漱石と日本の近代化(5)

高等遊民が働かない理由。
漱石の作品の魅力の一つに、登場人物たちの活き活きとした会話のやりとりがあります。とても作り物のセリフとは思えないぐらい真実味のある、複雑な心の揺れ動きの中から発せられる言葉を、各々の立場にある登場人物たちが吐露しているのです。

『それから』という作品も、登場人物たちの活き活きとした会話が綴られていますが、その中から、とても興味深いセリフをご紹介したいと思います。

主人公の代助が、親友の平岡と、職業について激しい議論を交わす箇所があります。

「なぜ働かない」と平岡に追及されて、高等遊民(ニートの先駆け)を続ける代助が、近代化が進む日本社会に巻き込まれて生きることを拒絶する理由を述べているのですが、代助が語る言葉が実に面白いのです。

「何故働かない」

「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵しらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行ゆかない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を為たって、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来している時分から怠けものだ。あの時は強いて景気をつけていたから、君には有為多望の様に見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於いて健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣る事はいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでも出来て来るだろうと思う。然しこれじゃ駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分だけになっている。そうして、君の所謂わゆる有のままの世界を、有のままで受取って、その中僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、此方の考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの――」

(出典: 夏目漱石『それから』)
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私がこれから述べる解釈で『草枕』を読み解くと、『草枕』は、『猫』以来実践された、「写生文」「俳句的小説」「余裕ある小説」という小説作法の完成であるのと同時に、それに対する漱石の離別宣言であり、漱石がこれから進んでいく方向を読者にはっきりと指し示した作品として読める。
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