漱石と日本の近代化(2)
悠然として余裕のある、東洋詩人としての俯瞰的態度。
『こころ』という作品が、「先生の遺書」だけで構成されていたら、また、『彼岸過迄』という作品が、「須永の話」だけで構成されていたら、漱石の作品は、自然主義の私小説的な体裁のものになっていたのでしょうが、そうはならないところに漱石の文学の特徴がありました。
漱石は、先生や須永のように、深刻な心情を独白してみせる人物を、外部から観察する別の視点を対置させることによって、「複眼的な視点」から、物語を立体的に構成しているのですが、漱石文学のこの特徴は、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』のような初期の作品から一貫して見られることを前回の記事で指摘しました。
「複眼的な視点」という、この創作姿勢について、漱石自身が『草枕』という初期の作品で、主人公の画工に次のように語らせています。
漱石の作品は、初期から晩年のものに至るまで、「自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する」点で共通していますが、漱石は、自己の心情を吐露しながら、自己から離れた場所から超然と自己を見つめる複眼的な姿勢を、俳句の実践と結びつけて自覚していました。
漱石は学生時代から正岡子規と深い親交を結び、小説家としてデビューする以前は、俳人としても知られる人物でした。
『草枕』の俯瞰的な姿勢が俳句に由来するものならば、『吾輩は猫である』に見られる同じ俯瞰的な姿勢は、江戸っ子漱石が愛好した落語という社会風刺の伝統と関係があるかもしれません。現代の私たちが読んでも、おかしくて吹き出さずにはいられない『吾輩は猫である』のユーモラスな語り口は、私たちに落語を思いおこさせます。
落語も、漱石の小説と同様に、語り手が様々な登場人物になりきりながら複眼的に物語が展開していきます。
漱石が、生活や自然の主観即客観の写生としての俳句や、落語から学んだであろう「複眼的な視点」は、明治という時代を俯瞰する上で大きな効果を発揮しました。
猫を飼ったことのある人ならご存知のように猫は高い場所を好みます。タンスの上や猫タワーのような高い場所に登って、家人の生活を上から見下ろすのが大好きです。
『吾輩は猫である』の語り手である名もなき猫も、明治の日本社会のどこにも属さない存在としての高みから、明治のインテリ、実業家、庶民といった人々の有様を、文字通り俯瞰しています。
高い場所から人間世界を見下ろす猫の超然的で俯瞰的な視点はそのまま、『吾輩は猫である』の翌年に発表された『草枕』の語り手である画工にそのまま引き継がれています。
『草枕』という小説は、一人の画工が阿蘇山を登り、山中の温泉宿に滞在して、舟に乗って山から下りるまでの出来事や思索を記述した小説なのですが、山という文字通り高い場所から、近代化に急ぐ明治の社会を俯瞰しているのです。
画工が滞在した山という場所が、大和朝廷が中国文明に基づく政治改革を急いだ白鵬時代に、修験道を開いた役小角以来、日本人にとって常に原点回帰の場所であり続けてきた事実を、私たちは忘れてはなりません。
『草枕』の画工も、一人の修験者であるかのように、日本社会を離れて山に登り、山中で明治の日本や芸術について思索し、そして山を下りて明治の文明社会へと回帰していきます。
「余」という一人称を用いる、物語の語り手の「画工」は次のように語っています。
喜怒哀楽に満ちた人間の心情世界を、その心情世界に溺れることなく、外部から俯瞰しようとする芸術家の態度を、漱石は『草枕』の主人公の画工に、不人情ならぬ「非人情」という独特のタームで呼ばせていますが、この「非人情」こそに、「人情」の問題に終始する西洋の芸術と対照的な、東洋の芸術の特徴があるとも主人公に語らせています。
また、漱石は、東洋的な「非人情」の立場に立って、世の中よりも高い場所から、世間を見下ろすことができる芸術家の俯瞰的な姿勢を、『草枕』の主人公の画工に、次のように誇らかに自賛させています。
この、自信と誇りに満ちた超然たる画工の姿勢は、人間より自らを高尚なものと信じていた『吾輩は猫である』の「猫」とまったく共通するものです。
既に述べたとおり、漱石は晩年の作品に至るまで、人間の心情世界を、その外部から客観視しようとする第三者的な視点を失わなかったものの、彼が初期の作品の中で示した、東洋詩人としての自信と自負に満ちた、余裕のある超然たる姿勢は、時を経るにつれて、次第に失われていきます。
漱石は、先生や須永のように、深刻な心情を独白してみせる人物を、外部から観察する別の視点を対置させることによって、「複眼的な視点」から、物語を立体的に構成しているのですが、漱石文学のこの特徴は、『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』のような初期の作品から一貫して見られることを前回の記事で指摘しました。
「複眼的な視点」という、この創作姿勢について、漱石自身が『草枕』という初期の作品で、主人公の画工に次のように語らせています。
こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据えつけて、その感じから一歩退いて有体に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近なのは何なんでも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。
