漱石と日本の近代化(10)

「不愉快」から生まれた愉快な小説。
夏目漱石は、深い漢文の知識や俳句の素養をもつ英文学の学徒であり、英語教師ではありましたが、小説家になろうと志して小説家になった人物ではありません。

二年間のイギリス留学時代に、西洋文明と日本文明の懸隔に懊悩し、西洋人の言説を鵜呑みにするのではない、日本人として「自己本位」の立場に立った文学論の構築を志したものの、帰国後、その内容を講じて聞かせた東京帝国大学の学生からは好意的な評価を得られず、神経症を病むほどの失意の日々を送っていた漱石が、気晴らしに何か書くように勧められて書いた作品『吾輩は猫である』が、読者の拍手喝采を浴びた結果、図らずも小説家となった人です。

学生時代から、英語教師を経て、イギリス留学に至るころの経緯については、先日、漱石が学習院で行った「私の個人主義」という講演から、漱石自身の言葉をご紹介しましたが、イギリス留学後、東京帝国大学の講師を経て、作家デビューに至る経緯について、明治39年に出版された『文学論』の序文から、漱石自身の興味深い記述がありますので引用したいと思います。

倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。

(中略)

帰朝後の三年有半も亦不愉快の三年有半なり。去れども余は日本の臣民なり。不愉快なるが故に日本を去るの理由を認め得ず。日本の臣民たるの光栄と権利を有する余は、五千万人中に生息して、少くとも五千万分の一の光栄と権利を支持せんと欲す。此光栄と権利を五千万分の一以下に切り詰められたる時、余は余が存在を否定し、若(もし)くは余が本国を去るの挙に出づる能はず、寧(むし)ろ力の継く限り、之を五千万分の一に回復せん事を努むべし。是れ余が微小なる意志にあらず。余が意志以上の意志なり。余が意志以上の意志は、余の意志を以て如何ともする能はざるなり。余の意志以上の意志は余に命じて、日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに、如何なる不愉快をも避くるなかれと云ふ。

著者の心情を容赦なく学術上の作物に冠して其序文に詳叙するは妥当を欠くに似たり。去れども此学術上の作物が、如何に不愉快のうちに胚胎し、如何に不愉快のうちに組織せられ、如何に不愉快のうちに講述せられて、最後に如何に不愉快のうちに出版せられたるかを思えば、他の学者の著作としても毫も重きをなすに足らざるにも関せず、余に取っては是程の仕事を成就したる丈にて多大の満足なり。読者にはそこばくの同情あらん。

英国人は余を目して神経衰弱と云えり。ある日本人は書を本国に致して余を狂気なりと云える由。賢明なる人々の言う所には偽りなかるべし。ただ不敏にして、是等の人々に対して感謝の意を表する能わざるを遺憾とするのみ。

帰朝後の余も依然として神経衰弱にして兼狂人のよしなり。親戚のものすら、之を是認する以上は本人たる余の弁解を費やす余地なきを知る。ただ神経衰弱にして狂人なるが為め、「猫」を草し「漾虚集」を出し、又「鶉籠」を公にするを得たりと思えば、余は此神経衰弱と狂気とに対して深く感謝の意を表するの至当なるを信ず。

余が身辺の状況にして変化せざる限りは、余の神経衰弱と狂気とは命のあらん程永続すべし。永続する以上は幾多の「猫」と、幾多の「漾虚集」と、幾多の「鶉籠」を出版するの希望を有するが為めに、余は長しえに此神経衰弱と狂気の余を見棄てざるを祈念する。

ただ此神経衰弱と狂気とは否応なく余を駆って創作の方面に向かはしむるが故に、向後此「文学論」の如き学理的閑文字を弄するの余裕を与えざるに至るやも計りがたし。果たして然らば此一篇は余が此種の著作に指を染めたる唯一の紀念として、価値の乏しきにも関せず、著作者たる余に取っては活版屋を煩わすに足る仕事なるべし。

併せて其由を附記する。

明治39年11月、夏目金之助

(出典: 夏目漱石『文学論』序)

漱石は、イギリスにおいても、イギリスから帰国したあとも、自他共に認める「神経衰弱」の患者にして「狂人」であり、止まざる「不愉快」を抱えて日々を過ごしてきた。

この「不愉快」は、「余の意志以上の意志」が、「日本臣民たるの光栄と権利を支持する為めに」避けてはならないと漱石に命じた「不愉快」だった。

この「不愉快」は、「私の個人主義」の漱石の言葉によれば、日本の近代化から生じる「不愉快」であった。

この「不愉快」の故に、ロンドンでは自己本位の『文学論』を構想せざるをえず、また同じ「不愉快」の故に、『吾輩は猫である』や、『漾虚集』という短編集や、『坊っちゃん』『二百十日』『草枕』が所収されている『鶉籠』という作品集を出版せざるをえなくなった。

漱石は,自分が「神経衰弱」であり「狂人」であるがゆえに小説家になったと自ら語り、今後の作品も、彼の「神経衰弱」と「狂気」から生み出されるだろうと予告していました。

すると、あらためて、私たちは、漱石のデビュー直後の作品、特に『吾輩は猫である』や『草枕』で採用されていた、人間社会の外部にいる「猫」や、実社会から乖離した山中の「画工」から見た明治日本の観察文という文学形式が、なぜ、漱石の「不愉快」の治癒に、また広く明治の大衆に必要とされたのかという問題を考えざるをえないのです。

『吾輩は猫である』は、漱石の家に偶然迷い込んできた野良猫から着想を得て書かれたものであり、この小説が明治の大衆に熱狂的に受け入れられたのも、着想の斬新さと、お腹がよじれるほど笑い転げずには読めない作品の面白さ、現代のお笑い芸人も足元に及ばないほどの漱石のユーモアのセンスに大きな理由があるのですが、それに留まらない、さらに深い本質的な理由があると私は考えています。

漱石の初期の作品の形式が、漱石自身にとって、また明治の大衆にとってどのような意味をもっていたか、さらに考察していきます。
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漱石と日本の近代化(15)

私がこれから述べる解釈で『草枕』を読み解くと、『草枕』は、『猫』以来実践された、「写生文」「俳句的小説」「余裕ある小説」という小説作法の完成であるのと同時に、それに対する漱石の離別宣言であり、漱石がこれから進んでいく方向を読者にはっきりと指し示した作品として読める。
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