漱石と日本の近代化(4)

夏目漱石『それから』について
今年2018年は、明治維新150周年の年。

引き続き、夏目漱石の作品の解析を通して、明治がいかなる時代であったかをうきぼりにしていきます。

『吾輩は猫である』や『草枕』のような漱石の最初期の作品は、近代化が進む明治の世を、「余裕のある第三者の地位」から悠然と睥睨する《観察者》の視点から綴られていましたが、時を経るにつれて、不安や鬱屈を抱えた《告白者》が、物語の前面に立ち現れるように変わっていきました。

『彼岸過迄』『行人』『こころ』という後期三部作と呼ばれる作品はその好例です。

このように変化していく漱石の作品ですが、《告白者》が作品の中心をしめるようになっていく後期の作品でも、客観的な《観察者》の視点が放棄されることはなく、漱石の作品は、客観的な《観察者》と、主観的な《告白者》の合わせ鏡のようにして綴られていました。

そして、《観察者》と《告白者》、いずれの側にも、漱石自身の自己が深く投影されていました。

このような小説作法を通して、漱石は、『草枕』において画工に語らせていた、「自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務」を全うしていたと言えます。

同じ『草枕』で、漱石は画工に、彼の文学の理想像を次のように語らせていました。

恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。

これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。

それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。

うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。

採菊東籬下
悠然見南山

ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。

独坐幽篁裏
弾琴復長嘯
深林人不知
明月来相照

ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。

二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。

(出典: 夏目漱石『草枕』)

漱石は、人間の「人情」に関心が終始しがちな、人間中心的な西洋の文学を批判し、東洋の文学は、まるで山水画のように、人間を自然という遠景の中に配置して、「余裕のある第三者の地位」から、これを俯瞰すべきであると考え、これを「非人情」の文学であると呼びました。

しかし、漱石は「余裕派」と文壇の中で揶揄された、この「非人情」という文学の理想像をあたかも放棄するかのように、これ以降の作品において、人事や人間の心理に深い関心を寄せ、これを微に入り細に入り分析し掘り下げていくような、一見すると「人情」的な作品を展開していくようになっていきます。

漱石がその後の創作活動の中で示すようになるこの一見した自己矛盾は、実は、『草枕』という作品の中にすでに胚胎されているのですが、これについては後ほど詳しく取り上げます。

(漱石がふたたび「非人情」の理想に立ち帰ってこれを実現させるのは、『明暗』という、未完におわった最後の小説でのことです。)

漱石の後期の作品の憂鬱な《告白者》たちは、漱石が「非人情」という東洋的な小説の理想像から一端離れ、西洋的な「人情」の小説を展開するように変化していく中で立ち現れるようになるのですが、その移行を画する重要な作品が、『それから』と呼ばれる、明治42年に発表された小説です。

『それから』は、富豪の実業家を父と兄にもち、父の経済的な扶助により、仕事につくこともなく、高等遊民としての悠々自適の生活を送っていた代助という三十才を目前にした青年が、友人の妻と恋に落ち、父から勘当され経済的扶助を失い、彼が侮蔑していた近代社会の歯車として生きていかなくてはならなくなるまでを描いた小説です。

この小説は、さまざまな意味で「移行」の物語です。

まず、この小説は、すでに述べたとおり、漱石の小説が「非人情」的な写生・観察・俯瞰の物語から、「人情」的な告白の物語へと移行していく移行期に執筆されました。

次に、この小説は、『三四郎』『それから』『門」という初期三部作の中の二番目の作品に当たりますが、『三四郎』で描かれた希望に満ちたはつらつたる帝大生の青年が、『門』で描かれる、崖下に暮らす鬱屈した中年の隠遁者へと「移行」していく過程を描いています。

次に、この小説の主人公の代助は、高等遊民としての第三者的な悠然たる社会の観察者として地位から転げ落ち、近代社会の歯車の一つへと「移行」させられていきます。

また物語の舞台となっている明治四十年代の日本が、江戸時代の名残を残した前近代的な社会から、近代的な社会へと猛烈なスピードで「移行」しています。

この「移行」を象徴するものとして、この小説は、「俎下駄」(まないたげた)という前時代の遺物が、冒頭に登場します。

誰か慌ただしく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。

(出典: 夏目漱石『それから』)

主人公代助が夢うつつの中で耳にした、次第に遠のいていく俎下駄の足音は、過ぎ去っていく前時代を象徴しています。

そしてこの小説は、次の様な文章で締めくくられます。

「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯向いたまま顔を上げなかった。「愚図だ」と兄が又云った。「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云う場合には、まるで唖の様に黙っている。そうして、陰で親の名誉に関わる様な悪戯をしている。今日まで何の為に教育を受けたのだ」

兄は洋卓の上の手紙を取って自分で巻き始めた。静かな部屋の中に、半切の音がかさかさ鳴った。兄はそれを元の如くに封筒に納めて懐中した。

「じゃ帰るよ」と今度は普通の調子で云った。代助は叮嚀に挨拶をした。兄は、

「おれも、もう逢わんから」と云い捨てて玄関に出た。

 兄の去った後、代助はしばらく元のままじっと動かずにいた。門野が茶器を取り片付けに来た時、急に立ち上がって、 「門野さん。僕は一寸職業を探して来る」と云うや否や、鳥打帽を被って、傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した。

 代助は暑い中を馳けないばかりに、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直に射下した。乾いた埃が、火の粉の様に彼の素足を包んだ。彼はじりじりと焦る心持がした。

「焦る焦る」と歩きながら口の内で云った。

 飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、

「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様に焙って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。

忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりとの息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。

(出典: 夏目漱石『それから』)

電車は近代文明を象徴しています。

漱石は『草枕』の中で、「電車」ではありませんが、「汽車」について次の様に記していました。(当時の東京には既に電車が通っていたが、九州には汽車しか通っていなかった。)

汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。

(出典: 夏目漱石『草枕』)

漱石は、

「代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。」

という最後の一文によって、近代的な文明社会にどこまでも自らを適合させて生きていこうという主人公の決心を表現しています。

駈け去って行く「俎下駄」の足音に始まり、主人公を否応なく運び去っていく「電車」に終わる『それから』という小説は、日本の前近代から近代への移行が、どのように、個人の生活の次元で生じていったかを、つぶさに描いた小説です。
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