(出典: 夏目漱石『草枕』1906年)
漱石の作品は、初期から晩年のものに至るまで、「自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する」点で共通していますが、漱石は、自己の心情を吐露しながら、自己から離れた場所から超然と自己を見つめる複眼的な姿勢を、俳句の実践と結びつけて自覚していました。
漱石は学生時代から正岡子規と深い親交を結び、小説家としてデビューする以前は、俳人としても知られる人物でした。
『草枕』の俯瞰的な姿勢が俳句に由来するものならば、『吾輩は猫である』に見られる同じ俯瞰的な姿勢は、江戸っ子漱石が愛好した落語という社会風刺の伝統と関係があるかもしれません。現代の私たちが読んでも、おかしくて吹き出さずにはいられない『吾輩は猫である』のユーモラスな語り口は、私たちに落語を思いおこさせます。
落語も、漱石の小説と同様に、語り手が様々な登場人物になりきりながら複眼的に物語が展開していきます。
漱石が、生活や自然の主観即客観の写生としての俳句や、落語から学んだであろう「複眼的な視点」は、明治という時代を俯瞰する上で大きな効果を発揮しました。
猫を飼ったことのある人ならご存知のように猫は高い場所を好みます。タンスの上や猫タワーのような高い場所に登って、家人の生活を上から見下ろすのが大好きです。
『吾輩は猫である』の語り手である名もなき猫も、明治の日本社会のどこにも属さない存在としての高みから、明治のインテリ、実業家、庶民といった人々の有様を、文字通り俯瞰しています。
高い場所から人間世界を見下ろす猫の超然的で俯瞰的な視点はそのまま、『吾輩は猫である』の翌年に発表された『草枕』の語り手である画工にそのまま引き継がれています。
『草枕』という小説は、一人の画工が阿蘇山を登り、山中の温泉宿に滞在して、舟に乗って山から下りるまでの出来事や思索を記述した小説なのですが、山という文字通り高い場所から、近代化に急ぐ明治の社会を俯瞰しているのです。
画工が滞在した山という場所が、大和朝廷が中国文明に基づく政治改革を急いだ白鵬時代に、修験道を開いた役小角以来、日本人にとって常に原点回帰の場所であり続けてきた事実を、私たちは忘れてはなりません。
『草枕』の画工も、一人の修験者であるかのように、日本社会を離れて山に登り、山中で明治の日本や芸術について思索し、そして山を下りて明治の文明社会へと回帰していきます。
「余」という一人称を用いる、物語の語り手の「画工」は次のように語っています。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲まき込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩らんでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観みて面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
(中略)
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛かべてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。
(出典: 夏目漱石『草枕』1906年)
喜怒哀楽に満ちた人間の心情世界を、その心情世界に溺れることなく、外部から俯瞰しようとする芸術家の態度を、漱石は『草枕』の主人公の画工に、不人情ならぬ「非人情」という独特のタームで呼ばせていますが、この「非人情」こそに、「人情」の問題に終始する西洋の芸術と対照的な、東洋の芸術の特徴があるとも主人公に語らせています。
また、漱石は、東洋的な「非人情」の立場に立って、世の中よりも高い場所から、世間を見下ろすことができる芸術家の俯瞰的な姿勢を、『草枕』の主人公の画工に、次のように誇らかに自賛させています。
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在するも、東西両隣りの没風流漢よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画えなきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金のみを眺めて暮さなければならぬ。余自みずからも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己さえ、纏綿たる利害の累索を絶って、優に画布裏に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。
(出典: 夏目漱石『草枕』1906年)
この、自信と誇りに満ちた超然たる画工の姿勢は、人間より自らを高尚なものと信じていた『吾輩は猫である』の「猫」とまったく共通するものです。
既に述べたとおり、漱石は晩年の作品に至るまで、人間の心情世界を、その外部から客観視しようとする第三者的な視点を失わなかったものの、彼が初期の作品の中で示した、東洋詩人としての自信と自負に満ちた、余裕のある超然たる姿勢は、時を経るにつれて、次第に失われていきます。
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