漱石と日本の近代化(6)
明治の現代性。
前回、夏目漱石の小説『それから』の主人公代助と、彼の親友平岡との間で、職業をめぐって繰り広げられた熱のこもった議論の中から、ごく一部分を紹介しましたが、この引用箇所のあとも、二人の間で興味深いやりとりが展開されていますから、ぜひ目を通していただきたいと思います。(青空文庫:『それから』)
代助は、自分が働かない理由として、日本の西洋化、近代化を挙げていました。
西洋の圧力の下で行われた「外発的」な近代化の結果、日本人は日本にいながらして、日本ではないかのような生活を強いられている。
日本人は、日本人の魂の中から「内発的」に発展してきた社会制度の中を生きているのではなく、日本とは異なる文化をもつ人々が発展させてきた、日本とは異なる社会制度の中に、無理矢理押し込められて生きているのだ。
このような近代社会の中では、人々は、「自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない」くせに、そこには自分というものがない。
自分の魂や根っこというものを置き去りにしなければ、「外発的」に導入されたよそよそしい制度の中を生き抜くことはできないからだ。
そんな環境の中で働いて、どうして人間としての本領が発揮できるのかと、代助は問いかけているように思います。
夏目漱石が、100年前に、代助に語らせた問題意識と、21世紀の今日、構造改革やグローバル化に直面している私たちが感じ取っている問題意識と、さほど変化していないことに私たちは驚かされます。
(夏目漱石は、代助に語らせたのと同じ問題意識を、「現代日本の開花」や「私の個人主義」という著名な講演の中で、もっと直裁的なやり方で語っています。)
これは漱石の作品の「現代性」に拠るところも大きいのでしょうが、それ以前に、いい意味にせよ、悪い意味にせよ、日本社会や日本人が、100年前から大して変化してはいないからであると思います。
漱石の小説には、電灯も、電車も、電話も、水道も、ガソリンエンジンも、株式市場も、ショッピングモール(勧工場と呼ばれていた)も、大衆消費社会も、政治家のスキャンダルも登場します。『それから』の続編である、『門』という小説では、主人公の宗助が、歯医者で歯の治療を受ける場面が描かれていますが、当時の歯医者と、現代の歯医者とで、医院内や治療の様子が大して違っていないことが分かります。
日本は戦争に敗れて、アメリカの属国になった。「戦後レジーム」という属国状態から脱却し真の独立国になるべきだというようなことが日本の右派の人々によって盛んに言われますが、漱石は、『それから』の中で、いかに当時の日本政府が、イギリスの属国であるかのように振る舞っていたかを記しています。
明治維新以降、現代に至るまで、一貫して欧米の属国状態にあるとするならば、この状態を「戦後レジーム」として戦前から切り分けるべきではなく、「明治体制(明治レジーム)」という、大きな一括りの中に捉えるべきものだと思います。
このように、明治時代が既に様々な意味において「現代的」な時代であったからこそ、「現代的」なものの本質を深く掘り下げた漱石の作品は、現代を生きる私たちの深く心に突き刺さるのです。
(つづく)
代助は、自分が働かない理由として、日本の西洋化、近代化を挙げていました。
その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。
(出典: 夏目漱石『それから』)
西洋の圧力の下で行われた「外発的」な近代化の結果、日本人は日本にいながらして、日本ではないかのような生活を強いられている。
日本人は、日本人の魂の中から「内発的」に発展してきた社会制度の中を生きているのではなく、日本とは異なる文化をもつ人々が発展させてきた、日本とは異なる社会制度の中に、無理矢理押し込められて生きているのだ。
このような近代社会の中では、人々は、「自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない」くせに、そこには自分というものがない。
自分の魂や根っこというものを置き去りにしなければ、「外発的」に導入されたよそよそしい制度の中を生き抜くことはできないからだ。
そんな環境の中で働いて、どうして人間としての本領が発揮できるのかと、代助は問いかけているように思います。
夏目漱石が、100年前に、代助に語らせた問題意識と、21世紀の今日、構造改革やグローバル化に直面している私たちが感じ取っている問題意識と、さほど変化していないことに私たちは驚かされます。
(夏目漱石は、代助に語らせたのと同じ問題意識を、「現代日本の開花」や「私の個人主義」という著名な講演の中で、もっと直裁的なやり方で語っています。)
これは漱石の作品の「現代性」に拠るところも大きいのでしょうが、それ以前に、いい意味にせよ、悪い意味にせよ、日本社会や日本人が、100年前から大して変化してはいないからであると思います。
漱石の小説には、電灯も、電車も、電話も、水道も、ガソリンエンジンも、株式市場も、ショッピングモール(勧工場と呼ばれていた)も、大衆消費社会も、政治家のスキャンダルも登場します。『それから』の続編である、『門』という小説では、主人公の宗助が、歯医者で歯の治療を受ける場面が描かれていますが、当時の歯医者と、現代の歯医者とで、医院内や治療の様子が大して違っていないことが分かります。
日本は戦争に敗れて、アメリカの属国になった。「戦後レジーム」という属国状態から脱却し真の独立国になるべきだというようなことが日本の右派の人々によって盛んに言われますが、漱石は、『それから』の中で、いかに当時の日本政府が、イギリスの属国であるかのように振る舞っていたかを記しています。
その明日の新聞に始めて日糖事件なるものがあらわれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云う報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ痛快だと評していたが、代助にはそれ程痛快にも思えなかった。が、二三日するうちに取り調べを受けるものの数が大分多くなって来て、世間ではこれを大疑獄の様に囃し立てる様になった。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。その説明には、英国大使が日糖株を買い込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあった。
(出典: 夏目漱石『それから』)
明治維新以降、現代に至るまで、一貫して欧米の属国状態にあるとするならば、この状態を「戦後レジーム」として戦前から切り分けるべきではなく、「明治体制(明治レジーム)」という、大きな一括りの中に捉えるべきものだと思います。
このように、明治時代が既に様々な意味において「現代的」な時代であったからこそ、「現代的」なものの本質を深く掘り下げた漱石の作品は、現代を生きる私たちの深く心に突き刺さるのです。
(つづく)
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