的に、同一の意義を有している。

男の上昇と、女の下降という、上下逆さまな二つの運動が、水面に映る鏡写しの像のように渾然と一体化して描かれていく。

この小説がある臨界点に達するまで、ではあるが。

(つづく)
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